相異相愛のはてに





真っ白な雲が浮かぶ青空。
ゆっくり、ゆっくりと形を変えていく大きな雲を、夜雲は見つめていた。
花咲村がよく見える花曇山の頂上付近で。

大きな石に腰をかけ、ふわりと吹いてくる風に灰色がかった白髪を靡かせる。
開けたそこの端には、金柑の木があり、その前には夜雲の親の名が刻まれた細長い木の板が刺さっている。
思い出の場所であり、父と母の墓場。
先ほど持ってきたのであろう綺麗な白い花が供えられている。


(……)


夜雲は見る。
青い空に浮かぶ雲を。
形を変えて、穏やかに泳いでいる雲を。
何の感情も宿さない目で。
ただぼんやりとしているようにも、虚ろともいえるそんな様子で空を仰ぎながら、夜雲は思い出していた。
自分のこれまでを。
客観的に、他人事のように。


(………)


夜雲は愛されてきた。
父にも、母にも。
村の人達にも、仕事先の人達にも、みんな。
夜雲のやることなすこと、全て受け入れられてきた。
父のように、賢くて思いやりがあると。
母のように、品のある顔立ちで心も綺麗だと。
そう言われて育ってきた。
誰も彼もが夜雲に笑顔を向けてきた。
夜雲に向けられる視線はどれも温かくて、好意的なものばかりだった。
その変わり映えのない温もりだけの視線を小さな頃から受けて、受けて、受け続けて。
夜雲は、世の中はそんなものなんだと思っていた。
そんな人間しかいないと。
これからも、この先も、そうだと。
それは……一種の諦観に近かった。
……けど。


(………)


全て覆されたのは、十四のあの時。
赤く染まる父に、あらん限りの声で叫ぶ母。
真っ赤になる地面。
仕事の時とは違う、冷たい血の臭い。
何よりも……視線
自分を見た時の……彼の目。
温もりも、好意も、優しさも、憧憬の気配すらもない赤い瞳。
初めて向けられたその視線に、感情に……。
……きっと、あれは、あの感覚は“心を奪われる”というものだろう。
もはや彼しか見えていなかった。
すぐ目の前で、自分をずっと愛してくれた親が、血の海に沈んでいるというのに。
その親を放って自分は、その場から去る彼を追いかけてしまったのだから。


(………)


その瞬間から決まっていた。
彼だけだと、彼しかいないと。
自分の心を初めて動かした……否、自分にも心というものがちゃんと存在していると気づかせてくれた彼こそが相応しいと思った。


本気で好きになる対象に。


そして、それは当たりだった。
彼のおかげで誰かを好きになるというのは何なのか。
どういう気持ちになるのか。
胸の中でどんな変化が生じるのか。
凡そ、理解出来た気がする。
これは……確かに複雑怪奇だ。
見るとか聞くとかだけで、理解するのは不可能なのも頷ける。
実際、彼を前にして、彼に関することで、自分が予想外の言動をしたり、考えたり感じたりすることが何度もあった。
誰かを本気で好きになるとはこういうことなのか……。


「………」


空を見ていた夜雲は、静かに目を閉じる。
何もない暗闇。
その中で、彼は想像する。
思い描いている未来を。
“好き”の向こうに求めているものを。
夜雲の口角がゆっくりと上がっていく。
それは止まることなく上がっていく。
ゆっくり、静かに、大きくなっていく弧の形。
その形が完成する寸前で、強い風が吹いてきた。


「………」


夜雲の髪や着物の裾、周りにある木々も大きく揺れる。
まだ青い金柑の実がいくつか落ちていく。
墓標の前に供えられていた花たちも、いくつか飛んで地面を転がっていく。
……程なくして風がやむ。
閉ざされていた夜雲の目が、静かに開く。
いつもと変わらぬ無表情で、無感情な藤色の瞳で、空を見る。


