相異相愛のはてに





忍者、巣隠れ衆。

特定の城に仕えていないが、主に西からの任を請け負う。
相当の対価さえくれれば、例え庶民の立場でも依頼可能だが、願い事に見合った対価を支払える庶民なんているわけもなく、今のところ前例なし。
所在は……どこに該当するかは不明だが、虫や動物達が好みそうな青々とした山に挟まれ、活き活きとした魚が捕れそうな澄んだ川が流れている谷に、巣隠れの里がある。
人数は、忍頭が一人、上忍が七人、あとは中忍下忍が合わせて数十人と。
忍衆にしては最低限人数。
けど、専属の城も主もいない一つの組織として独立した忍衆なため、十分といえば十分だった。
それもそうだ。
巣隠れ衆は、事情があって他の忍衆から追い出された者や主が戦に敗れて行く宛もなくなった者、同胞から裏切られて命からがら逃げてきた者等、わけありの忍が集まって出来た組織なのだから。


そう。
わけあり忍者……今の巣隠れ衆の高祖父母に該当する。
そこらの忍者より苦汁を飲まされてきた経験故か、彼らの子や拾ってきた孤児に対する忍として教育は徹底していた。
自分達と同じ目に遭わないように、自分達以上の忍になってもらうために。
そうすれば、きっと、どんな形であれ、自分だけでも守れるようになれるはずだから。
彼らのその想いと教育の成果あってか、今では巣隠れ衆はほとんどが手練れ揃い。
中でもやはり、忍頭と上忍は別格だった。
そして………。





***




巣隠れ衆の忍が一人。
千染(ちぞめ)。
艷やかな赤い長髪が特徴的で艶めかしい美女のような風貌の彼は、上忍。
しかも上忍の中でも更に上位にあたるほどの実力者だった。
特に“殺し”においては。
始末も暗殺も殲滅も、必ず完璧にこなした。
こなし過ぎるくらいこなした。
たまに顔を見られたからと、仕事の最中を見られたからと、証人隠滅の名義で無関係の者を殺すこともあった。
それくらいに、彼は好きだった。
斬るのが、刺すのが、好きだった。
血を流し、臓物をこぼし、己の手によって人の命が尽きる瞬間も。
血の臭いも、身から出たばかりの臓物の温かさも、死を直前にした絶望の顔も、命乞いも断末魔も。
全部全部大好きだった。
心が踊り、身体の芯に快楽的な熱が帯びるくらいに。
狂気的なほどに。
……いや、もう十分過ぎるくらい十分な狂気だ。
殺人鬼の狂人だ。

それ故に、彼に対等な接し方をするのは忍頭と上忍くらいで、後の者はほぼ全員彼を怖がった。
いくら見た目が、生唾を呑み込むほどの妖艶な美女に見えるくらい美しくても、中身がそうだと知ると恐ろしくてたまらなかった。
ある者は彼を前にすると素直に怯え、ある者は常に顔色を窺い、ある者はとにかく愛想良く振る舞って、ある者は極力関わらないように……と。
それぞれがそれぞれ、対等とは程遠い反応を示した。
けど、下の者達のそういった態度に対して、千染は特に不満も何も感じていなかった。
たまに怖がっているのを見て面白半分にからかいはするけど、それだけ。
後は、同じ任務についた時にちょっとでもヘマしたら後遺症が出ない程度に斬るくらいで、それ以上のことはしなかった。
つまりは、不満を感じる以前に関心があまりないので、千染にとって下の者がどういった反応をしようと結構どうでもよかった。
そんなことより、今日の仕事はどれだけ殺していいのか。
明日の仕事は殺しの機会はあるのだろうかと。
そっちの方が気になった。


そして、今日。
空がよく晴れ渡った今日。
千染は忍頭の櫻世(おうせ)に呼び出されて、彼の住む屋敷に向かっていた。
近くを通る度にびくびくとした様子で頭を下げてくる中忍・下忍達を後目に、千染は涼しげな表情で里の真ん中を歩いていく。
そこから少し山を登ると、小さな屋敷が見えてきた。
忍者らしく別のところから侵入する……つもりなんてなく、千染は普通に大戸口から入り、櫻世がいるであろう座敷に向かう。
縁側を歩き、鮮やかな緑の木々と鯉が泳いでいる小さな池に白砂とどこか趣のある庭に目もくれず、千染は閉ざされた襖の前で膝をつく。


