相異相愛のはてに






予定調和というものがある。



ある物事に対して、ある人物に対して、ある場合に対して、わかりきっており、筋道どおりの結果を得ること。
多少の想定外は些細なことだ。
何があっても、結果は同じ。
問題なく予想通り、事は進む。
それが予定調和。


……惨途忍軍の麻葱と刺雨はもちろん、蝶月もそうだった。
そう思っていた。
長年、惨途忍軍が望んでいた巣隠れ衆の忍法を得るため、少しでもその望みに近づくため、今の巣隠れ衆の上忍の弱みになり得るかもしれないことを握ろうとした。
夜雲が千染の弱みになるかもしれない。
そう見越して。
……それだけではない。
仮に千染が夜雲を見捨てたとしても、独影がいる。
独影と千染が昔馴染みで気心知れた仲なのは、惨途忍軍の者達も知っている。
そして、独影が忍として致命的な身内に対する“思いやり”というものがあることを。
特に千染に対しては、それが強いだろう。
だから、夜雲との関係を知らないはずがないと。
あの殺人鬼の千染が側にいることを許してるであろう貴重な存在である夜雲に何かあれば、独影も黙っていないだろうと。
そうなれば対象を千染から独影に代えて交渉を持ち出すことも出来る。
最悪どっちもだめだったとしても夜雲ほどの医者なら里に住まわせて、その腕を惨途忍軍のために発揮してもらうのも悪い話ではない。
とにもかくにも夜雲を攫うことは決して無駄にはならないのだ。


そして。


夜雲に関してはどうとでも出来ると思っていた。
外出時は帯刀していると、刺雨からの情報で知っていた。
けど、いくら刀を所持してるとはいえ所詮は田舎村の町医者。
医者としての腕は立てど、剣の腕はそれと同等とはいかないだろう。
戦歴のない医者が持っている刀なんて飾りのようなものだ。
上手く抜刀出来れば十分だろう。
百戦錬磨の自分達からしたら、夜雲の相手なんて赤子の手を捻るようなものだ。
だから、蝶月達にとっては予定調和だった。
夜雲に関しては。
予定調和になる………はずだった。




蝶月は何が起きたのか、理解出来なかった。
けど、今は理解せざるを得なかった。
何故なら、もうすぐ自分は死ぬと決まっているから。

身体中が冷たい。
それよりも更に冷たい地面の感触を頬から手からと素肌に直接触れてるところから感じながらも、蝶月は遠退きそうな意識をなんとか繋ぎ止めて、目の前に広がる光景を見ていた。
死体。
視界の片隅に見える二つの死体。
首がないのと、胴体を斜め上にばっさりと斬り捨てられた二人の死体。
麻葱と刺雨。
蝶月の部下達だ。
子犬のように自分に懐いてきて、従順で、普段は忍らしく冷徹で冷酷だというのに、夜伽になると余裕がない感じで初々しくて可愛らしかった二人。
こんなにもあっさり死ぬなんて。
殺されるなんて。
きっと、二人共何が起きたかわからないまま、死んだだろう。
………通常なら。
二人を……可愛い自分の部下達を殺した報復に、嬲り殺しにしているはずなのに。
手を削いで、足も削いで、身体中の皮という皮を削いで、海に放り投げて、激しい痛みに悶えながら惨めに溺れ死ぬよう、手を下しているはずなのに。
それも出来なかった。
否、二人の死に気づく余地すら与えられなかった。
虫の知らせか何か。
あの時、若医者の相手を二人に任せて自分は高みの見物でもしようかと考えていた時、妙な寒気が我が身を襲ってきた。
ぞくりと、身震いするほどに。
そして、直感的に後ろを振り向かないといけないと思った。
だから、振り向いた。
振り向いたら……、



若医者が、すぐ目の前にいた。



会った時と変わらない無表情で、無感情な目で、自分を見ていた。
変わらない……何一つ変わっていないはずなのに、その若医者を見た瞬間、とてつもない悪寒が全身を駆け巡った。
若医者の相手を任せた二人がどうなったかなんて、考える余裕もなかった。
反射的に得物を取り出そうとした。
一旦距離をとろうともした。
けど……、そうする間もなく。


鋭い音と共に、視界が反転した。


初めは体の一部が焼けるように熱くて、鼻をつくほどの血の濃い臭いがした。
けど、今は何も感じない。
ただ無慈悲な冷たさだけが、身体中に広がっていく。


(こんな……はず、じゃ……)


忍とは、いつ死んでもおかしくない存在。
いつ死んでも構わない存在。
とはいえ。
いくらそのような存在であっても、今日死ぬか死なないかくらいの想像くらいは出来る。
特に今日は、“そのはずではなかった”。
死に目に会うほどのこととは誰も思っていなかった。
ただ千染と関わりがある若医者を攫うだけだった。
仕事とまで言わないほどの簡単な作業をする。
そんな感覚だった。
なのに……。 


