相異相愛のはてに
爽やかな太陽の光が差す朝。
花曇山にある家の二階の自室で、夜雲は文机に向かいながら何かを見ていた。
「……」
手にあるそれをじっと見つめる。
細い棒状の白銀、その先に瑠璃色の丸い石がついている。
ずっと前に、城下町で買った簪だ。
夜雲は簪をゆっくりと回す。
朝日に当たった瑠璃色の石は、中で小さな光を散りばめる。
まるで満天の星空のように。
何を思ってその簪を買ったのか。
その美しい瑠璃色を見て、何を思い浮かべたのか。 それを、今でも確かに覚えている夜雲は、目を伏せる。
ーーーー売りました。
ーーーー上質な素材で作られた襟巻きでしたので。わたしが使って傷物にして価値を下げるより、すぐに金にした方が得だと思いましてね。
脳裏に過ったのは、あの時言われた言葉。
夜雲の一直線に閉ざされた唇に、ほんの少しの力が入る。
だけど、程なくして夜雲は気を抜くように鼻から息を吐くと、伏せていた目を上げて、机の上に置いていた薄紫色の布を手に取る。
持っていた簪をその上に置き、そっと優しい手つきで包み込む。
そして、ゆっくりと立ち上がると、棚の引き出しの中にしまいに行った。
***
約束の夜。
千染は夜雲の家に訪れていた。
訪れるなり、夜雲に質問を投げかけた。
「夜雲さん。少しお聞きしたいのですが」
「何?」
「あなた、ご両親が殺されてよかったと思っています?」
「思ってないよ」
「……本当はわたしが憎いと思っていませんか?」
「本当にですか?」
「本当だよ」
「………」
迷わず即答の夜雲に、千染は少し考える。
そして、
「では……夜雲は今まで誰かを憎んだことありますか?」
その問いに、夜雲はすぐに答えなかった。
窓際にいる千染を見たまま、無言になる。
「……誰かを……憎む……」
そして、程なくして復唱するように呟く。
夜雲のその反応を見て、千染は微かに目を細めた。
「そうです。憎しみです」
「……」
「誰かに嫌なこととか損になることをされて、憎んだり恨んだりしたことないのですか?」
千染の質問に対し、夜雲はまた考えるように黙り込む。
そして、
「言われてみれば……ないかも……」
と、答えた。
「……そうですか」
夜雲の様子を見ながら、千染は軽い返事だけする。
そして、思う。
これはやはり抱いた感情を誤認しているのではないかと。
感情の起伏がほぼない夜雲のことだから、初めて感じた憎しみを好意と間違えて………。
「もしかして、ぼくが憎しみを好意と間違って認識してると思ってる?」
「………」
鋭く飛んできた夜雲のその発言に、千染の思考が止まった。
思わず真顔で夜雲を見てしまう。
夜雲は相変わらずの無表情でこちらを見ている。
……さっきの話の流れで多分察したのだろうが、それにしたって的確過ぎる。
心でも読んでいたのかって思ってしまうくらい。
これからどうやって、夜雲にそのことを気づかせるか考えようとしていたのに。
先手を打たれてしまった以上、もう考えようがない。
素直に答えるだけだ。
「そうですね。あり得なくもない話かと」
「……」
その返答を聞いた夜雲の目つきが、少し……ほんの少しだけ鋭くなる。
やはりと言わんばかりに。
「きみはずっとぼくを疑っているんだね……」
夜雲の声色が、暗くなっていく。
「どうしたらぼくを信じてくれるようになるの?」
「……信じるも何も、わたしなりに好きというものを確かめた結果、そこにいきついてしまったのですよ」
「確かめた結果……?」
「ええ。あなたのように誰かを好きになっている人に色々と聞いてみましたね」
その言葉を聞いた瞬間、夜雲は口を薄く開いて反応する。
それは驚きの表れか、それとも……。
「そしたらやはり……いくら好きな人とはいえ、必要な理由もなく自分の大切な人を殺したら気持ちが揺らぐと……。そもそも好きになったきっかけだって……その人にとっては利益のある内容でした」
夜雲の反応を特に気にすることなく、千染は話を続ける。
「一応、仕事で色恋沙汰に関わることもありましたので。そこで得た知識を踏まえての確認だったのですがね……。案の定、根本的には同じでした」
「……」
「ですから……考えに考えた結果、あなたは憎しみの感情を好意と勘違いしてるのではと思ったのです」
「………」
「まぁ……いなくなってよかったと思えない親を殺されて、その殺した張本人を好きになるなんて……。やはりどう考えても」
「おかしくないよ」
夜雲の声が、千染の声を遮る。
その先に出ようとした言葉を否定する形で。
千染は思わず口を止めて、再度夜雲を見る。
すると……表情自体は大して変わっていないものの、明らかに刺々しい雰囲気を感じさせる夜雲の姿が、目に入った。
(……?)
