恋愛拒絶症の真実!





夕方。
下高の掃除の手伝いをしていつもの調子に戻った太一郎は、珠里の部屋にて彼女の遊び相手をしていた。
ぱちり、ぱちり、と将棋盤に駒を打つ音だけが聞こえてくる。
静かでありながらも、決して気まずくはない空気感。
珠里と二人きりであることに緊張しながらも、太一郎はこの時間でしか感じられない幸せを噛みしめていた。


「ところで太一郎」

「!、は、はいっ」


不意に珠里から名前を呼ばれ、太一郎は驚いたもののきちんと返事をする。


「アレックスにまた泣かされたんですってね。沙理から聞いたわ」

「!!」


ぱち、と駒を打ちながら、珠里は下高から聞いた話を太一郎に持ちかける。
その言葉に衝撃を受けた太一郎は、思わず持っていた駒を落とす。


(し、下高殿ぉ~~~っ)


なんでお嬢様に言ってるんでござるかぁ~~!
と、心の中で太一郎は情けなく泣く。
いつの間に告げ口したのかは知らないが、昼過ぎにあった出来事を珠里に知られてしまった事実に、頭を抱えたくなる。
否、頭を抱えるどころか、穴があったら即入りたい気分になった。


「まったく……アレックスの意地悪根性はもはや生まれつきね」

「ぁ……で、でも……放っとけばいいのに、拙者が食ってかかったから……」


恥ずかしいやら情けないやらで顔をうつ向かせてもじもじとしながら、太一郎は自分の非を言っていく。
そんな太一郎を将棋盤越しに真ん前から見ていた珠里は、スッと目を細める。


「太一郎は気にしなくていいわ。あとでわたくしがアレックスにしっかり灸を据えておきます」

「!、そ、そんな……お嬢様がわざわざそこまで……。それにこれは拙者とアレックス殿の問題……」

「いいえ。執事の抱える問題は主の問題も同然だわ。そして主がその問題を解決するのは当然のこと」

「お嬢様……」

「いい?わたくしは由緒正しき宝条院の令嬢として当たり前のことをするだけ。だから、太一郎がわたくしに対して申し訳ないとか、自分に対して情けないとか思う必要もないわ」


背筋を伸ばし、自身の胸に手を当てて、凛とした声で、珠里は太一郎に自分の行動の意味を伝える。
その品格ある姿勢と内面からあふれ出る珠里の心の美しさに、太一郎は心が彼女に奪われていくのを感じる。
何か言わないといけないのに、感動のあまり声を失ってしまう。
思考と感覚が珠里でいっぱいになる。


「日頃からお世話になっているんですもの。むしろ、少しくらいわたくしを頼って欲しいと思うわ」


そう言って、珠里は太一郎に向かって優しく微笑む。
ただでさえ絶世レベルと言われる珠里の美しい顔だけでも、真正面から見ているだけでクラクラしそうだというのに、そこに微笑みが加わった時の破壊力ときたら。
太一郎は胸を矢……否、大砲で貫かれたような衝撃を受ける。


ああ、お嬢様……。

貴女はどこまで美しく、拙者の心をこんなにも粉微塵にする勢いで搔き乱すのか……。


太一郎は心臓があり得ないほど高鳴るのを感じながら、じっと食い入るように珠里を見る。
固まったように動かない太一郎を少しの間だけ見ていた珠里は、クスッと小さく笑う。


「さ、次は太一郎の番よ」

「えっ、あっ、は、はいっ」


珠里に将棋の催促をされ、我に返った太一郎は落とした駒を慌てて拾う。
珠里を待たせまいと思いつつ、どこに打とうか悩む太一郎。
そんな太一郎に、珠里は慈しみの視線を向ける。


(本当に、太一郎は真面目で素直な子ね)


太一郎を見つめながら、言う。


(泣かされたのは自分だというのに、相手を責めず自分の非を認めて……更にはわたくしを気遣って……。本当……放っておけない子)


軽く息を吸い込み、珠里は静かに目を閉じる。
そして、思い返す。
この二年、珠里の目に映っていた太一郎の姿を。


初めて会った時、すごく緊張した様子で「に、にんじょぁのしゃいがたいちりょうっれすっ」とカミカミで自己紹介してきた太一郎。
料理、部屋の掃除、庭の剪定、買い物の付き添い、護衛等、自分のために一生懸命尽くそうと、不器用ながらに頑張る太一郎。
季節の訪れを知らせる何かがある度、嬉々としてそれを伝えてくる太一郎。
初めて一緒に豪邸周りを散歩した時、アレックスの仕掛けた穴にまんまと落ちて半べそをかいていた太一郎。
紅茶を煎れたつもりが間違えてひじきを入れてしまい、泣きながら謝ってきた太一郎(もちろん全部飲んだ)。
庭に生えているマンドラゴラをうっかり抜いてしまい、生死の境をさ迷っていた太一郎(全身全霊で看病した)。
遭遇した下着泥棒との戦闘の末、盗んだ下着を奪い返したものの、「ならお前のパンツを寄越せぇ!」と逆ギレされ、袴をひっぺがされそうになって泣いていた太一郎(すぐに助けた)。


