きみにいっぱいのお茶を




青く晴れ渡った空。
とある緑豊かな山の中にある屋敷の茶室にて。
宝条院家のご令嬢・珠里は、深い青色の生地で蝶よ花よと上品な模様が刺繍された着物を纏って、お茶を点てていた。

柄杓で釜からお湯を掬い、茶碗に注いでいく。
そして、茶せんで円を描くように抹茶とお湯を馴染ませ、程なくして茶せんを小刻みに前後に動かす。
その見事な手さばきはもちろんのこと、今回のお茶会に呼ばれた上流階級の紳士淑女の大半が、珠里の美貌にうっとりと見とれてしまう。


「ホンット、珠里様はいつ見てもお美しいわぁ」

「さすが悠利様の娘ざますね」

「ただ美しいだけじゃありませんわ。気品もあって、お優しくて、心もお強くて……」

「珠里様ほど完璧なご令嬢はいませんなぁ。うちの娘に爪の垢……いや、全身の垢をそのまんま飲ませたいぐらいですわ」


お茶を点てている珠里を遠巻きに見ながら、紳士淑女は口々に珠里を褒める。


「どうぞ」

「うむ」


そんな紳士淑女のひそひそ話をよそに、珠里は前にいる厳格そうな老爺に点てたお茶を差し出す。
立派な浅葱色の袴を身に纏ったこの老爺は、千道利吉(せんどう りきち)。
古き名門・千道流の師範である。
茶道に関してはもっぱら口がうるさく、あまりの厳しさに彼に泣かされた亭主は、100人にのぼるとかのぼらないとか。
その噂を聞きつけてか、なんと今回、宝条院家が彼に挑戦状を叩きつけたのだ。
代表として出たのは、もちろん珠里。
古くから伝わる千道流の主でありながら、理不尽なくらい厳しすぎる彼の指導具合に、前々から鼻持ちならない感情を抱いていたみたいだ。
今回のお茶会は、ただのお茶会ではない。
結果によっては、千道流の今後が左右される超重大なお茶会なのだ。


(お嬢様……)


茶室の天井裏で、下の様子を見ていた太一郎は、不安そうな目をする。
今回のお茶会。
千道が珠里に感服すれば、今後態度を改めること。
だが、珠里が一度でも作法をミスする或いは千道の舌を満足させるお茶を出せれなかったら、厳しすぎる理不尽指導は今後も続くのはもちろんのこと、珠里にも10日に渡る地獄の茶道合宿を味わってもらう……と。
そのルールを知っているからこそ、太一郎は万が一のことを考えては穏やかではない気持ちになっていた。


(今のところ、千道殿から制止の声はない……。さすが、お嬢様だ……。けど……)


太一郎はごくりと固唾を飲み込む。
そう、問題はここからだ。
残る一つの関門。
出したお茶が、千道を満足させるかどうか。
正直、太一郎は不安だった。
珠里が点てたお茶が美味いのはわかりきっているのだが、果たして千道が素直に美味しいと言うのか……。
いくら美味しくても、千道の口から出る言葉は千道の自由だ。
つまり、不味い、と言う可能性もあるということ。
千道が珠里を負かせるために、嘘をつくかもしれないということだ。
そうなれば、真実はどうであれ珠里の負けになってしまう。
そうなった場合、どうするか。
千道に自白剤を飲ませるという方法も、麻酔針を打って寝かすという方法もある。
どちらも容易く出来ることだ。
だが、それらの行為を珠里がどう思うか……。
太一郎は苦悩する。
誠実な珠里のことだから、負けを潔く認め、地獄の茶道合宿にもすんなり参加するだろう。
だけど、太一郎はそれが嫌で仕方なかった。
珠里がツラい目に遭うのも、10日間も珠里に会えなくなるのも……。


(それならいっそ、拙者もその茶道合宿に参加して……)


と、太一郎が珠里が負けた時のことを想定してうだうだ考えているその一方で、茶室ではというと……。


(フンッ、悔しいがここまでの動き・仕草、全て完璧だ……)


手に持った茶碗を回しながら、千道はやや不快そうに思う。
自分が極めてきた茶道を珠里のような小娘が、何一つ間違いなくこなしたのが、気にくわなかったのだ。


(だが、どちろにしろここまでよ。このお茶の味……例え美味かろうが、不味いと吐き捨ててやるわ)


そして生意気にもこの千道流師範・千道利吉に刃向かったことを、後悔するがいい……!


