相異相愛のはてに
夕暮れ時。
仕事の関係で城下町に来ていた夜雲は、商人の家を出て帰ろうとしていた。
だが、少し歩いたところで……。
「お、夜雲くんじゃないかぁ!」
名前を呼ばれ、夜雲は足を止め、声が聞こえた方を振り返る。
すると、顔つきから軽薄そうな男が、華やかな着物に身を包んだ綺麗な女を肩を抱いて、こちらに歩いてきていた。
仕事で何度か顔を合わせたことがある。
名前は、永和(とわ)。
ここの城主の側近。
つまり腹心だ。
こう見えて周りからの信頼が厚く、腕も立つ。
「また仕事かぁい?ちゃんと息抜き出来てるぅ?」
「……はい。永和さんも相変わらず元気そうで」
あまり得意でないのか、夜雲は少し遅れ気味に返事をする。
「俺はいつだって元気だよ〜。美人とかわい子ちゃんいる限りね〜」
「も〜永和さまったらぁ」
「……」
女の肩を更に抱き寄せて女に頬ずりする永和と満更でもない様子の女。
その様子をいつになく冷めきった目で見た後、夜雲は二人の後ろにある建物を見て気づく。
そういえばここらへんは廓が近かったんだ、と。
「あ、そうだ」
永和の声に反応して、夜雲は再び彼を見る。
「その様子だと仕事終わったんだよね?せっかくだし夜雲くんも久々に遊びに来ない?」
嫌な予感はしていた。
そして、案の定だった。
「ね?いいよね?」
「もちろんですよぉ。若い殿方はいつだって大歓迎ですっ。夜雲さまが来たらみんな大はしゃぎしますよっ」
「だってさ。行こ行こ〜」
「いえ、ぼくは……」
「大丈夫だってぇ。俺の奢りだから〜」
「そうじゃなくて……」
「夜雲くんまだお相手いないんでしょ?」
永和の言葉に、夜雲の口が止まる。
「いないんだったら余計今のうちに遊んどかないと〜。あれだよあれ。夜の相手が上手く出来なかったら、いざ好きな子が出来た時幻滅されちゃうよ〜?」
「……」
夜雲の視線が横にずれていく。
「せっかくイイ面してんだから〜。ねぇ?」
「もう永和さまったら少しお口が過ぎますよ?」
「………」
二人の会話をよそに、夜雲は思い浮かべる。
彼の姿を。
あの日の夜から来なくなった彼を。
その瞬間、夜雲は永和に引かれかけていた手を振り払った。
夜雲の行動に驚いた永和は、目を大きくして夜雲を見る。
隣にいた女も。
「……じゃあ、尚のこと行く必要ないですね」
「え?」
「いるので。好きな人」
「えぇっ?」
「しかももう抱いていますので」
「えぇぇー!?」
まさかの展開に永和は段階を上げて驚く。
隣にいた女も口元を両手で覆って愕然とする。
「なので、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「……え、いや、まぁ……お相手がいるなら無理強いはしないけど……」
驚きで止まりかけた思考をなんとか動かして、永和は喋り出す。
「ちなみに誰?」
「聞いたところでわからないと思います」
「花咲村の娘?」
「違います」
「仕事先で出会った娘?」
「違います」
「えー気になるー!夜雲くんが好きになったお相手!てかきみ、ちゃんと性欲あったんだね!よかったぁ!」
「………」
「永和さま、失礼が過ぎますよ……」
さらっと無神経なことを言ってきた永和に、夜雲は無言になり、隣で聞いていた女は若干引きながらも注意した。
「だってさ〜、夜雲くん廓に来てもすぐ帰ってばっかだったじゃん。美人やかわい子ちゃん前にしても無反応だったし、そう思うじゃん」
「永和さま……」
「ねーねー、いつかその人連れてきてよ〜。夜雲くんをその気にさせた人見てみたいな〜。どんな女なんだろ〜。俺もうっかり惚れちゃうかも〜」
「……女じゃないですよ」
「……ぅえ?」
間抜けな声を出す永和をよそに、夜雲は踵を返す。
「女じゃなかったです」
「………え?つまり、それって……」
