相異相愛のはてに






千染は見ていた。
その一部始終を。
青年がこちらを見たまま、上下右左と攻めてくる湾刀を受け止め、更にはその湾刀を難なく弾き、更には山賊頭の首から胴体にかけて思いきり斬って……殺した瞬間を。
宙を舞っていた湾刀が落ちていき、血まみれの亡骸となった山賊頭の頭横に突き刺さる。
またもや静寂。
六つの死体が転がり、そこらかしこ赤く染まっている山道で、二人はお互いを見続ける。
山賊頭を斬った青年の着流しには、飛び散った血がついている。
赤くなった刀の先端から、血が滴り落ちる。
血の臭いが漂う。
相手が何であれ、人を斬ったのに、殺したのにも関わらず、青年は全く変わらぬ無表情で……千染を見ていた。
目からも、動揺の色が一切見えない。
落ち着いているといえばいいのか、むしろ何も感じていないのか。
とにかくそんな青年を、千染は彼と同じく無表情で見ていた。
意味があるのかよくわからない無言の時間だけが、流れていく。
だが、しばらくして……千染をじっと見つめていた青年の口が開いた。


「……ぼくのこと、覚えていない?」


その問いを聞いた瞬間、千染の指先が微かにぴくりと動いた。
冷たい風が、さぁと二人の間を通り抜けていく。
ずっと観察するように真顔で青年を見ていた千染だったが、だんだんと一直線だった口が、緩やかな弧を描いていく。
そして、


「さぁ……知りませんねぇ」


ようやく、千染が青年と口を利いた。
何度目かの沈黙。
柔らかな笑みを浮かべている千染に対し、依然と無表情なままの青年。
だけど千染を捉えているその目が、微かにだけ細くなった。


「失礼を承知で聞きますが、あなたこそ何者ですか?」


今度は千染が青年に質問をする。


「いつから道外れに潜んでいたのですか?つけてきたのですか?それともたまたま近くにいたんです?」

「……」

「ここに出てきた理由は?何か目的があってのことなんです?」

「……そうだと言ったら?」


青年は千染の質問のうちの一つだけ答える。
その返答を聞いた千染は、ふむと緩く作った拳を顎にそえる。


「その目的の内容は言えません?」 

「……知りたい?」

「まぁ知ってもいいのでしたら知りたいですね」

「そう……」

「……」

「……」

「……知ってはいけないことなのですか?」

「……別にそんなことはないけど……」

「言いづらい内容とか?」

「そんなこともないけど……」

「そうですか……」

「うん……」

「………」

「………」


会話が続かない。
先に会話を成り立たせなかったのは千染の方だが、こうしていざ会話をしたらしたでいまいち成り立たないのはもはや破綻も同然である。
相手に知られてはいけないことでも言いづらいことでもないなら言えやって大半の人は思うだろう。
だけど、千染はその大半とは違った。
会話なんて、どうでもよかった。
どうでもいいのに口を利いたのは、千染なりの建前だった。
一応相手が会話する意思があるようだから、厚意でその望みを少し叶えてあげただけ。
それだけ。
それ以上もそれ以下もなかった。
そんなことよりも千染は疼いていた。
うずうずして、たまらなかった。


尋常ではない神経。

尋常ではない強さ。

そして……


ーーーー……ぼくのこと、覚えていない?


この、発言。


間違いない。
いや間違いだとしてもそれは掠める程度で、何の問題にもならないだろう。
とにかく、千染はほぼ確信した。


自分を殺しに来た者だ、と。


それを胸の内で言葉にした瞬間、千染は体の奥で熱が孕んでいくのを感じた。
青年に見覚えはない。
仮に過去見たとしても忘れている。
同じ里の忍でもなんでもない者の顔なんて、いちいち覚えていない。
覚えていないからこそ、余計彼が何なのか聞くべきなのだろうが、それよりも千染は昂っていた。
昂って昂って、仕方がなかった。
だって、夢想していたものが、ほぼ現実になったのだから。
相手が殺しに来た理由は知らない。
でも見覚えがないのに相手は自分を知ってて、自分の前に現れて、しかも見せつけるように躊躇なく人を殺したときたら、もう何かしらの仕返しに来たのはほぼ確定ではないか。
となれば、もう無駄話をする必要はない。
相手は自分を殺すために、自分は相手を殺すために、全力をもって戦えばいいだけのこと。


「………ふっ……」


千染の口から漏れてしまう。
歓喜を含んだ笑い声が。


「ふふっ……ふふふふふっ……」


咄嗟に口元を手で押さえたものの、笑いは止まることにく漏れてしまう。
千染は顔をうつ向かせて、静かに笑う。
笑い続ける。
そんな千染を、青年は依然と変わらぬ様子で見つめる。


「ふっ……、くくくっ……すみません。ちょっと……抑えられなくて……」


手の下にある千染の口が、歪む。
歪んだ三日月を描く。
口だけではなく目も、先ほどまでの落ち着きあるものとは打って変わり、爛々としたものへと豹変していく。
だけど、明らかに様子が普通ではなくなっている千染を前にしても、青年は顔色一つ変えなかった。
……戸惑う様子も怯える様子も怒る様子すらも全くなかったが、青年は口を小さく開き、


