相異相愛のはてに





「昨日の烏、お前でしょう」



翌日の朝。
里の外れにある林で雀達に餌をあげてる独影を見つけた千染は、すかさず声をかけた。
千染の声に反応して、独影は振り返る。
ああ、と声を上げると枡の中にある粟を少し手に取ると、後は全部地面に撒いて千染の元に行く。
粟まみれの地面に、雀達が一斉に集まり啄む。


「やっぱわかった?元は心ノ羽ちゃんの見守りとしてつけていたんだけどよー、城に着いてもお前の姿が全然見えねぇから。ほら、大吉。ごはんだ」


独影が大吉(だいきち)と呼ぶと、空から一匹の烏が降りてくる。
烏は独影の腕に乗ると、彼の手のひらにある粟を啄み出す。
その光景を、千染は黙って見る。
独影に大吉と呼ばれた烏は、彼の飼い烏……というより相棒みたいなものだ。
三代目……といえばいいのだろうか。
というのも、彼の使用する忍法には動物や虫等の生き物が必須なのだ。
動物・虫等の視角・聴覚を己に繋げる忍法。
それが独影の技だ。
彼の師から受け継いだ今や彼にしか出来ない彼だけの技、忍法。
独影が上忍たり得る一つの理由。
つまりは昨夜、独影はその忍法で大吉の視角・聴覚を借りて心ノ羽の見守りをしていたということだ。
それを知った千染は鼻で笑うと、


「御頭から頼まれたのですか?」

「まぁな」


独影は躊躇いもせず答えた。
独影の返答に、千染は嘲笑を込めた息を吐く。
いくら大事な姪とはいえ、少し過保護が過ぎるのでは……。
と、千染は吐き捨てるように思う。


「にしても千染ぇ、お前心ノ羽ちゃん毛嫌いし過ぎだろ〜?何かにつけてぶってたの見てたかんな?」

「ふん。ずっと鬱陶しいあいつが悪いんですよ」

「はいはい。んで、どうすんだよ?」 

「?、何がです?」

「約束」


独影の口から出たその単語に、千染は無言になる。
独影は粟を全部食べて満足した大吉を撫でて、空に羽ばたいていく彼を見送る。


「……ちなみに、いつから見てたんです?」

「あつくてのーこーな接吻してるところから」

「………」


よりによってそこからか。
と、千染は柔らかな笑みを浮かべつつも、何とも言えぬ目をして思う。


「一目惚れでもされたのかぁ?お前見た目だけは極上だからな」

「見た目“だけ”は余計ですよ」

「まぁそれでもお前がされるがままってのもおかしな話だよな。どうした?たまたま気が向いて相手にしてた……って雰囲気でもなかったよなぁ」

「………」

「千染?」


独影の発言になぞるように昨夜のことを思い出して、何とも言えない気分になった千染だが、彼に再度名前を呼ばれてふぅと気だるげに息を吐く。
そして、近くの木に背を預けて腕を組むと、


「負けたんですよ」

「え?」

「一戦交えて、負けました。……その相手に」

「えぇぇ?」


あまりにも信じ難い衝撃的発言に、独影は目を真ん丸にして素っ頓狂な声をあげた。


「負けたって……本当にか?」

「ええ」

「……つーか、なんで戦うことに?」

「仇討ちしに来たから……と、わたしは思っているのですが」

「仇討ちぃ?まさか……」

「そうです。どうやら過去にわたしはあの男の両親を殺してしまったみたいで……。いつのことで誰かは知りませんが」


何の悪びれもなく返ってきたその返答に、独影は何とも言えない顔をしてはぁとため息をつき、脱力するようにしゃがみ込む。


「だから無闇矢鱈に殺すなって散々言ってきただろぉ。案の定の展開じゃねぇか。いや、むしろ今の今まで何もなかったのが不思議なくらいだぜ」


痛む頭を抱えるように、独影は額に手のひらの付け根を当てがう。
来る時が来てしまったか……と思っていた独影だったが、途中でん?と疑問を浮かべる。
頭から手を離し、確認するように千染を見る。
涼しげな表情でこちらを見下ろしている千染の姿が、独影の目に入る。
独影は表情に疑念の色を浮かべながら、千染をまじまじと見る。


