きみにいっぱいのお茶を
場面は珠里・太一郎サイドに戻り……。
「珠里さん。わしが間違えていた。茶道において大切なのは、経験や知識以上に心であること……。真心を込めて点てたお茶があんなにも美味いなんて……。わしはどうやら千道流を広めることに躍起になり過ぎて、一番後世に教えていかねばならんことをすっかり忘れていたようじゃ……」
「お気づきになられたようで何よりです」
とある山の中にある大きな屋敷の前で、千道と珠里達は向かい合っていた。
「しかもあのお茶の点て具合……、まさか弟子の緑屋伊右衛門から教わったものだったとは……」
そう言って、千道は隣にいる和服姿の好青年をちらりと見る。
緑屋伊右衛門(みどりや いえもん)と呼ばれた好青年は、照れ臭そうに身を縮めて後ろ頭を掻く。
そう、今回のお茶会は千道の一番弟子・緑屋の協力があってこその勝利だった。
ちなみに今日まで緑屋のことを知らなかった太一郎は、突然現れて朱里の隣に座っている彼の姿を見て、かなりそわそわきょどきょどしたとか。
しかも、珠里がちょうど着物だったのも相まって並んで座っている二人の姿が絵になるもんだから、尚のこと。
「い、いえ。私はただ、師匠に教わったことを教えただけなので……」
「……」
控えめに笑いながら謙虚なことを言う緑屋を見て、千道は複雑な気持ちになる。
『茶道は真心。真心あってこその茶道だ』。
まだ穏やかに茶道をしていた頃の自分が、何度も言っていた言葉。
それを今でも覚えていたなんて。
お前のやり方はもう古臭い、新しいやり方に変えられないなら辞めてしまえ、と散々酷いことを言ってきたというのに……。
それでも、昔の自分を覚えていて、今の今までずっと守っていてくれたなんて……。
「わしは……大馬鹿者だ」
千道の口から本音がもれる。
恩師の自虐的な発言に、緑屋は「師匠……」と何とも言えぬ感情を乗せて彼を呼ぶ。
千道は踵を半歩返し、緑屋を真正面から見る。
「伊右衛門」
「……はい」
「今日び茶道はある程度の派手な演出と奇抜さがないと目立たん。昔のような淑やかなやり方では、他の流派に埋もれていくばかりじゃ……」
「……」
「じゃが、わしはもうそれでいいと思う。時代が移り、茶道がどのような形に変わろうと、わしはわしが一番大切にしていたやり方を貫き通す。そう決めた」
「師匠……」
「伊右衛門。この数年、わしはずっと間違い続けた。もう新たな門下生も来ることはないだろう。千道流が他の流派のように飛躍することもないだろう」
「……」
「それでも……わしと共に千道流を支えてはくれぬか?」
「っ……もちろんです!」
「伊右衛門……!」
「師匠ぉ……!!」
数年の時を経て、再び心が通じ合った二人は、ひしっとお互いを抱きしめる。
その感動的な場面を前に、珠里は静かにハンカチで涙を拭い、後ろにいた太一郎もハンカチを片手においおいと号泣し、その隣にいるスーツ姿の小太りの老人・通称ジイ(本名、田沼五郎)は「めでたしめでたし~」とにこやかに拍手していた。
「師匠ぉ!」
「伊右衛門……!!」
「師匠ぉおお!!」
「伊右衛門ーーっ!!!」
「さ、あとは若くないのと若いのに任せて、わたくし達は帰りましょう」
「ですね」
「う゛ぅう゛~~っ、素晴らしい師弟愛でござるぅ~~っ」
すっかり二人の世界に入り込んでいる師弟から目を離し、珠里は気持ちを切り換えていつもの凛とした顔立ちに戻り、太一郎とジイに帰宅を促す。
優雅に踵を返し竹藪に挟まれた山道を下りていく珠里の後を、二人はついていく。
師弟のお互いを呼び続ける声は、それなりに下ったところまでも聞こえていた……。
数分後。
「それでは、珠里お嬢様。車を回してきますので、ここでお待ちください」
「ええ」
車が通れるくらいに道が開けたところまで下りた珠里は、ジイの言葉に従ってそこで車を待つことにする。
のたのたと車を停めているところに向かって歩いていくジイの背中を、珠里と太一郎は見送る。
程なくしてジイの姿が見えなくなり、その場に太一郎と珠里だけが残る。
木漏れ日が差す竹藪から小鳥の鳴き声が聞こえてくる。
ふわりと吹いてくる心地好い風を感じたところで、太一郎はハッとなる。
珠里と二人っきり。
それを意識した瞬間、一気に緊張感が高まった。
胸がドキドキして、全身の血が巡りに巡る。
手にじっとりとした汗が滲み出る。
だけど、今は仕事中。
個人的な感情に流されてはいけないと、太一郎は頭を横に振る。
