相異相愛のはてに






あの夜。
結果的に抱かれた。
抱かれて、しつこく抱かれて、それで終わりだった。


朝。
里の外れの外れにある渓流で、千染は忍装束と小太刀と棒手裏剣を岩の上に置いて、己の身を洗っていた。
水をすくい上げ、肩や胸、太もも等にかけて、汗や汚れを落としていく。
しなやかで目立った傷のない白い体の上をなぞるように、水滴がつたって落ちていく。


(……)


緩やかに流れる澄んだ川水を見ながら、千染は昨夜から明け方にかけてのことを思い出す。
あれから青年のお望み通り好きにさせた。
一切抵抗せず、やりたいようにやらせた。
身体中に熱を浮かせながら、青年のやってくること一つ一つに身をよじらせて時折切ない声をあげながら、頭は冷静に青年を観察していた。
どこで豹変するのか、さすがに表情だけでも本性を露にするのではないか。
そう思って見ていた。
けど……、青年は変わらなかった。
表情は多少色めいてはいたが、それ以外に何の変化はなく、最初から最後まで欲望のまま身体の隅から隅まで食い尽くしてきた。
やや荒い場面はあったが、それでも暴力や凌辱に至るほどのことではなかった。
恨みつらみの言葉も吐いてこなかった。


これが……親の仇に対してやりたいことなのか。


千染は甚だ疑問だった。
親や兄弟、友を殺されて怒りに震え、憎しみに染まり、復讐の業火に身を焦がす者は何人と見てきた。
誰も彼も鬼の如き形相で、仇に刃を向けた。
その殺意と怒気の凄まじいことたるや。
……それを知っている故に、千染は青年のことがますます理解出来なくなっていた。
本来なら昨夜で大体わかる……はずだったのに。
余計わからなくなるとは一体どういうことなのやら。
でも、事実そうなのだ。
青年が自分を辱めるために、尊厳を踏みにじって屈辱を味わわせるために、ああいうことをしたのなら……あまりにも生温い。
生温すぎるのだ。
やり方が。
犯すというより抱いた。
ただ、抱いた。
本当に抱いただけだ。
自分がそういうことに慣れているから、余計にそう思ってしまうのかもしれないが、それにしたって体にも心にも傷一つ入れるような素振りが一切なかったのは如何なるものか。
却って不気味だ。
何を考えている。
いや……正確には、何を企んでいる……と言った方がいいか。


(………ちょっと、面白い……かもしれませんね)


ここで普通なら気味悪がってより一層警戒するなり、己の身を案じてこのまま雲隠れしようと考えるはずだが、千染は違った。
むしろますます興味がわいてきた。
青年がこれから自分をどうするのか、見届けたくなった。
そして、自分がどうなるのかも。
どうせ、いつ死んでもおかしくない身なんだ。
この先いつか、必要ではなくなる存在なんだ。
それなら、別に予測出来ない未知に身を投じてもいいだろう。
バチは当たらないだろう。
……もしかしたら、自分でも想像出来ないような悲惨な死に方をするかもしれないし。
そう思うと、少しだけぞくぞくした。
胸が躍った。
あの仮面のように変わらない表情の下で、青年がどれほどのおぞましい感情を蓄えているのか。
どんな恐ろしいことを企んでいるのか。
自分がどんなことをされて、どんな結末を迎えるか。
気になる。
知りたい、見てみたい。
ああ。
ああ、こんなにも何かに興味を持つのは、いつぶりだろうか。


(夜が三度来る度……か。となると、明日の明日の夜ですね……次は……)


次は……次こそは、何か知れるだろうか。
何か見せてくれるだろうか。
この胸が高鳴る何かを。
その時はもし、可能なら、頑張って思い出してみようか。
彼のことを。
覚えていないけど、彼の顔をしっかり見て、記憶を絞りに絞って、探り出してみよう。
こんなにも浮き立つような気持ちにさせてくれたんだ。
それぐらいはしてやらないと、なんだか申し訳ない。
まぁ……思い出すにしても。