夜雲の様子を見て、千染は疑問に思う。
これは、怒っていると受け取ればいいのだろうか。
だとしても、何故……。
先ほどまでの流れに怒る要素があっただろうか……。
と、疑問を浮かべている千染をよそに、夜雲は口を開く。
「父さまと母さまを殺した人でも、ぼくはきみが好き……。この気持ちに偽りはないし、間違いもないよ」
静かで、でもどこか重々しい声で夜雲はそう言いながら、文机の前からゆっくりと立ち上がる。
「ぼくの気持ちは、感情は……ぼくが一番わかっている」
千染を真っ直ぐ見据えて、夜雲は彼の元へ一歩、また一歩と近づいていく。
千染は少し怪訝そうにしながらも黙って話を聞く。
「でもそうだね。もしかしたらきみの言うとおり、ぼくがきみを見た時にきみに感じた感覚は……俗に言う憎しみだったのかもしれない」
藤色の瞳に映っていた千染が、だんだんと大きくなっていく。
「けどね。ぼくがその感覚を好きだと恋だと認識した時点で、もはやそれは憎しみではないんだよ。立派な恋心さ」
囁くように、語りかけるように、夜雲は言う。
「ぼくは間違いなくきみが好きだよ」
そして、言いきる。
「じゃないと……、きみに触れたいなんて……きみを、きみだけを感じたいなんて……思うわけないじゃないか……」
言葉を紡げば紡ぐほど重さが増していく夜雲の発言に、千染の胸の中がざわつき出す。
訝しそうにしていた顔が若干強張り、無意識に退こうとしてしまう。
が、それよりも早く、夜雲が目の前まで来る。
変な汗が出てきてるのを感じながら、千染は夜雲を見上げる。
こちらを見下ろしている夜雲の目が、やけに黒く感じる。
自分を呑み込もうとしているような黒に。
これは、この重くのしかかってくるような気配は一体……。
「千染くん」
夜雲が千染の名前を呼ぶ。
千染は心臓が少しだけぎゅっと絞られるような、そんな感覚に襲われる。
「きみが……ぼくのことを知ろうとして、きみなりに動いてくれたのは……嬉しく思うよ。………でもね」
夜雲の纏っている空気が、先ほどよりも更に重くなる。
そして、
「ぼくのことはぼくに聞いてほしいな」
地を這うように低く、無理矢理上から抑えつけるような圧のある声で、夜雲は千染に言った。
その場が静かになる。
開いている障子窓の外から、夜鳥の鳴き声が聞こえてくる。
夜雲がどうしてこうなっているのか。
やはりこれは怒っているのか。
夜雲を見上げたまま、千染は考えようとする。
だが、
「きみはまともだって」
千染の思考を遮るように、夜雲は再び言い出す。
「前に……ぼくがきみに言ったこと、覚えてる?」
「………」
何も言わずに自分を見ている千染を見下ろして、夜雲は目を細める。
そして、
「……そういうところだよ」
間を置いて、夜雲は言い放つ。
その言葉に、千染の目が少しだけ大きく開く。
「きみは忍であるわりには」
いつもの無表情。
「人の感情の正しい在り方を……よく知っているね」
いつもの抑揚のない静かな声で。
伝える。
伝えて、突く。
千染の心の奥を。
その瞬間、千染は全身が粟立つのを感じたと同時に、夜雲の首めがけて棒手裏剣を突き出した。
棒手裏剣が首元に来る寸前で、夜雲は千染の手首を掴んで止める。
その場が一気に緊迫した空気に包まれる。
夜雲を睨み上げる千染と無表情で千染を見下ろす夜雲。
一触即発。
正にその言葉が相応しい状況になる。
「……ごめん」
だが、そう時間が経つこともなく、夜雲が千染に謝る。
申し訳なさそうに、目を伏せて。
それでも千染は夜雲を睨み続ける。
今にも暴言が飛んできそうだ。
それから逃れるかのように、夜雲は少しだけ千染から顔を背ける。