「御頭。千染です」

「……ああ、入れ」


襖の向こう側にいる櫻世の返事を聞いて、千染は襖を静かに開けると中に入る。
そして、また同じように静かに襖を閉めると、眼帯と後ろに高く結い上げた長い黒髪が特徴の鋭い目つきをした男……櫻世の前に座った。


「珍しいな。お前がまともに入ってくるなんて」


将棋の駒を並べていた手を止めて、櫻世は落ち着いた声で言う。
どうやら、いつも千染は特殊な入り方をしているらしい。
だが、櫻世の発言に対して千染は首を傾げると


「いつもまともですよ?」


と、柔らかな笑顔と声で返した。
千染の返答に櫻世はしばらく黙り込む。
天井裏や床下から現れるのはまだいいが、たまに棒手裏剣を投げたり、小太刀を振り回してくるのが、まともというのか。


「ご愛嬌ですよ、ご愛嬌。御頭でしたらわたし如きの攻撃、全部回避出来るでしょうから」


心でも読んだのか。
千染は続けて、櫻世が思ってることに対して返答するような言葉を返す。
あれがご愛嬌……?一歩間違えたら死ぬあれが……?もはや奇襲では……?
と、疑問に思ったが、まぁ実際普通に回避出来ているので櫻世はもうそれに関しては考えないことにした。


「で……、用件は何でしょうか?」

「ああ。お前に与えたい任務があるんだ」


そう言って、櫻世は懐から文を取り出す。


「任務……、暗殺ですか?」

「暗殺ではないな」


櫻世にきっぱりと否定され、千染は密かに肩を落とす。
どうやら、千染にとってつまらない方のお仕事みたいだ。


「必ずしも始末するのが条件の内容ではないが……場合によっては刃を向ける必要があるものだ」

「?、それはつまり……」

「丹後にある村から丹波の小春城へ運ぶ荷物の護衛だ」

「……ああ」


任務内容を聞いて千染は納得するように呟く。
そして、少しの間を置いた後、


「わたしじゃなくてもよくありませんか?」

「理由があるのだ」


やはりというか何というか。
柔らかな笑みと声色は変わらずとも予想どおり渋ってきた千染に、櫻世はすかさず言葉を返した。


「今回の任務、お前とあと一人……下忍をつけようと思ってな」


下忍、と聞いて千染の眉がぴくりと動く。


「そろそろ忍としてもう一歩踏み込んだ仕事をさせたくてな。なに、お前もよく知っている忍だ」

「よく知っている忍……」


櫻世の口から出た“よく知っている忍”と下忍という言葉を繋げて、何か思い当たったのか、その上で嫌な予感がしたのか、千染の柔和だった表情がほんの僅かに冷たさを帯びる。
と、その時。
今だと言わんばかりに絶妙な間でバタバタと外から足音が聞こえてくる。
とても忍らしかぬ足音だ。
足音はだんだんと近づき、櫻世と千染がいる座敷のすぐ側まで来たかと思いきや、襖が勢いよく開いた。


「おぉお櫻世さまぁーー!!」


開いた直前、少女の声が座敷中に響いた。
櫻世は何か察したのか少し困った様子で少女の方に目を向け、千染は依然として櫻世を見つめる。
座敷に現れた少女は息切れをする。
小柄な体に、腰まである長い黒髪を一つに束ね、顔つきからしてあどけなさのあるその少女は、座敷に入るなり櫻世に飛びつく。


