相異相愛のはてに





「千染くんの体……」



約束の夜。
いつもの家の二階。
自室で千染を抱いていた夜雲は、行為の最中でふと気づいたかのようにそう呟くと動きを止めた。
上半身を上げて、自分の体をまじまじと見下ろしてくる夜雲に、千染は訝しげな顔をする。


「何ですか?」

「……よく見ると、ところどころにうっすらと傷痕があるね」


何を言うかと思えば。
夜雲の返答に、千染は呆れ顔になる。


「当然じゃないですか。あなたと違って生まれた時から戦いの中で生きて……死と隣り合わせだったのですから」


何を今更なことを、と思いつつ、千染は嫌みをたっぷり含めた言葉を返す。
それを聞いた夜雲は、ぴくっと反応した。


「死と……隣り合わせ?」

「そうです」

「千染くん……死にそうになったことあるの?」

「ありますよ。初めから今ほど腕が立っていたわけじゃないのですから」


返ってきた言葉に、夜雲の呼吸音が微かに震える。


「まぁ、今後もどうなるかわかりませんけどね。案外、どこかでうっかり足を滑らしてみっともない死に方するかも……」

「いやだ」


自嘲混じりに自分の最期を言っていた千染だが、途中で夜雲の声によって遮られてしまう。
いつになく語気が強く聞こえたその声に、千染は少し驚き、反射的に口を止める。
直後、夜雲が抱きつくように覆いかぶさってきた。
その行動に、千染はまた驚いてしまう。
思わず夜雲の名前を呼びかけたが。


「やだ……いやだ……っ」


肩に顔を埋めて、否定の言葉をまた吐いてきた夜雲に、千染は思わず口を止めた。
いや。
嫌。
嫌とは、何が嫌なのか。
夜雲の発言の意味がわからず、千染はただただ疑問に思う。
だが。


「千染くんが死ぬなんて……いやだ……」 


次の瞬間。
夜雲が何を否定していたのか、それを知った千染は目を見開いた。


「ぼく、これからも千染くんと会いたい……。千染くんに触れたい……、千染くんと話したい……。きみと……これからも見つめ合いたい……、ずっと……」


夜雲の体の震えが、重なった肌から伝わってくる。


「だから、死なないで……っ。死んじゃいやだよ……千染くん……っ」


そして、今にも泣き出してしまいそうな……弱々しい声。
たまに聞く切なげな声とも、縋るような声とも違う。
初めて聞いた、悲しみの色が深く滲み出た夜雲の声。
その声と彼の発言に、千染は特に表情を変えないでおきながらも、内心動揺する。
夜雲はそれ以上何も言わず、ただ震えた呼吸音を繰り返しながら千染にしがみつく。
夜雲の息遣い、震え、そして体温を感じながら、千染は困惑する。
こういう時、どんな反応をすればいいのか。
というより、こいつは忍というものをわかっていないのか。
忍なんて、死ぬ時は当たり前のように死ぬのに。
いつでもどこでも、呆気なく死ぬのに。
何人死のうが、誰が死のうが、誰も困ることはない……そんな虚無の存在なのに。
そんな存在に、死ぬな、なんて……。



ーーーーはぁ……お前は別に死ぬ時は死んでもいいって思ってんだろうけど、俺はやだぜぇ?

ーーーー仕事とは無関係の余計な恨みでお前が死ぬのは。



愚か、と夜雲に対して思いかけたところで、千染はふと過去に独影に言われた言葉を思い出す。
千染の思考が一瞬だけ止まる。
そして、次に思い浮かんだのは……独影の姿だった。
昔から今にかけて見てきた彼の姿が、千染の脳裏を過っていく。


(……そういえば)


他にもいましたね……。
同じ忍のくせに、わたしに死ぬなと言ってきたやつが……。
千染の表情に呆れの色が浮かぶ。
血塗れの道を共に歩んできた昔馴染み。
忍として優秀だが、忍としてどこか決定的に欠落している忍。
………そいつと同じようなことを言ってくるなんて。


