相異相愛のはてに
“惨途忍軍”。
遠江国を中心に東側で活動している忍衆。
活動範囲と構成員数、総合的な実力は、伊賀・甲賀・風魔に次ぐ。
そして、とあるきっかけがあって、初代巣隠れ衆の忍頭と当時の惨途忍軍の忍頭が関わり、繋がるようになり、今もこうしてたまに協力し合っている。
が……だからといって、仲が良いわけではない。
初代と昔の先代達がどうだったかは知らないが、少なくとも今の巣隠れ衆と惨途忍軍の仲は決して良くない。
今現在、ぼんやりとした朝日の差す山の中で向かい合って互いを見ている独影と芙雪、そして惨途忍軍の三人の雰囲気からして一目瞭然だ。
「……あのぉ」
重々しい空気が漂う中、独影は話を切り出す。
「確認ですけど……鍛架さん達は、たまたまここを通りかかったのですが?それとも……」
三人が自分達の前に姿を現した理由を察しながらも、念は念のためと一応聞く。
万が一、本当にたまたまかもしれないから。
たまたま任務でここらへんを通りかかって、たまたま自分達を見かけて、茶々入れに来たのかもしれない。
むしろそうであってほしい。
独影はそう願った。
だが。
「いいえ?あなた達にお願いした文を回収しにきたのよ」
答えたのは、女だった。
案の定と言えばいいのか。
とにかく独影のなけなしの望みが潰えたのは確かだ。
独影は若干げんなりとしつつも、懐に入れていた文を取り出して、真ん中にいる屈強な体格の男に投げる。
真っ直ぐ飛んできた文を、男は人差し指と中指で挟んで難なく受け取る。
「落合場所も、文を受け取りに来る人数も……依頼に書いていたのとは違うんですけど」
呆れ混じりの口調で指摘をする独影の隣で、芙雪は気難しい表情をすると、腕を組んで三人から体ごと顔を背ける。
話したくないのだろう。
完全な拒絶の姿勢だ。
芙雪のその態度に、屈強な男の隣にいる女は鼻で小さく笑う。
「場所が違おうが人数が違おうが、我々惨途の者が受け取りに来たのだから問題ないであろう」
屈強な男が威圧的な声で言い返す。
地を静かに震わせるような声だ。
ただの平忍者が聞いたらその重圧感に、恐れをなしていただろう。
けど、そこはさすが上忍と言ったところか。
独影は至って平然とした様子で、屈強な男を見る。
それはそうですけどぉ、あなた達と顔を合わせると嫌な予感しかしないんですよぉ、と軽口を叩きたいところだったが、敢えて黙っておくことにした。
「そうそう。ついでに上忍同士、込み入った話もしたくてね」
屈強な男に続いて女が言う。
男心をくすぐるような色っぽい声だ。
「はぁ……込み入った話、ですか」
「も〜、独影くんったらそんな警戒しないで。取って食うわけじゃないんだから」
女は独影に愛想たっぷりの笑顔を向ける。
横にいる男二人よりは取っつきやすい雰囲気のある女だが、女の性格を知っている独影は、絆されることなく若干面倒くさそうな目つきをして女を見る。
込み入った話って、どう考えても“あれ”のことだろと今すぐ帰りたい気持ちになる。
と、同時にほんの一瞬だけ意識を空に向けた。
「早速だけど、『惨途忍軍・巣隠れ衆、統合の案』。あれ、独影くん達は正直どう思った?」
女が問う。
その単語を聞いた独影は、やっぱりかと心の中でげんなりとしたように呟いた。
「どう思うも何も……うちの頭が断って終わった話じゃないですか」
「そうだけど、一応個人の意見も聞いておきたいでしょ?」
「……芙雪」
「わたしに振るな」
「………」
芙雪に話を投げようとしたが、当然の如く拒絶され、諦めたように小さなため息をついた。
「で、独影くんはどう思う?」
女も女で芙雪を無視するように、独影に声をかける。
独影は屈強な男とくるりとした前髪が特徴的な美青年をちらりと見た後、腹をくくるように軽く目を閉じる。
そして、再び目を開いて女を見ると
「どうと言われましても……さっきと変わりませんよ。櫻世さまがその案を断ったのなら、それまでです。特に何かしら思うことなんてないですよ」