「……そろそろ行こうかな」


いつもの抑揚のない声でそう呟くと、夜雲はゆっくりと腰を上げて踵を返し、歩き出す。
風で地面に散らばった金柑の実や白い花を気にかける様子なんて一切なく。
それどころか、歩く先にあった白い花を何の躊躇いもなく踏み潰し、その場を去っていった……。




***




同時刻。
木々が鬱蒼としている山の中で一つの小さな影が、身軽な動きで木から木へと飛び移っていた。
腰下まである長い黒髪を桃色の布で一つ結びにしている小柄な少女。
巣隠れ衆の忍・心ノ羽だ。
独影との会話以降、心ノ羽は己のやりたいこと・出来ることを探していた。
大きくてごつい木の枝に一旦足を止め、木の幹に手をつきながら心ノ羽はため息をつく。


(やっぱりというか何というか……やりたいことってそう簡単に見つかるものじゃないなぁ……)


どこからともなく小鳥の囀りが聞こえてくる。
山ののどかな雰囲気に反して、心ノ羽は沈んだ表情をしてしゃがみ込む。


(そもそも、わたしがやりたくてかつわたしに出来ることってあるのかなぁ……)


空を覆ってる一面の緑をぼんやりと見上げながら、心ノ羽は考える。
木の根や地面の窪みに躓いて転ける自分。
炊事で指を切って痛がる自分。
腕力が足りなくて苦無や手裏剣が的に届かずがっくりしている自分。
その他諸々と自分のドジ場面を次から次へと思い出していく心ノ羽。
そして、行き着いた結論は……


「わたしって何も出来ないのではーー!!?」


心ノ羽の悲痛な叫びが山中に木霊した。
バサバサと鳥達が音をたてて、飛び立っていく。
心ノ羽は両手で頭を抱えて唸る。


「やりたいこと以前の話だよこんなのぉ〜〜。うぅ〜〜〜っ」 


やりたいことを見つけるのならば、まず自分が出来ることを見つける。
けど、その出来ることがなければ、どうすればいいのか。


「ぃ……いやでも、まだ決めつけるには早い……っ。独影さまだってもっと広く、色んなものを見て、色んなことに触れてみろって言ってたし……」


焦りは禁物。
時間はあるわけだ。
すぐに見つけて決めろって命じられたわけでもないし、一旦落ち着こう。
そう思って心ノ羽は深呼吸をする。
吹いてくる風で木々がそよそよと揺れ、その心地良い音を耳にしながら、「よし」と言って頭から手を離す。


「今日はもう少し遠くまで行ってみよっ」


そう意気込んで心ノ羽は立ち上がる。
そして、再び木から木へと飛び移って、普段は一人で行かない方へ向かった。


(とにかく行けるとこは行こうっ。一人で。それで旅人さんや村人さん見かけたら話しかけて、色々とお話を聞くのもいいかも)


お話しをすることが好きな心ノ羽はぴこんと思いつく。
ここまできたら忍以外の人と話すことも大事かもしれない。
普段から関わることのない人の考えや経験を聞くのも、視野を広める手段の一つだ。
そうだそうだ、と自分を納得させ、とりあえず一つやることを見つけた心ノ羽は張り切った表情をする。
そして、はやる気持ちに乗るように足に力を入れて思いきり飛んだ…………が。


ずるっ


「えっ」


着地するところを見誤ったのか、心ノ羽の足が木の枝なら滑った。
大きく傾く体。
時が止まったかのような一瞬。
何が起きたのかわからたいまま、心ノ羽は視界がゆっくりと転じていく様を見る。
そして、次の瞬間。


バキバキバキッ……!


「あ゙ーーーーっ!!!」


木の所々に生えている小さな枝が次々と折れる音と共に、心ノ羽の体が落下していった。


ガッ!ズササササササーーッ!!!


「ぎゃーーーっ!!」


しかも運が悪いことにちょうど山の端……崖付近を移動していたため、急斜面を転がり落ちていく。
その一方で、崖のすぐ下にある山道では、城下町での仕事を終えて帰路を辿っている親子がいた。
父である男は前から荷車を引っ張り、娘である少女は後ろから押して手伝っている。
何気ない会話をして朗らかに笑い合っているのを見る限り、仲良し親子のようだ。
そんな微笑ましい光景の中に、


どしゃっ!