「明日!わたしと千染さまを護衛の任につかせるって本当なのですか!?」

「……心ノ羽、それを誰から……」

「鍔女さまから聞きました!」

「鍔女め……、口を滑らしおって……」


心ノ羽(このは)と呼んだ少女に気圧されつつも、櫻世は口を滑らした張本人・鍔女(つばめ)を思い浮かべて苦い顔をする。
だが、少女……心ノ羽は構わず詰め寄る。


「わたし嫌です!千染さまと任務なんて!」


心ノ羽は言う。
己の感情に従った意見を。


「千染さまとほんの一時も一緒にいるなんて!嫌です!他に誰かいるならまだしも二人きりなんて!絶対!ぜえぇーーっったい嫌なことしてきます!仕事の合間合間にいじめてきます!」

「心ノ羽……」


本人がいることを知ってか知らずか、千染との任務を拒否して更に拒否する理由を素直に述べる心ノ羽に、櫻世は思わず戸惑いを含んだ声で名前を呼ぶ。


「櫻世さまがわたしのことを気づかって、上忍の方をご同行につけてくださったのはわかります……。それはすごく感謝いたしますし、自分の至らなさを痛感いたします……。っでも……でも何故よりによって!千染さまなのですか!?」

「それはだな……」

「我が儘を承知で言わせてもらいますが、千染さま以外がいいです!冬風さまと還手さまもちょっと苦手な部類に入りますが、意地悪で殺人を好むおっっそろしい千染さまよりはずっとましです!千倍ましです!」

「心ノ羽……」


あ、これは。
千染がいることに絶対気づいていない。
心ノ羽の素直過ぎる発言に、櫻世は確信した。


「お願いですから、千染さまを違う誰かに代えてください〜!それかわたし一人でやります!命懸けで任務の遂行頑張ります〜〜!!」


半べそかきながら櫻世にしがみついて懇願する心ノ羽。
一方で、櫻世は非常に困った様子で、千染の方をちらりと見る。
千染は……笑っていた。
よく見る柔らかい笑みを浮かべていた。
だけど、………目は冷たかった。
その目を見て、櫻世は悟る。
もう手遅れだと。


「……?、櫻世さま……?、……!!、ひえあぁっ!!?」


ここでようやっと、心ノ羽は千染の存在に気づいた。
櫻世があまりにも無反応で不思議に思って顔を上げてみれば、座敷の向こう側を見ているので心ノ羽も櫻世に視線にそってその先を見たら千染がいた。
そういった流れだった。
千染を見るなり、素っ頓狂な悲鳴をあげて腰を抜かす心ノ羽。
さてどうするかと頭痛そうな顔をして思考を巡らせる櫻世を傍らに、顔を青くして汗をだらだらと流しながらがたがたと震える。
千染はその姿を見ても、柔らかな笑みを崩さなかった。
それが余計、心ノ羽の焦りと恐怖心を大きくさせた。


「あ〜……千染、あまり……」

「じょ、じょじょじょじょ冗談ですよ!冗談!ちょっとしたご愛嬌です!」


あまり怒らないでやってくれと言おうとした櫻世だが、必死の言い訳を始めた心ノ羽の声によって遮られてしまう。


「千染さまを、そんな、意地悪で快楽殺人鬼の恐ろしい方だなんて!ちぃっとも思ってませんよ!どんな任務も完璧にこなしてとても立派なお方だな〜って常日頃思っていますよ!いや〜わたしも千染さまのように腕利き忍者になりたいな〜、な〜んて!あはっ、あはは……!」

「御頭」


なんとも見苦しい言い訳をする心ノ羽を無視するように、千染は櫻世に声をかける。
困惑を通り越して呆れ果てていた櫻世は、千染の声に反応する。
千染は櫻世に向かって微笑む。
そして、


「その任務、引き受けましょう」

「うぅぇ!?」

「お、おぉ……そうか。引き受けてくれるか」

「はい」

「えぇぇ!!?」


手遅れながらにも、心ノ羽にはまだ僅かながらにも希望があった。
千染が任務を断るという希望が。
殺人を好む彼のことだから、荷物の運搬の護衛だなんて彼にとってぬるくてつまらない任務、やりたいだなんてまず思わないだろう。
だから、高確率で断ると思っていた。
櫻世に文句を言いにきたのは自分の意思表明するためだけであって、結果的には同行してくれる上忍は他の誰かに代わっているだろうと見越していた。
だけど、その希望もたった今、潰えた。