頭上から鉄と鉄の弾ける音がする。
きっと、鍛架だ。
若医者に接触してみると提案したのは自分達で、鍛架はあくまで付き添いみたいな形だったのに……。
巻き込んでしまった……いや、むしろなんで出てきたのか。
鍛架は自分達と違って隠れていたのだから、そのまま引き下がればよかったのに。
逃げるべきだったのに。
肝心なところで、頭の悪い男だ。
…………いや。


(鍛架らしい、……か……)


何にせよ。
最終的に鍛架が若医者を殺すか、なんとか逃げきるかしてくれればいい。
………咸喪。
麻葱と刺雨、そして自分の死を聞いたら……咸喪はどんな反応をするだろうか。
浅はかな行動だって、もっと慎重になれと何度も言ってきたのにとか言って、鼻で笑うだろうか。
……そうだといいのだけれど。


(………無月……)


無月……、無月。
鍛架、咸喪に続いて、蝶月の頭に浮かんだのは弟の姿。
病弱で月に一度、二度程度しか仕事に出れない弟。
気弱で、肌に触れて溶ける綿雪のように儚げな弟。
可愛い、可愛い、たった一人の弟。


(無月……)


蝶月は弟の名を呼ぶ。
何度も、何度も。
呼ぶにつれて、目から冷たいものが流れ出るのを感じる。


(ごめんね……ごめんねぇ……)


今日もいつものように帰ってくるはずだったのに。
帰って、部屋で書物を読んでいる無月の元に押しかけて、たくさんお喋りをするはずだったのに。


もう、出来ない。

帰れない。

喋れない。

無月に……もう会えない。

無月にもう、何も言えない。

最期の言葉さえ……。


(ごめんねぇ……無月……)


結局、無月に何もしてやれなかった。
ただ話し相手をすることしか出来なかった。
ついつい好みの男にちょっかいかけてしまって、それが発覚する度に困った顔をさせたり。
好みの男のことになるとつい熱弁してしまって、怒らせたり、拗ねさせたりしてしまって。
もっと別の面白い話が聞きたかっただろうに。
………そう考えると、ちゃんと話し相手になれていたのかすら疑問に思うけど。
とにかく、もっともっと無月と話して、無月と向き合えばよかったと……思う。
思ってしまう。
無月……。
………ごめんね。
鍛架と咸喪がいるからきっと、大丈夫だと思うけど……。
どうか……、わたしよりも長く生きて……。
わたしみたいに……馬鹿な死に方をしないでね……。
無月……ごめんね……。
………こんな間抜けな姉だったけど……わたしの弟に生まれてくれて……、


「……あり……がと……」


血まみれの口から、掠れた声がもれる。
そして、それを境に蝶月はぴくりとも動かなくなった。
思考も、感情も、全て。





















ガキンッ



迫りくる刃を鉛で作られたぶ厚い手甲で弾き返す。
惨途忍軍の証である紋章が印された忍装束を纏った大柄な男・鍛架は、相手と距離をとり、いつになく余裕のない目でその相手を見ていた。
その相手とは、言わずもがな若医者。
自分達……というより、蝶月達が攫おうとしていた相手だ。
若医者はきっちりと着込んだ薄い灰色の着物を、血飛沫の模様に赤く汚し、悠然と佇んでこちらを見ている。
ずっと変わらぬ無表情で見つめている。


なんなんだ。

なんなんだ、こいつは。


鍛架は気丈に落ち着いた様子を保ちながらも、内心は揺れ惑っていた。
こうなるはずではなかった。
でも今、こうなっている。
想定外だった若医者の……夜雲の強さ。
とても素人の、戦歴なしの者とは思えないほどの太刀筋。
速さにしろ、的確性にしろ、全てが玄人の動きだった。
いや、下手したらそれ以上に……。
でないと、蝶月達がこんなあっさり殺られるはずがない。
幾多の場数を踏んできた蝶月達が……。
惨途六人衆の一人である蝶月が……。

この場合だと、姿を現さずに一旦引いて里に情報を伝えるのが賢明な判断だった。
自分のやるべきことだった。
けど、出てしまった。
思わず、出てしまった。
若医者を殺さねばと、本能で反応してしまって。
若医者を殺したところで、もう間に合わないというのに…。


鍛架は考えていた。
出てしまった以上仕方ないとはいえ、未だに夜雲を仕留めることが出来ないでいる。
それもそうだ。
太刀捌きもだが、隙もない。
更には、こちらの攻撃を受け流す動作にも優れている。
力だと確実にこちらが上なのだが、その力を相手にまともにぶつけれない以上、無意味だ。
夜雲を殺せない。
そして、幸いなことにまだ深手を負わされてない。
ならば、ここは退避するのが賢いというもの。
逃げるくらいならまだ間に合う。
感情を殺しに殺し、鍛架は冷静に判断する。
後は夜雲がどう出るか。
……夜雲から、殺意も何も感じないから予想しづらい。
このまま、後ろに飛び退いて、里まで駆け抜けれそうな気もするが……。
と、鍛架が足に力を入れかけた時だった。