「で、では拙者もそろそろ先に回って安全を確認します故」
自分のやるべき仕事を珠里に告げ、太一郎はその場を去ろうとする。
だが、
「待って。太一郎」
「?」
珠里に呼び止められ、太一郎は反射的に足を止める。
珠里の顔がゆっくりと太一郎の方を向く。
珠里と目が合い、太一郎はドキッとして固まる。
黒曜石のような美しい黒の瞳。
それに吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
ぽや~っとしている太一郎をよそに、珠里の薄紅色の唇が動く。
「帰りぐらい、一緒に車に乗らなくて?」
「えっ」
珠里からの思わぬ誘いに、太一郎は驚く。
長いような短いような、数秒の間が空く。
「嫌かしら?」
「え!?あっ!い、いや!嫌だなんて、そんな……!!」
首をこてんと傾けてそう問いかけてきた珠里に対し、太一郎は身ぶり手ぶりと慌てて弁解しようとする。
「た、ただ、拙者にはお嬢様の安全を確保する義務があります故……」
「あら。それなら、わたくしの側にいることも十分な安全の確保になるのではなくて?」
「え、あ、で、でも、先に回って未然に防いだ方が……」
「なら、これはわたくしの命令です。太一郎、わたくしと一緒に車に乗って帰りなさい」
「えっえっ、えうぅ……で、ですが……」
「いいわね?」
じぃっと強い眼差しを向けてくる珠里に、太一郎はたじたじになる。
本来の責務と珠里の命令。
どちらを優先すべきか、一目瞭然なのだが……。
あの車という狭い箱の中に、長い時間珠里と一緒にいるという状況が太一郎を迷わせた。
狭い空間に珠里と二人……(※ジイの存在忘れています)。
そんなの自分の心臓が耐えきれるのか……。
とはいえ、珠里に直接命令されたことだから、断ることなんて出来ない。
もう腹をくくって、己の心臓の強さを信じて、潔く承諾しよう。
と、珠里を待たせないために超速で判断を下した太一郎は再び珠里を見る。
そして、
「は……はいっ。お、お嬢さまがよろしければ……」
と、緊張混じりの声で返事をした。
その返事を聞いた珠里は、ふと嬉しげに微笑む。
「で、ですが、拙者恥ずかしながら車に乗るのは初めてで……」
「あら、そうなの?なら、いい経験になるはずだわ」
「は、はい……。でももし、何か粗相しましたら遠慮なく車から出してくださればと……」
「そんなことするわけないでしょ。わからないことがあったら、わたくしに聞きなさい。わかることは全部答えてあげるわ」
「あ、ありがとうございますっ」
優しくて頼もしい珠里に安心する気持ちとこれから彼女と車に乗ることの緊張で、太一郎はどぎまぎしてしまう。
会話が途切れ、その場が静かになる。
珠里は冷然とした様子で、太一郎はそわそわと落ち着かない様子で、ジイが来るのを待つ。
吹いてくる柔らかな風から、自然の澄んだ空気を感じる。
青かった空がだんだんと朱色に染まっていき、夕暮れ時を知らせる。
竹藪から聞こえる虫の音を耳にしながら、太一郎は緊張を紛らわすために、顔をうつ向かせて道に転がっている石の数を頭の中で数える。
何か話せねばと思いつつも、緊張やら何やらで上手いこと話題が思いつかない。
どうしようかと太一郎がごちゃごちゃな思考を張り巡らせていると……。
「……茶道」
「!」
太一郎より先に、珠里の口が開く。
隣から聞こえた声に反応して、太一郎は石を数えるのをやめて顔を横に向ける。
「久しぶりにしたけど、思った以上に楽しかったわ」
「あ……おっ、お嬢様の振る舞い、素晴らしかったです……!」
「ふふ、ありがとう。今度は勝負事なしでまたここにお邪魔しましょう」
「は、はいっ」
「その時はわたくしが点てたお茶、太一郎が飲んでくれると嬉しいわ」
「えっ、あっ、ぜ、ぜぜぜぜ是非とも……」
珠里の厚意に太一郎は顔を赤くして、しどろもどろになりながらも言葉を返す。
その様子を見て、珠里は少しおかしそうにクスッと笑う。
「ふふっ、太一郎は本当に可愛らしいわね」
「ほへっ!?か、かわ……?」
「千道流。これからもずっと続くといいわね」
戸惑う太一郎をよそに、珠里は顔を前に向き直して話を変える。
「どんなものでも時代と共に新たな形へ移り行くものだし、その流れに乗っていかないと置いていかれるけど……。でも、だからって昔から大切にしてきたものを忘れて、自ら踏みにじってはいけないわ」
「……」
