相異相愛のはてに





出店が並ぶ通りも、人々が円になって踊っているところも、祭りで賑わう場所全て、千染と手を繋いで見て回った。
夜雲にとって、こうして用事以外で祭りに来たのは久方ぶりだった。
八年くらいになるだろうか。
とにかく両親が亡くなってからは、ぱったりと行かなくなった。
行く必要もないし、行きたいとも思わなかったから。
それくらい夜雲にはここの祭りに大した思い入れはなかった。
父と母によく連れられてきた。
ただ、それだけ。


……だけど、今は違う。


千染が隣にいるだけで。
こうやって手を繋いで歩くだけで。
見ている景色も、胸に感じているものも、全然違う。
一緒にいる踊りも、一緒に食べる団子も、全てが色鮮やかに見える。
確かな“思い出”になっていくの感じる。
目と感覚を通して、胸に深く染み入る一瞬一瞬の景色。
刻まれる記憶。
それが確かに作り上げられていっている。
父と母の時とは決定的に違うものが。


(………)


好き。
その一言が、夜雲の頭に浮かぶ。



ーーーー誰かを好きになりなさい。

ーーーー誰でもいいから、本気で好きになりなさい。



続いて、亡き父に言われた言葉も浮かぶ。
その言葉に。


(……こういうことか)


夜雲は思う。
冷静に、淡として。
何かを理解する。
そして。


「おっ。夜雲く〜ん」


耳に飛び込んできた声に、夜雲の意識は現実に戻った。
祭りを楽しんでいる人々のざわめきが周囲に戻ってくるのを感じながら、夜雲は足を止めて声が聞こえた方に顔を向ける。
すると、人混みに紛れてこちらに向かって軽く手を振ってきている永和の姿があった。
お約束といったように美しい遊女を両側に連れて。
遊女二人は口を両手で押さえて、驚いた反応をする。
それもそうだろう。
あの暖簾に腕押しと言ってもいいくらい、どんな美女が相手しても手応えが全くなかった夜雲が、女と思わしき相手を連れて歩いてるのだから。
しかも手を繋いで。
あまりの衝撃に立ち止まった遊女二人をよそに、永和はててっと軽い足取りで夜雲に駆け寄る。


「お祭り楽しんでる〜?てか本当に来てくれたんだねぇ!なんやかんやすっぽかすかと思ったよ」


と、嬉しそうに言いつつも永和はその目を夜雲の隣にいる人物に向ける。
身長は夜雲より低い。
体は細身で首も男にしては細め。
目立つけど艶のある綺麗な赤髪。
器用に後ろにまとめて結い上げてるが、やったのは夜雲か本人か。
何よりも……。


(肝心の顔が!!わからない!!!)


一番知りたかった部分がひょっとこのお面で覆われており、永和はもどかしげに歯ぎしりした。


「夜雲くん」

「はい」

「隣の子、例の子だよね?お面外してもらっていい?」

「嫌です」

「拒否早っ」


顔が見たければ普通にお面をとってもらえばいいではないか。
すぐにそう思って素直に要求した永和だが、間髪入れずに拒否されて驚く余裕もなかった。


「ねぇねぇ、きみ名前は?」

「そういうのやめてください」

「まだ名前聞いてるだけだよね!?」

「………」


夜雲がダメなら本人直接にといったように千染に笑顔を向けて話しかけたが、手始めの段階で夜雲にすかさず妨げられてさすがに戸惑う永和。
もはや漫才ともいえる二人のやり取りを千染はただ黙って見ていた。


「ちょっとさぁ、夜雲くん警戒し過ぎじゃない?いくら色男で数多の女性をときめかせてしまう俺でも、人のもんに手ぇ出すほど野蛮じゃないよ。夜雲くんのお相手なら尚更」

「永和さんは無神経なところがあるので、なんか……嫌です」

「何それ!?きみ、俺のことそう思ってたの!!?」


夜雲の発言に心外そうな反応をする永和。
後ろで固まっていた遊女二人は夜雲と永和のやり取りを見て、くすくすと微笑ましげに笑う。
千染はお面越しに遊女二人の様子もちらりと見る。


「名前くらいいいじゃん」

「そろそろ帰りますね」

「ちょおい!ぶった切るんじゃない!!そろそろって言うほど話してないし!!」


千染の手を引いてさっさと帰ろうとする夜雲の肩を、永和は咄嗟に掴んで逃げるのを阻止する。
あまりにも露骨過ぎる夜雲の態度に若干傷つきながら。
一方で、永和に引き止められた夜雲はほんの少しむっとしたような顔つきになる。
振り向き際に永和の手を振り払おうと腕に力を入れかけたが。


