相異相愛のはてに
昼下がり。
小春城が構えられている城下町で、仕事を終えた夜雲は武家屋敷の門前で見送りに出てきた家の主とその娘に頭を下げていた。
踵を返し、静かな足取りで市に向かう。
城下町は今日も今日とて、人で賑わっている。
年配の女性達が井戸前で世間話に花を咲かせ、町娘は町人の男、振売等がそこらかしこを行き交っている。
どこか忙しなさもある辺り、近々ある祭りの準備をしているのだろう。
(………)
明後日の夜。
千染と一緒にここに来ると思うと、自然と胸が浮き立つような気持ちになる。
自分が今確かに感じていることを確認するように、夜雲は自身の胸に手をそえる。
とくん、とくん、と心臓が脈を打っているのが、服越しに感じる。
しばらくしてそっと手を離し、今日買っておきたいものを買うべく、市がある方へと足を向ける。
と、その時。
「や〜くもくんっ」
「………」
後ろから突然声がしたかと思いきや、首に腕を回され、夜雲は立ち止まる。
驚く様子なんて一切なく、むしろ無表情がより一層無表情になっていると思えるほど無な状態になる夜雲。
軽薄そうな声。
覚えのある甘い香り。
夜雲は無の感情のまま、目だけを横に向ける。
すると、向けた視線の先には……こちらを見てへらっと笑っている永和がいた。
「永和さん……」
「やぁ〜。今日も仕事?それとも祭りの下見に来たのかな?」
永和は夜雲から離れて、いつもの軽い口調で聞く。
そんな永和をよそに、夜雲は彼の周りを見回す。
「……今日は女性を連れていないのですね」
珍しいと言わんばかりに、夜雲は呟く。
それに対して、永和は「あー」と気だるげな声を出しながら、両手を後ろ頭に回すと
「うん。ま〜これからね。御前試合があってさぁ」
永和の口から出た“御前試合”という言葉に、夜雲は少しだけ反応する。
「祭りが近いからやらなくていーじゃん、まだ先でいーじゃんって言ったのに、山吹さま全然聞いてくれなくてさ〜」
ぷぅと永和は頬を膨らませて不満げにする。
山吹(やまぶき)とは、小春城の城主だ。
豪快で気前のいい五十代半ばの男性であり、城主なだけあって統率力が高い。
加えて、経済能力や交渉力も高く、小春城周りが栄えているのも彼の能力があってこそと言えるだろう。
これだけ言えば人柄と能力に優れたいい城主に見えるのだが、どんな優れた人間にも欠点というものはあるわけで……。
山吹はわりと思いつきで急な祭り事や行事を始めると決めて、家臣達を振り回すことがあった。
今回の御前試合もそうだ。
昨日の夜突然決まったのである。
「あ〜もう放っといてかわいこちゃん達のとこ行こっかな〜。どうせ俺が優勝することになるし〜」
「……永和さん、太刀筋だけは群を抜いていますよね」
「だけは余計だよ。てか、しれっと俺の質問無視しないでよ夜雲くん。きみは仕事でここに来たのか、好きな子と一緒に来る祭りの下見に来たのか、俺は聞いてんだけどぉ?」
「……」
頬をつんつん、ぷにぷにと人差し指で突いてくる永和に、夜雲は依然と無表情でありながらも、どこか鬱陶しそうな雰囲気を曝け出す。
しかも質問の内容がちゃっかり付け加えてられている辺り、永和が一番聞きたいのはそのことだろう。
……確かに好きな人と祭りに来る予定はある。
「仕事ですよ」
だが、下見に来たわけではないので、夜雲は永和が提示した一つの可能性をしれっと消す。
夜雲の返答を聞いた永和は、「ふーん」と納得したような反応をしながらも少しつまらなさそうにした。
「でもせっかくだから、今度の祭り前言ってた好きな子と一緒に来たらぁ?」
単純な厚意ももちろんあるが、それより大きくあるのは夜雲の好きな人を見てみたいという好奇心。
だってあの夜雲がだ。
廓に何度誘っても可愛い子や美人を紹介しても、全く興味も関心も示さなかった夜雲の心を射止めたお相手。
気にならないわけがない。
しかもそれが男ときたら余計に。
とはいえ、何かきっかけがない限り夜雲がその相手を連れてきそうにもないので、今回の祭りは絶好の機会なのではないかと。
そう思った上での発言だった。
まぁでも夜雲のことだから生返事で終わらせてきそうではあるが。
なんとなく今までの夜雲とのやり取りを思い出しながら、永和は期待半分どころか期待一割で夜雲の返事を待っていたが。
「来ますよ」
「はぇ?」
「彼と。祭り」
「……」
曖昧どころかしっかりはっきりした夜雲の返答に、永和は思わずぽかんとした。