それらを思い返し、珠里はクールにふぅと息を吐く。
太一郎と初めて会って、彼を見れば見るほど、一緒にいればいるほど、胸の中で芽生えていった感情……。
初めての感覚。
これが何なのか、もう既に知っている聡明な珠里は、解答するかのように胸の内で呟く。


(これからもわたくしが側にいて、守っていかなければ……。太一郎の……)



頼れるお姉さん的存在として。



そう。
つまりはそういうことなのである。
珠里の太一郎への認識は『恋の相手』ではなく『可愛い弟分』になっており、彼への『恋心』は『姉心』に変換されていたのだ。
珠里が長女でしっかりしている故にだろう。


「あ、あっ、す、すごいです!お嬢様!目を瞑りながら将棋が出来るなんて……!しかも変わらず強いっ!」


そんな珠里の気持ちも、奇病の真の意味も知らず、太一郎は目を閉じながら駒を打つ珠里に感動する。
まるで汚れの知らない子どものように純粋で素直な反応をしてくる太一郎に、珠里はふふっと微笑ましく笑う。


こういう日々がいつまでも続けばいいのに……。


と、太一郎との穏やかな時間に尊さを感じながら、珠里は沁々と思った。








そして、その日の夜。

ガサガサガサッ、ザザッ、ヒュンヒュンヒュンッ、と宝条院邸の広すぎる裏庭で、妙な音がそこらかしこから聞こえてくる。
次の瞬間。
風を切るような音と共に、木の間から飛び出た二つの影が、月明かりの下に姿を現す。


「お待ち!アレックス!」

「ムリムリ~ッ」


それは珠里から逃げているアレックスと、大剣(宝条院家代々に伝わる宝剣)を片手にアレックスを追いかけている珠里だった。


「今日という今日はお仕置きをみっちり受けてもらうわ!」

「いや~、その大剣でオレをどうするつもりなんですー?」

「割る!」

「エ~ッ」

「意地悪なことを考える脳みそだけね」

「え~ん、死んじゃいますよぉ」

「凄腕の医者をつけるから、大丈夫よ」

「うわぁ、やっぱ素でもイカれぽんぽんじーだぁ……」

「とにかく止まりなさい!止まらないとお仕置きがもっとすごいことになってよ!」

「ムリですってぇ~」


距離を詰めたと同時に、素人……否、玄人でも見逃すレベルの突きを繰り出す珠里。
それを巧みに避けながら、アレックスは珠里との会話に応じる。


「てかお嬢様ぁ。追いかけっこ始めてから、かれこれ三時間以上経っていますけど、どうしてバテるどころか息切れ一つしてないんです~?このバケモノがッッ!!」

「あなたも人のこと言えなくてよ!」


アレックスがまた走り出し、珠里もその後を追いかけていく。
その姿はさながら誘導ミサイル……。


一方で、そんな二人を太い木の枝の上でずっと見守っていた影が一つ……。
それは太一郎だった。
アレックスを相手に全く引け目をとらない珠里の姿に、太一郎は惚れ惚れとしてしまう。


(お嬢様……さすがですっ)


美しいだけではなく、強くもあるなんて……お嬢様は完璧で究極のご令嬢ですっ。
と、珠里にますます心を奪われていくのを感じながら、太一郎は恋による胸の苦しさを紛らわすために、胸を両手で押さえつける。


(いつか……、いつか正式に告白する日が来るまで、拙者も強くなるんだ……。そのためには、日々鍛練鍛練っ)


でも今夜は珍しくお嬢様が外にいるから、もうちょっとだけ見とこ……。
そう思い、太一郎は圧倒的ご令嬢の威厳を見せる珠里を、うっとりとしたように見つめ続ける。


「太一郎くん、そういうとこだからねー!ちったぁ止めに入れ!!」


既に太一郎の存在に気づいていたアレックスは、彼がいる木の近くを通りすぎたところで叫ぶ。
だが、あまりにもお嬢様に見とれ過ぎて、太一郎にアレックスの声は届いていなかった。
果たして、太一郎が珠里に男気を見せる日はくるのか……。
来るのか……、来ないのか……。



どっちなんだいっ!



『恋愛拒絶症の真実!』おわり
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