丁寧な口調でありながらも、少し気だるげな様子で独影は返答する。
それを聞いた女は、ふぅんと言って目を細める。
「でも、あなた達仕事が減っているんでしょ?」
今の巣隠れ衆が抱えてるであろう問題を、女はすかさず取り上げる。
「まぁ当然よね。お抱えの城も主もいないし、戦も年々少なくなっていっているのだから……。多分この流れだと、今勢力がある誰かが天下取る日も近いかしら。そうとなれば今のような戦はなくなって、いよいよあなた達への仕事の依頼がなくなるんじゃない?」
巣隠れ衆の現状と今後のことを鋭く突かれる。
が、独影は依然とした様子で女を見る。
「仕事がなくなれば金が入ってこない。金が入ってこなければ、飯が食えない。行きつく果ては飢え死にか……賊に成り下がるか」
巣隠れ衆の行く末を暗示するかのように、風に吹かれた木々が不気味にざわめく。
が、それでも独影も芙雪も、顔色一つ変えずに女の話を聞いた。
「そうならないために」
ぱんっ、と重々しい空気を振り払うかのように、軽やかな音が聞こえる。
女が両手を叩いたのだ。
「うちと統合して、共に安心安定な将来を迎えようってうちの頭は言っているわけなの」
女は愛想良く笑って、人当たりの良い声で善意的なこと言う。
が、それでも独影と芙雪の様子は変わらなかった。
ただ静かに耳だけを貸す。
一貫してそうだった……のだが。
「だけど……櫻世さんにはそれが伝わらなかったみたいね。とても残念だわ。……部下のことを考えたら、普通は承諾するはずなのだけれど」
最後辺りの鼻で嘲笑うような女の声に、芙雪の纏う空気がちり……と焦げついた。
櫻世を見下してるような言い方が癇に障ったのだろう。
その気配を感じ取った独影は、すかさず口を開く。
「まぁ櫻世さまは櫻世さまで何か考えがあるのでしょう。それよりも……、他里のことをそこまで心配してくださるなんて惨途忍軍の方々は随分と心優しいのですねぇ」
嫌みを含みつつ、今度は独影が遠回しに鋭いところを突く。
親切過ぎて却って怪しいと。
むしろこちらが承諾しないと何か不都合があると言っているようなものだと。
そういった意味を込めて言い放つ。
その意を読み取ったかどうかはわからないが、女はにこりと笑う。
「長い付き合いのある里だもの。当然じゃない」
女はそれらしい返答だけをする。
他に何か言いそうな気配はない。
あくまで純粋な善意だと貫くつもりか。
そう悟った独影は、何度目かの小さなため息をつく。
「それはどうもありがとうございます。けど……まぁあくまで俺個人の話ですけど」
独影な女を含めた三人を見据える。
そして、
「外の誰かが天下を取って、世が平和になって、いよいようちに仕事が来なくなったら……俺は里を抜けるつもりでいますよ」
独影のその発言に女と屈強な男だけでなく、隣にいた芙雪も驚いた顔をして彼を見た。
一時の間が空く。
目を大きくして独影を見ていた女だったが、次の瞬間には元の艶のある笑みに戻る。
「あら。まさかここで抜け忍宣言を聞くなんてね」
「まぁ仕事がなかったらいる意味ないですから。このことは櫻世さまにも伝えています」
「ふぅん……」
平常とした態度に戻る女と屈強な男とは逆に、芙雪は未だに動揺した様子で独影を見る。
そんな芙雪をよそに、女と独影は話を続ける。
「つまり、独影くんは里を抜けて一人であてどなく生きていく……ってことかな?」
「そうですね。あちらこちらとぶらり一人旅でもしようかと思っていますよ」
「そぉ……。でも、そうするにしたって今のお賃金じゃ心もとなくない?」
女と独影の会話は続く……というより、女が止まらないようにしていると言えばいいのか。
「一人旅するにしても、ある程度の蓄えがあったら安心でしょ?」
「……」
「だったら、一時的にうちに来るのもありじゃないかしら?うちだとちょっとした簡単な任務でもそれなりの報酬があるし、独影くんほどの優秀な忍だったら短期間で大きな金を得れる任務につけれると思うわ」