「きみを……怒らせたかったわけじゃないんだ」
声色も、申し訳なさそうな、困っているような……そんな気持ちが滲み出たようなものになっていく。
そんな夜雲の声に、様子に、千染の眉間の皺がだんだんと薄くなっていく。
「ただ……その、……ぼくときみの間に……他の人を挟んでほしくないというか……」
「……挟んでほしくない……?」
千染の問い返しに、夜雲はこくりと頷く。
「なんて……言えばいいのかな。ぼくの感情も、気持ちも、きみだけに知ってほしいんだ……。きみだけに感じてほしい……」
表情に少しの悩ましさを覗かせながらも、夜雲は自身が感じたことを一つ一つ、言葉にしていく。
「きみが……ぼくの好きを信じきれないのは……、疑り深い忍の性分もあるだろうから……仕方ないと思えるけど……」
「………」
「でも……ぼくのきみへの気持ちを……、他の誰かで確認したのはちょっと……ううん、すごく嫌だった」
夜雲のその発言に、千染は思わずきょとんとしてしまう。
それに伴って、夜雲の首を突き刺そうとしていた手の力が……抜けていく。
「きみには……他の誰かを挟まず……ぼくだけを見てほしい……」
千染の手首を掴んでいた夜雲の力も、静かに緩んでいく。
「ぼくを知ろうとしてくれてるのなら……ぼくだけと向き合ってほしい……」
夜雲はゆっくりとした動きで、顔を前に向き直し……再度千染を見つめる。
今度は縋るような目で。
その目を見た千染の表情に、戸惑いの色が覗く。
「千染くん……」
千染の手首にあった夜雲の手が、そのままゆっくりと、白い肌をなぞるように上がっていく。
「ぼくはね。小さな頃から自分の心の動きを感じたことなかったんだ」
指先が、千染の手首から手の中へと触れていく。
「何をしても、何をされても、心が動かなかった。変化がなかった」
手の中にある棒手裏剣に、触れる。
「これからもずっと、そうなのかなって思っていた。喜びも悲しみも何も感じない……そんな死んでるも同然の感覚で生きていくのかなって思ってた。………でも」
棒手裏剣から千染の指へと、指を移動させ、ゆっくりと開かせる。
支えを失った棒手裏剣が、するりと抜けていく。
「きみに会ってから……変わったんだ」
そのまま重力に従って落ちた棒手裏剣が、鋭い音をたてて転がった。
武器を上手いこと離されたとわかっても、千染は夜雲を見続ける。
困惑に揺れる目で。
「きみに会ってから、きみを見たあの日から……ぼくは自分の心が確かに動いてるのを感じるようになったんだ」
夜雲の指が千染の指の間に、するりと入り込む。
「あの時、初めて……」
手のひらと手のひらを合わせて。
「生きている実感というものを……感じたよ」
指をゆっくりと折って。
「そして、きみのことがずっと……忘れられなかった」
組んで、ゆっくりと握りしめる。
「ずっと……会いたいって思っていたよ。きみに会って、きみの目をちゃんと見つめて、きみに触れたいって……思っていたよ。ずっと、ずっと」
包み込むように握りしめて、彼を見つめる。
優しく……喰らいつかんばかりの目で。
「ずっと……きみを追い求めていた……。探していた……。こんなにも誰かを欲したのは……本当に初めてだった……」
千染は目を逸らせないまま、夜雲を見る。
胸の中がまたざわついてるのを感じながらも、逃げずに、彼の言葉を聞く。
聞いて、理解しようとする。
彼の自分への“好き”を。
「こうやって……、触れ合ったり……見つめ合ったり……そういうことをしたいと思うのは……きみだけ……」
千染の手を握っている夜雲の手に、力が入る。
そして、夜雲は小さく息を吸い込むと