「かじか」



突然、夜雲が名前を呼んできた。
鍛架は思わず反応して踏み留まる。
意識が夜雲に向く。
全く変わることのない無表情で、こちらを見ている夜雲。
今ここにいるのは自分と夜雲の二人だ。
となれば、先ほどの声は夜雲しかいない。
だとしても、この若医者がどうして自分の名前を知っているのか。
蝶月達は夜雲の前で自分の名前を出していなかった。
仮に出していたとしても、自分が鍛架だとわかるわけない。
夜雲とは初対面だ。
さっき互いを見たばかりだ。
夜雲のことを探っていたこちらはまだしも、自分達のことを知るわけもない夜雲がどうして……。


「……鍛架さん、ですよね?」


鍛架の動揺なんてつゆ知らずと言わんばかりに、夜雲は続け様に問う。
それに対して、鍛架は何も答えない。
どう答えるべきかも、わからなかったからだ。
仮に夜雲が自分のことを知っていたとしても、いつ知ったのか、そして何を考えて何を目的にして、自分の名前を呼んだのかわからない。
読めない。
だから、このまま黙って去るべきかと鍛架がそう判断しかけた時。


「……冬風さん」


夜雲の口から出た名前に、鍛架は目を見開いた。
思考が止まる。
いや、正確には奪われる。
夜雲が呟くようにもらした名前に。
冬風。
ふゆかぜ。
知っている……知らないわけがない。
忘れもしない、憎きあの男の名前。
あいつが、あいつさえいなければ……。
秋風はーーーー……。



過去の記憶。
とあるきっかけで、何度も会って、何度も見てきた彼女の横顔。
見事に咲き誇る花のように美しい彼女の横顔。
時折見せる幼い少女のような表情が、愛しくて。
それが、その表情が、嘘とは思えなくて。
本当は。
本当は“あんなこと”をしたくないのではないかと。
ささやかな幸せに包まれて生きたいのではないのかと。
そう思って。
だから、自分に出来ることがあれば。
きみを守ることが出来れば。
側で支えることが出来ればと、そう願って。
きみを連れ出したかった。
共に逃げようと、里も忍という役目も捨ててどこか遠くへ行こうと、言って。
一人にしない、自分も一緒にいると、彼女に言って。
けど。



ーーーーごめんなさい、鍛架さん。

ーーーーわたし、兄さまを愛してるの。

ーーーー兄さまから離れたくないの。

ーーーーだから、ごめんなさい。



彼女はそれからいくつかの言葉を残して、自分の手から離れて、去っていった。
彼女の言葉が何を意味しているのか。
その時の彼女の目を見て、わかった。
察して、理解してしまった。
……だから。
だから、冬風が許せなかった。
許せなくて、許せなくて。
憎くて、憎くて。
何度この手で殺してやりたいと思ったか。
彼女の気持ちを思い知らせた上で絶望の底に叩きつけたいと思ったか。
彼女の死を知った時、その気持ちはより一層膨らんだ。
けど、彼女に誠実で在りたかったから。
彼女の願いを無視するようなことをしたくなかったから……。
でも、ああ……。
嗚呼……。
彼女の言葉がなければ例え我が軍との繋がりがある忍であろうと、すぐに殺しにかかれたのに。
冬風……くそ……。
冬風………!




「憎いんです?」




前から聞こえた声に、鍛架はハッとした。
意識が現実に戻る。
呆然としたように視線を上げて、その先にいる夜雲を見る。


「すごい目をしてましたよ」


もはやここまでくると不気味とも言える感情の一切浮かばない表情で、夜雲は鍛架を見据えて言う。
鍛架は何も答えれず、若干の戸惑いの色が覗く表情で夜雲を見る。


「………そう、なるほど。そういうわけですか」


鍛架から何か言われたわけでもないのに、夜雲は一人で納得するように呟く。


「冬風さんがあなただけ殺さないでくれと言ってきた理由が、なんとなくわかりました」


夜雲の発言に、鍛架は目を見開く。
そして、察する。
こいつは自分達に会う前に冬風と接触していたのかと。
正確には、冬風が夜雲に。
驚きと怒り、困惑と様々な感情が一気に込み上げてきて、ぐちゃぐちゃになって、鍛架の頭が混乱してしまう。
その隙を見計らったかのように。


「でも」

「!」


鍛架が瞬きをした瞬間、夜雲が目の前にいた。
音もなく、間合いを詰めてきた。


「出来ればの話でしたし」


鍛架はすぐに後ろに飛び退こうとする。
同時に守りの体勢にも入ろうとする。



だが、それよりも速く。



「あの人のお願いを聞く義理もないので」



夜雲の刀が、鍛架の横っ腹を斬った。






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