相異相愛のはてに
あの感覚を忘れられない。
あの衝撃が忘れられない。
「な、なんだ……!?お前は……!?」
「他里の忍か……!?」
やりたいことなんてなくて。
目指したいものなんてなくて。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うわあああぁぁぁっ!!!」
どうして自分はここにいるのか。
ここにいる意味は何なのか。
「やめて……!お願い……後生だから……!!」
「せめて子どもだけはみのがっぎぁ!!」
楽しいも、嬉しいも。
悲しいも、苦しいも。
憎いも、疎ましいも。
「お前……!お前は何者なんだ……!?誰からの指示でこんなことを……!!」
みんなが感じているものを感じれない。
それって果たして“生きている”と言えるのだろうか。
「探してる……?何のことだ……!?」
生きていたい。
「は……?そのために……っそれだけのために皆を殺したのか……!?」
生きているのを感じたい。
「ふざけるなァア!!この気狂いがッ!!!よくもわたしの大切なものを……!里の皆を殺しおってえぇぇ!!!」
だから。
「死ね!死ね死ね死ね死ねえぇぇぇっ!!!」
そのためには。
「貴様は心のない化け物だ!!生きてはいけない存在だぁ!!!」
あの時の感覚を。
「だから世のために!!ここでわたしが殺してやるうぅぅぅっ!!!」
あの時の衝撃を。
「そんな……っ……あぐぁ゙っ!!」
もっともっと感じて。
胸に刻みつけて。
深く理解して。
そうやって、ようやく。
ぼくはみんなと同じように生きることが出来るんだ。
***
昼。
晴れ渡った空の下。
いつもと変わらずのどかな花咲村の浜辺で、夜雲は海を眺めていた。
今日は漁師が市場に出ているため、静かだ。
「………」
青く、澄んだ海。
その表面には小さな光が散らばっている。
波の動きに伴って、きらきらと輝いている。
昔からずっと、何度も見てきた海を、夜雲は見つめる。
相変わらずの無感情な藤色の瞳で。
吹いてきた潮風が、夜雲の髪をふわりと揺らす。
かつて親と一緒に見て、唯一綺麗だと同じ気持ちになれた海に、今の夜雲は何を思っているのか。
「夜雲さま」
後ろから声が聞こえた。
夜雲は表情を全く変えることなく、静かな動きで振り返る。
そこには……もはや定番というべきか、長い黒髪を後ろに緩くまとめた少女・由良がいた。
「お仕事、お疲れ様です。今日は父の足を診ていただき、ありがとうございました」
「うん……。由彦さんにあまり無茶はしないように言ってあげてね」
近くまで来ると頭を深々と下げてお礼を言う由良に、夜雲は淡々とした声で言う。
由良は頭を上げると、申し訳なさそうな表情をして大きく頷く。
「はいっ。滾々と言っておきます。……それで」
「?」
「お、お祭りは……どうでしたでしょうか?」
少し言いづらそうにしたものの、由良は思いきって聞く。
一昨日、春日城の城下町であった祭りのことを。
そう、実は由良だけは夜雲から聞いていたのだ。
夜雲が例の想い人と一緒に祭りに行くことを。
いつも海にいる漁師がいないのと夜雲が一人なのを見計らって、聞きに来たのだ。
とはいえさすがに図々しかったかと由良は若干不安を感じながらも、夜雲の返答を待つ。
一方で、夜雲は少しの間由良を見た後、再び顔を海の方に向ける。
そして、
「楽しかった……って言えばいいのかな」
夜雲は呟くような声で喋り出す。
「楽しい……というより、嬉しいって言葉が……ぴったりな気がする」
自分が感じたことを探るように。
当てはめるように。
「とにかく、よく見てきた祭りが……特別に感じた。人も、お店も、花火も……」
祭りのことを思い出してか、夜雲の口調に柔らかさが帯びる。
その微細な変化から、夜雲が祭りを心底楽しめたと知って、由良は嬉しそうに微笑む。
「そうですか……。お二人がお祭りを楽しめたのでしたら、よかったですっ」
「うん……。渡したいものも渡せたし……本当に行ってよかった。由良ちゃんも色々と話聞いてくれてありがとうね」
「えっ、あ、わ、わたしはただ聞いていただけで何も……」
優しげな声で夜雲にお礼を言われて、由良は頰を赤らめて戸惑う。
夜雲への想いを断ち切ったつもりとはいえ、やはりまだ反射的に意識してしまうようだ。
一人あわあわしている由良を傍らに、海を見つめていた夜雲は再び口を開く。
「由良ちゃん」
「?」
「由良ちゃんは……この村が好き?」
「えっ」
夜雲からの唐突な問いに、由良は思わずきょとんとしてしまう。
「村の人達は……好き?」
由良の返事を待つことなく、夜雲は続けて問いかける。
由良は目をぱちくりとさせる。
どういう意図があって急にそんな問いを投げかけてきたのか。
何の変わりもない無表情からは全く読み取れない。
だからといって、夜雲に大きな信頼を寄せている由良に彼を疑う理由なんてなく、言葉そのまんまを受け止めてすぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「はい、大好きですっ。村も、村の人達も」