「……はぁ」


頭に浮かんでいた昔馴染みの姿を掻き消し、千染は小さなため息をつく。
そして、何か考えるように少しの間を置いた後、両手をゆっくり上げて、夜雲の背中に回すと


「死にませんよ」


千染は答える。
応じる。
夜雲が欲しいであろう言葉を。
その言葉を聞いた瞬間、夜雲の肩が小さく跳ねた。


「さっきのはちょっとした冗談です。わたしがそう簡単に死ぬわけないじゃないですか」


夜雲の体の震えが止まる。
千染の肩に埋めていた顔をゆっくりと上げていく。
上げて、彼を見る。
こちらを見た夜雲を見返した瞬間、千染は少しだけ目を大きくする。
何故なら、夜雲の目に……ほんの僅かにだが、涙が浮かんでいたからだ。
まさか本当に泣きそうになっていたのか。
夜雲の顔を、目を見て、戸惑いを感じたものの、それを隠すように千染は素っ気ない様子で顔を背ける。


「まぁ、こうも都合のいい性欲処理がいなくなったら困りますもんね」


表情に安堵の色を浮かべていた夜雲だったが、千染の天邪鬼な発言に少しだけむっとしたような顔をする。   


「……まだそんなこと言うんだ……」

「実際そうじゃないですか。やってることが」

「ぼくはきみ以外とやったことないし、きみ以外とやろうとしたこともないし、やりたいと思ったことすらないよ」

「そうですか。………え?」


不機嫌そうな夜雲を軽くあしらうつもりだったが、さらりと出てきた意外な発言に、千染は柄にもなく少し遅れて反応してしまった。
千染のその反応と同時に、夜雲は体を少しだけ起こして、千染を間近で見下ろす。
藤色の瞳と赤色の瞳が、近い距離で互いを見つめる。


「ぼくのはじめては、全部きみだよ」

「………」

「さっきの発言には、ちょっと……嫌な気分になったけど……。でも、死なないって言ってくれたのと、抱きしめてくれたの……嬉しかった」 


夜雲の顔が更に近づいていく。
そして、


「好きだよ、千染くん。誰よりも、きみが好き」


囁くようにそう言って、夜雲は未だ呆然としている千染の唇に、己の唇を優しく触れるように重ねた。





***





“ぼくのはじめては、全部きみだよ”


はじめて。


ハジメテ。




明け方。
千染は珍しく、未だに夜雲の家にいた。
更には、彼と一緒に布団の中にいた。
というのも、千染の意思で留まっているわけではなく、抜けられなかったのだ。
夜雲の腕から。
離したくないと言わんばかりに、夜雲の腕は千染の体にしがみついていた。
寝ているにも関わらず。


間近から聞こえる寝息。
夜雲の体温。
そして、匂い。
もう馴染みあると言ってもいいくらいのそれらを感じながら、千染は少しだけ顔を上げる。
夜雲の顔が視界に入る。
何度も見てきた……品のある端正な顔。
起きている時と差して変わらない……いや、最近は。
最近は、多少なりとも顔つきが変わるか。
関わり始めた頃に比べたら。
山で会った時から今にかけての夜雲を思い出しながら、千染は彼の変化を感じる。


(………はじめて……)


そして、夜雲が言ってきた言葉を思い出す。


“ぼくはきみ以外とやったことないし”

“きみ以外とやろうとしたこともないし”

“やりたいと思ったことすらないよ”



“ぼくのはじめては、全部きみだよ”



千染にとっては、意外なことだった。
てっきり、それなりに経験していると思っていたから。
夜雲の容姿と若さで、今まで女が近寄らなかったなんてまずないはず。
しかも医者という肩書きがあるなら尚のこと。
女に困ることはなかった……はず。
なのに、それらを無視してきたというのか。
断ってきたというのか。
そうしてまで、自分と……。