「きみだけにしか思わない……この気持ちこそが、“好き”なんだって……ぼくは信じているよ……。きみや他の誰かがなんて言おうと……信じている……」
どこか寂しそうで、どこか切なそうな、縋るような……そんな声で、夜雲は言った。
また……沈黙。
千染はすぐ反応を返すわけでもなく、夜雲の目を見る。
僅かに曇りがかっているような藤色を。
夜雲に握られている手が、妙に痛く感じる。
そんなに強く握られているわけでもないのに。
それでも。
その手を感じながら、夜雲を見る目に戸惑いの色を覗かせながらも、千染は頭の片隅で理解する。
理解しようとする。
彼の言葉を、気持ちを。
その上で。
「……そ、うですか」
言葉を詰まらせながらも、千染は返事をする。
けど、迷ってしまう。
この場合、どう返すべきなのか。
何を言えばいいのか。
「……あの……」
「………」
「とりあえず……手……離してくれませんか……?」
「……」
夜雲は何も言わず、千染の手から静かに手を離す。
夜雲の手から解放されて、千染は少しの安堵を感じる。
が、胸のざわつきは消えずと、手を下ろすついでに夜雲から目を逸らした。
「……ご返答、ありがとうございます……」
歯切れの悪い感じに、千染はとりあえず言い出す。
「確かに……あなたの言うとおり、本来はどんな感情であれ……あなたがそれを好きと認識したのであれば……そうなのでしょうね……」
どういう言葉を返すのが夜雲にとって正しいのかわからないが、それでも千染なりに考えて返す。
「でしたら……もう……疑いの余地はないのかも、しれません…」
「………」
夜雲は千染を見つめたまま、黙って話を聞く。
「……夜雲さん」
少しの間を置いて、千染は腹をくくったように再び夜雲を見て、彼の名前を呼ぶ。
「あなたがわたしを好きになったきっかけ……、なんとなくわかりましたが……でも、そうだとしても結局のところ、どうしたいのです?」
そして、問いかける。
「あなたはわたしをどうしたいのですか?」
夜雲に一番聞きたかったことを。
これを聞いて、夜雲はどう反応するのか。
どんな言葉を返してくるのか。
それを考えると、何故だか胸の中が忙しなくなる。
落ち着かなくなる。
ただ、答えを聞くだけなのに。
千染が不可解な感覚に苛まされてる一方で、無言で千染を見下ろしていた夜雲は、その目を柔らかく細めた。
「……そうだね」
夜雲は口を開く。
「きみに触れて……きみを感じて……きみを知って……それで……、………いつか……」
途切れ途切れでありながら、優しく、囁くような口調で。
「きみと……繋がりたい、のかも……」
答えを返した。
少しの間が空く。
その返答を聞いた千染の表情に、疑問の色が浮かぶ。
「……繋がりたい?」
千染の問いに、夜雲は小さく頷く。
「体だけじゃなくて……心も……。今、ぼくがきみに感じていることを……きみも……ぼくに感じてくれるようになったらなって……」
「……つまりは、あなたと同じくらいわたしもあなたを好きになれと?」
「なれ、というか、なってほしいというか……。こればかりは……きみの気持ち次第だから、ぼくはなんとも……」
「………」
「結果的に……きみの気持ちがどうなるかはわからないけど、でも、それまでは……きみがこうして来てくれる限り、きみに触れられる距離にいられる限り、ぼくはぼくの気持ちをきみに伝え続けるよ……」
千染を真っ直ぐ見つめて、答えを返していきながら、夜雲は再びゆっくりと手を上げて……千染の頬に触れる。
ひんやりとした夜雲の手。
その冷たさにか、千染はぞくりしたものを感じてしまう。
それでもなんとか、表情を変えることなく夜雲を見続ける。