由良は迷いなく答える。
嘘偽りのない気持ちを。
海を見つめていた夜雲は、目だけを由良の方に向ける。
「そう……」
夜雲と目が合った由良は、ドキッとして少し目を泳がせた後、海の方を向く。
「ぅ……う、海、綺麗ですね……」
不自然な反応をしてしまった。
そう自覚した由良は、咄嗟にそれを誤魔化すように夜雲に声をかける。
どこかそわそわと落ち着かない様子の由良をしばらく見ていた夜雲は、「うん……」とだけ返事をして視線を前に戻す。
耳触りの良い波の音だけが聞こえる。
青い空を海鳥が悠々と飛んでいく。
ふわりと吹いてきた潮風に当たりながら、由良はちらりと夜雲を見る。
昔から何度も見てきた夜雲の横顔。
感情の起伏がない、どこまでも静かな表情。
昔と変わらない。
けど、最近はたまに、ほんの僅かにだが、柔らかな顔つきになる。
由良は見とれるかのように、夜雲の横顔を見続ける。
夜雲を意識し始めたのはいつだっただろうか。
よく覚えていない。
ただ、家族共に昔からこの村に寄り添ってくれて、支えてくれて。
両親を失って夜雲一人になっても、この村にいてくれている。
一時行方がわからなくなって誰も彼もが心配して悲しんだけど、彼は村に戻ってきてくれた。
あんなにも人として立派な優しい両親を失って誰よりもつらいはずなのに、気丈にも医者の道を選んだ夜雲に……惹かれた。
なんて優しい人なのだろう。
なんて強い人なのだろう……と。
自分もそうなりたいと憧れた。
心の底から尊敬した。
そして、こんな自分でも夜雲の支えになれればと……淡い気持ちを抱いた。
けど、あくまでそれはちょっと前までの話だ。
今はきっちりと身を引いている。
夜雲にはもうそうなり得る存在がいるから。
……だけど、もし。
もし、叶うのならば。
(夜雲さまの笑った顔が……見たい)
夜雲の横顔を見つめながら、由良は思う。
前に弟の沿良が見たらしい夜雲の笑顔。
どんな感じだったのだろうか。
いつか、自分も見れるだろうか。
……きっと、例の想い人には既に見せているのだろう。
由良の表情がほんの少し切なげになる。
もう夜雲の特別になりないなんて思っていない。
けど、せめて……一度だけでいいから笑顔を見せてほしい。
それ以外は望まないから。
それだけでいいから。
そしたら、本当に……。
本当の意味で……この気持ちを切り捨てることが出来るから。
夜雲が幸せなんだと……安心して受け止めれるから。
そんな健気な願いを胸の内に秘めながら、由良は夜雲から目を離して彼と一緒に海を見つめた。
太陽が少し傾くまで……。
***
一方、その頃。
巣隠れの里に隣接している山では、千染が大木の枝に腰をかけて夜雲からもらった簪を見つめていた。
瑠璃色の丸い石がついた簪。
指先でつまんでいる棒の部分を横に回すと、石が木漏れ日の光に反射してか、中できらきらと小さく光る。
星が輝く夜空のように。
見かけたことがない代物だし、手触りからしても安物ではないことがわかる。
前までの千染だったら売って金にして、それを櫻世に押しつけただろう。
だけど、今は……。
(……)
ーーーーきみに……よく似合いそうだって思って……。
簪と重ね合わせるように、あの時の夜雲が脳裏を過る。
あの時の……彼の目が。
縋るような、求めているような、僅かにだが……でも、確かな熱を帯びていた藤色の瞳。
それを思い出しながら、千染は無表情で簪を見つめる。
吹いてきた爽やかな風が木々のざわめきと共に、千染の艷やかな赤い髪を靡かせる。
手にある簪と頭に浮かぶ夜雲に、千染は何を思っているのか……。
しばらくして、千染は簪を懐にしまい込む。
少し風に当たった後、静かに立ち上がり移動しようとする。
と、その時……聞き覚えのある笑い声が千染の耳を通り過ぎた。
「……」
千染の眉間に皺が寄る。
そして、声が聞こえた方に体を向け、木から木へと飛び移る。
数本ほど飛び移ったところで立ち止まり、生い茂る木々の間から見えた二つの影をとらえる。
それは櫻世と心ノ羽だった。
二人は岩場に挟まれた浅い川に入っており、櫻世は魚籠を片手に心ノ羽を見ており、心ノ羽は中腰になって真剣な表情で川をじっと見つめている。
千染は声をかけに行くこともなく、その場に留まって二人を見る。
気難しそうな表情をして。
程なくして、心ノ羽が目を見開き一気に手を川の中に突っ込む。
そして、両手で掴まえた魚を勢いよく掲げた。
心ノ羽は目を輝かせ、「櫻世さま!とれた!とれました!」と嬉しそうに言う。
それに対して「すごいではないか」と優しく笑いかけ褒める櫻世。
掴まえた魚を魚籠に入れさせようと心ノ羽に近づきかけた櫻世だが、それよりも早く心ノ羽が櫻世に向かって駆け出す。
その瞬間、櫻世は「あ、心ノ羽。そのままじっと……」と制止の声をかけようとした……が。
バッシャーンッ!
