相異相愛のはてに
らしくもなく、少し興味を持ってしまった。
例の青年に。
あの時言われた言葉といい、行動といい。
何を考えているのか、自分をどうしたいのか、いまいち読めない。
今までの経験を踏まえてああかもしれないこうかもしれないと予想は出来るものの、これだと決定づけるものが一つもない。
ずっと、靄々は靄々のまま、予想は出来ても予測は出来ない状態になっている。
だから、知的欲求がそそられているのか。
少しだけ青年のことが知りたくなった。
両親を殺した仇相手に天誅を下すどころか、噛みつくような接吻をするなんて。
それだけで済まして、去るなんて。
更にはだ。
昔馴染みからの情報で、青年は医者ときた。
医者がどうしてあれほどの太刀捌きが出来るのか。
どうしてあんなに戦い慣れしていたのか。
どうして……躊躇いなく仇ではない他人を殺せたのか。
青年の素性の一部を知ったことで、謎は更なる謎を呼んだ。
半月が浮かぶ夜。
千染は約束どおり、花曇山に向かっていた。
木から木へ飛び移り、そこにある家を目指す。
花曇山を通ったことある独影曰く、麓にある花咲村から花曇山に入ってしばらく登ったところに一つだけ家があるらしい。
二階建ての家が。
知る限りではそこしか家らしい家は思い当たらないとのこと。
(………)
家に着いたら、何が起きるか、どうなるか、予測つかない。
だから千染はいつもどおり、小太刀も棒手裏剣も所持していた。
必要ないのかもしれないけど、もしかしたらまた一戦交えるかもしれない。
あの時の衝撃と興奮を味わえるかもしれない。
今度こそ、自分の死ぬ瞬間に立ち会えるかもしれない。
そんな特殊な淡い期待を秘めながら。
正直なところ、千染はやや残念に思っていた。
夢想は確かに現実にはなったが、最後まで行き着くことはなかった。
青年は自分を殺さなかった。
強かったけど、殺しはしなかった。
殺す意思が、全く見えなかった。
どうやら自分が早とちりで昂っていただけだったみたいだ。
ある意味、一人相撲していたというわけだ。
なんとも滑稽な話である。
けど、結果的にこうなってしまったのなら仕方ない、と一応は受け入れた。
問題はこれからだ。
これから、青年は自分をどうするつもりなのか。
(……真っ向勝負で敵わない相手なら、それこそ忍らしく先手打って暗殺する……のもありかもしれませんが)
木からまた木へと移り、移動で生じる風を感じながら、千染は考える。
(せっかくの奇妙な出会いです。……いや、再会と言えばいいんですかね。わたしは覚えていませんけど。とにかく、こんな二度とないようなことをいつものように処理するなんて勿体ない……)
ちょうどあの男に少し興味あることですし、しばらくは流れに身を任せましょう。
謎ばかりの中身を少しでも知るために、彼の好きにさせましょう。
それで殺されたら殺されたで、別によし。
生かしてきたら生かしてきたで、もちろん相手にはするし言うことも聞くが、飽きたら殺そう。
関心がなくなったら殺そう。
忍らしく、卑劣な手段を使って。
と、今後のことを考えているうちに花曇山に入っていたらしく、例の二階建ての家が見えてきた。
その近くの木に飛び移ったところで千染は足を止め、身を屈めて、じっくり観察するように家を見る。
木造の二階建てではあるが、随分と質素な造りだ。
二階を建てるほど金がある……、つまりは金持ちであるから城下町でよく見かける鼻につくような豪奢な造りの家かと思ったのだが。
(……さて、どうしましょうか)
ここで千染は、あの家にどう入るか考える。
忍らしく屋根から二階の部屋へと侵入するか、堂々と表から入るか、それか敢えて外で待っておくか……。
二階の障子窓からぼんやりとした明かりが漏れている。
他は暗いし、多分二階にいるのだろう。
どうする。
と、入り方を考えていた千染だが、しばらくして何か違うことを思いついたのか、その場に座り込む。
座り込んで、二階の障子窓を見つめる。
まるで待つように。
そんな千染の行動に応じるかのように、大して時間も経つことなく、二階の障子窓がすーっと開く。
その中から、当然……家の主である青年が顔を出す。
そして、しばらく窓の外を眺めていたかと思いきや、千染がいる木の方に迷うことなく顔を向けた。
「入りなよ」
(………やはり気づきましたか……)
気配を消すのをやめて居座ったら気づくんじゃないかと思ったが、案の定だった。
青年に声をかけられ、千染は静かに立ち上がる。
青年が只者ではないのはもうわかりきっているのだが、それにしても太刀筋だけでなく勘の鋭さも尋常ではないとくると、医者を騙った何かではないのかと思ってしまう。
その何かをこれから知ることになるのだろうが。
………多分。