太一郎の読みは完全に当たっていた。
千道は、端から珠里を陥れるつもりだったのだ。
なんという卑劣。
なんという非道。
だが、これが現実。
大人の社会というものなのだ。
千道は珠里にみえないように口元を邪悪に歪め、茶碗を口に寄せてお茶を一口すする。
そして、


「んんまいっっっっっっっっ!!!!!!!!!」


てーってれってれーーーーー!!!


その声は、山の向こうの向こうのそのまた向こうの海を渡った遥か向こうにある北海道まで響き渡った。



***



その頃、アレックスはというと。
一仕事を終え、リムジンに乗って、宗政と一緒に帰路についていた。


「ご主人様ぁ」

「なんだね?」


広い座席に寝そべって雑誌を傍らにポテチを食べながら、向かい側にいる宗政に声をかけるアレックス。
とても従者とは思えない態度だが、いつものことなので慣れきっている宗政は、普通に返事をした。


「よくよく考えると~、太一郎くんには本当のこと言ってもいいんじゃないですかぁ?」

「……本当のこととは?」

「お嬢様が太一郎くんのこと好きってこと」

「……」

「太一郎くんに教えたところで、別に問題ないですよね?むしろ彼、お嬢様に好かれてるなんて知ったら嬉しくて失禁しますよ。しなくてもさせますよ」

「イジメ、ダメ!絶対!!」


さらっととんでもないことを言うアレックスに、宗政は顔を青くして思わず叫んだ。


「……確かに、客観的に見ればそう思うだろうね」

「客観的に見なくてもそう思うだろ」

「あん?」

「WOW !やっぱりそうデキないナニかがあるんデスかー?」

「………チッ!」


クソ生意気なこと言ったかと思えば、日本語覚えたてのアメリカンボーイな口調でぶりっ子してきたアレックスに、宗政はピキピキとこめかみに青筋を浮かべながら舌打ちをした。
ゴホンッと咳払いをして気を取り直した宗政は、いつもの凛々しい顔つきに戻る。


「実はだね。私達の時にそれをしたのだよ」

「?、奥様の気持ちを先に教えてもらったってこと?」

「そう。宝条院家代々に伝わる奇病のこと、そして悠利が私のことを本命として好きだって知った時は嬉しくて泣いたよ。泣き過ぎて呼吸困難起こして死にかけたほどだ」


宗政は目を閉じ、昔のことを思い返しながら懐かしそうに言う。


「ちなみに誰に教えてもらったんです?」

「悠利の父……拓郎さんからだよ」

「じゃあそれに倣ったらいいじゃないですか」

「いいや、ダメなんだ!」


バンッと穏やかではない音がリムジン内に響く。
宗政がテーブルを叩いたのだ。
はぁはぁと息を乱す宗政と、真面目な顔をしてポテチを食べるアレックス。
ポテチパリパリ咀嚼音と共にリムジン内が、一気に緊迫とした空気に包まれる。


「っ……拓郎さんは……お義父さんは、悠利の気持ちを先に私に教えたせいで……悲惨な目に遭ったんだ……」

「……お爺様、今も生きてますよね?結果的に生きてるんだったら、別に……」

「黙りなさい!あんなの……あんなの私では耐えきれない……っ」


いつもとは違う取り乱し方をしている宗政に、アレックスは押し黙る。
自覚のない本人の恋心を相手に教えるだけで、一体どんなことが起きるというのか。
宗政の様子からして、余程深刻なものなのだろう。
まさか、その奇病が感染するとか。
けど、宝条院の者は旦那側も含めてわりとおかしいとこあるから、病気なんか素なんか区別しづらいんだよなっ。
と、結構酷いことを思いながら、アレックスは宗政の言葉を待つ。
宗政はある程度呼吸を整え、Gokuriと固唾を飲み込む。
そして、震える口をゆっくりと開き、言葉を紡ぎ出した。