(わたしだけ、と………)


心の中でそう呟いて、そう認識した瞬間、千染の中で不思議な感覚がした。
胸の中に小さな火が灯るような……不可思議な感覚。
これが何なのか。
正体を突き止めようと考えかける。
が、考えようとした途端、ぞわりとした悪寒が全身を駆け巡り、千染の体が強張る。
急に息が詰まるような錯覚に襲われる。
それが、何なのか。
それは。


「っ………」


千染は思わず目を瞑る。
ぎゅっと、強く。
何も映さないように、何も見ないように。
全てを遮断するように、切り捨て、振り払い、目を背け……心を背け。
そうしていくうちに、胸の中にあった熱らしきものが、冷えていく。
冷えて、いつもの状態に……平常心に戻る。 


(……)


千染は再び目を開けた。
視線を上げ、夜雲を見る。
相変わらず安心しきった様子で眠っている夜雲。
その顔を見て、千染は少しだけ眉間に皺を寄せる。


(……呑気なやつ)


寝ている間に殺されるかもしれないとか、微塵にも思っていないのだろう。
……こっちがその気になれば、いつだって殺れるというのに……。
と、千染の意識が近くに置いてあるであろう小太刀に向きかけたところで……夜雲の腕に力が入った。
更に強く、深く、引き寄せるように抱きしめてきた夜雲に、千染は目を大きくして反応する。
まさか起きたのかと思ったが、夜雲の瞼が開く様子はない。 


「………」


千染は夜雲の顔をじっと見る。
本当は起きているのではないかと。
それで、自分の考えていることに気づいたんじゃないかと。
夜雲を疑う。
………だが。



「……千染くん……」



程なくして、夜雲の口から千染の名前が寝息混じりに出てくる。
それを聞いた千染は、また目を大きくする。



「………いなくならないで……」



今度はか細い声で出てきた言葉。
その言葉に、千染の思考が止まる。
震えを帯びている夜雲の腕と、どこか弱々しさを感じさせる表情……。
それを感じて、それを見て、千染の中にあった疑いが……溶けるように消えていく。
溶けて、目の前の夜雲だけを見つめる。


(………)



ーーーーだから、死なないで……っ。死んじゃいやだよ……千染くん……っ。



不意に、夜雲が言ってきた言葉が脳裏を過る。
その時の夜雲の様子と声色が鮮明に浮かび、夜雲を見つめていた千染の目がだんだんと下を向いていく。
次いで、浮かんできたのは、涙がうっすらと滲み出ていた彼の目。
夜雲がどんな気持ちでそう言っていたのか、どうしてそんな目をしていたのか。
……それを考えかけて、千染は何とも言えない表情をする。
胸がほんの少しざわめく。
だけど、すぐに考えるのをやめて、何もかも振り払うように千染は目を閉じる。
そして、ただ昨夜から今にかけてあったことだけを静かに受け止め、夜雲が起きるまでその腕に身を委ねた……。







***




一方、その頃。
花曇山から西に向かってずっと離れたところにある国・安芸では。

夜が明け、地上にぼんやりとした朝日が差し始めた頃。
うっすらと霧がかかった山の中で、木から木に移る影が二つ。
一人は逆毛の黒髪と黒の長い襟巻きが特徴の忍・独影と、もう一人は青色の短い髪に顔から足先にかけて傷痕だらけの大柄な女忍・芙雪だった。
二人はこの安芸で、隠密任務に当たっていたのだ。
そして、無事任務を遂行し、今しがた情報を書き記した文を“惨途(さんず)忍軍”の者に渡しに行っている最中………なのだが。