案の定といえばいいのか。
心ノ羽は途中で足がもつれて思いきり転けた。
毎度お馴染みの鈍臭さを発揮した心ノ羽に、千染は蔑みの視線を向ける。
その一方で、心ノ羽が転けたのを見た櫻世は慌てて駆け寄る。
「心ノ羽……!大丈夫か……!?」
「ぅ、うぅ、すみません……。大丈夫です……」
すぐ側に来た櫻世の手を借りて、心ノ羽は情けなく謝りながら立ち上がる。
心ノ羽に怪我はないか頭から爪先まで確認した後、櫻世は安堵の息を吐く。
「全身が濡れてしまったな……。里に帰って着替えよう」
と、櫻世が魚獲りを中断しようとすると。
「えぇー!?でも、でも、せっかくこつがわかってきたのに……!」
心ノ羽が駄々をこねた。
いつも素直で従順な心ノ羽であるが、櫻世に対してはわりと我儘言うことがあったりするのである。
櫻世の言葉を素直に聞き入れない心ノ羽に、千染はいらっとした表情をする。
心ノ羽に向けて棒手裏剣を飛ばしたい衝動に駆られるが、なんとか我慢する。
一方で、櫻世は困ったように笑いながら心ノ羽を見る。
「心ノ羽……何も魚獲りをやめようとは言っていない。里に戻って体を拭いて着替えたら、またここに来る」
「うぅ〜……でも、せっかく覚えた感覚が……忘れちゃうかも……」
「大丈夫だ。こつを掴んだ心ノ羽なら、またさっきのようにとれる。自分を信じろ」
「む〜〜……でもぉ……」
「それよりもそのずぶ濡れ姿を里の者に見られる方が困るんじゃないか?特に千染に見られたらまた詰られてしまうぞ?」
「うっ……わ、わかりました……」
千染の名前を聞いて、心ノ羽は渋々と櫻世の言うことに従う。
その発言を耳にした千染は、気づかれているな、と特に顔色を変えることなく察する。
だけど、櫻世に自分の存在を気づかれているとわかっても、二人の前に姿を現す気は毛頭なかった。
「ほら、足元に気をつけろ」
「は、はい」
差し伸ばされた櫻世の手を掴み、心ノ羽は彼と一緒に岩場に上がる。
そして、櫻世を支えにして草履を履き、手を繋いだまま里の方へと去っていく。
楽しそうに笑いながら櫻世に何か喋っている心ノ羽と、相槌を打ちながら慈しむような目で心ノ羽を見つめる櫻世。
その姿はさながら親子のようで……。
そんな二人を……否、正確には心ノ羽を見て、千染は心底不愉快そうな表情をすると反対側を向いて、その場から去っていった。
木から木へと飛び移り、里からどんどん離れていき、もう一つ隣の山の中腹まで移動したところで……千染は木から飛び降りて立ち止まった。
どこからともなく山鳥の鳴き声が聞こえてくる。
千染は眉間に皺を寄せて足元を睨み続ける。
(……嫌なものを見てしまった)
胸に何とも言い難いむかつきを感じながら、千染は目を閉じる。
思考を止め、深呼吸をする。
そして、ゆっくりと目を開けると、胸にそっと手を当てた。
中にある簪。
それの存在を布越しに感じる。
(………)
時間だけが過ぎ去っていく。
しばらくその場に佇んでいた千染だったが、撫でるように胸から手を離すと静かに歩き出す。
その表情に先ほどまでのような苛立ちの色はない。
ただ何か考えているような、どこかぼんやりとしている様子で、木漏れ日の差す細道を歩いていく。
そして、その細道から出ようとしたところで、千染は何か気づいたような表情をして足を止めた。
草木に挟まれた道から出た開けた場所。
青々とした草が広がっている崖の上。
その先に、一つの影があった。
後ろに一つにまとめた長い白髪に白灰色の忍装束といった特徴的な姿の忍。
雹我だ。
こちらに背を向けた状態で座って何かをしている雹我。
