相異相愛のはてに
独影は昔からそうだった。
こちらの都合や機嫌が良かろうが悪かろうが、お構いなしと言わんばかりに話しかけてくる。
近寄ってくる。
余計なことをしてくる。
「なー、いい加減若医者くんのとこ行ったげれば?」
こんな感じに。
三日月が浮かぶ夜空の下。
そこらかしこに屍が散らばる血腥い山の中で、千染と独影は向かい合っていた。
両手を後ろ頭に回していつもと変わらぬ様子でさらりと今の自分の地雷原に踏み込むような発言をしてきた独影に、千染は気難しい表情をする。
足元にいる猫が、きょとんとした様子で千染を見上げる。
「もう大分行ってないだろ?何があったのか知らねぇけどさ。とりあえず仲直りするには、まずお前が若医者くんに会いに行かねぇと何も始まらねぇぞ?向こうはこっちの所在わからねぇんだから」
「……お前には関係ないでしょう」
千染の口から、怒気と嫌悪を孕んだ低い声が出る。
感情が抑えきれてないせいか、その声には微かな震えが生じていた。
いつぶりか。
いや、もしかして初めてかもしれない。
とにかく声からして伝わってきた千染の強い感情に、独影は少しだけ目を大きくする。
そして、何か感じることがあったのか、いつになく真剣な目つきに変わって千染を見た。
「まぁ、確かに俺の勝手なお節介だけどよ。でも何も言わなかったらお前一生若医者くんのとこ行かねぇだろ?」
「あいつのとこに行こうが行かまいが、わたしの自由ではありませんか……」
「けど、若医者くんは待ってるぜ?お前が来るのを」
「そんなの知りませんよ。待ちたければ勝手に待っていればいい」
「あ〜あれか。お前、若医者くんが怖いんだな?」
「………は?」
独影の発言に、千染の眉尻がぴくっと動く。
「なるほどなるほど。それじゃあ仕方ねぇな。怖いやつにはそりゃ会いたくねぇわ」
後ろ頭から手を離し、今度は腕を組んで、独影は納得するように言う。
「だったらまぁ行かなくてもいいんじゃね?俺だって本気で怒ってる櫻世さまや雹我さんとか、怖すぎてぜってぇ会いたくねぇし」
もちろん、本心で言っているわけではない。
あくまで挑発だ。
千染をその気にさせるための。
「ごめんなぁ?そこらへん察すること出来なくてよ。でも、まさか千染が怖じ気づくことあるなんてなぁ。しかも忍でも武士でも刺客でもないお医者様相手に」
普段の千染ならこんな挑発をしたところで軽く悪態を返すくらいで終わるだろうが、今の千染は違う。
「まぁあの若医者くん強いんだもんな。お前に負けを認めさせるくらい」
今の千染なら、乗ってくるだろう。
独影はそう確信する。
これも長い付き合い故か。
「なら、千染を怖がらせるのも容易いかもなぁ」
顔を見なくても空気を通して伝わってくる。
千染の殺気が。
おどろおどろしいほどの重い感情が。
「一体どんなことをされたのやら。想像出来ねぇや」
それでも独影はいつもの調子で言い続ける。
胸の内で構えながら。
そろそろ来るかと。
そして。
「あ。それなら、俺が若医者くんとこ行ってお願いしてやろうか?千染が怖がってるから優しくしてちょうだいって」
その瞬間。
鉄と鉄のぶつかる音がその場に響いた。
千染の足元にいた猫は驚いて走り去っていく。
千染が振り下ろした小太刀と独影が咄嗟に出した鎖鎌の刃が、ギチギチと不穏な音を立てて互いに押しつけ合う。
千染は憤怒に染まった形相で、独影は至って平然とした様子で、互いを見る。
「お前……、黙っていれば好き勝手言いやがって……!」
「えー思ったことを言っただけじゃん」
いつになく荒々しい口調になっている千染を前にしても、独影はいつもと変わりない様子で応じる。
それが余計に千染の気を逆撫で、殺意の色が濃くなる。
「千染ぇ、本当に何があったのか知らねぇけどあの若医者くんにだけは本音言ってもいいんじゃねぇの?怖いにしろ嫌にしろ、あの子なら何を言ったってお前を……」
「うるさい!!」
白々しく諭してくる独影の声を遮り、千染は鎌ごと彼を強く押すと、間髪入れずに小太刀を振り回す。
その場に鉄と鉄のぶつかり合う音が、何度も響く。
右から左から、上から下からと容赦なく攻めてくる刃を、独影はいつもより少し気を集中させて鎌で受け止める。
本気と言ってもいいくらい自分を斬りにかかってきている千染を、独影は観察するように見る。
(かなり荒れてんなぁ。いつしか心ノ羽ちゃん助けに行った時もちょっと荒れていたけど、ここまで酷くなかったぞ)
過去に見てきた千染を思い出しながら、独影はなんとなく思う。
心ノ羽関係は例外として、敵からも依頼主からも何をされようが何を言われようが、大して心の動きを見せなかった千染が。
同じ巣隠れ衆の冬風に陰湿なちょっかいをかけられても、大して何も感じてない様子だった千染が。
こんなにも感情的になるなんて。
(若医者くんは千染に何したんだろうか?)
