相異相愛のはてに
この世で一番恐ろしい女だと聞いていた。
巣隠れ衆の忍と共にとある任務につくことになって、それが秋風だった。
同行の相手が秋風と知るなり、大半の者が俺のことを心配して、一部の者には羨ましがられた。
何が恐ろしいものか、あんな美女を抱けるなら死んでもいい、本望だ、と。
羨ましがった者は、口を揃えて言っていた。
俺にはよくわからなかった。
性欲というものが元々薄いせいか、特に興味もわかなかった。
ただ無事に任務遂行出来ればいい。
それだけだった。
秋風と落ち合う場所へ向かう前に、蝶月からは「あんたあの女にたぶらかされるんじゃないわよ。わたしという最高の女がいるってのに」と肩を殴られ、咸喪からは「お前に限ってないとは思うが、気をつけろよ」と忠告された。
そんなに危ない女なのかと、さすがに警戒せざるを得なかった。
そして、実際に会った。
確かに美しい女だった。
薄く開いた口から覗く鋭い犬歯が特徴的な美女。
絶世の美女と言っても過言ではないだろう。
同じ巣隠れ衆の千染も相当な美貌の持ち主だが、こっちは女なだけあって男心を刺激する非常に魅力的な体型も付け加えられているため、会う男皆が心を奪われてしまうのも納得いった。
だが、これはあくまで客観的に見た上での意見であって、俺自身は実際の秋風を目の前にしても触れたいとか抱きたいとか、そういった感情はわかなかった。
“男喰いの秋風”。
こういう女か。
生まれが一国の姫だったら、さぞかしもて囃されていただろうに。
秋風に対して思ったのは、それだけだった。
「鍛架さま」
「鍛架さまのおかげで、今宵の任務無事遂行することが出来ました。ありがとうございます」
「もしよろしければ、お礼をさせていただきたく思いまして……」
「わたしに出来ることなら、何なりと仰ってください。なんでも……どんなことでも……。わたしは鍛架さまのご要望にお応えします」
任務を終えた後、別れ際に秋風がそう言い出してきた。
なるほど、こういうやり方か。
確かにこれほどの女に何でもしていいみたいなことを言われたら、たまったものではないだろうな。
あの羨ましがっていた一部の連中なら、この場で抱きついて押し倒していたかもしれない。
とはいえ、結局最初から最後まで秋風を“同行者”としてしか見れなかった俺は、特にして欲しいことなんてなかった。
むしろ面倒くさいと感じていたくらいだった。
ない、と言ってさっさと去りたいところだったが………一応恐ろしいと噂されている女だ。
拒絶したら拒絶したで、もしかしたら厄介なことになるかもしれない。
それならば。
「京に団子が美味いと有名な茶屋がある」
「そこで茶と団子を馳走してくれ」
適当なことを言ったつもりだった。
初対面の男と一緒にわざわざ京まで足を運んで団子を奢るなんて面倒だろうに思ってのことだった。
これなら渋るかもしれないし、男という男に散々もて囃されてきただろうから、団子を奢れと言ってきた自分に幻滅するかもしれない。
それも想定した上での発言だった。
別に秋風に幻滅されようが嫌われようがどうでもよかったから。
……だけど。
その発言を聞いた時の秋風は……驚いた顔をしていた。
目を大きくして、俺を見ていた。
俺も少しだけ驚いた。
何故なら秋風は、その日一日一緒にいただけでも底の知れない、何を考えているのかわからない、今まで見てきた女忍者の中で一番“忍”らしい女という印象だったから。
だから、そんな表情をするなんて……。
そういう表情が出来るなんて……思ってもいなかった。
しかもだ。
「わかりました。では後日、鍛架さまのご都合のいい日に共に京へまいりましょう」
また元の微笑みに戻ったかと思ったら、秋風は俺の適当な要望を承諾した。
呆気にとられている俺をよそに、秋風は「では」と頭を下げると去っていった。
それからしばらくして、俺は後悔した。
面倒な約束事をしてしまったと。
こちらから連絡をとらなければ、自然にその約束事はなくなるだろうと思っていたがそんなことはなく、秋風から連絡をとってきて、結局一緒に京へ行くこととなった。
庶民に紛れ込めるような格好をして二人で向かった。
その時も行く前に蝶月から「食われんじゃないわよ」と肩を殴られ、咸喪からは「団子食ったらさっさと帰れよ」と言われた。
言われなくてもそのつもりだ。
秋風との約束事をしたせいで、例の一部の者達から妬ましそうな目で見られるようになってしまったのだから。