「………」
「どう?なかなかいい提案だと思うけど」
「……それって、夢絶さんが認めてくれるんですか?」
独影の口からは出た夢絶(むぜつ)とは、惨途忍軍の今の忍頭である。
彼についてはまた後ほど語られるであろう。
「独影くんは特別よぉ。わたしが夢絶さまに頼み込んで、承諾をもらうわ」
女はにっこりと笑って、甘い声で変動する。
「別に完全にうちんとこに移るわけじゃないし、気軽に手軽に金稼ぎが出来ていいと思うわよ?」
独影にとってはとても好都合と言える条件。
それを述べて、女は独影の返事を待つ。
好意的に。
………だが。
「確かに、それはいい話ですねぇ」
「でしょ?」
「でもやっぱり断ります」
「あら、どうして?」
「ん〜、そうですねぇ」
独影は腕を組んで考える素振りを見せる。
そして、再び女を見るなり困ったように笑うと
「うちの忍法をよそに継がせるわけにはいかないんでぇ」
と、断った理由を言った。
その瞬間、好意的だった女の雰囲気ががらりと変わる。
笑みは変わらず浮かべているものの、射抜くように、突き刺すように、鋭い目で独影を見る、
「互いの頭もいないわけですし、下っ端同士ここは腹を割って話しましょうよ」
続けて、独影は言う。
冷静に、淡々と、落ち着いた声で。
独影の隣にいる芙雪も、三人を横目で睨むように見る。
彼女も彼らの思惑を大体察していたのだろう。
「……も〜、独影くんったらぁ」
しばらくして、女はおどけたように笑いながら口を開く。
その口調だけは相変わらずだった……が。
「そういうのは気づいたとしてもぉ………敢えて口に出さないのが賢い忍ってものよ」
最後辺りで女の声が低くなる。
その瞬間、緩和剤となっていた女の雰囲気が棘々しいものに変貌した。
しらを切らずに潔く本性を出したのは、独影にそれは通用しないと判断した上でだろう。
そう。
半年前に惨途忍軍の忍頭が提案した『惨途忍軍・巣隠れ衆、統合の案』。
表向きでは互いの将来の安定のためにと綺麗事を語っていたが、真の目的はそれとは別にあった。
忍頭の夢絶及び上忍に当たる惨途六人衆は、巣隠れ衆の上忍が持ち得ている忍法が欲しかったのだ。
遥か昔。
世間から異端の目で見られていた忍界隈で、更なる異物扱いされ、はずれ者にされた忍達。
それを総称して“はぐれの忍者”と呼ぶ。
中でもしぶとく生き残って、はずれ者同士結託して出来上がったのが巣隠れ衆。
生き残った“はぐれの忍者”達の忍法が、いまでもその里の忍に受け継がれている。
過去の数ある強者共を恐れさせた忍法が、だ。
今や外の戦況は最後の追い込みと言わんばかりに、残った勢力同士が大いにぶつかり合っている。
表では兵達が、裏では影の者達が。
我が主の天下をかけて、戦っている。
惨途忍軍も今の今まで勝ち抜いて残った勢力の一つだ。
が……、さすがに敵が強者しか残っていない今の状況では、惨途忍軍の戦況に陰りを落とした。
つまりは圧されているのだ。
伊賀や甲賀、風魔等の大手の組織に。
だから。
だからこそ、巣隠れ衆の忍法が欲しかった。
必要だと察した。
確実に逆転出来る異端者達の術が。
例え、もし今戦に負けたとしても……それさえあればいつだって巻き返すことが出来る。
なんなら、世を影で覆い尽くすことだって……。
………昔は、巣隠れ衆忍頭及び上忍全員が、牙をむき出しにした獣の如く忍法を惜しみなく使って暗殺対象も敵も裏切り者も皆血祭りにあげていたため、お前らの忍法をくれなんて口が裂けても言えなかったが……。
今は違う。
忍頭が櫻世の代……いや、それよりも少し前からだろうか。
とにかく、それくらいの時期から巣隠れ衆の牙はすっかりなりを潜めるようになった。
牙自体は相変わらず鋭いだろうが、それでも前に比べたら里全体が大分穏やかになった印象だ。
その証拠となるのが今。