「それでは、その文を」

「ああ、頼んだぞ」

「ほあぁ……お、ぉ、櫻世さま……櫻世さまぁ……」


依頼の文を千染に手渡す櫻世に、心ノ羽は藁にもすがるような思いで名前を呼んで、やめてくれと言わんばかりに袖を弱々しく引っ張る。
だけど、櫻世が反応するよりも速く、千染が心ノ羽の首根っこを掴み上げた。


「さぁ、心ノ羽。打ち合わせをしましょうか」

「ひぃ!嫌だ!絶対殴ってくる!わたしを影に連れて殴ってくるんだぁ!櫻世さまぁ!櫻世さま助けてー!殴られるー!痛いことされるぅー!」

「人聞きの悪い。殴りませんよ」

「嘘だぁー!嘘つき嘘つきー!いやあぁー!!」

「それでは御頭。失礼いたします」

「あ、ああ……。……出来れば優しく接してくれ」

「わたしはいつだって優しいですよ。では」


櫻世に柔らかな笑みを向けて、千染は心ノ羽を半ば引きずるような形で座敷を出ていく。
座敷を出た後も心ノ羽がずっと何かを叫んでいたが、程なくしてそれも聞こえなくなる。
静かになった座敷で、櫻世はふぅとため息をついて、眉間をつまんだ。
色々と考えに考えて心ノ羽と千染の組み合わせで任務につかせようと決めたが、違う者との組み合わせにした方がよかったかもしれないとほんの少しだけ後悔した。
後悔したが、千染が任務を承諾してくれた以上、変更するつもりはさらさらなかった。
心ノ羽。
亡き姉の忘れ形見。
本来、櫻世個人の気持ちとしてはとことん甘やかしたい(傍から見れば十分甘やかしてる方だが)のだが、やはり忍として生まれた以上……いや、まだ忍として生きていくためには、最低限のことは出来ないといけない。
せめて、ちょっとした運搬の用心棒だけでも出来れば……。
庶民に紛れ込んだり、庶民から情報収集することだけは優秀なのだが、それでもやはりそれだけでは……。
あと心ノ羽は唯一、千染に絶対斬られない下忍だ。
千染が心ノ羽のことを快く思っていないのは先ほどの様子で察しがつくのだが、それでも斬らない上に痣が残るほどの暴力を加えないのは、心ノ羽が忍頭の姪であることが強い要因なのだろう。
いくらほとばしる血肉を好む千染も、忍頭の血縁者となれば対象外のようだ。
それに、一度心ノ羽がヘマをして危機に瀕した時、助けてくれたこともある。
これも忍頭の姪だからっていうのが大きな理由だろうが、千染がうっかりでも心ノ羽を殺すことは絶対ないという確信を持つには十分な出来事だった。
だから。
だからこそ、安心して千染と組ませることが出来る。
今回の任務、同行出来そうな上忍が千染しかいなかったから。
千染は性格に難はあれど、腕は確かだ。
万が一のことがあっても、荷物にも心ノ羽にも危険なく対処してくれるだろう。
あとは、そう……欲を言えば、これを機に二人が少しでも仲良くなってくれれば、嬉しいのだが……。
と、限りなく可能性が低いことを思いながら、櫻世は今度は片手で頭を抱えてふぅため息をつく。
忍頭も何かと心労が絶えない立場である。






その一方で、千染に連れ去られた心ノ羽はというと……。


「わぁ!?ぷひぃ!?」


バシッバシッと往復平手打ちをくらっていた。
里の外れにある林に連れられ、胸ぐらを掴まれて木に押しつけられたかと思いきや、この仕打ちである。
千染に両頬を強く叩かれた心ノ羽はわぁと泣いて、その場に崩れ落ちる。