彼が本当に嘘をついてなければ、だけど。


遠くで川魚が跳ねる音がしたところで、千染は何かに気づいたかのように顔を上げる。
生い茂った木々の向こう側から、ゆらゆらとした一つの影が見えてくる。
影はだんだんと大きくなっていき、木々を抜けて、日の当たる渓流に身を晒す。
それは、……女だった。
ボサボサの長い髪を前後ろと無造作に垂らし、薄黄色の着流しはちゃんと着付けられておらず、豊満な胸の谷間が丸々と見える。
全体的にだらしない。
そういった印象の女が、ふらふらと小走りと早歩きの間の速さでこちらに近寄ってくる。
千染のよく知っている女だった。
だから、千染は特に警戒もせず、その場に突っ立ったまま女を見続けた。


「千染ちゃあん、千染ちゃあん」


長い髪の隙間から見える口が、千染の名を呼ぶ。
覇気のない、気の抜けるような声だ。
千染は女の呼びかけに応じることなく、女がある程度の距離まで来たところで再び水をすくい上げるかのように川の中に手を入れる。
そして、次の瞬間、素早く体を起こすと女に向かって何かを投げた。
正確には女ではなく、女の後ろに。


「ぎゃ!」


悲鳴が聞こえた直後、女の後ろにあった木から何か落ちる音が聞こえる。
女は立ち止まり、後ろを向いてあ〜と声をあげる。


「そこにいたんだぁ」


そう言うなり、女は音がした方にふらふらと歩いていく。
その姿を見て、千染はふぅと呆れたように小さなため息をつくと、忍装束や小太刀を置いている岩に向かった。


巣隠れ衆の忍が一人。
還手(かえで)。
千染や独影と同じ上忍だ。
年齢は十八歳で七人いる上忍の中で最年少となる。
彼女を一言で言うなら、だらしない。
とにかくだらしないのだ。
着付けも中途半端、食事も中途半端、湯浴みも中途半端、掃除も中途半端と……本気でだらしない。
だらしない上にわりと我が儘で引きこもり。
それが還手という女忍者だ。
千染は忍装束に着替えながら、外に出ている還手を見るのはいつぶりだろうと思う。
ここ最近見たとしたら屋敷の一室の中か、蓋付きの桶の中くらいだ。
任務先へ行く時も、還手に逆らえない下忍か中忍を使って自分が入っている桶を運ばせている。
それくらい、滅多として表に出てこない。
そんな還手が表に出ていてかつここに来たということは……。
と、千染が大体の流れを推測したところで、彼の忍装束から何かがぽろりと落ちる。
落ちたそれは耳触りの良い音をたてて、岩の上を転がる。
その音に千染はハッとして、振り返る。
川に落ちることなく岩の上で止まったそれは、日の光に反射して金色に光り輝いている。

それは……小判だった。

千染は忍装束を着ていた手を止めて、それを見つめる。
その金は例の青年がくれたものだった。
明け方、さっさと身なりを整えて去ろうとしたら、いつの間にか起きていた青年に呼び止められ、何かと思ったら小判を一枚渡された。


ーーーーきみにはきみの仕事があるだろうけど、出来ればここに来る日の夜はこっちを優先して欲しい。

ーーーーその代わり、お金をあげるから。


そう言って、渡してきた。
断る理由もなかったので受け取ったが、なんだかやってることが遊女みたいだなと思った。
そういった行為をして、お金を受け取るなんて。
まぁ一晩寝ただけで小判一枚なんて破格過ぎるが……。
しかし、仇であろう相手に金まで払うなんて……。
と、明け方にあったことを思い出しながら忍装束を着て棒手裏剣を懐や太もも辺りに小太刀を腰にとおさめ、小判を拾いに行こうとした時だった。


「あっ、お金」


近くで声がした。
小判のすぐ前に来たところで千染は足を止め、振り返る。
すると、還手がいた。
いつの間にか、千染がいる岩の近くにまで来ていた。
千染は黙って還手を見る。
還手も小判から千染の方に視線を向けると、勢いよく右手を出した。


