相異相愛のはてに
しなやかな体つきで妖艶な美女と見間違えるほどの美丈夫と、開いた襟からこぼれ落ちんほどの豊満な乳房がなんとも悩ましい年若い少女。
その二人が並んでこちらを見下ろしている。
絶景とはこのことを言うのだろう。
普通に生きてきた普通の男がこの絶景を前にしたら、下心でいっぱいになっていただろう。
或いは見とれていたか。
だが、それを前にしていたのは普通の男ではなく、一介の忍者だった。
布や鎖で木に縛りつけられ、片目に棒手裏剣が刺さったままの忍者だった。
忍者は憎々しげな目で、二人を見上げる。
「で、あなたはどこの忍です?」
「……言うと思うてか」
「まぁそうですよね。言いませんよね。野暮な質問失礼いたしました」
「ぐっ……!」
目に刺さっていた棒手裏剣を雑に抜き取られて、忍者は苦痛の声をあげる。
「でもわたし……というより、これを追っていた理由だけは教えてくれませんか?」
隣にいる還手を血のついた棒手裏剣で差し、千染は問う。
とても落ち着いた声で。
殺すことが大好きな彼が珍しく。
仕事外かつ自分の獲物ではないという認識だからかもしれないが。
忍者は何も答えず、ただ無事な方の目で千染を睨み続ける。
「聞けばこれは仕事でも何でもなく、うり坊を見たくてぶらぶらしてただけらしいじゃないですか」
「太一がうり坊いたって言ってたのになぁ、見つからなかったな〜。太一にお仕置きしなきゃな〜、泣くまであそこを弄くり回してやろ〜」
「あなたは黙っていなさい。で、仕事でも何でもないのにこれを追っていたということは、これ個人に用があったと見ていいですか?」
「………」
「どうなんですか?」
「うぐぁ!」
眼孔の傷口に再度棒手裏剣を浅く刺す。
さすがに我慢出来ないほど痛かったのか、忍者は先ほどよりも大きな声をあげる。
それに構うことなく、千染は掴んでいる棒手裏剣で中を緩くかき混ぜるように動かす。
ぐちゃ……ぐちゃ……と嫌な音をたてて。
「ぐ、うぅ……!」
「言わなかったら苦痛が長引くだけですよ?早く楽になりたいでしょう?」
「っ……」
「で、どうなんです?単に誰かからこれを見つけたら追えと言われたのですか?それともこれに個人的な恨みでも?」
「え〜かえで恨まれるようなことそんなにしてないよ〜?恨まれるとしたら千染ちゃんの方でしょ〜?要らぬ殺生までしてるから〜」
「あなたは黙っていなさい」
要らぬことを横から言ってくる還手を、千染は顔を前に向けたままぴしゃりと窘める。
還手は素直に口をむっと閉ざす。
もはや原型のない片目からの痛みに脂汗をかき、荒い息遣いをしていた忍者は、二人のやり取りを見た後しばらくして口を開いた。
「……す……すがく……れ……」
「……?」
「?」
「お前ら……巣隠れ……の、しのび……だろ……?」
忍者の問いに、二人は答えない。
答えずに、依然と変わらぬ様子で忍者を見下ろす。
そんな二人を見上げて、忍者はふっと皮肉めいた笑みを浮かべる。
「しらばっくれなくても……わかってるぞ……。小賢しいやつらめ……」
「……巣隠れの忍でしたら、どうかしましたか?」
棒手裏剣の動きを止めて、千染は問いかける。
忍者は眉間に皺を寄せ、今度は忌々しそうな表情で千染を睨む。
「ある日を堺に音信不通となり全滅していた遷見忍者の衆……。やはりお前らがやったのであろう……!」
遷見(うつしみ)。
遷見忍者の衆。
はっきりと耳に入ってきたその単語に、千染は理解する。
この忍者がどうして還手を追っていたのか。
理解した途端、呆れでため息がつきたくなった。
「ああ……またその話ですね」
また、ということは以前にも何度か同じことがあったのだろう。
その一方で、還手はぴんときてないのか、首を傾げていた。
「うつしみ……にんじゃのしゅう?ねぇ〜、千染ちゃん。何の話〜?」
「……ある城に仕えていた忍衆ですよ。この方が言ったとおり急に連絡が途絶えたかと思いきや、その忍達が住まう里が何者かの奇襲により全滅していたらしいんです。大分前の話ですけど」
「へ〜〜……ん?えっ、それってつまりかえでがやったって思われてるのぉ?だから追われてたの〜?いくらかえででも里の忍者丸々は無理なんだけど〜そもそもうししみ?うつせみ?とかいう忍衆知らなかったんだけど〜」