秋風とは別に何でもない。
それを証明するために、秋風と会うのは今日限りと決めていた。
そもそも巣隠れ衆と惨途忍軍は協力することはあれど、共に茶飲みするほど仲良くはないのだから。
一応自身の美貌を自覚してなのか、秋風はあまり顔が目立たぬよう笠を深々と被っていた。
男共の視線や絡みが鬱陶しいことにならないからありがたい。
これならさっさと茶を飲んで団子を食って、さっさと帰れる。
そう思っていた。
「鍛架さまはわたしとまぐわいたいと思わないのですか?」
奢られた団子も茶も美味しくて、それなりにいい思いはしたと思っていた矢先、秋風がそう問いかけてきた。
帰りの人気のない山の中で。
二人っきりの場所で。
あまりにも直球な問いに、俺は顔をしかめた。
もはやここまでくると、それ目的ではないのかと思った。
まぐわって、俺を陥れようとしているのではないかと。
だが、いくら秋風が誘ってこようと俺は全くその気にならないので、「思わない」とだけ答えた。
その時の秋風がどんな表情をしていたのかわからない。
俺の後ろにいたから。
秋風はしばらく黙った後、「そうですか」とだけ返事をして、それ以上何も言ってこなくなった。
当の俺は、その後の沈黙がなんだか気まずくて、だんだんといたたまれない気持ちになってきていた。
秋風があんまりにもあっさりと引き下がったものだから。
もしかして陥れるとかそういった目的ではなく、単に誘ってきただけなのかもしれない。
もし秋風がその気なだけだったら……なんだか女の誘いを無下にしてしまったような感じがして。
でもかといって、本当にそうだったとしとも俺にその気は微塵にもなくて。
いざ、まぐわおうとしてもあそこが反応しないだろうから、どっちにしろ無下にせざるを得ないのだ。
だから。
……、……だから、なんとなく。
ちょっとした気休めにだ。
秋風に少し付き合ってほしいと言って、ある場所に連れていった。
山と山に挟まれた小さな丘。
道とも言い難い険しい山道を通り抜けた先にある、赤と青の色鮮やかな花が咲き乱れる場所。
花の名前はわからない。
けど、あんまりにも綺麗だったから、まだ広く知れ渡っていないであろうこの場所を秘密にしていた。
連れてくるのは、秋風が初めてだった。
この綺麗な景色に気をとられてくれたらと思って、連れてきた。
そしたら、今度こそ別れて終わり。
そうするつもりだった。
………けど。
「………きれい」
鮮やかな赤と青に染まっている景色をしばらく見た後、秋風は呟くように言葉をもらした。
その声は、今まで聞いてきた妖しさの潜む柔らかい声ではなくて。
純粋にこの景色に見とれているような……無垢な少女のような声だった。
そして、表情も変わらず優しげな笑顔だったが……この時のは何故だか、陽だまりが差したようなそんな柔らかな暖かみのある明るい笑顔に見えた。
俺はその顔を見て……。
花が咲き乱れる丘の景色を見ている秋風の横顔を見て……。
初めて、美しい、と思った。
心の底から、無意識に。
「鍛架さま。素敵な場所を教えてくださり、ありがとうございます」
「その……この場所のことは決して他言しませんので……」
「たまに……、訪れてもよろしいですか?」
断る理由なんてなかった。
むしろ、気に入ってくれたのかとほんの少し嬉しく思ったくらいで……。
俺は秋風の言葉に頷いて承諾した。
秋風は嬉しそうに微笑んでいた。
その笑顔を見て、ああこんなに綺麗な女だったのか、と今更ながらに思った。
それから何度か、その場所で秋風と会うことがあった。
秋風を前にしても、抱きたいとか触れたいとかそういった感情は相変わらず皆無だったが、そんなことをしなくても彼女とあの丘で綺麗な花に囲まれてなんとなく他愛もない話をするだけで十分だった。
満足だった。
好きだった。
……好きになっていた。
秋風はあの時間をどう思っていたのかわからない。
もう聞く術はないから。
でもああやって度々足を運んできてくれていたということは、決して悪いようには感じていなかった……と思いたい。
周りの秋風の印象は相変わらず“恐ろしい女”。
でもその頃の俺にとっては……秋風は綺麗なものを見て綺麗と思える、可愛らしいものを見たら愛しそうに見つめる、美味しいものを食べたら美味しいと言える、……そんな至って普通の女なのではないかと。
そう思うようになっていた。