「追っ手、縛りつけたからちょーだい」


還手が何を言ってくるかわかりきっていた千染は、呆れと嘲りが混じったような表情をする。
そして、もちろん渡すわけもなく、小判を拾うとそのまま懐に入れた。


「あぁ〜かえでのお金〜」

「あなたのじゃありませんよ。というより、追っ手を見つける手伝いをしてあげたわたしに、よく金を要求出来ますね」

「かえでも頑張ったからもらうべきだと思う〜」

「何を頑張ったんですか?」

「んーとねぇ。まず昨夜から飲まず食わずでしょ〜?あ、水飲んでいい〜?あと水浴びしていい〜?」

「言うこと言って、やることやってからどうぞ」

「は〜い。んで、里に帰る前に追っ手に気づいたことでしょ〜?飲まず食わずなのにそこら中歩き回ったことでしょ〜?」

「……」

「それで〜水浴びしてる千染ちゃん見つけたことでしょ〜?木から落ちた追っ手が逃げないように縛りつけたことでしょ〜?」

「………」

「ほらぁ、わかってきたでしょ〜?かえでがどれだけ頑張ったかぁ」

「……追っ手を撒けなかったのろまが何を言ってるんですか」


蔑みを込めた声でそう言うと、千染は岩から下りる。


「だってぇ、走るの面倒くさかったからぁ」

「面倒くさがってる時点で頑張ったとは言えないんですよ」

「あぁ、それは確かにぃ……。でも千染ちゃん、昨日の夜はお仕事なかったよねぇ?そのお金どうしたの〜?」

「………これはですね……」

「盗んだの?盗んだのだったら半分ちょーだい」

「なんでそうなるんですか。あげませんよ。というより半分に出来ませんよ」

「かえでもお金欲しい〜、欲しい欲しい〜」

「欲しいならちゃんと自分で稼ぎなさい」

「何をしたら小判一枚もくれるの〜?」

「………」

「かえでも出来そう〜?」

「………まぁ、これに関してはわたしだからもらえた、とだけ言いますね」

「え〜〜〜?」


還手は前を通り過ぎていく千染に不満の声を漏らし、少し遅れて彼の後を追いかける。
ふらふらとした、今にも転けてしまいそうな危うい足取りで。


「ずるい〜千染ちゃんだけずるい〜、ずるいずるい〜」

「うるさいですねぇ。大体あなたには無償で金をくれる相手が何人かいるでしょう」

「その時欲しいって思ったのが欲しいんだもん。かえでは今その小判が欲しいんだもん」

「はぁ……そうですか」

「くれないなら水浴びする時着物脱ぐの手伝って〜。着るのも手伝って〜。お腹空いたから魚とって〜焼いて〜食べさせて〜、帰る時おんぶして〜」

「嫌ですよ。全部自分でしなさい」


小判がもらえないとわかるや否やあれやこれやと要求してくる還手に、千染は気だるげにため息をつく。
心ノ羽ほどではないが、還手は還手でまた違った類の鬱陶しさを感じる。
本当に我が儘というか自己中というか……。
元々あった性格……なのもあるが、それを増長させる要因になったのは多分、彼女の師にある……と千染は見ていた。
というのも、還手はこう見えて過去一の才女と周りから認識されており、師からの忍法を最短期間で会得したのだ。
しかも当時六歳というこれまた最年少で。
その時点で、還手は上忍だった。
そして当時の彼女の師は……彼女を恐れた。
あまりの才能に。
彼女に忍法を伝授してから早々に彼女を避けるようになった。
どの界隈でもある上下関係の在り方や礼儀等も教えず。
彼女の身の回りの世話を下の者に押しつけて。
まだ物心も大してつかない時に上忍になって、任務も当然の如くこなす彼女に、下忍はもちろん彼女より一回り二回りも年上の者がいる中忍すらも逆らえず、言いなりになっていた。
彼女の我が儘をほぼ全て聞いていた。
それが何年と続いた結果が……これだろう。
自ら目をつけて弟子につけたのだから最後まで面倒見て欲しいものだ。
と、当時の還手の師に、千染は少しだけ文句をもらす。
まぁ……それでも我が師よりはましだが、と付け加えて。


「千染ちゃんどこ行くの〜?帰るの〜?だったらおんぶか抱っこしてぇ〜」 

「追っ手を尋問しに行くんですよ。一応追っていた目的を聞いておくべきでしょう」

「あ〜、なるほどぉ……」

「まさか殺してませんよね?」

「殺してないよ〜。でも千染ちゃんが投げた鉄のあれが目に刺さっていたいいたいって感じだったからぁ、楽にしてあげた方がいいかもぉ」

「吐かすこと吐かしてから楽にしてあげますよ」

「ん〜〜じゃあ〜あの忍者さんの肝もらおうかな〜」

「………」

「いい体してたしイイ肝がとれそ〜」

「……ご自由にどうぞ」


はぁ〜いと気の抜けた声で返事をする還手を後目に、千染はその追っ手が縛られている木の元へ向かった……。



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