相異相愛のはてに





その日。
小春城が構えられている城下町では、そこらかしこで人という人が行き交い、誰も彼もが忙しない様子だった。
そう、今日の昼過ぎから夜にかけて祭りがあるのだ。
年に二度ある小春祭り。
豊作や平和を願って皆が歌い、踊り、飲み食いする誰もが待ち望んだ日だ。






昼下がり。
花曇山の中腹にある家にて。
父と母と自分の寝室だった一階の居間で、夜雲は箪笥の中の整理をしていた。
下の大きな引き出しには父と母の着物や足袋等の衣類がしまわれている。
それを一つ一つ、手際よく出していって、時折何か考えるように手を止めたりする。


「………」


男物の浴衣と女物の浴衣。
父の浴衣と母の浴衣。
青色と灰色の二枚、紺色と薄水色の二枚と。
前に出した四枚の浴衣を、夜雲は見つめる。
外から鳥の鳴き声が時折聞こえるだけの何もない時間が流れていく。
しばらくして、夜雲は少し目を伏せると、懐にしまっていたものを取り出す。
それは……薄紫色の布に包まれた簪だった。
布をそっと開いて、中にある簪を見つめる。
銀の棒に、その先にある丸い瑠璃色の石。
日に当たれば、満天の星のように中で小さな光が散らばる。
……こうやって、夜雲がこの簪を見つめるのは何度目なのか。
約束の日が近くなればなるほど、その頻度は増していた。
夜雲なりに何か思うことがあるのか。
長いことそれを見つめた後、夜雲は力無く息を吐いて、持っていた簪を再び布にくるみ、手ごと膝の上に置いた。


「………」


視線を少し上げ、綺麗に畳まれた四枚の浴衣を見つめる。
海の暗い底に沈まりきったかのような無感情な瞳が、微かにだけ揺れる。
感情の動きを見せる。
悩ましげな、躊躇っているような、そんな感情の色。
揺れて、滲ませて、そうやって静かにわき出ているその感情を振り払うように夜雲は目を閉じる。
そして、膝の上にある手を、簪ごと強く握りしめた。




***




夜。

いつもより早めに来てくれた千染を二階の自室で迎え、夜雲は紺色の浴衣を彼に差し出した。
千染の体格的にこっちの方が着やすいだろうし、色的にもこっちが似合いそうと思ったから。
あと……、………。
千染は差し出された浴衣を案外すんなりと受け取ってくれた。
そして、すぐに着替えた。
浴衣の着方わかる?なんて聞く間もなく、手早く、さっさと忍装束を脱いで浴衣を着た。
まさか目の前ですぐ着替えるとは思わなかったのもあるが、何よりもその着替えの速さに夜雲は何も言えず、ただ見ることしか出来なかった。
そんな夜雲をよそに、小太刀は畳んだ忍装束の上に置き、棒手裏剣だけを浴衣の中に忍ばせる千染。
長い赤髪を紐で後ろにまとめ、忍装束の横に置いていたひょっとこのお面を手に取る。
そして、夜雲を見ると


「これでいいですか?」


と、確認を促した。


「………うん」


やや置いてきぼりな気分を味わっていた夜雲だが、浴衣姿の千染を見て一瞬だけ固まった後、小さく返事をする。
まるで見とれたかのように。
実際、まゆく似合っていた。
深い夜の色に、千染の白い肌と鮮やかな赤い髪がよく映えていた。


「なら、行きましょうか」

「……」

「?、夜雲さん?」


千染に名前を呼ばれて、夜雲はハッとする。
そして、若干戸惑うように目を逸らした後、再び見ると


「うん……、行こう」


と、何か言いたげにしたものの、普通に、無難な言葉を返した。










花曇山から隣の山。
そして、もう一つ隣の山の道を抜け、草道に足を踏み入れ、二人は明かりが見える城下町へと向かっていた。
夜雲にとって見慣れた草道、見慣れた景色なのだが、今日だけは何もかもが特別で新鮮に感じた。
それは千染が隣にいるから。
夜雲はちらりと横目で千染を見る。
既にひょっとこのお面をつけている千染の横顔。
何も喋ってこないが、一緒に肩を並べて歩いてくれている。
確かにいる千染の存在に、夜雲は胸が浮き立つような気持ちになる。
まだ城下町に着いたわけではないのにこうして道中を一緒にするだけでも違うんだ、と夜雲は感じる。
自分にとって千染がどういう存在なのか、ひしひしと改めて思い知らされながら、視線を前に戻す。
そして、程なくして少し迷うような、悩んでるかのような目の動きをした後、意を決したように口を開くと


「浴衣」


夜雲の声に、千染が彼の方に少しだけ顔を向けて反応する。


「似合ってる、……よ……」


千染の視線を感じた途端、少し緊張したのか夜雲の声が上擦る。
千染はお面越しに夜雲を見る。
そこにはいつもの無表情ではなく、どこか気恥ずかしそうな表情をしている夜雲の姿があった。
情事以外滅多と変化を見せない夜雲の顔。
その顔に今感情の色が乗っている。
それを見て、千染は少しの間黙り込む。
そして、