昔は巣隠れ衆で会話出来る相手と言えば忍頭しかいなかったのに、今ではこうやって忍頭だけではなく上忍とも顔を合わせて話せる。
それほどに各々の人格がまともになったのか。
或いは、まともな人格の者が増えたのか。
いずれにしろ。
いずれにしろだ。
惨途忍軍にとって、今の巣隠れ衆の現状は好機だった。
きっと、最初で最後の好機。
逃すわけにはいかない。
話が通じるなら積極的に会話を持ちかけて、隙を作らせろ。
獰猛さがないのなら、とことん腹を探れ。
まともな部分から甘さを見つけろ。
そして、忍法を奪え。
幸いが重なり、今、現在において巣隠れ衆と明確な繋がりがあるのは惨途忍軍だけ。
彼らの忍法の内容を知っているのも。
巣隠れ衆の忍法を得れば、確実に他の忍衆を出し抜ける。
それどころか、各国の名高い武将だって……。
考えれば考えれるほどに惨途忍軍の野心は膨らんでいった。
巣隠れ衆よりもずっと昔から世の影で仕えてきた故の鬱憤か、はたまた単に時代の流れのせいか……。
兎にも角にもそのような経緯があり、今に至るという。
息一つこぼすのも許さない。
そう言わんばかりの沈黙が、二人と三人の間に流れる。
依然として無表情の屈強な男と美青年、その隣で悠然とした笑みを浮かべる女。
対して、やや面倒くさそうな表情をしている独影と険しい表情をして三人を睨む芙雪。
「……そうね」
沈黙を破ったのは女だった。
「逆に聞かせてもらってもいい?あなた達の忍法をわたし達に継がせたら、何か不都合でもあるのかしら?」
女は笑みを崩さずに問いかける。
纏う空気は重たくなったとはいえ、あくまで穏やかに会話だけで済まそうという考えなのだろう。
独影はすぐに答えを返さずに女を見る。
観察するように。
「この際だから言わせてもらうけど、あなた達の里……もう長くないと思うの」
独影の返答を待たずして、女は話を続ける。
「お抱えの城や主がいないのはもちろん、人数も正直一つの里として成り立たせるには少な過ぎる……。更にはあなた達、後の子達の教育ろくにしていないでしょう?」
独影は何も答えない。
女の発言を肯定と受け取ってのことか、はたまた肯定であろうが否定であろうが女の言ってくる内容によって答えを変えようと考えてのことか。
「巣隠れの中忍・下忍の実力……。まぁそんじょそこらの平忍に比べたら優秀な方だけど……、それでも……以前に比べたら手ぬるい子が増えた気がするのよね」
だけど、答えをさもわかりきっているかのように、女は詰まることなく言い続ける。
「何よりも……あなた達上忍、誰一人として弟子らしい子を連れてないじゃないの」
「……」
「……」
「今になっても己が忍法を継がせるための弟子を連れていないということは……もう継がせる気ないんでしょ?」
独影も、芙雪も、何も言わない。
表情も変わらない。
「それは櫻世さんの指示か、あなた達個人の意思かはわからないけど……でも、忍法を継がせないということはあなた達の代で“終わる”ということよ?」
女の言う“終わり”が何を意味しているのか。
いちいち口に出さなくても独影と芙雪にはわかっていた。
「……どうせ手放すのなら、うちに頂戴って言ってるの」
女は続けて言う。
「別にあなた達に危害を加えようなんて思っていないし、あなた達が捨てようとしているものをこちらで活用したいだけの話よ?あなた達が望むなら、それなりのお礼も用意する。忍法をもらったからって、あなた達を裏切る真似も決してしないわ」
「………」
「それに……ここで意味もなく途絶えさせるよりも、わたし達に譲渡して有効的に使われた方が、恩師もご先祖さま達も幾分か報われると思わない?」
女は微笑む。
微笑んで、諭す。
あくまでこちらに敵意はないと。
そちらが損することは誓ってないと言わんばかりに。
女の口が閉じ、その場に再び沈黙が流れる。
「……そうですねぇ」
しばらくして。
ずっと黙っていた独影が、口を開く。