「……きみが納得出来るような答えを返せたかは、わからないけど」
千染を見つめていた夜雲の目に、切なげな色が覗く。
「こうして……きみが何か言えば返す口はある……。最初はちょっと……緊張してしまって……、あまり会話にならなかったかもしれないけど……でも、今は……こうやってちゃんと返せる……。……だから」
千染の頬に触れていた手が、撫でるように下がっていく。
そして、今度は彼の肩に触れると
「ぼくのことで、わからないことがあったら……ぼくに聞いて……。お願いだから……、ぼくだけと向き合って……」
と、切実な声で懇願した。
夜雲の目が、その声が、本気なのは明らかで。
疑いようがなくて。
例え、彼の感情を心の底から理解出来なくても。
受け入れることだけは……出来る。
それが正しいのかどうか、その疑問から目を逸らせば、あっさりと。
だから。
「……わかりました」
千染は受け入れることにした。
胸のざわつきを無視して、思考を一旦放り投げて。
受け入れてみることにした。
夜雲の言葉を。
「では、今度からはあなたのことはあなたに直接聞くようにします」
「そう……。よかった。ありがとう」
千染の言葉を聞いた夜雲は、表情はあまり変わらないものの、嬉しそうな目をする。
夜雲のその反応を見て、千染は視線を横に向けてなんとなく……冬風のことを思い出す。
彼の告白を、彼が自分に言ってきた愛しているという言葉を思い出して、思った。
やはり夜雲が言ってくる“好き”は重いと。
重くて、深い。
冬風とは全然違う。
夜雲の好意は、それを表す言葉は、こんなにも差し迫ってくる。
確かな“想い”を感じる。
……まさか、冬風が比較材料になるなんて。
あの性悪狐との関係もある意味無駄ではなかったか、と千染が皮肉めいた気持ちになっていた時だった。
「千染くん」
夜雲に名前を呼ばれ、千染はハッとしたように反応する。
視線を前に戻すと、いつもの無表情でこちらを見下ろしている夜雲の姿が目に入る。
「あのさ……」
夜雲の手が、千染の肩からするりと離れる。
その時、千染はふと気がつく。
そういえば、いつもならこれくらい距離が近かったら、間を置かず抱きついてきたり接吻してきたり果てには押し倒してきたりと過剰な接触してくるのに、今日はそうしてくる気配が全くない。
どうしたのか、ついに飽きたのか。
話に夢中になってたといえば、そこまでなのだが……。
と、なんとなく考えていた千染だが、この後すぐ思考をひっくり返されることになる。
「きみは……誰かを抱いたことは、ある?」
「え?」
「あるの?ないの?」
「……ありますけど」
夜雲の唐突な質問に一瞬ぽかんとした千染だが、間髪入れずに夜雲が急かすように聞いてきたため、とりあえず答える。
それを聞いた夜雲は少し複雑そうに目を伏せたが、すぐに視線を千染に戻す。
そして、何か緊張しているのか、着流しを軽く握りしめて……再度口を開くと、
「そっか……。じゃあ……、大丈夫だね」
「?、何がですか?」
「……千染くん」
「はい……」
夜雲は唾をこくりと飲み込み、いつになく……緊張と恥じらいが混じったような様子で、少し熱を帯びた目で、千染を見つめる。
初めて見たといっていいほどの夜雲のその姿に、さすがの千染も顔に出して困惑する。
一体どうしたというのか。
毎度の如く自分を抱きたいなら毎度のようにしてくればいいではないか。
そんな今更生娘みたいな反応しなくても、と……まどろっこしく思っていた矢先。
「今日は……ぼくを抱いてほしい」
「…………え」
予想にすらしていなかった夜雲の要求に、千染の口から彼らしかぬ間抜けな声がもれた。