「芙雪〜」

「……」

「なぁ芙雪ぃ、もうちょいゆっくり行かね?わりと早く情報収集出来たから時間に余裕あるしさ〜」

「うるさい黙れ!わたしは一刻でも早くお前と二人っきりの状況から解放されたいんだ!!」


独影を無視するように黙りこくっていた芙雪だが、ついに耐えかねたように大声で本音を吐き出す。
それを聞いた独影は、やっぱりねと言わんばかりの目をする。


「俺とはもう何回も共同任務についてるじゃねーか。いい加減慣れろよ〜」

「何回でも何十回でも嫌なものは嫌に決まってるだろ!心ノ羽をいじめる性悪千染の手下と二人っきりなんて……!!」

「手下て」

「そうだ……!この際言ってやる!!」 


独影の前を駆けていた芙雪は、木から飛び降りて足を止める。
その後に続いて、独影も木から飛び降りる。
独影が地面に着地したところで、芙雪は勢いよく振り返り、きっと彼を睨みつけた。


「お前は自分を中立の立場と思っているかもしれないがな……!あいつとよく一緒にいる時点で、いじめている側と差して変わりはないからな!!」

「はぁ……」


こちらに向けて人差し指を突き出すなり糾弾してきた芙雪に、独影は生返事をする。


「ことあるごとに心ノ羽をいじめているあいつを見て、お前は何とも思わないのか!?」

「何とも思ってなくはないなぁ……」

「ならば!何故!?止めない!!?」

「ん〜止めるほどのことじゃねぇかなって」

「はぁ!?」

「痕に残るほどのことはしてねぇし、何よりも心ノ羽ちゃんには芙雪っつー頼もしい味方がいるしよ」

「………」


怒りびきびき顔で独影の言い分を聞いていた芙雪だが、最後の言葉を聞いて真顔になる。
そして、次の瞬間、目つきと頰がゆるっゆるになった。
それを見た独影は、


(芙雪……わかりやすすぎぃ)


と、悟りを含んだ優しい目をして思った。


「ふ、ふんっ。状況はよく把握しているみたいだな」

「そりゃもちろん。心ノ羽ちゃんといえば芙雪だからな。芙雪がいるから、心ノ羽ちゃんはどれだけ千染にいじめられても明るく元気でいられるんだと思うぜぇ」


まぁ本人の謎に打たれ強い精神力も大きく関係してるだろうけど、と独影は心の中で付け加える。
独影の発言に浮き立つ気持ちになったのか、芙雪の表情が柔らかくなっていく。
心から大事に思っている妹分兼唯一無二の存在の支えになれているという感じに言われて、余程嬉しかったのだろう。
そんな芙雪の反応を見て、独影はよしよしと空気の流れの良さを感じ取る。


「そ、そうか?」

「そうそう。実際、心ノ羽ちゃんも芙雪をすごく頼りにしてるしな。もしかしたら心ノ羽ちゃんにとって一番大きな存在は芙雪なのかもしれねぇなぁ。すげぇ懐いてるし」

「そ、そんな、言い過ぎだっ。わたしより櫻世さまの方が……」


と、照れるあまりしおらしい反応をしていた芙雪だったが、途中でハッとなる。
なんか……上手いこと話を逸らされていないか、と。
正気(?)に戻った頭で、再び独影を見る。
不思議そうな顔をしてこちらを見ている独影。
芙雪が急に黙り込んだかと思いきや自分を凝視してきたのだから、当然の反応だろう。
だけど、芙雪視点では、まさか俺の思惑に気づいたのか……!?と焦っているような顔に見えていた。
思い込みが激しい女である。