「ぐえっ!!」 


「!」

「!?」


崖の上から少女……もとい心ノ羽が転がり落ちてきた。
自分たちの前に転がり出てきた心ノ羽に、親子は驚いて思わず立ち止まった。
その場にしん……とした空気が流れる。
道の真ん中でうつ伏せで倒れている心ノ羽を呆然と見る親子と、倒れたまま動く気配のない心ノ羽。
空を飛んでいる烏の鳴き声だけが聞こえてくる。
程なくして、心ノ羽の手がぴくりと動く。


「ったぁ……、い、生きてる……?」


全身から痛みを感じながらも、なんとか上半身を起こす心ノ羽。
そのまま立ち上がろうとするが、左足に激痛が走ってまた座り込んでしまう。
心ノ羽は顔を強張らせて、まさかと思い左足を見る。
すると、左足首が赤く腫れ上がっていた。
ひどい捻挫か、或いは骨折か。
何にせよ、すぐに動ける状態ではない左足首を見て心ノ羽の顔が青ざめる。


「ど……どうしよう……」


どうやって帰れば、と心ノ羽が絶望しきった表情をしていた時だった。


「大丈夫……?」

「!」


突然聞こえた声に、心ノ羽の肩が大きく跳ねる。
そして、声が聞こえた方を振り返るとそこには……先ほどまで荷車の後ろにいた少女が心配そうに歩み寄ってきていた。
心ノ羽は驚いた顔をして少女を見る。
そして、その少女の後ろにいる男の存在にも気がつく。
荷車の側にいるその男も、心配そうにこちらを見ている。
ようやく状況を理解した心ノ羽の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
先ほどの一部始終をこの人たちに見られたんだと。


「あ、わ、だ、大丈夫です!すみません!邪魔ですよね!すぐに退きます!!」


慌ててそう言って、心ノ羽は這いずりながら道の端に移動しようとする。
その姿を見た少女は、驚きながらも心ノ羽に駆け寄る。


「ま、待って!もしかして立てないの?だったら無理に動いたらだめよ……!」


少女の強い口調に、心ノ羽は反射的に動きを止める。
その際に心ノ羽の足を見た少女は、左足首の腫れに気づく。


「!、ひどい腫れ……。ねぇ、あなた一人なの?親とか誰か近くにいる?」

「あ、ひ、一人、です……」


しゃがみ込んで詰め寄ってくるような勢いの少女に気圧されながらも、心ノ羽は答える。
それを聞いた少女は「一人……」と呟き、少し考えた後、再び心ノ羽を見る。


「詳しいことはまた後で聞くわ。とりあえずうちの村においで?お医者さんに診てもらいましょう」

「えっ?いやいやいやそんな……!」

「父さん、荷車こっちに持ってきて」

「お、おうっ。ひどい怪我なのか?」

「左足が腫れてるの……」

「うわ、こりゃひどいな……」


心ノ羽がうろたえている間に、少女は話をすすめる。


「とりあえずうちに運ぶか。由良、その子をここに乗せれるか?」

「うん。さ、掴まって」

「え、ぁ、ありがとう……ございます……」


少女に支えられながら、片足で立ち上がった心ノ羽はそのまま荷車に乗せられる。
ちゃっかり流れに身を任せているもののこれでいいのかと落ち着かない様子の心ノ羽だったが、途中で少女と目が合う。
少女は心ノ羽を安心させるように優しく笑いかける。


「大丈夫。わたし達、山賊とかそういうのじゃないから。ただの村人だから」 

「あ、いえ……その……」

「それにうちの村にはすごく腕の立つお医者さまがいるから安心して。ね?父さん」

「ああ。夜雲さまに診てもらったら確実に治る。心配しなさんな。さ、行くぞ」


朗らかな声でそう言って男も心ノ羽に優しく笑いかけると、荷車を引っ張り始めた。
花咲村に向けて。



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