筆に墨、火の灯った蝋が飾られている手燭が置いてある文机に、その両側に積まれている文書。
箪笥に納戸……と、積まれている文書以外に特にこれといった特徴のない部屋で、千染と青年は向かい合って座っていた。
青年は相変わらずの無表情で、千染はいつもの貼りつけたような柔和な笑みを浮かべて、お互いを見る。
意味があるのかないのかよくわからない、無言の時間だけが過ぎていく。
千染は青年から視線を反らさず、視界で状況を出来る限り把握する。
見える限りだと、刀はないようだ。
武器らしい武器も見当たらない。
いや、隠しているかもしれないが、とりあえず現時点では青年から敵意も殺意も全く感じない。
何を考えているんだ。
前に引き続き、それだった。
その感想に限った。
「……一つ、お聞きしていいですか?」
あまりにも青年が何も言ってこないし、行動すら起こす気配もなかったから、千染は口を開いた。
「あなた、わたしにご両親を殺されたんですよね?」
「……」
「でしたら、わたしを殺したいほど憎いはずなのですが。というより、仇を前にしてよくそんなに落ち着いていられますね。感情を隠すのがあり得ないほど上手いのですか?それとも何も感じていない……?」
「………」
「……或いは、嘘をつきました?」
「嘘じゃないよ」
青年ははっきりと否定する。
ここにきてようやく反応を返してきた青年に、千染は内心少しだけ安堵する。
何故なら、全く喋らない上に微動だにもしないものだから、実は気絶しているのではないかと疑いかけていた。
疑いも晴れ、千染は微笑を浮かべたまま目を微かに細める。
「きみがぼくの父と母を殺したのは本当のことだ。忘れもしないよ。……忘れるわけがない」
「……そうですか。それは失礼致しました」
親を殺したことも実は嘘だったのではないかと疑いかけていたが、青年の口ぶりからしてどうやら嘘ではないみたいだ。
それを確認したところで、この人達だと思い出すことは出来ないが。
にしても。
にしてもだ。
嘘はついてないのだろうが、如何せん、やはりその声から怒りも憎しみも全く感じない。
依然として敵意と殺意の気配が一切ない。
どういうことなのか。
親を殺されて、その仇が目の前にいるというのに。
疑念を抱いていた千染だったが、途中でふと一つの可能性が脳裏を過った。
「……では、こういうことでしょうか?」
その浮かんだ一つの可能性を、千染は躊躇うことなく口にする。
「あなた、ご両親のこと嫌いだったのですか?」
「……」
「親子と言っても全てが全て、良好な関係を築いているわけじゃありませんからね」
青年は答えない。
ただ黙って、千染を見つめる。
「どうなんです?むしろ死んで清々したって思ってる口ですか?そうなのでしたら、確かにあなたが異様に落ち着いているのも納得いきますね」
「……」
「となれば……わたしは恩人ということですか?」
嘲笑混じりの声で、千染は問う。
浮かんだ疑問をありのままに。
それを口にしながら、思う。
本当にそうだったら、ああ、なんてことだろう。
なんてつまらない展開なのだろう。
つまらない、つまらなさ過ぎる。
夢想が現実になったどころか、汚された気分だ。
ということは、あの接吻は単純に見惚れた故のことか。
煩わしい両親を消してくれた上に見た目が好みであったなら、多少無礼が過ぎるがああするのも納得いくといえばいく。
ああ、でも。
だとしたら、なんて時間の無駄なのだろうか。
なんて不毛な好奇心だったのだろうか。
殺すか。
酷く冷めた気分になった千染は、すぐにそっちの方に切り替える。
真っ向で戦って敵わない相手なら、卑劣な手段で殺ればいい。
それこそ、忍法を使ってもいいのかもしれない。
千染はそう考えていた。
微笑の裏で。
……だが。
「いい人達だったよ」
青年から返ってきた言葉は、千染の予想に反していた。
「父さまも母さまも、とても優しくて、思いやりがあって、親として理想的で人として立派な方達だったよ」
千染は思考を止めて、青年に意識を向ける。
「人を愛して、人に愛される……そんな言葉が誰よりも似合う両親だった」
言葉を紡ぐ青年の声に感情らしき感情はないものの、迷いは一切見当たらない。
青年の目つきが、ほんの少し。
微々たるものだが、変わる。
少し棘を感じさせるような……目つき。
その目で千染を見据えると、
「少なくとも……きみみたいな忍に殺される筋合いはなかった人達だよ」
突き放すような低い声で、青年は言った。
その場が、また静寂に包まれる。
だが、静寂といっても先ほどまでのようなただ静かなだけではなく……些か張り詰めたような空気も漂う。
無表情の青年と、微笑を浮かべたままの千染。
青年の言い分を聞いた千染は、なるほど、と胸の内で呟いた。
どうやら死んで良かったわけではなかったみたいだ。