「わ゙あ゙ぁあ〜〜!やっぱり殴ったぁあ゙〜〜!!」

「うるさいですねぇ……。こんなの殴ったうちに入りませんよ」


赤くなった両頬を手で押さえてわぁわぁ泣く心ノ羽を、千染は心底鬱陶しそうに見下ろす。
櫻世の前での物腰柔らかな態度が嘘のようだ。


「櫻世さまから優しくしろって言われたばかりなのにぃ〜!早速言いつけを破ってるよぉ〜〜!!」

「何言ってるんですか。優しいですよ優し過ぎるくらいですよ。本来なら生きたまま両目を抉って腹掻っ捌いて内蔵引きずり出したいところを、平手打ちで済ましているのですから」

「わ゙あぁぁん!優しさの基準がおかしいよぉ゙〜〜!」


情けなく泣いてるくせに駄目出しだけはしっかりしてくる心ノ羽に、千染はイラッときて舌打ちをする。
こんなの他の中忍・下忍がしたら処刑ものなのだが、相手は忍頭の大事な姪。
さすがの千染もそこらへん理性が働いているのか、内蔵破裂するくらい足蹴にしたくても、忍頭の姪が相手となれば我慢した。


「本当にあなたはいつ見ても虫唾が走りますねぇ。大した仕事も出来ない度胸も何もない雑魚の穀潰しのくせに、人に甘えるのと泣き喚くのだけは一丁前で……。生きてて恥ずかしくないんですか?」


でも暴言とちょっとした暴力は我慢しなかった。


「うわあぁん……!やめてください踏まないでくださいぃ〜〜!やっぱり千染さまは意地悪な人だぁ〜!」


木に押しつけられる形で千染に頭を踏みつけられ、心ノ羽は泣きじゃくりながらも小さな抵抗をする。


「やかましい害虫を踏むのは当然の行為でしょう」 

「わたし虫じゃありません!」

「あ〜、確かによくよく考えると虫に失礼でしたね。となれば肥溜め……いや、肥溜めは農作物の役に立っていますから肥溜めにも失礼ですね。肥溜め以下となりますと……虫の糞くらいですかね」

「わあぁぁん!ひどい!ひどすぎます〜〜!」


より一層泣き喚く心ノ羽に、千染ははぁと鬱陶しげにため息をつく。


「それより……わたしに言うべきことがあるんじゃないですか?」

「ふぇ?」

「謝罪ですよ、謝罪。いちいち教えないとわからないんですか?」


急に謝罪を要求されて、心ノ羽はきょとんとする。
だが、すぐに「あ……」と声をもらして思い出す。
座敷で散々言いまくった千染に対するあれこれを。
確かに本人がいないからと思って好き放題に言ったのはこちらが悪いが、でも、もうここまでいじめられたら謝る必要はないのではないか。
むしろそっちが謝るべき立場ではないか。
と、酷く不満を抱きながらも、反発したら何されるかわかったものではないので、座敷でのことを渋々謝ろうとする。
が、


「とりあえず、まずは生まれてきて申し訳ありませんでしたって言いましょうか」

「うわあぁーーー!?そこからなんですかぁーー!!?」


あまりにも理不尽で意地悪過ぎる千染の要求に、心ノ羽は堪らず泣き叫んだ。


「ほら、早く言ってください」

「やだやだー!もう謝らない!謝りませんからぁ!!」

「謝ることも出来ないなんて、なんて躾のなってない糞餓鬼なんでしょう。きっと御頭が甘やかしすぎたのでしょうね。この際、躾の一貫として服を剥いで岩にくくりつけて滝壺に沈めてみましょうか?謝罪が出来ない馬鹿がどうなるか教えて差し上げますよ」

「ひいぃーー!!」


頭を踏みつけるのをやめたかと思いきや今度は胸ぐらを掴み上げて真顔で情け容赦ないことを言う千染に、心ノ羽は身を縮めて震えながら悲鳴をあげる。
と、その時だった。



「おい、何をしてる」



後ろから声が聞こえた。
もう一度心ノ羽の頬を引っ叩いてやろうかと思っていた千染だが、声の主が誰かすぐわかったためやめる。
一方で、心ノ羽は涙で濡れた目を大きく開き、きょとんとする。
一時の間が空く。
真顔で心ノ羽を見ていた千染だが、ふっと嘲りを含んだ笑みを浮かべると彼女の胸ぐらから手を離し、前屈みになっていた上半身を上げて口を開いた。