「でもどうでもいいんです。そんなこと。女であろうが男であろうが、好きであることに変わりないのですから」
永和に背を向けたまま、夜雲は言う。
「彼だけですよ。こんな気持ちになるのは」
いつもの抑揚のない声で。
「熱くなったり、冷たくなったり、浮いたり、沈んだり、揺れたり、ぎゅっと苦しくなったりもして……。胸の中がずっと忙しいんです……、静かにならないんです……、彼のことになると。違うことを考えようとしても、頭の中は彼のことばかり……」
だけど、いつになく口数多く。
そして、
「………やっぱり、ぼくには彼しかいない」
最後に確信するかのようにそれだけ言うと、夜雲は歩き出した。
行き交う人々に紛れて遠くなっていく彼の背中を、永和と女はぽかんとした顔をして見送る。
そして、しばらくして二人は互いを見る。
「夜雲くんって男色だった……ってこと?」
「あの言い方ですと、好きになった人がたまたま男だったのだと思いますが……」
「は〜、何にせよあの夜雲くんがねぇ〜。狙ってた娘たちさぞ残念がるだろうねぇ」
「ですねぇ。次はいつ来るのかいつ来るのかと待ち遠しくしてましたのに……。まぁ想い人が出来たのでしたら仕方ありませんね」
「だねぇ」
と、緩い感じに会話をしながら、二人は夜雲が去った方とは逆の方へと歩き始める。
「夜雲くん狙いと言えばさぁ。華穂さん、まだ見つかってないんだっけ?」
ふと思い出したかのように、永和は華穂(かほ)という人物の話を持ち出す。
その名前を聞いて、女は少しだけ表情を曇らせる。
華穂とは女と同じ廓にいた遊女だ。
今はいない。
二年程前に消えたのだ。
ある日、突然。
用事があって出かけると言って、外に出たきり。
女にとって華穂という女は先輩であり姉のような存在だった。
遊女としてののうはうや息の抜き方を彼女から教わり、今がある。
だからこそ、華穂がいなくなったことは今でも女の胸に暗い影を落とした。
「ええ。未だに……」
「本当どこ行っちゃったんだろうねぇ。まぁあの人特に夜雲くんにお熱だったから、今回のこと聞かずに済んだのはある意味よかったかもね」
「そうですね……」
声色からして女の暗い雰囲気に気づいた永和は、顔を横に向ける。
女の陰りある横顔が、目に入る。
それを少しの間見つめた後、永和は女の肩に手を回して引き寄せる。
永和の行動に少し驚いた女は、反射的に彼を見上げる。
「と、永和さま?」
「んまぁ、華穂さんのことだからきっとどこかで逞しく生きてるよ。下手したら夜雲くん以上に好みの男見つけて、その人に強引について行ったのかもしれないしぃ」
「そう……でしょうか」
「そうそう。だからそんな暗い顔しないで。美宵ちゃんの笑顔が俺の活力なんだからねっ」
「……ふふ」
昔から、初めて会った時から変わらない優しさ、変わらない笑顔を向けてくる永和に、美宵(みよ)と呼ばれた女は安堵を感じ、自然と笑ってしまう。
その顔を見て、永和も嬉しそうに笑う。
「お、笑った笑った〜。やっぱ美宵ちゃんには笑顔が一番だよ」
「ふふ、ありがとうございます。永和さまのおかげですよ」
「いやいや〜。ってか、そもそも美宵ちゃんの気分を落とす原因を作ったのは俺だからぁ。あ〜ついつい何も考えずに思ったこと口に出しちゃうんだよね〜。ごめんねぇ?」
「いえ、そんな。むしろ永和さまが華穂姐さんのことを今でも覚えていてくれて、嬉しいくらいですよ。もう誰も姐さんの名前を口にすることありませんから……。姐さんを気に入っていたお客さまですらも……」
「そっか……」
「でも、そうですよね。華穂姐さんのことです。きっといい人と出会って、どこかで暮らしていますよね」
「うん。そのはずさ。あの人は自分をしっかり持ってて強いからね。うちの男衆よりも」
「ふふふっ、そうかもしれませんね」
二人は穏やかに笑い合い、人々が行き交う通りを歩いていく。