「今流行っている茶道のやり方もとてもポップで親しみやすいけど……私はやっぱり千道流のやり方が一番好きだわ。静かで、気品があって、真心のこもった最高のお茶をお客様に味わってもらうために一意専心で点てる……。そんな千道流が好きだった。だから、今回で千道さんが昔のように戻って、本当によかった」
そう言って嬉しそうに、それであって安心した様子で笑みを浮かべる珠里。
その横顔に、太一郎の目が奪われる。
先ほどの戸惑いも忘れて、珠里に釘付けになってしまう。
(………本当に)
なんて美しいのだろう。
お嬢様は。
身も心も。
毎度ながらだが、珠里の混じりけのない美しさに太一郎は惚れ惚れとするのはもちろん、感動さえも覚える。
(こんな世界一美しいお嬢様に仕えることが出来るなんて……拙者は幸せ者だ……)
幼い頃世話になった茶道の先生の本来の心を取り戻すために、わざわざ挑戦状を叩きつけて、遠いところまで足を運んで、師弟の絆まで結び直して……。
流行にも流されず、自分の好きなものは好きとはっきり言って……。
そんな優しくて気高くて、芯の通ったお嬢様が………
「好き……」
「え?」
「!!」
心の声が無意識に口からもれていたらしく、きょとんとした顔をしてこちらを振り向いた珠里に、太一郎はハッとする。
顔が一気に熱くなる。
まずい、やらかした。
そう思った瞬間、太一郎は慌てて違うと言わんばかりに両手を振った。
「あ!い、いえ!せ、拙者も今回の茶道を見て、千道流が好きになりそうだなって!そ、そそそう言おうとしたんでござる!こ、ことばが足らりなくて申しわけにゃいでつ!」
「……」
テンパり過ぎて最後はかみかみになってしまったが、太一郎はなんとか思いついた言い訳を言いきる。
驚いた顔で太一郎を見ていた珠里だったが、程なくしてくすりと笑う。
「そう。太一郎も千道流を気に入ってくれたのね」
「は、はい……」
どうやら誤魔化せたようだ。
と、太一郎は胸の内でホッと安堵する。
だが、
「そらぁ……よかったぁ………」
「わ、わーーーーーー!!!!?」
次の瞬間、珠里の顔が一気に簡素化した。
整っていた顔のパーツがみるみるうちに最低限のものになっていく。
奇病の発症だ。
やはりうっかりでも、誤魔化しても、病気は許さなかったのだ。
本命との恋愛イベントを。
「よかったぁ……よかったぁ……」
「お、おぉおお嬢様!!?ど、どうされたんで……ああっ!そんな!髪が!体まで!」
顔だけでなく、髪や体、服装まで簡素化していって、瞬く間に画力のコスパがいい容姿になっていく珠里。
そんな珠里を前に、太一郎はなすすべもなくうろたえる。
時間は無情にも過ぎ去っていき、最終的に珠里は色までなくなり、なんか優しく笑っている感じの人型のぬいぐるみになってしまう。
そのあまりにもあんまり過ぎる変貌に、太一郎はその場に膝から崩れ落ちる。
「お、お嬢様……」
「~~~~~………」
「うぅっ……すみません……何言ってるのか……わかりません……っ」
文字まで簡素化されて、珠里とのコミュニケーションすらとれなくなったことに、太一郎はショックを受ける。
どうしてこんなことになってしまったのか。
何がいけなかったのか。
風が吹き、竹藪がざわつく中、太一郎はしくしくと泣く。
と、その時。
濃い青色の高級車が、二人の前に停まる。
ジイが戻ってきたのだ。
「はーい、お待たせしました。って、あれ?珠里お嬢様?随分と依頼料5円なお姿になられまして……」
車から降りて珠里を見るなり、ジイは感心したように言う。
「~~~~~」
「いや~、何言っているのかわかりませんねっ」
「うえぇ~~ん、田沼殿~~~っ。お嬢様が~~~っ」
「おや、太一郎くんはまた泣いてるのかい?今日はアレックスくんがいないというのに。まぁいいや。さ、太一郎くんも車に乗って。お嬢様が車内で転がり回らないように固定してて」
「え゛ぇ~ん、ごめんなさいお嬢様ぁあ~~っ」
「大丈夫大丈夫。夜には元に戻ってるから」
超簡素なぬいぐるみみたいになった珠里を抱えて泣く太一郎を宥めながら、ジイこと田沼は彼を後部座席に乗せる。
そして、のったのったと前に移動して運転席に乗った田沼は、いつもと変わらぬ様子で車を発進させる。
こうして、太一郎の初めての乗車は涙で始まり涙で終わった。
「それにしても、お嬢様も随分と丸くなりましたなぁ」
「ほぇ?」
「ああいや、こっちの話だよ。はははっ」
『きみにいっぱいのお茶を』おわり
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