「……なんです?」

「お前生きてるじゃん」

「そうですよ。じゃないとここにいませんよ」 

「でも負けたんだろ?」

「ええ」

「相手はお前に両親を殺されたって言ったんだろ?」 

「言いましたよ」

「……え?ちょっと待って。じゃああの子、なんで憎いはずの仇に接吻したわけ?あんなむしゃぶりつくような……」

「知りませんよ。殺す前に辱めようとしたんじゃないのですか?」


独影のあの接吻に対する表現がやや不快だったのか、千染は顔を背けて素っ気なく言葉を返す。
千染のそんな態度を気にすることなく、独影は粟を啄んでいる雀達の方に視線を移して、昨夜見た光景を思い出す。


「……いやさぁ、殺す前提の辱めなら手始めに接吻なんてしないだろ。しかもあんな長ったらしい」


思い出せば思い出すほど、疑問の色が濃くなる。


「しかも、俺が大吉の目を通して見た限りだと……あの子から殺意とか怒りとか、どす黒い感情の気配を感じなかったぞ。それこそ……」


粟がほとんどなくなり、雀達のうちの一羽が独影の元に来る。
小刻みに弾んで進み、独影が差し伸ばしてきた手に乗る。
それと同時に独影はゆっくりと立ち上がり、千染を見ると、


「お前に夢中だった、……様子だったぜ?」


昨夜の青年を見て感じたことを率直に伝えた。
その言葉を聞いた千染は、反応を返さず何か考えるように宙を見続ける。


「でもお前、ちょっと抵抗してたよな?珍しいな。お前があんなわかりやすく嫌がるなんて」


が、次に聞こえてきたその言葉に、少しだけ眉間に皺が寄る。


「……ちょっと、驚いたんですよ。あんなしつこくされるとは思っていませんでしたから」


妙な不快感に襲われて逃れたくなった、なんて情けないこと言えるわけもなく、千染は無難な返答をする。
それに対して、独影はふぅーんと軽く返事をして人差し指に乗っている雀の頭を撫でる。


「てか、純粋な戦闘で負けたなら、あの時こそ逆転の絶好の機会だったのになんで使わなかったんだ?」

「使うとは?」

「お前の忍法」


独影が至極当たり前といった感じに出してきたその言葉を聞いて、千染はあぁ……と思い出したかのように声を漏らす。
そう、千染も例に漏れず上忍たり得る忍法を得ているのだ。
師から受け継いだ千染にしか使用出来ない忍法が。
だけど、そうにも関わらず千染は思っていた。
そういえば自分にもあったな、使える忍法が……と。
さも他人事かのように。
それも仕方ない話。
千染は己の忍法を滅多に使わない。
出来れば使いたくない。
何故なら、とてもつまらない忍法だからだ。


「あそこで“毒血”を吐き出せば一発だったのに」


独影の口から出た“毒血”という言葉。
それこそが千染の忍法だった。
胃の中に血を溜め、その溜めた血を即死性の猛毒に作り変える。
吹けば目潰しに使えるし、口と口が繋がった際に相手の口に流し込めば確実に仕留めれる。
青年に濃厚な接吻をされた時が正に、その忍法を発動する絶好の機会だったというわけだ。
だというのに、千染がそれを使わなかったのはある理由があった。 


「……血こそすぐに溜めることは出来ても、毒に変えるのは時間がかかるんですよ」


まずはそれだった。
胃に血を溜めることは短時間で出来ても、毒に作り変えるのは相当な時間が要した。
けど、一応彼の師はいつでも忍法を発動出来るように対策を打っていたし、彼にも教えていた。
それは……。


「は?作り溜めしておかなかったのかよ?」


作り溜め。
そう、血を毒に作り変えた状態で胃に溜めておく。
そうしたことでいつでも忍法が使えるようにしていた。
彼の師は。
だけど、千染はしなかった。
したくなかった。
何故なら、毒血を胃に溜めた状態でいると……性欲が高まるからだ。
元々が色仕掛け中に発揮する忍法だった故なのか、無性に女を抱きたくなって、男に抱かれたくなるのだ。
それが我慢出来なくもないことはないが、やはり苦しいし集中力が途切れがちになるし、何よりも殺しを全力で楽しめなくなってしまう。
しかも毒血は即死性。
それ故にすぐ死んでしまう。
人の命を切り刻む感覚を味わうことも出来ず、悲痛と絶望に染まった顔を見ることもなく、命乞いも断末魔も聞くことなく、死んでしまう。
呆気なく、ぱったりと。
だから千染は作り溜めをしなかった。
毒血を作るのは、それこそ必要だと思った時でいい。
必要だと思った時に上手いこと時間を稼いで作ればいい。
それぐらいの認識だった。
千染にとって、己の忍法は。
必要な時に使えたら使おう程度の軽い存在だった。
そういった認識になってしまったのは彼の性格と忍法の相性が良くないのもあるが、そもそも師といい関係を築けなかったというが大きな要因だったりする。
それはまたいつか明るみになるかもしれない話ということで、本題に戻る。