一方で、夜雲は永和の方に体を向けると
「御前試合」
「へ?」
「ぼくも見たいです。少しだけで構いませんので、見に行ってもいいですか?」
これまた意外な夜雲の申し出に、永和は目を何度も大きくぱちくりとさせる。
今までこんなこと言ってきたことなかったのに。
一体今日の夜雲はどうしたのか。
機嫌でもいいのか?何かいいことあったのか?と永和が疑問という疑問を浮かべていると。
「だめですか?」
夜雲の声にハッとなる。
意識が現実に戻り、戸惑いが隠せないながらにも夜雲に向かって軽い笑みを浮かべると
「いやっ。だめなことないよ。夜雲くんならむしろ歓迎すると思うよ、山吹さま。いい席用意してくれるかもね」
「………」
「それなら一緒に城に行こうか。夜雲くんが見てくれるなら、俺も久々に頑張っちゃおうかな〜なんて」
そう言って、永和は城に向かって歩き出す。
先に行く永和の背中を見て、夜雲はその後に続く。
「いやぁしかし夜雲くんが武芸に興味あったなんてねぇ。よかったらちょっとだけ太刀の振り方教えようか?」
「いえ、お構いなく。振り方くらいは知ってるので」
「そう?まぁもし軽くでも剣技身につけたかったら声かけてよ〜。夜雲くんにならただで教えてあげるからさぁ」
「……ありがとうございます。でも大丈夫ですので」
夜雲は一旦口を閉じる。
そして、
「見るだけで……」
と、永和の耳に届かないような声で呟いた。
二人……というより、永和がほぼ一方的に喋りながら、二人は城へと向かっていく。
時折声をかけてくる町娘や商人に、永和が適当な反応を返す。
行き交う人々の間を通り過ぎ、二人は城の門に続く橋に足を踏み入れる。
橋には城から町に向かう役人と荷物を持って城に向かう運び屋、欄干で何気ない話をしている町娘二人とその反対側で誰かと待ち合わせしているような様子の旅人らしき風貌の男が一人。
よくある景色を永和はもちろん夜雲も気にすることはまずなく、そのまま歩いて城の門へと向かっていく。
だが、二人が橋の後半にかかったところで、旅人の風貌をした男が被ってる笠を少し上げて、二人の方に目を向けた。
夕暮れ。
夜雲は見送りに来た永和ともう一人の中背でつり目の三十代後半くらいの男と共に、城の門の外へと出ていた。
「今日はありがとうございました。急な見物の申し出にも関わらず、快く承諾してくださいまして……」
後ろにいる二人の方を振り返り、夜雲は頭を下げてお礼を言う。
「いえ、夜雲どのには何度もお世話になっていますから当然のことですよ」
つり目の男が優しい口調で言う。
「そうそう〜。むしろ夜雲くんはもうちょっと我儘言ってもいいと思うよ?いつも仕事真面目にこなしてんだから〜」
隣にいた永和も便乗するように言う。
対して夜雲は何か言うわけでもなく、二人をじっと見る。
「お前はもう少し我儘と女遊びを控えてほしいところなんだがな」
すかさずつり目の男が永和に鋭い指摘を投げつける。 それに対して、永和は鬱陶しそうな顔をしながら男を見ると
「え〜別にいいじゃん。やるべきことはやってんだからぁ」
「たまにさぼっているだろう。あと、いい加減言葉遣いを正せ。剣の腕があるからまだ許してもらえているが、何もない無能だったら城から追い出してるところだぞ」
「はいはいごめんなさい申し訳ありませんでしたぁ。刹凪さんの言ってることがぜぇんぶ正しいで〜す」
刹凪(せつな)と呼ばれた男は、とても誠実とはいえない永和の態度に顔を引き攣らせて静かな怒りを露にする。
その空気を感じ取ってかどうかは知らないが、それとほぼ同時に夜雲は刹凪の方に目を向けた。
「刹凪さん」
「ん?あ、ああ。すみません、お見苦しいところを……」
「いえ。それより刹凪さん……しばらく見ない間に剣の腕がすごく上がっていたのですね」
「え?」
「永和さんの木刀を何度も受け止めて更には一本入れた人……初めて見ました」
夜雲の発言に、永和は眉間に皺を寄せ、ぎっと悔しそうな表情をする。
その一方で、刹凪は夜雲からの思わぬ褒め言葉に少し驚きつつも、照れくさそうに頬を人差し指で掻いて笑った。
「ははは……いやぁ、剣の腕が上がったと言っても結局負けてますし、わたしの場合守りばかり上達して攻めがまだ永和ほどではありませんから……」
「守り……」
刹凪の言葉の一部を復唱するように、夜雲は呟く。
「ですが、夜雲どのにそう言ってもらえて嬉しい限りです。ありがとうございます。これからも精進いたします」