「……そうですか。それはどうも」


とても落ち着きはらった声で、短く、肯定的な言葉を返した。
千染の反応に、夜雲は少し安心したように肩の力を抜く。
その様子を見ながら、


「ちなみに……この浴衣はもしかしてご両親のものですか?」


千染は問う。
一応すんなりと受け取って着たものの、気にはなっていたのだろう。


「うん。母さまの」


夜雲は躊躇いなく、素直に答える。
その返答を聞いて、千染はまた黙り込んでしまう。
そして、数秒経たずして。


「殺された人の浴衣を殺した張本人に着せるとか、なかなかの嫌がらせですね」


淡々とした声で、棘のある言葉を夜雲に送る。
それに対して夜雲は、


「それでも……その浴衣が千染くんに一番似合いそうと、思ったから……」


と、少し落ち込んだかのような声で応えた。
夜雲から感じるほの暗い気配。
そんな微々たる変化を拾って、千染は面倒くさげに小さなため息をつき、顔を前に向き直す。


「まぁ、別にいいですけど」

「………」

「……あなたのも」

「?」 


今度は夜雲が千染の声に反応して、彼の方に顔を向ける。


「青の浴衣……お似合いですよ。意外と」


そして、千染が言ってきたその言葉に、夜雲は目を少しだけ大きくした。
呆然としているのか、すぐに言葉を返すことなく千染を見続ける夜雲。
その視線が鬱陶しく思ったのか、千染はさっと顔を背ける。


「言っときますけど、あそこに長いこといるつもりはありませんからね」


あそことは城下町のことだろう。
先ほどの発言を誤魔化すかのように、素っ気ない口調で冷たいことを言い放つ千染を、夜雲はじっと見つめる。
そして、だんだんと目つきが嬉しそうな形に変わっていき、顔を前に向き直すと


「うん」


と、明るさの滲み出た声で返事をした。





***




色とりどりの提灯の明かりにあふれている城下町は、たいそう賑わっていた。
町の人達は行き交い出店で団子や飴や玩具等を買ったりして、子供たちは走り回って、駒やお手玉で遊んだりしている。
城下町の出入口から少し進んだところで、千染はお面越しにその光景を静観する。
己とは無縁の場所を。
その一方で、夜雲も祭りの光景を見つめていた。
誰一人、暗い様子も曇った様子もなく、笑顔で祭りを楽しんでいる。
当然だ。
それが祭りなのだから。
皆の楽しめることを、好きなことを、存分に堪能していい催しなのだから。
それに対して落ち込んだり、悲しんだりする者なんて、まずいない。
そうとわかっている上で、夜雲はふと思い出していた。


昨夜、殺した忍達のことを。

そして、


ーーーいつでも、どこでも、どうなってもいい、死んだところで大して困ることのない都合のいい存在……。

ーーーそれが忍です。


その前に冬風が言っていた言葉も。


忍とはいえ、人が三人……いや、逃げたあの男も含めたら四人か。
四人も昨夜死んだというのに、何の変わりもない。
皆、祭りを楽しんでいる。


(………華穂さんの時は)


華穂。
何年か前に、手を下した遊女。
彼女がいなくなった時も、祭りが翌日にあって。
用事で翌日もここに立ち寄った時、活気が全くなかったわけではないが、一部の者は不安そうにしていたり、そわそわと何か探すように周りを見回したりと、とても祭りの気分ではない様子だった。
原因は、突然消えた華穂のことだと夜雲は知っていた。
実際に店番をしていた遊女に、華穂姐さんを見かけなかったかと聞かれた。
それに対して夜雲は「さぁ」とだけ答えた。
………遊女一人で、それなりの空気になったというのに。
忍四人に対しては何一つ変わらない。
華穂自身がここで有名な遊女であり、同じ遊女と下働きの少女達に慕われていたというのもあるだろうが。
だけど、なんだか。
今の光景が忍というものの存在価値を表しているように見えて。
冬風の言っていたことは強ち間違いではないんだな、と夜雲はなんとなく思った。


(………)


忍というものの存在を再度理解して、夜雲は顔を横に向けて千染を見る。
前を向いて歩いている千染。
ひょっとこのお面で覆われたその横顔を、夜雲は見つめる。
今、千染がどんな気持ちで祭りの光景を見ているのか……わからない。
けど、気持ちはどうであれ、今、彼が隣にいるのは確かだ。
彼は存在している。
ここにいる。
忍四人がこの世からいなくなっても何も変わらぬ景色を前に、今隣にいる忍に、千染に対して、夜雲は何か思うことがあったのか。
重力にそって垂れていた左手を隣に伸ばす。
そして、その手で千染の右手をそっと掴んだ。