「……きみは」


何を思ったのか、



「ぼくが十四の時に……ぼくの父と母を殺した」



今の状況を決定づける発言を、静かな声で言い放った。
何の前触れもなく、唐突に。
いや、もしかしたら青年なりの機会というものがあったのかもしれないが。
対して千染はというと、彼にしては珍しく……非常に珍しく驚きを露にした。
目を大きくして、青年を見る。
見開いた千染の瞳に、感情の見えない目でこちらを見いている青年の姿が映る。
口元を隠している千染の手が微かに震える。
だけど、それは恐怖や罪悪による震えではなかった。


「………ぷっ……」


程なくして、千染は小さく吹き出す。


「っふふ、ふ、はははっ……!はははははははっ……!!」


肩を小刻みに震わせ、ついには堪えきれないと言わんばかりに笑い声をあげる。
今どう見ても笑う場面ではないのに、大きな声をあげて笑ってしまう。
けど、仕方なかった。
おかしかったのだから。
胸が躍りに躍ってたまらなかったのだから。
まさか、本当に。


本当に、仇討ちしに来る者が現れるなんて。


青年がここに来た目的。
自分の前に現れた理由。
もう答えが出たではないか。
仇討ちだ。
仇討ちしかない。
夢想が現実になった。
不毛だったはずの予想が目の前に現れた。
あとはその先の未知を味わうだけ。
千染は一頻り笑うと、少しでも自分を落ち着かせるために大きく息を吐いた。


「はぁ……すみません。笑い事ではないですよね。でも我慢出来なくて……ふふ」 


一応謝りつつも、千染はまた小さく笑ってしまう。
普通なら、この時点で、いやむしろ千染が声をあげて笑い出した時点で、不気味に感じるか怖じ気づくか、それか却って怒りに駆られるかとそれらしい反応を返すだろう。
親を殺した相手なら尚更。
だけど……やはりと言うべきか、青年は例外だった。
例外的に、冷静だった。
冷静……というより、無反応だった。
変わらぬ様子で、ずっと千染を見ている。
怯えもせず、怒りもせず。
逆に千染が青年を不気味に思ってもいいくらいなのだが、もはや彼にとって青年がどんな反応を示そうとどうでもよかった。


「えぇと……あなたのご両親をわたしが殺ったんですね?」


千染は何時もの柔らかな笑みを浮かべ、再確認するように青年に問いかける。
だが、青年は返事をしない。


「すみません。もしやあの時の夫婦の子ども!?……と、ここで言うべきでしょうけど、生きてきて二十数年、もう数えきれないほど殺してきているもので特定が出来ず……申し訳ない限りです」


謝罪になっていない謝罪。
むしろこの言い方は、確実に相手の気を逆撫でる。
千染をますます殺すべき対象と認識させてしまう。
怒りと憎しみを膨張させてしまう。
だけど、千染はそれをわかった上で言っていた。
意図的に、挑発していた。


「でもおかしいですね。あなた、“ぼくのこと覚えていない?”って先ほど言いましたよね?つまり、あなたがわたしを見たのはもちろんのこと、わたしもあなたを見たってことですよね?」 

「……」

「あなたのご両親を殺しているなら、そこにいたであろうあなたも殺しているはずなのですが……」

「……」

「まぁいいです。現にあなたはここにいるわけですし、きっとあなたが運良く逃げ切ったか、当時のわたしがたまたま気が向いて見逃したかのどちらかでしょうから」

「………」

「……で、どうします?」


千染は一方的に喋りきったところで、小首を傾げる。
緩やかな弧を描いていた口が、裂けるかのように大きな三日月型となる。



「父母を殺したわたしを前にして………あなたは何をしたいんです?」



先ほどまでの丁寧で穏やかな声でと打って変わり、地を這いずるような低い声で千染は青年に問いかけた。
冷たい風が吹く。
血の臭いが風に乗って、二人の鼻を掠める。
長く艷やかな赤い髪と灰色がかった白髪が、揺れる。
千染の臙脂色の瞳と青年の藤色の瞳が、交わる。
空気が瞬く間に重くなったにも関わらず、未だ交わり続ける。
妖しい笑みを浮かべている千染に対し、一貫して無表情の青年。
長いようで短い沈黙が流れる。
……そして、


「………ぼくは」


次の瞬間だった。
青年がやっと言葉を口にした瞬間、千染が消えた。
消えて、


ガキィンッ!