むしろ善良な親だったみたいで、親子仲は決して悪くなかった……と。
そう見ていいだろう。
自分の予想が外れて個人的には嬉しい外れ方だが、それはそれとして振り出しに戻ってしまった。
また彼の思考がわからなくなった。
むしろいよいよ不可解になってきた。
親として理想的で人として立派な方達と褒め称えるほどの両親だったのなら、尚のこと憎んで然るべきなのでは……。
先ほどの言い方といい、今すぐ殺しにかかるなり、嬲りものにするなりしてもおかしくないはずなのだが……。
「……そうでしたか」
千染はとりあえず、青年の言葉に応じる。
「とんだ見当違いな発言、申し訳ありませんでした。わたしが恩人だなんて、差し違えても言ってはならない言葉でしたね」
青年は無言で千染を見つめる。
「では……単刀直入に聞きますが、あなたはわたしをどうしたいのです?」
千染は立て続けに、今度は問う。
答える口があるなら、聞くまで。
こっちが根拠もなく考えたところで、先ほどのように誤解が生じるだけで、結局は何の理解にも及ばない。
それに昨日と違って問えば答えを返す意思はあるようだ。
ならば、ここは聞くのが彼の思考を知るのに一番手っ取り早い方法だろう。
単純に。
そう判断した上で、千染は青年との会話を試みることにした。
「…………ぼくが勝ったら」
その思惑どおりと言えばいいのか。
「なんでも言うこと聞いてくれるんだよね?」
青年は差ほど間を置かず、答えを返し始めた。
「……ええ、もちろん。何なりと」
青年の思考がもうすぐわかると言う未知に、千染は胸が少しだけ躍るのを感じながら、平然と言葉を返す。
少しの沈黙。
青年は静かな動きで視線を横にずらす。
「……じゃあさ」
青年の視線が再び千染の方に戻る。
「夜が三度来る度に……ここに来て」
「……」
笑みを浮かべたまま何も言ってこない千染を前に、青年はゆっくりと腰を上げる。
千染を見下ろしながら静かに歩み寄り、彼の目の前に来たところしゃがみ込む。
そして、
「ここに来て……夜が明けるまで、きみをぼくの好きにさせて」
目線を合わせ、千染を真っ直ぐ見つめて、青年は回答する。
千染の質問に。
青年が千染をどうしたいのか。
最終的にとしてはまだわからないものの、千染は今の彼が自分に何をしたいのかはわかった。
膝の上に置いていた千染の手に、青年の手が重なる。
もう片方の手は千染の腕を掴み、そしてまた彼の口にかぶりつく。
かぶりついて、舐めて、入れる。
今度はじっくりと味わうように。
千染も今度はそれを拒まずに、受け入れる。
というより、好きにさせる。
青年の要望に応じて。
絡みつきが濃くなれば濃くなるほど、それに乗じて青年の体が密着していく。
千染の手の上に重ねていた手が、なぞるように上へ上へと移動する。
青年の力が強くなっていき、千染の姿勢が崩れていく。
その際に、太もも辺りにこれからの行為を示すものが当たり、千染は青年に口内を貪られながら、ああと思う。
ーーーーお前、食われるぜ。
ーーーー今度は最後まで。
今朝、独影に言われた言葉を思い出す。
意味はもちろんわかっていた。
青年がそういうつもりなら、最後まで致すだろうと、それも予想していた。
しかし……だ。
やはり、わからない。
この行為の意味が。
青年と親の関係は悪くないとわかった。
青年が親に嫌悪していた様子もなかった。
むしろ良い親だったと。
人を愛して人に愛される。
そんな言葉が似合う親だったと。
そう言っていた。
………それなら、何故。
千染の胸元に移動した青年の手が、襟の隙間に侵入する。
胸から肩にかけて撫で上げると襟が開き、肩を撫で下ろすとその手と共に大きく開いた襟がずれ、そこから肌が露出していく。
青年は白魚のように透き通った肌を堪能するように撫でると、色がましい音をたてて口をゆっくりと離す。
青年と千染の口の間で、唾液が糸を引く。
糸を引いて、重力にそってだらりと落ち、ぷつりと切れる。
「……嫌じゃないんだ」
両方の鼻がつくほど距離で千染を見つめながら、青年は言う。
微かな劣情を孕んだ吐息混じりの声で。
「嫌じゃありませんよ。言ったじゃないですか。少し驚いただけです、と」
昨日抵抗したことを気にしている。
そう察した千染は、青年と自分の唾液で濡れた自身の唇を舌で舐め、妖しい笑みを浮かべて応じる。
「……そう。……で、いいの?」
「何がです?」
「するけど」
「好きにしたいのでしょう?なら、お好きにどうぞ?」
「………」
千染の挑発的とも言える艶めかしい視線と笑みに動じる様子もなく、青年は無表情で彼を見つめる。
千染の腕と肩を掴んでいる手に力が入る。
そして、熱のこもった息をはぁと吐くと、青年は千染の白い首筋に口を寄せて吸いつき、そのまま彼を押し倒した。