いつしか、丘にある花で花飾りを作って秋風の髪に飾ってやった。
そしたら嬉しそうに笑って、花飾りの作り方を教えてくださいと言ってきた。
そんな温かで、穏やかなやり取りが出来る彼女が、“男喰い”だなんて。
俺にはもう、そのように見えなかった。
秋風に会えば会うほど胸の中が心地よい温もりに包まれるような気持ちになったが、同時にある忍がいやに目につくようになった。
秋風の兄、冬風だ。
こいつも秋風と同じ……いや、それ以上に周りの者から危険視されていた。
“千奪千捨の冬風”。
影でそう呼ばれていた。
その名のとおり、冬風は誰かの何かを或いはその誰か自身を奪っては、使うだけ使って、使えなくして、用無しと言わんばかりに捨てた。
本人は捨ててないと言ってるみたいだが、放置も捨てているようなものだ。
やつの忍法も恐ろしい厄介だが、何よりもおぞましいのはあまりにも巧みな読唇術。
まるで心を覗いているかのように、相手の弱みや抱えている不満を言い当て、追い詰めて、解放させる。
そしてその解放されたものを受け入れて、飲み込む。
飲み込んで、引きずり込む。
それが、冬風のやり方だ。
我が軍は冬風のことを知っているから、大した被害はなかったのだが、冬風……否、巣隠れ衆と関わりのない里や外部の者は悲惨なものだ。
……そのことを知っていたから、気にはなっていた。
あんな兄がいて、秋風は大丈夫なのかと。
妙なことはされていないのかと。
その時の俺は、そんな能天気で浅はかな心配をしていた。
俺と会う前から……もう既に何もかもが手遅れであったとも知らずに。
「鍛架さぁん。最近俺の妹と仲良くしてくれてるみたいだなぁ」
「ありがとなぁ。かわいい妹に友人が出来るってのはこんなにも嬉しいもんなんだなぁ」
「?、妙なこと?ははっ、してねぇよ。兄として出来ることはしてるけどな」
「俺はただかわいい妹に生きてほしいだけだ」
「人間ってのは生きてこそ価値があるのだから。例え忍であっても」
「ところで鍛架さん」
「あんた、俺のことが嫌いだろ。邪魔だって思ってるだろ」
「良いんだぜぇ?そんな警戒しなくても。好きと嫌いが同時に存在してんだ。俺のことが好きなやつもいれば、嫌いなやつもいる。至極当たり前のことさぁ」
「そして、あんたが俺を嫌う理由は……秋風が俺から離れないから」
「離れようとしないから」
「ごめんなぁ、鍛架さん。こればかりはどうしようもねぇんだ」
「出来ることなら離してやりてぇんだけどよ。無理なんだ」
「だって、秋風は」
「誰よりも俺を愛してるから」
秋風を連れ出さないといけないと思った。
あの男は危ない。
危険過ぎる。
秋風が引きずり込まれてしまう。
逃げよう。
大丈夫、大丈夫だ。
きみ一人で逃げさせはしない。
俺も一緒だ。
一緒にいる。
きみの側にいて、きみを守る。
きみが素直に笑える場所を見つける。
だから、だから。
………。
……ああ、俺は。
こんなにも秋風が愛しくなっていたのか。
初めて感じる気持ちだった。
きみと一緒にいる。
きみを守る。
そう心に決めて。
里も、信頼出来る仲間も、全て置いてゆく覚悟で、きみを連れ出そうとしたのに。
なのに。
あんな目を見たら……もう……。
冬風が憎い。
彼女にあんな目をさせた冬風が。
殺したい。
後悔させたい。
絶望を味わわせたい。
あの男こそ、生きる価値がない。
それどころか、生きれば生きるほどに害をなす存在だ。
……そうとわかっていたのに。
差し違えても殺すべき男だとわかりきっていたはずなのに。
俺は…………。
「鍛架さま」
「鍛架さまが……友として、わたしをこれからも好いてくださるのであれば」
「兄さまに敵意を向けないでください」
「兄さまを憎まないでください」
「鍛架さまは鍛架さまの手元にある平穏を大切にしてください」
「それがわたしの願いです」
***
どしゃっ
三日月が浮かぶ夜。
暗い山の中にある崖の下で、鍛架は膝をついた。
音一つもない、夜の色に染まりきった木々に囲まれた場所。
側にある岩壁に手をつき、鍛架は荒い呼吸をくり返す。
もう片方の手で押さえている横腹からは、未だに血が滴り落ちている。
流れ落ちる血が、鍛架の足元を汚していく。
「……」
鍛架は己の死を悟っていた。
腹を斬られて、生命を維持するなんて不可能。
良くも悪くも恵まれた体のおかげでまだ生きてはいるが……もうすぐ死ぬ。
腹を斬られた直後に、あの若医者から逃げられたのがなけなしの幸いといったところか。