「あ〜、しっかしあの夜雲くんの胸を射止めた人、気になるな〜」
「ですねぇ。正直、私も気になります……。どんなお方なのでしょうか……」
「ねー。いつかしれっと連れてきてくれないかなぁ。てか、好きな人の前にいる時の夜雲くんの姿も全然想像出来ない。あの固定されたように動かない表情に変化があるのかなぁ」
「さすがにあると思いますよ?夜雲さまも人間ですから……」
「わ〜ますます気になる!次会ったらもっと聞いてみよ〜」
「しつこくない程度にですよ?」
「わかってるってぇ」
「永和さまは夜雲さまにあまり好かれてないのですから」
「えっ」
***
その頃。
夜雲はというと、城下町から出て帰路を辿っていた。
日は沈み、夜色に染まりかけてる空に一つ、また一つと星が輝き始める。
薄暗い草道の真ん中を歩き、ひんやりとした風に吹かれながら、感情のない目で道の先を見つめる。
「………廓……」
夜雲はぽつりと呟く。
その瞬間、夜雲の脳裏に過去の光景が過る。
毎度のように仕事を済ませて、日が落ち、月明かりにぼんやりと照らされた帰り道。
草道から山道へと入って程なくしたところで、夜雲は後ろから声をかけられ、振り返った。
すると、そこには美しい女がいた。
顔立ちからして気の強そうな。
そして、それは知ってる顔だった。
あの城下町にある廓で、数回見たことのある顔。
よく自分に声をかけてくる遊女だ。
それが、そこにいた。
「………」
記憶をなぞるかのように、夜雲は脳内に浮かんでる光景と同じ草道を歩いていき、そして山道に足を踏み入れる。
あの廓で一番売れていると評判だった遊女。
それがなんでそこにいたのか。
当時の夜雲はすぐに察した。
自分を追いかけてきたのだと。
そして、女は切なげな声で言ってきた。
ーーーー夜雲さま、お久しぶりです。
ーーーーいつから、お会いしていないでしょうか……。
ーーーー町に来ることはあれど、うちには全く顔を出してくださらず……。
女の発言から……いや、夜雲は前々からなんとなく気づいていた。
女が自分に好意を抱いていることを。
あの廓にいる遊女の誰よりも。
ーーーー今日町に来ていたとお客さまの会話から聞いて、つい、廓を抜けて追いかけてしまいました。
ーーーー勝手なことを、申し訳ありません。
ーーーーでも、もう、我慢出来なくて……。
涙混じりの声でそう言うなり、女は小走りで駆け寄り、抱きついてきた。
ーーーー夜雲さま、好きです。
ーーーーお慕いしております。初めて見た時から……。
一目惚れ、だったのだろう。
ーーーー夜雲さま。
ーーーー夜雲さまの気持ちはわかっております。
ーーーーその心が私に向いてないことを。……私を見ていないことを。
そして、けじめをつけるつもりだったのだろう。
ーーーーだから、せめて一度だけ。
ーーーー一度だけで構いませんから、私を……抱いてください。
ーーーーそれで、もう諦めますから……。
ーーーーあなたを追うのはやめますから……。
女は必死だった。
切実だった。
だから。
ーーーー夜雲さま……。
あの時、夜雲に接吻をしようとしたのだろう。
断られる前にと。
性急に。
女の唇が夜雲の唇に重なりそうになる。
その寸前で。
ぐじゅっ
瑞々しい肉が潰れるような音。
直後にぼたり、ぼたり、と何かが滴り落ちる音がする。
時が止まったかのように、女は固まっていた。
見開いた片目で夜雲を見ていた。
そして、もう片方の目には親指。
夜雲の親指が、根元しか見えなくなるまで女の目の中に入り込んでいた。
親指と眼孔の隙間から赤い、赤い血が流れ落ちていく。
どろどろ、ぼたぼたと。
女の白い肌を染め、地面を汚していく。
ーーーーあ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っっ!!!