「ふ……ふふっ……」

「?」


芙雪は笑う。
半ば自嘲するように。
突然笑い出した芙雪に、独影はますます不思議そうに首を傾げる。


「どうした?どっか笑いどころでもあったか?」

「ふふっ……そうだな。強いて言うのならば、お前にまんまと騙されかけた自分に……といったところか」

「へ?」


芙雪のよくわからない返答に、独影はきょとんとする。
そんな独影の反応をはね退けるように、芙雪は独影を睨みつけると


「さすがは性悪千染の手下だ……。自分にとって都合の悪い話をさせないために、巧みな話術を用して、わたしの意識を全く別方向に向けさせるとはな……!!」

「………」


的を射てないようである意味射ているような芙雪のその発言を聞いて、独影はあーなるほどなとすぐに理解した。


「単に話をすり替えるならまだしも、わたしと心ノ羽の関係を利用するとはなんて卑劣なやつ!!!」

(利用っつーか、芙雪の機嫌が良くなりそうなこと言っただけだけど……。まぁ利用になるのかな)

「やはり性悪千染の腰巾着は油断ならんな!!」

(今度は腰巾着になった……)

「そもそもわたしはお前のそういうへらへらひょうひょうのらりくらりとしてるところが気に食わんのだ!心ノ羽があいつにいじめられても特に助けもしないくせに、ちょっとわたしが目を離しているすきに心ノ羽と買い物行ったり長屋でお茶飲んでたりとちゃっかり仲良くしやがって!一昨日櫻世さまが『独影になら心ノ羽を嫁にやってもいいかもな。はっはっはっ』って言ってたぞ!仲良くし過ぎだぁぁぁぁっ!!!!」

(いや、それ普通に櫻世さまの冗談……。てか、今回いつも以上に不機嫌だったのそれか……)


芙雪の咆哮を真正面に受けながら、昨日落ち合った時点で態度の悪さ全開だった芙雪を思い出し、その原因を瞬時に理解した独影は密かに納得した。


「この前だって私がいない間に心ノ羽と二人っきりで鮎釣りに行っていたみたいじゃないか!人の目を盗んで心ノ羽と行く鮎釣りはさぞかし楽しかっただろうなぁあ!!!」

「いや……芙雪誘ったけど断ったじゃん。千染は仕事でいなかったし、春風くんも誘ったけど断られたから……まぁ必然的に心ノ羽ちゃんと二人になっただけで……」

「だったら誰と行くか言えばよかったじゃないか!!あの時のお前!心ノ羽もいるって一言も言ってなかったぞ!!」

「あー……まぁ確かにそれは俺の言葉が足りなかったのがいけなかったな……」

「心ノ羽がいるとわかっていれば、その場でお前をどうにか失神させて心ノ羽と二人で鮎釣りに行けたのに!!」

「言葉が足りなくてよかったわ」

「大体お前は何かにつけて心ノ羽を誘いすぎだ!釣りにしろ買い物にしろお茶にしろ!全部一人で勝手にやってればいいだろう!!それともなんだ!?まさか一人でやるのが心細いのか!!?この小心者め!仮にも巣隠れ衆の上忍だろう!!お前がそんなんだから後の男共がーーーー」

(あーあ、はじまっちゃった……)


くどくどと口を挟む隙もなく喋り出した芙雪に、独影はややげんなりとしながらも、「はぁ」「へぇ」「すんません」と適当な返事をする。
久しぶりにちょっとした軽い会話がしたかっただけなのに、結局こうなってしまうのか。
芙雪の説教を右から左へと横流ししながら、独影は思う。