「違う……!お前を追っていたのは、お前らの里の在り処を突き止めるためだ……!!」
「えぇ〜〜?」
「突き止めてどうするんですか?」
間の抜けた緩い驚き方をする還手をよそに、千染は問う。
「ふんっ、心当たりがあればどうされるのかわかっておるだろうに」
「心当たりがないから問いかけているんですよ。というより、まだうちを疑っている人がいたこと驚いているくらいですよ。皆さんがうちが怪しいと騒ぎ立てるから、御頭達がわざわざ身を挺して各忍頭の元へ弁明しに行ったというのに」
まぁ弁明しに行ったと言っても話が通じる相手だけにでしょうけど。
と、心の中でそう付け足しながら、千染は呆れ顔で忍者を見下ろす。
「ふんっ!弁明だと?口では何とでも言えるわ……!!」
「はぁ、そうですか……」
遷見忍者が全滅したという話は、六年ほど前の話。
当時の忍界隈では大事件の大騒ぎであったが、六年も経った今では遷見のうの字も出ないくらい風化されている。
にも関わらず、こうやってたまに聞くのは未だに巣隠れ衆を怪しんでいる者がいるからだ。
何故、他にも忍衆や忍軍がいくつも存在するというのに巣隠れ衆ばかり怪しまれているのか。
それは……。
「知っているんだぞ……!お前らは元々“はぐれ”の忍者の集まりらしいではないか……!」
“はぐれ”の忍者。
それが、その言葉こそが、巣隠れ衆の忍が疑われる象徴だった。
またそれかと千染はため息がつきたくなる気持ちになる。
その一方で、還手はまたもや首を傾げる。
どうやら還手は、この件に関して絡まれるのは初めてのようだ。
「はぐれぇ?はぐれってぇ〜?」
「お前らを異端だからと異物だからと爪弾きにした我々を、世を、恨んでいるのであろう……!いつか全てに復讐してやろうと企んでいるのであろう……!!」
「へ〜?何それ〜?」
「とぼけるな!お前らの思惑なんぞわかっておるからな……!そもそも人間離れしたおぞましい力を持っているのが悪いのだ……!!お前らのようないつ牙を向けるかわからない化け物を側に置いていたら、命がいくつあっても足らない……!!いや、牙向くならまだしも化け物同士手を組んで謀反なんてされたらとんでもないことだ!だから我々の祖先はお前らを駆除した!……駆除した、はず、だったのに……お前らは生きていた……っ。生きて……一つの衆を築き上げていた……っ」
忍者の言う“お前ら”は、千染と還手に向けてというよりその祖先に向けてだろう。
だからなのか、千染は他人事のように聞き、還手は常に不思議そうに首を傾げていた。
「くそ……っ、やっと里を突き止めれると思ったのに……くそぉ……」
「ね〜、千染ちゃん〜」
「……なんですか?」
「この人、もしかして大分前の爺婆のこと言ってる〜?」
「そうですね。大方その“はぐれ”を仕留め損ねた先祖さまが、悔やみに悔やんで言い伝えてきたのでしょう」
「そっかぁ〜。爺婆もなかなかの置き土産してくれたね〜。どうせ残すならお金にして欲しかったよ〜」
「本当ですね」
千染は目を冷ややかに細めて、腰にある小太刀を掴む。
それを見た忍者はハッとした顔をする。
そして、最期に後味が悪くなるようなことを叫ぼうとしたが。
忍者が声を発する前に、千染は抜いた小太刀を彼の喉に突き刺した。
「せめてまともなものを残して欲しかったですね」
忍者の口からごぼごぼと血の泡が流れ落ちていく。
それを見た還手は、あーと声をあげる。
「うつつみ?忍者やったのかえで達じゃないって、まだ訂正してないよ〜?」
「どうせ死ぬのですから訂正する必要ないでしょう」
嘲笑を含んだ声で還手の言葉に応じると、千染は忍者の首から小太刀を抜く。
抜いた傷口から、血がごぽりとあふれ出る。
「あ〜確かにぃ……。ん〜爺婆達はその“はぐれ”?にしてきた人らを恨んでいたかもしれないけど、かえで達は別に何とも思ってないよね〜?むしろかえで達とは無関係だし〜、どうでもいいよね〜?」
「そうですね。わたしも別にそれに関しては何とも思っていませんけど。でも巣隠れ衆の忍という肩書がある以上、どうしてもついて来ることなんでしょうね」
「ふ〜ん。あ〜でもでもさぁ〜」
還手はふらふらと忍者の目の前まで歩み寄ると、ゆっくりとしゃがみ込む。
忍者の襟を開き、その下の鎖帷子も捲る。
そして、身に纏っている長い袖を捲って腕を出すと、忍者の胸の下の真ん中に向けて手を突っ込んだ。