けたたましい悲鳴が響いた。
女は振り払うかのように夜雲から離れ、未だ血が流れ出る片目を両手で押さえていた。
何が起きたのか、片目からの痛みのせいで余計思考が回らず女はただただ混乱する。
だけど、その途中で夜雲を見て本能的に感じたのだろう。
今すぐ逃げるべきだと。
女は走り出す。
綺麗な着物を血で汚しながら。
けど、数歩も進まずして、
ドスッ
後ろから胸を貫かれる。
長い刃で。
自分の胸から突き出ている真っ赤な刃を見て、女は目を見開き、げぼっと口から血を吐く。
女の足元にある血溜まりが、どんどん広がっていく。
ーーーー………華穂さん。
夜雲が女の名前を呼ぶ。
華穂と呼ばれた女は返事をしない。
出来るわけが、ない。
ーーーーごめんね。
ーーーーぼく、ずっと気になってる人がいるんだ。
ーーーー父さまと母さまを失った日から、ずっとずっと。
女の苦しげな声に構う様子もなく、夜雲は言葉を続ける。
いつもの抑揚のない声で。
ーーーー多分ね、ぼくはその人が好きなんだと思う。
ーーーーだって今でもはっきりと覚えてるんだ、その人の姿を。
ーーーー寝ても覚めても、ぼくの中はその人のことばかりなんだ。
ーーーーその人がずっといるんだ。
だけど、いつになく喋る。
冥土の土産と言わんばかりに。
ーーーーでね、決めてるんだ。
ーーーー接吻も交わりも、心の奥まで触れ合うようなそういった行為は、あの人だけにしようって。
ーーーー初めてから最後まで、ね。
そのうちに、だんだんと。
ーーーーその時に感じる熱も、肌も、心臓の鼓動も、全部あの人がいいんだ。
ーーーー知るのはあの人の味だけでいい、あの人の感触だけでいい……。
その抑揚のない声が、低く、冷たくなっていく。
そして、
ーーーーだから、ごめんね。
ーーーー……一度だけでも許せないんだ。
吐き捨てるようにそう言い放つと、夜雲は女から刃を抜いた。
血が吹き出て、地面をより一層赤く染めていく。
女の体が人形のように崩れ落ちていく。
小さく痙攣していた体が、程なくして動かなくなる。
それを見届けた夜雲は刀を鞘にしまい、辺りを見回した後、女の体を抱え上げて道外れへと消えていった……。
びゅうと強い風が吹く。
夜雲の灰色がかった白髪が、大きく揺れる。
夜雲は山道の真ん中に佇んでいた。
ちょうど女を殺した場所に。
夜雲はゆっくりとした動きで右手を上げて、その指先で下唇に触れる。
「……嫌なこと、思い出しちゃったな……」
いつになく、気分悪そうな声で呟く。
あの時、反射的に手が動いてなかったらどうなっていたことやら。
彼女の唇が自分の唇に触れていたかもしれない。
触れるのも触れられるのも、彼だけだと決めているのに、彼以外の誰かにそういうことをされていたかもしれないなんて……。
その可能性を浮かべただけで、夜雲は胸の中にどろりとした黒い塊が落ちた。
「………千染くん」
夜雲の唇から、指が離れる。
嫌な記憶を掻き消すように、千染の姿を思い浮かべる。
それに続いて、彼の唇や肌、手、髪、頬、触れたところ全てを思い出す。
そして、自分に向いてきた彼の目も。
その瞬間、胸の中にあった黒い塊が弾けて、夜雲は無意識に走り出していた。
頭の中は、千染のことばかり。
あれから、来なくなってしまった彼。
会いたい、触れたい。
やっぱり、彼だけだ。
彼しかいない。
こんな気持ちになるのは。
どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
知りたいからって、全てを見たいからって。
心の奥底からもっと触れたいからって。
その結果、いなくなってしまった。
来なくなってしまった。
せっかく会えたのに。
長いこと探して、待って、探して、待って、ようやく見つけたのに。
もっと慎重にいけばよかった。
もっとしっかり考えればよかった。
言葉を選べばよかった。
やり方だって他に何かあったはずだ。
仕事ではこんなことないのに。
他は上手くやれるのに。
………あれ?
色々と感情を渦巻かせながら走ってるうちに家に辿り着いた夜雲は、戸の前で足を止める。
一つの疑問が浮かんだ。
上手くいかない。
こんなことあったっけ?
夜雲は思い出してみる。
仕事のことも、村の人その他の人との関わりを。
それが上手くいかなかったと感じたことはあっただろうか。
やらかした、ヘマした、失敗した。
そう思って後悔することあっただろうか。
………ない。
思い出す限り、ない。
そもそも、上手くいくとかいかないとか……考えたことなかった。
そのことに気づいた瞬間、夜雲の目が少しだけ大きく開いた。
その場に静けさだけが漂う。
戸の前にいる夜雲が今、どんな表情をしているのか。
「………そっか……、やっぱり……」
しばらくして、夜雲の口から納得したような声が出る。
それから少しの間を置いて、再度口を開き、何かを呟こうとした……その直後。
夜雲は何か気づいたように目を大きくして、顔を上げる。
そして、素早く後ろを振り返る。
すると、
そこに……千染がいた。
驚いた顔をしてこちらを見ている千染がいた。
その場の空気が張り詰める。
夜雲も千染も、じっと一直線にお互いを見る。
夜雲は驚いたように、千染はほんの少しだけ顔を強張らせ、互いを見つめる。
そんな千染の片手には、棒手裏剣が数本握られていた。
彼が何をしようとしていたのか、見ればすぐわかる。
だけど、それを見ているにも関わらず、夜雲は彼の元へ駆け出す。
走って、それで。
千染を勢いよく抱きしめた。