「しないですよ。作り溜めなんて」


独影の呆れ混じりの問いに、千染は半笑いで返す。


「わたしの忍法をいつどう使おうがわたしの勝手じゃないですか。それで結果的にどうなろうが全てはわたしの判断なので、別に困ったり後悔したりなんてしませんよ」

「……そうかい」


あーいつもの流れだぁ、と思いながら独影は小さくため息をついて短い返事をする。
独影の指で一休みしていた雀が、翼を広げて羽ばたいていく。
それに続いて、粟があった地面で遊んでいた雀達も。
雀達がいなくなったところで、独影は両手を後ろ頭に回し、千染の方に体を向ける。


「で?」

「はい?」

「今夜行くの?行かないの?彼のおうち」

「………」


独影が一番聞きたいのはこのことだろう。
昨夜青年に言われたこと。
一方的な約束。
明日の夜……つまりは今日の夜、花曇山にある家に来い、と。
それに対して千染はどうするのか。
このまま反故にしても別に問題なさそうな約束事だが……。


「……行きますよ」

「あ、行くんだ」


千染の返答に、独影は少しだけ意外そうにした。
仕返ししに行くみたいな雰囲気もないし、このまま放っておくのかなと思っていたのだが。


「まぁ……負けましたから。一応言うことは聞こうかと」


千染は言う。
とても冷静な口調で。
それを聞いた独影は、何か少し考えるように千染から視線を反らした後、再び彼を見る。


「そっか。じゃあ一つ情報やるよ」

「?、なんです?」


情報、と聞いて千染は怪訝な表情をする。
独影は後ろ頭に回していた両手を下ろして、にぃっと笑うと、その情報を口にした。


「お相手の情報。あの子……医者だぜ」


まさかの青年に関する情報で、千染は少しだけ目を大きくして反応した。


「実は見たことあるんだよ、二度ほど。仕事中にな」


千染が今浮かべているであろう疑問に答えるように、独影は話を続ける。


「一度目はあるやり手商人の家の潜入時、二度目は花咲村での情報収集時だ。その見た二回とも彼は往診をしていた。医療道具と薬箱を傍らにな」

「………」

「だから正直、信じられなくもあるぜ。あの子がお前を負かしたなんて。刀とは……殺し合いとは無縁であるはずの若医者様が」


素性不明だったのがほんの少し明らかになったというのに、何故か余計に疑問が増えるという不可思議な現象に陥る。
医者。
医者だと。
あの青年が。
刀一本で自分の得物をあっさり弾き追い詰めた青年が。
賊を何の躊躇いもなく殺した青年が。
独影の誤情報……と思いたいところなのだが、それはあり得ないので千染はとりあえず記憶に取り入れる。
彼がくれた情報を。


「どうする?一応念入りに調べておいてやろうか?」

「……いえ、大丈夫です」


独影に頼めば膨大な情報が手に入るのは確かなのだが、千染は断った。
さすがに私事で独影の忍法を多用するのは気が引けたのもあるが、何よりも実際青年に接してみて知りたいと思ったからだ。
まぁ相手が何を考えて、企んでいるのかはっきりわからない以上、もしかしたら知るとか以前にあの世に逝かされてしまう可能性もあるが。
何にせよ、まず今夜だ。
今夜で大体わかるだろう。


「そっか。んじゃ、俺は荻爺んとこ行ってくるわ。将棋の相手して欲しいんだって」

「ええ」


独影はあっさりとした様子でそう言うと、千染の前を通り過ぎていく。
が、途中で足を止める。
独影が立ち止まったことに気づいた千染は、不思議そうに彼の背中を見る。


「あ〜、あともう一つ情報やるよ」


千染の視線に応じるように、独影は彼に背を向けたまま人差し指を立てる。


「お前、食われるぜ」


独影は指を立てていた腕を下ろし、後ろを振り返ると意地悪に笑って言った。




「今度は最後まで」




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