目に見えない速さで青年の後ろに回り、その首に向けて小太刀を振った。
だが、それを青年は刀を後ろに回して、難なく受け止めた。
千染がいた場所を見たまま。
千染はそのまま刀を押して後ろに飛ぶと、数本の棒手裏剣を青年の顔目がけて投げる。
青年は横に飛んで、棒手裏剣を避ける。
投げられた棒手裏剣が、勢いある音をたてて木に突き刺さる。
青年が体を翻したと同時に、千染が彼の眼の前まで詰め寄る。
楽しそうな目で、狂気を露にした笑みで。
見たら誰もが戦慄しそうな千染の顔。
だけど、やはり青年はその誰もがに当てはまらず、千染の顔を見ても、表情筋が動くことなかった。
千染は小太刀を振る。
振って振って、振りまくる。
その間にも棒手裏剣を青年の目や額、首目がけて一本ずつ投げる。
小太刀を全て刀で受け止め、棒手裏剣を避けながら、青年は常に感情が沈んでいるような目で千染を見つめる。
じっと、じぃっと。
彼を見つめながら、彼の猛攻を防いで回避する。
鉄の弾けるけたたましい音が幾度と鳴り、大きな音が鳴り響いた直後、その場に静けさが戻る。
小太刀と刀が交差した状態で留まる。


「ふ……」


微かな震えを帯びた千染の口から、


「ふふ、くくくくっ……!ひひひひひひっ……!」


不気味な笑い声が漏れる。
それは千染なりの、歓喜の笑い声だった。


「なるほど、なるほどねぇ……!あなた、強いんですね……!!」


千染は言う。


「ご両親の仇討ちのために、ここまで強くなってきたんですねぇ……!!」


興奮混じりの声で喋る。


「すごいです……!素晴らしいです……!きっとご両親もあの世で感激しています……!!」


千染は称賛する。
相手にとって挑発にしかならないとわかっていても、称賛せずにはいられなかった。
いつぶりだろうか。
自分の猛攻をここまで完璧に防ぎきった者は。
こんな顔色一つ変えず、息一つ乱さず。
きっと、もしかしたら、今日、この時。


自分は死ぬかもしれない。

この青年に殺されるかもしれない。


そう思うとぞくぞくした。
全身の血が激流の如く巡って、興奮した。
まさか本当に、本当にこの時が来るなんて。
殺されるとしたら、どんな殺され方するのだろうか。
呆気なく殺されるのだろうか。
それとも手足斬られて拷問の末に殺されるのだろうか。
とんでもない屈辱を味わわされて殺されるのだろうか。
どれも予想がつかない。
どれも味わったことがない。
だから、………だから楽しみだ。
とても楽しみだ。
自分の最期の瞬間が。


「ふふふふっ……!くくくくくくくっ……!!」


笑いが止まらない。
止めようにも止まらない。
自分の撒いた種が、こうして立派に育って、殺しに来てくれるなんて。
夢想を現実にしてくれるなんて。
もし本当に殺されたら、地獄に落ちる前に彼の両親に感謝を伝えないと。
千染はついつい考えてしまう。
自分が殺される瞬間を、死んだ後のことも。
それ故に、攻撃の手が滞ってしまう。
ただただ気が触れたかのような姿を相手に見せつけるようになってしまう。
その隙を待っていたのか、


「ねぇ」


青年が千染に声をかける。


「きみに勝ったら、なんでも言うこと聞いてくれる?」


千染は笑うのをやめる。
そして、青年の言葉が予想外だったのか、すぐに理解出来ない様子で視線を上げ、青年を見る。


「なんでも……?」

「うん、なんでも」


直後。
青年は刀に力を入れ、小太刀ごと千染を思いきり押し飛ばす。
千染は後ろに飛んだものの体勢をすぐに持ち直し、青年を殺しにかかろうとする。
が、それよりも速く、青年の刀が千染の手元に向かって突き出る。
刀は千染の手ではなく刀身の根元の下に滑り込み、力を入れて弾く。
千染の手元から、小太刀が離れる。
一瞬とも言えるその瞬間に、千染は目を大きく見開き、愕然とする。
が、忍としての反射神経か、すかさず棒手裏剣を投げる。
青年の急所を狙った棒手裏剣は、一本、青年の肩を掠めただけで後は全て避けられる。
青年が目の前まで詰め寄ってきて、千染はすぐさま体術による殺法に切り替え、彼の頭に蹴りを入れようとする。
それもまた避けられて、そして。


「!」


頭横にあった足を掴み、近くの木に千染の体を叩きつけた。
背中に強い衝撃が走り、千染の体が地面に落ちる。
思った以上の痛みに顔を若干歪めながらも、千染はなんとか腕に力を入れて上半身を起こす。
すると、


ひゅん、と何かが風を切った音がした。


千染の動きが止まる。
ぴくりとも動かなくなる。
……それもそうだろう。
千染の首には、刀が当たっていた。
鋭い刃が首の皮にそえるような形で。
首の前側から感じる冷たいそれに、千染は目で確認しなくても状況を把握する。
これは、もう、いつ首を跳ねられてもおかしくない。
そうにも関わらず、刀はそれ以上動く気配を見せない。
傍らにいる確かな存在……刀の持ち主を見ようと、千染は目だけを横に向ける。


「………これ」


声が聞こえる。
だけど、よく聞いた抑揚のない声ではない。
重くのしかかってくるような……いや、上から無理矢理押さえつけてくるような低い声。
千染は見る。
彼を、青年を。
青年は、見下ろしていた。
千染の首に刀を当てがいながら。
そして、



「ぼくの勝ちと判断して、いいよね?」



そう言った彼の目は、暗雲が渦巻いているかのように、どす黒く爛々としていた。



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