謙遜しつつも夜雲に褒められたことを純粋に嬉しく思った刹凪は、素直な言葉を返した。
朗らかな笑顔を見せる刹凪を隣に、永和は心底つまらなさそうな顔をする。
永和のその様子に気づいたのか、刹凪を見ていた夜雲は今度は彼の方に目を向ける。
そして、
「永和さん」
「ん?」
夜雲に名前を呼ばれた永和は、すぐに顔つきを戻していつもと変わらぬ感じに反応を返す。
さすがに年下の夜雲に大人げない態度はとらないようにしようと思ってのことだろう。
長年、関わる男性ほぼ全員年上だった上に女にもて囃されて更には剣の実力もあったため、わりと我儘放題してきた永和でも、そこの分別はできるくらい大人にはなった……はずだったのだが。
「優勝おめでとうございます。でもこのままだと次の春か夏くらいには刹凪さんに負けるかもしれませんね」
「んごーーーっ!!?優勝おめでとうございますだけでいいんだよそこはあぁあああああっ!!!!」
夜雲の容赦ない発言に、思わず声を荒げてしまった。
「夜雲くん……!今日はね、たまたまだったんだよ!たまたま!実は俺あの時ちょっとお腹痛くてね……!」
「昼に団子を六本むしゃむしゃ食ってたやつが何を言っておるんだ……!!」
「あーそれそれ!食べた団子が当たっちゃって……!」
「当たっているような顔色ではありませんでしたし、他の方も体調崩してる様子ありませんでしたから大丈夫ですよ」
「あ!」
そういえばこの子医者……!
いつもの無表情で冷静に言い返してきた夜雲を見て、永和は彼の本業を思い出して愕然とした。
「永和……言い訳はみっともないだけだぞ」
口を大きく開けて固まっている永和に、刹凪は呆れ口調で言う。
刹凪の痛い指摘を受けて我に返った永和は、ぎぎぎと悔しそうに歯ぎしりする。
「だってだって刹凪さんがまさか俺の連撃防ぎきるなんて思ってもいなかったし……。堅物で奥手の女っ気ない刹凪さんなんかに……、女の人前にしたらすーぐたじたじになるくせ……むぎゅうっ!?」
「聞こえてるぞ、このすけこましの我儘ぼうずが……」
刹凪に一泡吹かされたのがいまいち納得いかないのか、ぶちぶちと文句を言っていた永和だったが、それがしっかりと耳に入っていた刹凪に思いきり頬をつねられた。
「大体お前が度々稽古をさぼるのがいけないのだろう。一本でもとられたくないのなら、ちゃんと稽古に出ろ。今回は己の怠慢が招いたことだと思え」
「う〜〜、わざわざ夜雲くんの前で説教たれなくてもいいじゃないかぁ……!!」
「何を言う。むしろ夜雲どのの前だから言っているのだが?」
「は!?」
「でないとお前、すぐ開き直っておなご達のところへ行くからな」
「………」
永和は何も言い返せなかった。
その通りだったから。
逆に言えば、夜雲の前だと多少なり意識が違うのだろう。
町で夜雲を見かけると声をかけるくらいだから、可愛い弟分、くらいに思っているのかもしれない。
実際に夜雲に対するのと、刹凪に対するのでは、振る舞いが違う。
夜雲の前では軽い雰囲気のあるお兄さんという感じだが、刹凪の前では生意気な弟といった感じだ。
刹凪を睨むように見ていた永和だったが、次の瞬間にはふぅと息を吐いて落ち着きを取り戻す。
「ふん、そうやって偉そうにしてられるのも今のうちさ。次は振らせる間もなく完全勝利するから」
先ほどまでとは一変し、威圧的な態度で永和は刹凪に向かって言う。
それに対して刹凪は、
「ほぉ、それは楽しみだな。だが、生憎わたしは怠け者に簡単に負けてやるほど優しくないからな。それだけは覚えておけ」
と、永和に負けないくらいの威圧感と鋭い眼光を放って言い返した。
二人の間に見えぬ火花が散る。
互いを睨んでいる二人を、夜雲は黙って見る。
静観する。
何の感情も宿さない藤色の瞳で。
程なくして、その目を永和に向ける。
そして、
「永和さん」
「ん?」
「よかったですね」
「へ?」
「張り合える相手が出来て」
急に夜雲に話しかけられ、思わずきょとんとしてしまった永和だが、次に出てきた言葉にぎょっとしたような顔をした。
「え、は!?違うよ夜雲くん!今回は本っ当にたまたまだから!色んな偶然が重なりに重なって俺から運良く一本とれただけだから!刹凪さんが!」
刹凪を指差し、焦ったように訂正を呼びかける永和。
そんな永和を横目に、刹凪はこいつは……と言わんばかりの呆れと苛立ちが混じった表情をする。