「櫻世さまも、他の上忍も、何を思っているのか何を考えているのか……俺にもわかりません。ただ、俺個人が思っていることなら、すぐに教えることが出来ます」
独影は極めて冷静に、落ち着いた声で、彼自身の答えを言い出す。
「蝶月さんの仰るとおり、俺は忍法を継がせる気はありません。……今は」
「今は?」
蝶月(ちょうげつ)と呼ばれた女が、独影の最後の言葉に食いつく。
「はい。まぁ率直に言わせてもらうと、俺の忍法を継いでほしいって思える者がいないんですよ。現時点で」
その場が一瞬の沈黙に包まれる。
男二人はもちろん、蝶月という女も、独影の言葉を持つように黙り込む。
「俺は師匠がくれた忍法を、これでも一応大事なもんだと思っています。だから、継がせるのは誰でもいいってわけでなく、ちゃんと選びたいんです」
「……あなたの忍法を継ぐに相応しい人を?」
「ん〜、相応しい……って言えばいいんですかねぇ?まぁとにかく、こいつになら師匠からもらった忍法をあげてもいいかなって思った相手に、ですかね」
「……」
「ご存知でしょうが、俺の忍法は動物との繋がりが要となります。動物の目を借り、特には頼み事をして、情報をもらったり、誘導や援護をしてもらったりします」
独影は己が忍法を語る。
惨途忍軍の者もよく知っている忍法。
動物の五感を借り、意思を繋げ、使役する忍法。
情報収集に秀でているのはもちろん、使役する動物によっては大きな戦力にもなる忍法だ。
この忍法を使えるのは、今や独影しかいない。
つまりは、独影が誰にも継がせなかったら、彼の代で終わるかもしれない忍法なのだ。
「利便性のある忍法だとよく言われます。けど、これはあくまで動物達の力があってこその忍法。……術者が動物達の支配するようなことがあってはいけない忍法なのです」
独影は淡々とした口調で言い続ける。
「こちらが動物達を使うのではなく、あくまで助けてもらう、協力してもらう、……その気持ちを死んでも絶対に忘れるなと師匠によく言われました」
かつての師の姿を思い浮かべながら。
「つまりは……この忍法は術者中心ではなく、動物達中心で使用するもの。となれば、動物達には動物達の生活や都合があるため、時には忍法が使えなくなることもあります」
人間嫌いだった師が教えてくれたことを。
彼の信念を。
「いかなる状況でも……忍法を敢えて中断する、こともあるのです」
彼が守ってきた大事なことを。
なぞるように思い出しながら、話していく。
「まずは、それを守れるのが第一条件でもありますね」
そして、遠回しに伝える。
惨途忍軍の者に継がせたくない理由を。
彼らに継がせたら動物達が問答無用で酷使されると、わかりきっていたから。
「ふぅん……なるほどね」
独影の発言の中にあるものを察してか、蝶月は一応理解を示すような反応を返す。
納得しているかは別として。
「あとはまぁ……直感で決める感じですね」
先ほどまでの真剣な口調と打って変わり、あっけらかんとした様子で独影は言う。
「直感……」
「そうです。こいつに継がせたい……というより、継いでほしいってなったら、気持ちより先に本能が反応するので、それ頼りですね」
「……」
「今はその本能が反応する相手がいないってだけの話です。まぁずっとそうかもしれませんけど」
とりあえず、と言って独影は一旦言葉を途切らせる。
そして、
「俺が未だに弟子を連れていないのは、そういった理由があってのことなんですよ」
わかってくれたでしょうか?とでも言いたげに、独影はやや強めの口調で言った。
独影の口が止まる。
再び沈黙が流れる。
惨途忍軍の三人はすぐに反応を返さず、無言で独影と芙雪を見る。
朝日が昇り、辺りが徐々に明るくなっていく。
遠くから、朝鳥の鳴き声が聞こえてくる。
惨途忍軍の三人、そして独影と芙雪の顔が、朝日に当たり、はっきりと見えかけたところで……蝶月がふと笑う。
「独影くんって……」
蝶月の足が数歩、前に出る。