飛んできた棒手裏剣を避け、すかさず首に向かって振られた小太刀を受け止める。
千染の猛攻を防ぎながらも、独影は考える。
夜雲が千染にしたことを。
千染がこうなってしまう程のこととは、どんなことなのか。
想像してみる……が。
やはりというか、当たり前というか、思い当たらない。
千染が激情を抑えきれないほどのことなんて。
そもそも、千染に惚れている夜雲が手酷いことをするなんて考え難いし……。
もしかしたら何かすれ違いが生じているのでは。
独影は考えた末にそう察する。
夜雲の雰囲気からして物静かそうだし、口数少ない故に千染に何かしらの誤解をされてしまったのかもしれない。
そうであるのなら、尚更会って話をするべきなのでは。
(とはいえ、今の状態だと俺の話聞かねぇだろうし……)
とりあえず気が済むまで相手して、それからだな。
と、独影は毎度のように千染の攻撃の手が止まるまで付き合うつもりでいた。
……だが。
ガキンッ
「!」
「……!?」
いつも通りのはずだった。
毎度のように防ぎ防がれ、勝敗もなく終わるはずだった。
だけど、この時。
この瞬間、いつも通りではなくなった。
鎌に受け止められたはずの小太刀が、千染の手から離れたのだ。
短い音をあげて、小太刀が弾かれ、宙を舞う。
その光景に独影は目を見開く。
同時に千染も、予想外のことだったのか目を大きくする。
小太刀を受け止めるはずだった鎌の刃が、そのまま千染に向かう。
しかも、首に向かって。
それを見た瞬間、独影の額から汗が滲み出る。
そして、咄嗟に。
ドガッ
「っ!!」
千染の腹を蹴り飛ばした。
鎌の刃は紙一重で宙を斬る。
千染の体は呆気なく地面に倒れる。
同時に弾かれた小太刀も千染の後ろに落ちる。
鎌を振り切った体勢のまま、独影は若干顔を強張らせて千染がいたところを見る。
心臓がどくどく、どくどくと忙しなく脈打つ。
こんなこと、いつぶりだろうか。
下忍の時以来じゃないのか。
「……っぶねぇ……」
いつになく余裕のない口調で、独影は呟く。
まさか千染を斬りそうになるとは。
きっと、蹴り飛ばしていなかったら殺していた。
鎌が首に刺さっていた。
肝がぎゅっとなる感覚を覚えながら、独影はゆっくりと鎌を下ろしていく。
一体さっきは何が起きたのか。
もしかして知らず知らずに、自分が思っていた以上に力を入れてしまっていたのか。
と、僅かばかりに戸惑いを感じながらも、独影は千染を見る。
千染は腹を片手で抱えながら、上半身を起こしていた。
が……、それ以上動く気配はなく、項垂れていた。
その場に何とも言えない静寂が流れる。
(………)
さっきのは自分の力加減ではなく千染に原因があると、独影はすぐに気づいた。
彼の姿を見て。
大事に至らなかったことに安堵するのも束の間、独影は複雑な気持ちになる。
「……なぁ千染」
しばらくの沈黙の後、独影は千染に声をかける。
だが、彼からは反応らしい反応は返ってこない。
「ごめんな、意地悪なこと言って」
それでも独影は言葉を続ける。
真っ先に、謝罪を口にする。
今の千染に、間違った接し方をしてしまったから。
そう感じたから。
「でもよ」
独影は鎖鎌を腰におさめる。
「若医者くん、お前を待ってるぜ?」
血の臭いを帯びた冷たい風が吹く。
「お前が来なくなってから、夜になると外を見ている。ずっと」
「………大吉を使ったのですか?」
「まぁな」
「………」
千染は再び黙り込む。
項垂れたまま。
「若医者くんが何をしてお前をそこまで怒らせたのか知らねぇけどよぉ。確かに言えるのは、若医者くんに悪気はねぇってことだ」
「……」
「あ〜……まぁ悪気がねぇからって何でもやっていいわけじゃねぇけど。でもあの子が悪意を持ってお前に接することはねぇよ。それだけは言える」
「………」
「だから、……せめて、あと一回だけでも会ってあげたらどうだ?」
独影は少し悩むような様子を見せた後、千染に言う。
今度は彼の気持ちも汲み取るような言い方で。
「それで何が嫌だったのか伝えればいいじゃねぇか。で、もう会いたくないなら会いたくないって言ってやれよ」