「おやおや、仕事帰りですか?……芙雪さん」


千染の口から出た芙雪(ふぶき)という名前を聞いた瞬間、心ノ羽の目に希望の光が差す。
すると、千染の後ろから、顔から体にかけて全身傷だらけの大柄な女が姿を現す。
千染より大柄なのだが、心ノ羽から見えなかったのは単に遠近法だろう。
その証拠に、女がいたのは千染の真後ろではなく、それなりに距離を置いたところだった。
芙雪と呼ばれた女は、嫌悪を込めた目で千染を睨む。


「人気のないとこに連れ込んで弱い者いじめとは、相変わらず性格が腐っているな」

「弱い者いじめだなんて……」


芙雪の悪態を小さく笑って退けると、千染は後ろを振り返って彼女を見据える。


「人聞きの悪い。明日、心ノ羽と任務につきますから、打ち合わせしていただけですよ」


心ノ羽に対するのとは打って変わり、千染は柔らかな笑みを浮かべて穏やかな口調で応じる。
芙雪の嫌悪の色が、より一層濃くなる。


「ほぉ……打ち合わせ、と。お前にとって打ち合わせとは、相手を胸ぐらを掴んで酷い言葉を浴びせて泣かせることなんだな」

「まぁ、そうなりますね」

「……イカれてるのか」

「ああでも安心してください。それは心ノ羽仕様なので。他の方々には、ちゃんと普通に話し合いをしますよ」

「お前……」

「芙雪さまぁ!」


今が好機と言わんばかりに、心ノ羽が芙雪の名前を呼んで千染から離れる。
そして、彼女の腰に飛び込むように抱きついた。
千染の眉がぴくっと動く。
その一方で、少し驚いた様子の芙雪だったが、自分にしがみついている心ノ羽を見て、瞬く間に慈しむような目つきになった。


「芙雪ざま゙っ、芙雪ざま゙ぁ〜〜っ」

「酷い目に遭ったな。わたしが来たからにはもう大丈夫だ。安心しろ」
 
「ゔぅゔ〜〜〜っ」


安堵からまた泣きじゃくる心ノ羽の頭を、芙雪は優しく撫でる。
その光景を見ていた千染は、彼女達から目を離して軽蔑を込めたため息をつく。
やはりどうも心ノ羽は気に食わない。
すぐ自分の味方だとわかる者には尻尾を振りたくって飛びつく。
忍として大した実力もない上に喚くばかりの糞餓鬼のくせに、忍頭の姪だからって、里の者から蝶よ花よといったように甘やかされて……。
しかもだ。
一部の上忍からも可愛がられてるときた。
芙雪がその一人だ。
いや、下手したら代表格と言っても過言ではない。
それくらい、芙雪は心ノ羽を大事に思い、可愛がっている。
まるで実の妹のように。
……もしかしたらそれ以上の感情もある可能性があるが。
とにかく、千染は心ノ羽のそういったところが鼻について仕方なかった。
弱いくせに、下忍の中でも雑魚の部類に入る役立たずのくせに、周りに媚びるのは一丁前で、周りにもて囃されて能天気にへらへらと笑って、そのくせに忍としての鍛錬となると泣き言ばかり言って……。
年相応に笑って。
年相応に泣いて。
怒って、落ち込んで、悲しんで、喜んで、はしゃいで……。

気に食わない。

反吐が出る女だ。

わざと周りに媚を売っているならまだしも、いや、むしろそうだったら逆に立派なのだが、心ノ羽は無意識に、素でやってるからたちが悪い。
本当に、なんでこいつはここにいるのだろう。
いる意味あるのだろうか。
忍として生まれながら忍として機能してないこいつが……。


「……存在価値がないくせに……」


つい。
うっかりと。
千染は口からこぼしてしまった。
心ノ羽への本音を。



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