「そのつつぬけ?忍者?」
「うつしみ、です」
「それが全滅したの大分前って千染ちゃん言ってたよね〜?」
「ええ」
「で〜、未だにかえで達を疑っている人らがいるってことは〜、犯人はまだ見つかってないってことだよね〜?」
「……そうなりますね」
ぐちゃぐちゃと忍者の中を探るように手を動かしながら、還手はん〜〜と小さく唸る。
「やだな〜〜、犯人見つかるまでかえで達が疑われるんだよね〜?というか、かえでずっとその話知らなかったよ〜?なんで誰も教えてくれないの〜?」
「御頭があなたにも教えに行ったはずなのですが。まぁ不真面目なあなたのことですから、聞いてるふりして聞いてなかったのでしょう」
「あ〜なるほど〜」
何かを掴んだかのように、還手の手の動きが止まる。
そして、その手をゆっくりと引いていき、大量の血を流しながら忍者の中から何か小さいものを引き抜く。
それは肝だった。
「でもさ〜、この際聞いていい〜?」
「どうぞ」
「千染ちゃんじゃないよねぇ?」
還手は取り出した肝を優しく包み込むように両手で持って立ち上がると、ゆっくりと千染の方に体を向く。
「犯人、千染ちゃんじゃないよねぇ?」
また同じことを問う。
念押しするかのように。
それを聞いた千染は少しの間黙り込んだ後、穏やかに笑うと、
「だったら、どうします?」
否定するどころか、どこか肯定の意を匂わせるような返事。
そう返事をしてきた千染を見て、還手は黙った。
渓流の心地良い音だけがその場に聞こえる。
爽やかな風が吹き、木々を微かに揺らす。
還手は見る。
千染を見る。
長い髪の隙間からじっと。
そして、
「千染ちゃんじゃないね〜」
確信するように、気の抜けた声でそう言った。
「そもそも千染ちゃんだったら絶対里に戻ってきてないだろうし〜、違うね〜。野暮な質問だったね〜」
「……おや、そう言いきりますか」
「言いきるよ〜。だっていくら殺生がだぁい好きな千染ちゃんでも、櫻世さまが本当に困るようなことするわけないし〜、やったとしたら櫻世さまに飛び火がいかないように自分がやったと公言するだろうし〜」
「……」
還手の発言に、千染の表情からだんだんと笑みが消えていく。
その表情の変化を見た還手は、千染と入れ代わるようにゆるーく笑みを浮かべる。
「千染ちゃん、櫻世さま大好きだもんねぇ」
「………」
まだ鞘におさめていない小太刀の刀身が、葉と葉の隙間から漏れた日の光にきらりと反射する。
さあぁと吹いてきた風が、艷やかな赤い髪を靡かせる。
千染は無表情で還手を見る。
還手も緩い笑みを浮かべたまま千染を見る。
お互いにお互いを見ているだけの時間が流れていく。
一見穏やかなようで隙のない空気。
そんな空気の中、千染の手が動く。
小太刀を持っている方の手が。
それでも還手は肝を両手に包み込んだ体勢のまま、千染を見つめる。
笑顔のまま見つめる。
そして、
かちり
その場に小さな、小さな音が鳴る。
千染が小太刀を鞘におさめたのだ。
千染は小太刀の柄から静かに手を離す。
そして、ゆっくりと還手から目を離し、日の当たる渓流の方に顔を向けた。
「……わたしは帰りますので」
しばらく渓流を見つめた後、千染は踵を返して歩き出す。
それを見た還手は両手を口にやって中にあった肝を噛まずに飲み込むと、口周りを血だらけにしたまま、ふらふらとした足取りでその後を追いかける。
「待ってぇ〜、千染ちゃ〜ん。かえでも一緒に帰る〜」
「……水浴びするんじゃなかったのですか?」
「ん〜ん、もういいの〜。帰って太一に全部やってもらうから〜」
「……そうですか」
そう言って千染は渓流を上手いこと飛び越えた後、木々の中へ一気に消えていく。
それに続いて還手も渓流を軽やかに飛び越え、千染の後に続いた。
木から木へと飛び移り、しばらくして追いついた還手は千染に話しかける。
「犯人誰だろ〜ね〜?忍衆一つ全滅させるから、さすがに一人じゃないよね〜?千染ちゃんなら可能かもだけど〜絶対違うし〜」
「……」
「早く見つかるといいね〜」
千染はもう還手と口を利かないことにした。
気に食わないからとかへそを曲げたからとかではなく、さっさと帰って寝たいから。
それだけを考えたかったから、里に帰るまでずっと黙っておくことにした。