芙雪は過去に自分の母親が男に騙された挙げ句に殺され、更には複数の男に何度も悪戯されそうになったのもあり、大の男嫌いだ。
どんなに相手が人柄の良い優しい男だったとしても、男という時点で敵意をむき出しにする。
それでも今は、櫻世と雹我、師の荻爺、そして心ノ羽との関わりがあって、大分緩和された方だ。
昔の芙雪は近づく男皆殺してしまうんじゃないかってくらい、荒々しかった。
目つきは今でも十分鋭いが、昔は今以上に鋭い……というより悪かった。
当時の櫻世が少したじろぐくらい。
一方で独影はというと、おっかねぇ女だなぁと思いつつ、密かに関心を寄せていた。
当時の男連中は芙雪のことを「可愛くない小娘だ。愛らしさの欠片もない」とか「あれはもはや女じゃない」とか「生意気で腹立たしい糞餓鬼だ」とか口々に文句を言って嫌っていたが、独影はそう思わなかった。
むしろ“自分”をしっかり持っている芙雪のことを、好ましく思った。
もちろん、恋とか愛とかそういうのではなく、一人の人間として。
だから、ちょっとでも仲良くなれたらなぁと思って、きっかけがあれば話しかけていたのだが、まぁ当時の芙雪の攻撃的なこと攻撃的なこと。
挨拶をすれば睨まれ、会話を持ちかければすぐに大太刀を振り回してくる。
それが定番の流れだった。
普段から千染の相手をしていたため芙雪の攻撃自体は難なく回避出来ていたが、それが却って癇に障ったのか、接すれば接するほど芙雪の自分を見る時の形相が凄まじくなっていった。
あれは正に般若だった。
極めつけにはだ。
ある日、毎度の如く芙雪の猛攻を避けている最中にたまたま千染が通りかかったことがあって、こちらを見るなり千染はこともあろうか

「独影……、雑魚の遊び相手は楽しいですか?」

と、呆れた様子で間接的に芙雪を罵ってきたのだ。
ここで千染と芙雪の険悪な関係が決定的になったと言っても過言ではない。


……何にせよ、昔を思えば今は大分まともに口を利いてくれるようになったか……。
未だにくどくど長々と説教を垂れている芙雪を前に、独影は思う。


(そういえば……芙雪は外が平和になって、俺ら忍が戦う必要がなくなったら、どうすんだろうか?)

「お前が作る味噌汁、少し濃すぎじゃないか!?入れる味噌の量は鍋一つに対して、茶碗の半分より少なめにしろっていつしか言ったよな!?あと野菜も大根しか入れないのやめろ!他も入れろ!!」

(あれ?なんかいつの間にか大奥さまが奥さまに言いそうな小言を言われてる……?まぁいいや。しれっと聞いてみよ)


話を全く聞いていなかったため、急に嫁姑でありそうなお小言を言われている錯覚に陥り若干戸惑いを感じた独影だったが、すぐに思考を切り替えた。


「わかった。次から気をつける」

「前から気をつけろ!!」

「うん。ところで芙雪」

「あ?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけどよ」


と、独影が芙雪に改めて話を持ち出そうとした時だった。



「任務中に痴話喧嘩とは、随分と余裕だな」



突然。
どこからともなく聞こえてきた声に、芙雪は目を大きくし、独影は咄嗟に口を止めて反応する。
そして、瞬時に感じとった気配に独影は(やべっ。芙雪に集中しすぎた)と己の迂闊さに舌打ちしたい気持ちになりながらも、平然とした様子でいる。
数秒経たずして、独影と芙雪の前に三つの影が音もなく現れる。
一人は強面の屈強そうな体格をした男と、もう一人は団子頭に美しくも蛇を彷彿させるような顔立ちをした女、そして最後の一人は捻れた前髪が特徴的な長髪の美青年だった。
全員、顔立ちや体格、雰囲気は全く違うものの、一つだけ。
一つだけ、共通している特徴があった。
それは、各々身に纏っている装束に刻まれている印。
二つの線が延々と交互に重なり合い、互いに巻きつき合っているようにも見えるその印……。


“惨途忍軍”を示す紋章だ。


前にいる三人とその紋章を見て、やっぱりかと独影は冷静に思った。
依頼書に書かれてあった場所で落ち合うはずが、まさか向こうから会いに来ることになるとは。
というより、落ち合う惨途忍軍の者は確か一人だったはずでは……。


(なんて、疑問に思うのも野暮かぁ)


前にいる顔ぶれを見て、独影はため息をつきたい気持ちになる。
そして、半ば諦めるように思った。



これは文を渡すだけでは終わらないかもな、と。



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