「………」
若医者が追いかけてくる気配はなかった。
だから、自分はここにいる。
里まで帰るのはもう無理だから、もし、可能なら彼女との思い出が詰まったあの場所に行こうと思ったが……それも無理なようだ。
「………っ」
蝶月達の弔いも出来なかった。
里に情報を持ち帰ることも出来なかった。
なんという失態。
惨途六人衆の一人である上忍が笑わせる。
「……っ……ぅ……」
でも……これでよかったのかもしれない。
そう思ってしまうくらい、すぐに諦めがついてしまうくらい。
自分は……疲れたのかもしれない。
己のやるべきこと、成すべきこと。
何が正しいのか、忍としてどう在るべきなのか。
そういったことを考え続けることに。
鍛架の体がぐらついて前に倒れる。
もう自分の体を支えるほどの力もないのだろう。
体がだんだんと冷たくなっていくのを感じながら、鍛架は霞んでいく景色を見つめる。
(……すまないな、蝶月。麻葱、刺雨……)
俺の愚かな判断が、油断が、お前達の死を無駄にしてしまって……。
(すまないな……咸喪)
お前一人を……残すような形になってしまって。
お前は俺と蝶月より上忍の歴が長くて、俺達よりもずっと強いから……。
大丈夫だとは思うが……。
(………)
信頼していた仲間達の姿が次々と過り、そして最後には彼女の姿が思い浮かぶ。
秋風……密かに想いを寄せていた彼女の姿が。
「……あき、かぜ……」
想い人の名を呟いた途端、静まり返っていた鍛架の中に深い悲しみと後悔の念が込み上げてきた。
何もしてやれなかった。
その一言が、思い浮かぶ。
連れ出そうと思って、でも断られて、会わなくなって、どうすればと悩んでいる間に……秋風は死んだ。
もっといい方法があったのではないのか。
あの時、無理矢理でも連れ出すべきだったのではないか。
自分の行動を見つめ直して、考えた。
悩んだ。
悔やんだ。
………。
………それと。
それと同時に、思った。
どうして、秋風は自分を喰わなかったのだろうか。
男なのに。
捕食対象なのに。
いつでも喰える機会はあった。
男の好意に敏感なら、俺が惹かれていることにも気づいていたはずだ。
秋風に惹かれていた時の自分なら、きっと誘惑に引っかかっていたはず。
まぐわうとまではいかなくても、心を乱し、狂わすことは出来ていたはず。
なのに、何故。
何故……最後の最後まで、何もせず、普通に接してくれたんだ。
惑わそうとも、狂わそうともしてこなかったんだ。
きみにとって俺は、他の男と同じではなかったのか?
不確かな期待は、毒だ。
きみを心休まる場所に連れ出せなかった後悔ときみを守れなかった悲しみは、確かにある。
けど、それとは別に、苦しい疑念がずっと自分の中で渦巻いていた。
こんな気持ちを味わうくらいなら、いっそのこと今まで葬ってきた男達と同じようにしてほしかった。
きみが俺を惑い、狂わせようとしている様子が見えていれば、ここまできみのことを考えて、きみと共に生きたかったなんて。
もう叶いもしない夢を見続けることもなかったのに。
……秋風……。
………秋風の気持ちは、秋風にしかわからない。
死んだら、きみに会えるだろうか。
もし、会えたら何も出来なかったことを謝って、それで……。
それで、……秋風に聞きたい。
どうして俺と……普通に関わってくれたのか。
どうして……俺を……。
俺を……。
………。
(………)
鍛架の意識が暗闇へと沈んでいく。
それに伴って、瞼も静かに、ゆっくりと落ちていく。
だが。
「あ〜……」
聞き覚えのある声が、頭上からした。
その声が鼓膜を通して、鍛架の意識を刺激する。
閉ざされかけた目が、一気に開く。
「夜雲くん、やっちゃったのかぁ。まぁ出来ればって言っちまったからなぁ」
足音と共に声が近づいてくる。
見開いた鍛架の目が、揺れる。
それは戸惑いか、或いは……。
何にせよ、鍛架はまだ死ねなかった。
死ぬわけにはいかなかった。
鎮まりきっていた感情が蘇る。
先ほどとは全く違う、黒くどろどろと煮えたぎった感情が、鍛架の意識を現実に引き戻す。
「鍛架さぁん。生きてるかぁ?」
鍛架はなけなしの力を振り絞って、顔を上げる。
月の青白い光にぼんやりと照らされた声の主の姿が、鍛架の視界に入っていく。
そして、互いの視線が合ったと同時に
「ああ、よかった……。まだ生きてた」
声の主……冬風は、口を三日月にして笑った。