「“ちさと”です」


それよりも先に隣から声が聞こえて、夜雲は動きを止めた。
いつもの無表情に戻り、視線を声の主……千染の方に向ける。
千染は特に変わりなくひょっとこのお面を被ったまま、永和の方に顔を向けている。
その姿を夜雲は黙って見る。
一方で、千染の声を聞いた遊女二人は目を大きくして静かに驚き、永和は嬉しそうに笑った。


「ちさとくんって言うんだねぇ。ありがと〜。ちさとくんが話通じる子でよかったよぉ。誰かさんと違って」


夜雲の肩から手を離し千染に愛想良く笑いかけた後、再び夜雲をじろって見て嫌みを言う。
だが、そんな永和の視線も発言も全く気にする様子なんてなく、夜雲は千染を見続けていた。


「あの……」


少し戸惑っているように千染を見ていた遊女の一人が数歩前に出て、千染に声をかける。
それに反応して、千染は彼女の方に顔を向ける。


「失礼を承知でお聞きしますが、ちさと様はその……殿方でございましょうか?」

「ええ」


躊躇いなく肯定してきた千染に遊女は目を大きくした後、動揺するように千染と夜雲を交互に見る。
後ろにいるもう一人の遊女も同じく。
あからさまな反応をする遊女二人に何か思うことがあったのか、夜雲の視線が千染から彼女達の方に移る。
相変わらず感情の色が見えない藤の瞳。
だけど、自分達に向けられたその目が、妙に突き刺さってくるような感じがして、二人は気まずそうな表情をして思わず夜雲から目を逸らす。
かける言葉も思いつかないのか、二人の表情に焦りの色が浮かぶ。
そんな二人を夜雲はじっと見つめる。
どこか冷たさを感じさせるような目つきで。
だが、それも束の間。


「そ〜お」


漂いかけていた重い空気を破るかのように、永和が間延びした声を出して遊女二人と夜雲の間に割って入ってきた。


「なんとこの夜雲くんの心を掴み取ったのは男のちさとくんなのだよっ。すごいよねぇ。どんな美女や愛らしい子を前にしても微動だにしなかった夜雲くんを惚れさせるなんて!男のちさとくんが!男だよ!?男!!」


さすが夜雲に無神経と言われるだけあって、遊女二人が気にしつつも口に出さなかったことをずけずけと言う永和。
そんな永和に遊女二人は呆気にとられ、夜雲はじとっとした目になって永和を見た。


「ね〜ぇ、ちさとくぅん。あとでイイことしてあげるからお面とってくれない?」

「申し訳ありませんが、それは出来かねます」

「ちょっとだけ!ほんの一瞬だけでいいから!」

「永和さんやめてください」


千染に詰め寄って両手を合わせながらおねだりする永和を見兼ねた夜雲は、二人の間に入って阻止する。
またもや立ちはだかってきた夜雲に、永和はぶーっと口を尖らせてつまらなさそうにする。


「ちょっとだけでもいいのにぃ」

「ちぞ、……ちさとくんが嫌がってるんですから素直に引き下がってください」

「んじゃあ、夜雲くんから見たちさとくんの顔はどんな感じ?」

「え?」


不意に投げつけられた質問に、夜雲は思わずきょとんとしてしまう。


「そんなに見せたくないなら夜雲くんが証言してよぉ。ちさとくんの顔。それで許してあげる」


許すも何も本人が見せれないと言ってるのに、何をほざいているのか。
と、誰もがそう思うところだがこの時の夜雲は違った。
しばらく永和を見た後、静かに、ゆっくりと、千染の方に顔を向ける。
永和を見ている千染の姿が、夜雲の視界に入る。
すぐに夜雲の視線に気づいたのか、千染の顔がこちらに向いてくる。
お面越しに千染と目が合い、夜雲は己の心臓が小さく跳ねたのを感じる。
そこから生じた熱が全身にじんわりと滲むように広がっていく。


「……ちさとくんの顔は……」


夜雲は口を小さく開いて、言い出す。


「人形みたいに……整っていて……、それで……」


夜雲の視線が千染からずれていく。
まるで照れているかのように。


「真っ白な雪景色の中に咲く……混じり気のない、鮮やかな……赤い花を思わせるように……綺麗で……」


何もないところを見ながら、夜雲は途切れ途切れに言う。
千染の視線に緊張しているかのように。


「何よりも……」


夜雲の口が一旦止まる。
そして、



「目が……美しい……」



頬を仄かに赤らめ、千染の一番美しいと思うところを吐息混じりに口にした。
五人の間に沈黙が流れる。
祭りを楽しむ人々の賑わいに囲まれながら、千染から目を逸らしたまま黙り込む夜雲とそんな夜雲を同じく無言で見上げている千染。
夜雲の発言を聞いて千染がどんな気持ちになっているのか。
顔はお面で覆われており更には無言なため、わからない。
その一方で、永和と遊女二人はというと。


(わぉ……)