「……?」


突然、右手から感じた少し冷たい肌の感触に、千染は立ち止まって振り返る。
千染の動きに合わせるように、夜雲も足を止める。
一時の沈黙が流れる。
夜雲を見ていた千染は、視線を落として右手を見る。
夜雲の手に掴まれている右手。
軽く握ってきているそれを見た後、千染は怪訝そうな雰囲気を醸し出して再び視線を上げて、お面越しに夜雲を見る。
そして、


「なんです?」


とりあえず手は振り払わないものの、冷たい口調でどういうことなのか問うた。
千染の問いに、夜雲は静かに視線を落とす。


「………千染くん」


どこか暗さを帯びた声。
そんな声で名前を呼んできた夜雲を、千染は何の反応も返さず黙って見る。


「きみが忍でも……、ぼくにとってはきみは唯一の存在なんだ……」


夜雲は小さな声で言い出す。
思ったことを、そのまま。


「たった一人なんだ……」


切実そうに、縋るかのように、夜雲の手が千染の手をきゅっと握りしめる。
握られている手の力を感じながら、千染は夜雲をじっと見つめる。


「だから……、………」


夜雲は一旦口を止める。
千染に向けていた視線を、繋いでいる手に向ける。
自分の手の中にある千染の手。
確かにある存在を、指先から、手のひらからと感じて、夜雲は安堵と不安を同時に感じているような、そんな複雑な感情を滲ませた目をする。
そして、またゆっくりと視線を上げて、再び千染を゙見つめると


「いなくならないでね……絶対に」


そう言って、千染の手を強く握った。
祭囃子の音も、人々の賑やかな声も、提灯の明かりでさえ、やけに遠く感じる。
異様な静けさに包まれているような、そんな空気の中、二人はお互いを見る。
お互いを見つめ合う。
夜雲は縋るような目で、千染は……。
………千染は、お面の向こう側でどんな目をしているのか。
夜雲からは見えない。
ただ。


「前にも同じようなこと聞きましたよ」


冷めた声。
冷めた返事。
夜雲の発言に対して、驚きや戸惑いとかそういったものは感じていないようだった。
千染の反応に、夜雲はほんの少し不満げにする。


「そうだけど……。でも、きみは何回も言わないと……わかってくれなさそうだから」


珍しく明らかに拗ねたような声で、夜雲は千染に言う。
それに対して千染は、「はぁ、そうですか」といまいち手応えを感じさせない反応を返す。
夜雲の表情は変わらない。
が、彼の纏う空気に、不穏な気配が混じり出す。
その重苦しい気配を感じ取ってか、千染は少しの間を置いた後、小さなため息をつくと


「いなくなりませんよ」


少し面倒くさげでありながらも、はっきりと言った言葉。
確かに聞こえた千染のその言葉に、夜雲は少しだけ目を大きくして反応した。


「あなたの前からいなくなるつもりはありませんから。ご心配なく」


続けて千染は言う。
お面越しに、夜雲を見つめながら。
夜雲は呆然とするように、千染を見る。
纏っていた不穏な空気がだんだんと薄まっていく。
お面の向こうの千染が今どんな表情をしているのか、どんな目をしているのか。
夜雲にはわからない。
彼がどんな気持ちでそう言ってきたのかも。
………だけど。
唯一わかったのは、先ほどの発言には千染の意思があった。
上辺とか打算とかではない、明確な意思。
千染だけの意思。
いなくならない。
いなくなるつもりはない。
本心はどうであれ、そう言いきってくれた千染に、夜雲は自身の胸に淡い火が灯るような熱を感じる。
拗ねているような顔つきが、徐々に和らいでいく。
藤色の瞳に柔らかな感情の色がうっすらと出てくる。
白い頬に紅の色が浮かぶ。
夜雲は静かに視線を落とし、千染の手を今度は優しく握る。
そして、


「ありがとう……」


嬉しさが滲み出た声で、お礼を言った。
やけに静かに思えていたその場に、祭囃子の音が戻ってくる。
人々の賑やかな声も、提灯の明かりも。
それらを感じながら、千染は夜雲を見つめる。
何も言わずに。
しばらくして、夜雲は視線を上げて再び千染を見ると、目を柔らかに細める。
まるで、千染に微笑みかけてるかのように。
そして、閉ざしていた口を小さく開くと


「行こ」


短く、そう声をかけて、夜雲は千染の手を引いた。
千染より先に歩き出す夜雲。
千染は引かれたその手を振り払うこともなく、彼の後に続く。
依然として、無言のまま。
一方的に繋がれた手に言及すらせず。
先へ先へと進むにつれて、千染の手を握っている夜雲の手の力が強くなっていく。
握り返されない手を、それでも離さないと言わんばかりに。
そして、表情にほんの少しの明るさを浮かばせながら、夜雲は千染を引っ張っていった。
光があふれる場所へと……。




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