「いつか永和さんの一強が、永和さんと刹凪さんの二強になるかもしれませんね」
「だから違うって〜!これからもずっと俺が最強だからぁ!次の御前試合、夜雲くんに招待の文送るから見に来てよね!夜雲くんの能面顔が崩れ落ちるくらいのすんごい剣技みせてあげるから!」
「はい。時間があれば」
「……夜雲どの。殿が待っております故、わたし達はこれで」
これ以上話を続けたら永和が余計に余計なことを言いかねないと判断した刹凪は、半ば強引に話を切り上げる。
刹凪の言葉に反応した夜雲は、彼の方に顔を向ける。
「はい。今日はいい試合を見せていただき、ありがとうございました」
いつもの感情のない声でそう言って、夜雲は頭を下げる。
夜雲に合わせて刹凪も頭を下げると、優しい笑みを浮かべて彼を見る。
「またお時間があれば是非遊びに来てください。夜雲どのなら、いつでも歓迎です」
「はい。また……いつか」
「気をつけて帰ってね〜」
踵を半歩返したところで、気遣いの言葉をかけてくれた永和に頭を小さく下げると、夜雲は二人に背を向ける。
そして、橋に向かって歩き出す夜雲。
その背中を見て、刹凪と永和も反対方向を向いて門の中へと歩き出す。
夜雲と二人の距離が開けていく。
橋に向かって歩いていた夜雲だったが、そのすぐ前に来たところで足をぴたりと止める。
生ぬるい風がさぁと吹き、癖のある灰色がかった白髮を小さく揺らしながら、静かに、ゆっくりと後ろを向く。
閉じかけている門が、夜雲の目に入る。
そして、その間からは城内に戻っている永和と刹凪の姿が。
刹凪に噛みつくような勢いで文句を言っているような様子の永和と、鋭い目つきで気丈に言い返している様子の刹凪。
年も性格も違う二人。
だけど、対等に見える二人。
いや、もう対等なのかもしれない。
二人を夜雲は見続ける。
じっと。
いつもの無感情な目で。
門が閉まっていく。
二人の姿が門に挟まれて、細くなっていく。
遠くなっていく。
そして、門の閉まる重々しい音と共に、二人の姿は見えなくなった。
茜がかった空の下。
市で買い物を済ませた夜雲は、城下町の出入口である門へ向かっていた。
行き交う人々の間を通り抜け、静かな足取りで歩いていく。
先を、ただ先を見つめる藤色の瞳。
今、夜雲が何を思っているのか。
「あ、夜雲さま。夜雲さまーっ」
途中で。
横から名前を呼ぶ声が聞こえて、夜雲は立ち止まる。
そして、声が聞こえた方を振り返ると、そこにはこちらに向かって小走りで近づいてきている……廓の花形・美宵がいた。
以前、永和と一緒に歩いていた女性だ。
「ああ、よかった。もう帰られたのかと思いました」
夜雲の近くまでくると、美宵は安心したように笑う。
「どうかされましたか?」
夜雲は問う。
病気或いは怪我人でも出たのかと思い。
だが。
「あ、いえ。急を要する話ではないのですけど、先ほどまで旅の方と夜雲さまの話をしていまして……」
そう言いながら、美宵は後ろを向く。
それと同時に、美宵の後ろから一つの影が近づいてくる。
その影に気づいて、夜雲は視線を美宵からそちらの方に移す。
「この方もこれから花咲村に向かうようでして、もう暗くなりますし……」
美宵の言葉と共に後ろにいた影は、かぶっていた笠を外す。
笠の影で見えなかった顔が、茜色の光に照らされて露になる。
その顔を、夜雲は見つめる。
初めて見る顔を。
「殿方お二人で向かわれた方が、より安全ではないかと思いまして」
そう言って華やかさのある美しい顔で微笑む美宵をよそに、夜雲は何も言わずに旅人を見つめ続ける。
笠を外した旅人の暗めの白群色の髪が、吹いてきた風によってふわりと揺れる。
口元は緩く弧を描いており、纏う雰囲気も柔らかな感じではあったが……それら全てを否定するかのように目が冷たかった。
凍えるような冷たい目をしていた。
夜雲を見ていたその旅人の男は、目を細めて更に笑う。
「あなたが夜雲さんですね。噂はかねがね聞いております」
男の口から優しい声が出る。
撫で上げるような優しい声が。
夜雲は反応らしい反応も返さず、ただじっとその男を見つめる。
「一度話してみたかったんです。類稀な天才と謳われている若医者さまがどんな人なのか……」
男も夜雲の目から決して目を逸らさず、彼を真っ直ぐ見つめる。
そして、
「ここでお会いしたのも何かのご縁……。是非、花咲村までご一緒しましょう」
そう言って男は愛想良くにこりと笑った。
鋭い犬歯をちらりと覗かせて……。