左腕には包帯が緩く巻かれている。
その包帯がいつも雹我の目を覆っているものだと、千染は気づく。
珍しい。
雹我が目の包帯を外すことなんて滅多とないのに。
一体、ここで何をしているのか。
純粋に疑問に思ったものの、そっとしておいた方がいいかもしれないと思い、千染は踵を返す。
が……。
「………」
何か思うことがあったのか、千染はぴたりと足を止める。
しばらく歩いてきた道を無表情で見つめていたが、だんだんと視線が下がっていき、表情に迷いの色が覗く。
それからまたしばらくして、千染は静かな動きで振り返る。
動き出す気配のない雹我の後ろ姿。
その背中を見つめて、千染はまた迷うように視線を落としたが、すぐに思いきるかのように視線を上げると彼に向かって足を踏み出した。
***
道といえる道がない鬱蒼とした森に囲まれた集落。
惨途忍軍の隠れ里。
そこに住む忍達は深刻そうな雰囲気でひそひそと話していた。
「蝶月さまと鍜架さまの死体が見つかったらしい……」
「そんな……死んでいたなんて……」
「麻葱と刺雨の死体もあったそうだ……」
「一体誰が……」
「決まっているだろ……。巣隠れの連中だ……」
「あの四人を殺せるのはあいつらしかいない……」
「それにやつらの忍法を奪うために弱みを探っていた矢先だからな……」
「忍頭は何と……?」
「わからぬ……。今、咸喪さま以外の上忍と屋敷で話されているようだ……」
「?、咸喪さまは呼ばれなかったのか?」
「いいや、逆だ。呼ぶ必要がなかったのだ。何せ、死体を見つけたのがその咸喪さまだからな……」
「ああ、そういうことか……」
「咸喪さまが報告しに来た際にあらかた話を済まされたのだろう……。しかし、なんとも酷な……」
「咸喪さまは蝶月さまと鍜架さまとよく一緒におられた……。それこそお二人の面倒をよく見ていたと思われる……、恩師と言ってもおかしくないほどに……」
「何も感じていないように見えたが、胸の内は果たして……」
長屋の屋根にとまっていた烏が羽を広げて飛び立っていく。
烏は里の上を通って、森の方へと消えていく。
その際に。
烏が通り過ぎていった屋敷の一室。
障子が開かれたそこで、寝間着姿の少年がぐしゃぐしゃに乱れた布団の上で泣き崩れていた。
「姉さん……姉さん……っごほ!ごほっ、げほっ!うぅ……っ!くうぅ……っ!」
形見であろう女物の髪飾りを胸に抱えて咳き込みながら、何度も姉さんと呼ぶ少年。
首筋まである黒髪に青白い肌と見た目からして病弱そうで儚げな印象のあるその少年の名は、無月(むつき)。
蝶月の弟だ。
無月は姉の死を知って今朝からずっと泣き通しだった。
「うっ、うっ、うぅぅぅっ……!」
涙をぼろぼろと流しながら、無月は前に倒れかけた体を支えるように、片手を布団に下ろす。
そして、そのまま布団を握りしめる。
強く、強く、引きちぎらんばかりに。
時折ひどく咳き込み、ぜぇぜぇと苦しそうにしながら、無月は下唇を噛みしめて泣く。
そんな無月を影が覆う。
深い、深い影が。
無月は荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げて影の正体を見る。
それは……咸喪だった。
無月の前に立っている咸喪は、冷たい目で彼を見下ろす。
そして、一言、二言、無月に何かを言う。
それを聞いた無月は、また咳き込みながらも胸にある髪飾りを強く握りしめる。
止まることのない涙を流しながら、迷いなく頷く。
その目には、どす黒い……憎悪の炎が宿っていた。