「……」
「なんかさ。大吉を通して様子を見に行く度に落ち込んでる感じだから、さすがにちょっと可哀想っつーか……」
「……なんであっちが落ち込むんですか……」
「そりゃあお前が来なくなったからだよ」
「………」
「言っただろ。若医者くんはお前に本気で惚れてるって」
独影の言葉に、千染はまた口を閉ざす。
「好きな人が自分とこ来なくなったら……まぁ普通は悲しいだろ」
「……」
「誰かに惚れるとか恋するとか、俺もしたことねぇから説得力に欠けるかもしれねぇけど……それでもあの姿は」
独影の脳裏に、大吉を通して見た光景が過る。
夜が来る度に、二階の障子窓から外を見つめる夜雲。
時折外に出たりもして、今日訪れるかもしれないと言わんばかりに家の前で佇む夜雲。
彼は待っている。
千染が来るのを。
健気に、いつまでも。
その度に、たまに見える横顔が……どこか寂しそうで。
切なそうで。
決して、何も感じていないわけではない。
「……そうとしか言えないだろ……」
独影は静かに言う。
そして、それ以上何か言う様子もなく黙り込む。
その場に少しの沈黙が流れる。
三日月の明かりだけが頼りの山の中。
血と屍が散らばるその場に、また冷たい風が吹いてくる。
長く、血のように赤い髪を静かに揺らしながら、千染は少しだけ顔を上げる。
地面に広がっている血が、目に入る。
己が斬って、殺した者の血が。
時間が経って、黒くなりかけているそれを見つめながら、千染は閉ざしていた口を小さく開いた。
「わたしのことを……」
吐息に近い小さな声。
それでも確かに聞き取った独影は、顔を上げて反応する。
「知りたい、と……。……わたしの全てを見たい、と……言ったんですよ……、あいつ……」
千染は言う。
「……ありのままのわたしを……」
黒ずんだ血を見つめたまま。
「わたしの……心を……」
無気力な声で。
一つ一つ。
こぼすように言ってきた千染のその言葉に、独影はなんとなく察していく。
千染の心境を。
完全にわかりきっているわけではないが、それでも長年共に生きてきた仲だ。
おおよそは汲み取れる。
「……忍の心なんて、知ったところで何になるんだか……」
少し時間を置いて、今度は嘲笑混じりに千染は呟く。
それを聞いた独影は、
「……好きだからこそ、なんじゃねぇの?」
静かな声で、答える。
彼も誰かに恋したことないし、そういうことは未だ知識としてしか知らないが、それでもそこから生じる何かをわからないなりに答える。
慎重に、ちゃんと考えて。
独影の言葉に反応するように、千染はまた口を止める。
「好きだから、知りたいんだろ。千染のことを。金とか損得とかそういったの関係なく」
「…………知って、どうするんです」
千染の口が再び開く。
その問い返しに、独影は少し困った顔をする。
「どうする、って……まぁ……」
「こんなに不愉快なのに」
なんとかそれらしい答えを返そうとした独影だが、千染の声によって遮られてしまう。
「こんなにも……腹立たしくて」
言葉を紡ぐ度に。
「胸がむかむかして」
千染の頭に浮かぶ。
「煩わしくて、鬱陶しくて」
あの日の夜が。
夜雲の姿が。
「……殺したいぐらい疎ましく思っているのに、……わたしを知ろうだなんて……」
夜雲の言ってきた言葉が。
思い浮かぶ。
嫌なくらい、鮮明に。
千染は地に置いている手を握りしめる。
握った拳は震え、それが彼の中で渦巻く感情を示す。
怒り、苛立ち、嫌悪、憎悪。
そして……、自分に対する失望。
自分は、未だに忘れていなかったんだ。
切り捨てれていなかったんだ。
あの日のことを。
かつての……師のことを。
だから。
だから、あんな……。
あんな……醜態を……。
………それを見せつけたあいつが。
それに気づかせたあいつが……憎い。
千染は下唇を噛む。
皮膚が切れて、血が流れるほどに、噛みしめる。
吐き出そうとした言葉は喉で止まり、千染は込み上げてくる感情を抑えるように肩を震わせる。
その姿を黙って見ていた独影は、何とも言えぬ表情をしながらも千染から目を離す。
少し考え込むように。
「……若医者くんは」