「忘れもしない……、あの時のことを……。幾多とある苦難を乗り越え、私達がようやく結ばれた時に“それ”は起きたんだ」


リムジン内に、重々しい空気が漂う。


「私と悠利が晴れて恋人同士となり、周りが祝福する中、お義父さんはつい口を滑らして悠利の気持ちを先に私に教えていたことを彼女に言ってしまったんだ」


そしたら……!、と宗政は目を見開き、言葉を詰まらせる。
本当は言いたくない。
思い出したくもない。
でも、これもアレックスにわかってもらうため。
この行為がどれほど悲劇を招くのか、彼に知ってもらわないといけない。
宗政は眉間に皺を寄せて、重い口を開く。
そして、


「そのことを知った悠利は激怒して……三年……、約三年ほども……っお義父さんと口を利かなかったんだ……!」


父として、あまりにも。
あまりにもツラすぎる悲劇を、宗政はなんとか口に出して言った。
その瞬間、アレックスは真顔になった。
宗政の口から、くっ……と苦しそうな息がもれる。


「悠利はとても生真面目で潔癖な性格だから……許せなかったみたいなんだ。自分の大切な気持ちを、自分ではない誰かが先に私に伝えたことに……」


テーブルにある拳を震わせながら、宗政は話を続ける。


「私はお義父さんなりに私達のことを気遣ってくれたことだからと悠利を説得したが、聞いてもらえなかった……。それから悠利に相手をされないお義父さんを見ては、私は震えたよ。もし将来、娘にこんな冷たくされたらと考えるだけで………っう!嫌だ!一秒たりとも珠里ちゃんに嫌われたくない!何年も口を利いてもらえないなんて死んじゃう!!」


両手で顔を覆って嘆く宗政。
だが、アレックスは既に話なんて聞いておらず、雑誌の続きを見て(へー今太極拳ブームなんだ)と思っていた。


「そういうわけだ……。珠里は性格も悠利によく似ているから、あの子の恋心を先に太一郎くんに教えるなんて暴挙に出たらお義父さんと同じ……いや、それ異常に悲惨な道を通ることになってしまうかもしれない……!」


もはや大きな独り言と成り果てた宗政の声が、広いリムジン内に虚しく響く。


「お義父さんは次男だから耐えれたが、私は一人っ子の長男……きっと、ううん、絶対耐えれない!無理の無理だ!無理二乗!なんたって私は生まれた時から両親に愛されてきた長男!親の愛を知ってるからこそ、珠里も樹乃も同じくらい愛したい!そして嫌われたくない!愛する娘に冷たくされたくないんだっ!!」


アレックスは耳にイヤホンをつけて、スマホに入っている洋楽を再生すると、再びポテチを食いながら雑誌を読んでいく。


「幸いなことに、太一郎くんはウブでとても一途な子だ。黙っていたところで、彼の気持ちが揺らぐことはないだろう。それにここだけの話だが、私も太一郎くんが義理の息子になってくれたら嬉しいなって。あの子はちょっと甘いとこがあるけど、素直で純粋でとてもいい子だ。珠里が好きになる気持ちもよくわかる。やっぱり人はね、性格だよ。性格と可愛げと清潔感ね。それさえ揃ってたらもう無敵の愛されキャラといっても過言ではないよ。まぁその無敵の愛されキャラでも妻の悠利には敵わないんだけどねっ。はぁ、ここ最近悠利とゆっくりごはんも食べていないなぁ。恋しいよ悠利……出張とはいえ、もう三日もまともに顔を合わせていない。毎晩三時間の電話じゃ足りないよぉ。悠利と一緒に映画見たい、公園を散歩したい、私の手作りお菓子を悠利に食べてもらいたい……。ああ早く老後の生活をしたいな定年退職したら悠利とうだうだうだうだ」


こうして、宝条院邸に戻るまで宗政の長い長い不毛な独り言は続いたという。





***




1/2ページ
スキ