そして、独影に熱を帯びた視線を送ると
「本っ当に可愛いのねぇ」
体の芯から撫で上げるような甘い声。
本人の色気のある美貌も相まって、もし耳元で囁かれたら大抵の男はころりと蝶月に傾くだろう。
だけど、独影は特に反応らしい反応を返さなかった。
むしろ隣にいた芙雪が、嫌悪をむき出しにした目で蝶月を睨んだ。
「得た忍法は自分のものなのに、どう使おうが独影くんの自由なのに、そうやって自ら制限をかけるなんて……余程お師匠さまが大好きだったのね」
蝶月は静かな足取りで、独影に近寄る。
後ろにいる男二人は咎める様子も一切なく、黙って彼女の好きにさせる。
それは諦めか、或いは特に興味ないからなのか。
一方で、蝶月が独影に近づくにつれて、芙雪の表情がますます険しくなっていく。
「いじらしいわねぇ。忍としてその考えはどうかと思うけど……わたしは大好きよ。愛しく思うわ」
独影の目の前で蝶月は止まる。
独影は無の感情で蝶月を見下ろし、蝶月は挑発的な笑みを浮かべて独影を見上げる。
緩い弧を描いた艶のある唇が小さく開く。
「ねぇ、独影くん」
蝶月の白い手が、独影の顔にゆっくりと伸び、彼の頰に触れる。
「あなた、まだ女を抱いたことないでしょう?」
蝶月は艶かしく笑う。
その問いに、独影は答えなかった。
「わかるのよねぇ、そういう子。纏っている空気が澄んでるって言うの?若葉みたいな匂いがするのよねぇ」
口を開く気配が一切ない独影を前にしても、蝶月は喋り続ける。
「で……わたしも個人的なことを言えば、独影くんの意思を尊重したいのよぉ」
蝶月の手が、独影の頬を撫でる。
優しく、ゆっくりと。
「だから、交換条件といかない?」
「……」
「わたしが夢絶さまに上手いこと言って、独影くんの忍法だけは諦めてもらうようにするわ。その代わり……」
蝶月は舌舐めずりをする。
まるで、獲物を目の前にした蛇のようだ。
独影の頰に触れていた蝶月の手が、下がっていく。
その手は独影の口元に移動し、彼の唇をじっくりと感触を堪能するかのように親指でなぞる。
そして、
「独影くんのハジメテ、わたしに捧げてほしいな」
と、女は色のある声で言った。
ハジメテ。
はじめて。
はじめてを捧げる。
つまりは、夜伽の誘いだ。
蝶月ほどの色香のある女に夜のお供を誘われたら、通常の男なら期待と悦びで心が浮き立つだろう。
けど、やはりと言えばやはりだが。
独影はその通常に当てはまらなかった。
むしろ、げんなりとしている様子だった。
「……そういうの、もう何回も断っていますよね?」
呆れ口調で、独影は言う。
どうやら、これが初めてではないようだ。
だが、独影が表情からして明らかに拒絶の意思を見せているにも関わらず、蝶月は挑発的な視線を送る。
「そうだけどぉ。でも今回はただ寝るってだけじゃなくて得する条件付きよぉ?」
「いや……」
「一回だけ。一回だけよぉ。今はその気がなくてもぉ……」
下唇に触れていた蝶月の指が離れ、顎にあった手が下がっていく。
「いざ床につけば、自然とあそこが火照って……」
蝶月の手が独影の首から鎖骨、鎖骨から胸、胸から腹部、腹部から更にその下へと、撫でるように下がっていく。
そして、その手が足のつけ根まで辿り着いた……その時だった。
「………」
蝶月の動きがぴたりと止まる。
常に笑みを浮かべていた唇が、一直線になる。
そして、自身の鼻先にある存在。
独影の隣から伸びてるそれに、視線を向ける。
それは、鋭い刃。
刀の刃先だった。
自分の顔に向けられているそれを見て、蝶月は鬱陶しそうに眉をひそめる。
「さっきからうだうだと不潔な話を……」
独影の隣から、低い声が聞こえる。
その声と声の主からあふれ出ている殺気に、独影は半分諦めたように目を閉じる。
そして、
「気色悪いんだよ……クソ女……!!」
その声の主……もとい芙雪は、蝶月の顔に向けて大太刀を突き出しながら、嫌悪むき出しの声で相手を罵った。