初めて見た夜雲の照れ姿に彼の千染への本気度がしっかりと伝わり、三人共思わず黙り込んでしまっていた。
お囃子も周りの人々の声も、雑音のように永和達の耳を通り過ぎていく。
夜雲に至っては聞こえているのかもわからない。
今が祭りの最中であることを忘れそうになっていた永和だが、なんとか意識を切り替えていつもの軽い笑みを浮かべると、千染の方に顔を向ける。


「だってさ。ちさとくん」


永和の声に反応して、千染は彼の方に顔を向ける。


「ねぇねぇときめいた?ときめいちゃった?」

「………」


にやにや、そわぞ、どきどき、といった擬音が総集しているような様子で聞いてくる永和を前にして、千染は少しの間黙り込む。
そして、


「帰りましょう」

「わー!待って待って!もう変な絡み方はしないから!」


さすがの千染も鬱陶しいと思ったのか、夜雲の手を引っ張って帰ろうとした。
夜雲と一緒に人混みの中へ消えようとする千染を、永和は慌てて呼び止める。


「ごめんごめん。ちょっと、ねぇ?夜雲くんのこんないじらしい姿初めて見たもんだから、つい、ねぇ?つっつきたくなるじゃん?」


同意と共感を求めてくる永和に対し、遊女二人は何と返せばいいかわからず、当たり障りのないように愛想笑いだけ返す。
そんな永和を見て、千染は……。


「夜雲さんの気持ち……、少しだけわかりました」

「ちさとくん……」

「どういう意味?何をどう思ってきみ達の気持ちが一つになったの?」


千染の発言とその発言に嬉しそうな雰囲気を出す夜雲に、ものすごく引っかかりを感じた永和なのであった。


「いやーでもあの無愛想で無変化顔の無感覚な夜雲くんのべた惚れ姿見れるなんてなぁ。人生わからないねぇ」

「無感覚ではありませんけど」

「無愛想と無変化顔は否定しないんだ……」

「無神経はあなたが勝ってますよ」

「何それ。別に競ってないし無神経じゃないし」


再び話し出す三人。
その三人のやり取りを聞きながら、遊女二人は夜雲の方に目を向ける。
永和に素っ気ない態度をとりつつ、時折千染の方を見る夜雲。
その目がいつもの無感情なものではなく……どこか優しげで、柔らかな感情が滲み出ていて……。
それが千染に対する想いの深さを物語っており……。
遊女二人の中にあった“男同士”という違和感が、瞬く間に消え去った。
そして違和感を抱いてしまったことに、恥を感じた。
誰かが誰を好きになろうと、それはその人の自由で、決して罪なことではないというのに。
どうして違和感なんて抱いてしまったのだろうか。
一番大事なのは、本人が幸せであるかどうかなのに。
そのことに気づかされた遊女二人は密かに反省する。


「そーそー!そろそろ花火が上がる頃だろうし、二人をあそこに案内しようと思ってたんだよっ」


会話の途中で永和が思い出したかのように声をあげる。
あそこ、と聞いて千染は訝しげにし夜雲はすぐに察する。


「永和さん、もしかして……」

「うん。夜雲くんのお察しのとおりだよ。山吹さまからちゃんと許可もらってるから安心してね」

「……?、あの、あそことは……」 

「まぁまぁ。詳しくはあとで夜雲くんに聞くとしてちさとくんもついておいで。お城に案内するよ」

「は……?」


城……?と言いかけたところで夜雲に手をぎゅっと握られて、千染は口を止めて彼を見上げる。
同時に、夜雲も千染を見下ろす。
いつもの無表情が千染の目に入る。


「あとで話すよ」

「……」

「行こ」


言葉少なにそれだけ言って、夜雲は千染の手を引く。
千染は何も言わずに夜雲を見る。
見続ける。
そして、しばらくして彼から目を離すと、手を引かれるがままに夜雲について行った。


「莉名(りな)ちゃん、真鳴(まな)ちゃん。すぐ戻ってくるから待っててね」

「あ、はい」

「お待ちしております」


二人の前を通り過ぎる際に、永和は二人に優しい笑顔を向けて待つように伝える。
二人共穏やかに笑って、永和の言葉に快く返事をする。
それからすぐに夜雲と千染が二人の前を通る。
その際に、夜雲の目が二人の方に向く。
千染を見ていた時とは違う、いつもの無感情な目。
夜雲と目が合った二人は一瞬緊張したものの、すぐに彼に向けて頭を下げた。
違和感を抱いてしまって申し訳なかったという気持ちと二人の関係を心から応援しているという意を込めて。
それが伝わったのかどうかはわからないが、夜雲はすぐに二人から目を離して永和の背中を見た。
差して興味ないかのように。
それでも遊女二人は優しく見守るように、夜雲と千染を見送った。
千染の手をしっかりと握っている夜雲の手に微笑ましさを感じながら……。





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