しばらくして。
「お前の全部を受け入れたいんじゃねぇか?」
独影は言った。
自分なりに考えついたことを。
独影が言ってきた言葉に、千染は少しだけ顔を上げて反応する。
肩や拳の震えが、ぴたりと止まる。
「だからお前のことを知りたいんだろ。まぁそのせいでお前を怒らせちゃってるわけだけど」
「………」
冷たい風がさぁと吹く。
赤く長い髪を揺らしながら、千染は少しの時間を置いた後、静かな動きで独影の方に顔を向ける。
その目は鋭くありながらも、僅かな困惑と疑問の色が浮かんでいた。
「受け入れて……それでどうするんですか?」
「も〜〜、知らねぇよ〜」
千染の問いに、独影は半ば匙を投げるように応じる。
両手を後ろ頭に回し、千染から目を離す。
「それこそ若医者くんに聞いてくれよ〜。そういった複雑な感情は本人しか知らないんだからさ〜」
「………」
答えようのないことを考えるのが面倒くさくなったのか、ため息混じりにそう言い放つ独影。
独影の返答を聞いて、千染は考えるように彼から目を離す。
黒ずんだ血が広がる地面を、また見つめる。
「結局千染は若医者くんが怖いわけ?」
程なくして、横から飛んできた独影の問いに千染は少し目を大きくした後、眉間に皺を寄せる。
そして、睨むような目つきで再び独影を見る。
「怖いわけありませんよ。あんな能面男」
「ふーん。じゃあ会いに行けばいいじゃん。怖くないなら」
「……」
「そんで聞けばいいじゃん。千染が疑問に思っていること。確かな答えを返せるのは若医者くんだけだし」
至極簡単な物言いでそう言ってくる独影に、千染は気難しい表情をする。
他人事だと思って気軽に言いやがって。
………けど。
確かに言われてみれば、自分は夜雲のことをまだよく知らない。
彼の言う“好き”という言葉の中に詰まった感情や想いの深い部分を、まだはっきりと見ていないし聞いてもいない。
理解もしていない。
親を殺した相手を好きになる男の心なんて。
……腹立たしい。
煩わしい、憎らしい、鬱陶しい。
その気持ちはまだある。
けど、独影と話して、独影の発言を聞いて、ある程度頭が冷えたのか、はたまた気が向いたのか。
千染は夜雲にもう一度会ってみようかと思った。
嫌だけど。
でも、会わないとずっとこのままな気がする。
死ぬまで胸にしこりが残ったままな気がする。
それに彼を前にしてたまに感じる逃げ出したくなるような衝動の正体も、未だわかっていない。
ならば嫌でも夜雲に会って、少しでも納得いくような答えを得た方がいいのではないか。
なんとなく、そう思った。
千染は静かに息を深く吸い込み、静かに吐いていく。
そして、元の落ち着きある表情に戻ると、ゆっくりと立ち上がった。
「……帰ります」
千染はそれだけ言って、近くに転がっている小太刀を拾いに行く。
夜雲のことはどうするのか、それを口に出すことなく。
だけど、口に出さなくても独影はわかっていたのか、特に言及しなかった。
「そだな」とだけ言葉を返して踵を半歩返す独影。
それと同時に小太刀を拾い、鞘におさめた千染は、足に力を入れてその場から走り去っていく。
続いて、独影も。
走っている途中で飛躍し、木から木へと飛び移っていく。
互いに言葉を交わすことなく。
(………本当、放っとけばいいことなんだろうけどな)
軽やかな動きで木から木へと移る千染の背中を見ながら、独影は思う。
(仮にこのまま若医者くんのところへ行かなくなったとしても、千染のことだから時間が経てば元の調子に戻っていただろうし、二人が会わなくなったところで何か支障が生じるわけじゃねぇけどさ……)
でも、と独影は一旦言葉を途切らす。
そして、次の瞬間、思い浮かんだのは……
夜雲に手を引かれて光の元へ向かう千染の姿。
一瞬だけ浮かんだその光景に、独影は複雑そうな表情をする。
嬉しそうな、寂しそうな、そんな何とも言い難い感情が混じった表情をする。
が、それもまた一瞬だけで、すぐにいつもの平然とした顔つきに戻るといつものように千染に声をかけた。
そして、いつものように彼と他愛もない話をしながら、里へ帰っていった……。