好きです!お嬢様!




それは、よく晴れた日のことだった。

青々とした芝生がよく見える大きな窓、天井に吊るされた豪華なシャンデリア、白い壁に飾られた有名な絵画、上質な絨毯に大きな長テーブル。
名家・宝条院家の豪邸にある食堂にて。
そこには一人……今にも飢え死にしそうな様子の女が、だらりとした体勢で奥の席に着いていた。


「ぁ……ぅ……」


長い髪はボサボサのパサパサ、顔を覆っている前髪の隙間からぎょろりとした目が覗き、薄く開いた唇から呻き声が漏れる。
体は小刻みに震え、今にも椅子から倒れてしまいそうだ。
窓から暖かな日の光が差し、果てしなく広い庭から小鳥の囀りが聞こえてくるという何とも絵に描いたような穏やかな朝の風景だというのに、その女だけがのどかな日常から置いていかれたかのように異質な空気を放っていた。
こん、こん、こん、とドアからノック音が聞こえる。
女はそれに応じることなく、依然と宙を仰いで言葉にならぬ声を漏らし続ける。
その様子をわかりきってるかのように、豪奢なドアががちゃりと開かれる。


「お嬢様、朝食を用意いたしました」


そこから現れたのは、忍者。
明らかに忍者だった。
黒い忍装束に目元以外の全て隠している覆面、背中に装備された刀。
どこからどう見ても体躯のいい忍者。
その忍者兼執事がお茶と味噌汁、おにぎりが乗った木製のキッチンワゴンを押して入ってきたのだ。
お嬢様と呼ばれた飢え死に寸前女は、忍者の声と味噌汁の匂いに反応するかのようにぐるんと首をそちらに向ける。
そして、キッチンワゴンの上にある朝食を見るなり、かくかくと震えた手を伸ばしていく。


「ぉ……に……ぎり……」

「ああ……、お嬢様……っ。今すぐそちらに向かいます故……!」


もう見てられないと言わんばかりに、忍者は駆け足で女の元に向かおうとする。
広すぎる食堂で、女と忍者(朝食)の距離が縮まっていく。
そして、おにぎり等が乗ったキッチンワゴンが女の手の届くところまで着こうとした……その時だった。


「お嬢様~!朝食用意しましたぁ~!!」

「!!?」


女と忍者の間に割り込むように、サンドイッチとスープとコーヒーが乗った鉄製のキッチンワゴンとそれを押している男が横から出てくる。
癖のある金髪と蒼眼に、所々に傷はあるものの端正な顔立ちをした迷彩服姿の男。
元軍人の使用人だ。
どこからわき出てきたのか、忍者よりも体躯のいい元軍人は、二人の間に勢いよくキッチンワゴンを押し込む。


「やっぱ朝食といえば、サンドイッチにコーヒーですよねー!オレ、お嬢様のために頑張って作りましたぁ!!」

「くっ……!」


にこやかな笑顔で女にあからさまなアピールをする元軍人に、忍者は苦々しく眉間に皺を寄せる。


(アレックス……キーン……!!)


忍者・才賀太一郎(さいが たいちろう)は吐き捨てるように、胸の内で元軍人の名前を言う。
そう、この二人は恋のライバルなのだ。
対象はもちろん今テーブルで餓死寸前になってるお嬢様。
二年前に宝条院家の執事に採用されてお嬢様を一目見た時から、太一郎もアレックスも彼女にゾッコンなのだ。
そして、今日も今日とて奥手気味な太一郎は、なけなしのお嬢様との時間をアレックスに邪魔されるという、そんな日々を送っているのである。


「ぁ……あ……」

「!!」


お嬢様の手が、サンドイッチを掴もうとする。
それを見た太一郎は、反射的におにぎりを鷲掴む。


「おじょおさまぁああああっ!!!」

「!?」


忍者の身体能力を活かし、サンドイッチが置かれたキッチンワゴンを越えて、驚くアレックスをよそに太一郎はお嬢様の目の前まで一気に迫り来る。
そして、


「拙者のおにぎりを食べてくだされぇえーーーーっ!!!!」


鷲掴みにしたおにぎり三個を、め゛ぢゃあ゛ぁあっ!と勢いよくお嬢様の口に押しつけた。
一瞬の沈黙。
太一郎は自分の手がお嬢様の顔に触れていることにハッと気づき、顔を真っ赤にして咄嗟に手を引く。


「あ、す、すみません!お、お嬢様に拙者のおにぎりを食べて欲しくて……つ、つい……!」

「……」


恥ずかしそうにもじもじしてる太一郎をよそに、お嬢様は口の中にあるおにぎりを静かに咀嚼し、ごくりと飲み込む。
そして、口元についていた米粒も舌で舐めとりながら、前にまで垂れていた長い髪を片手で後ろに払いのけた瞬間。


「実に美味であった」


食道内に凛とした声が響く。
なんということだろう。
あんなにボサボサパサパサの長髪でまるでホームレスみたいだったお嬢様が、艶やかな黒髪できりりとした美しい顔立ちの美少女になったではないか。
長身のスレンダーな体型もあって、清楚な白ブラウスに上品な黒のロングスカートといった服装がとても似合う。
席から立つなり、先ほど食べたおにぎりを褒めてきたお嬢様こと宝条院珠里(ほうじょういん じゅり)を前に、忍者ははわわ~と赤かった顔を更に赤くする。


「太一郎、また腕を上げたわね」

「あ、ありがとうございます……!」

「そこのお味噌汁とお茶もいただこうかしら」

「は、はいっ!」


スマートな動きで席に着く珠里の前に、太一郎は嬉せっせと味噌汁とお茶を並べる。
味噌汁を一口飲み、それも一言褒めてくる珠里に、太一郎はすごく照れながらも嬉しそうに笑う。
その一方で、完全に蚊帳の外状態にされたアレックスは、行き場のない朝食が乗ったキッチンワゴンを前に真顔で二人のやり取りを見る。
そして、静かに顔をうつ向かせた次の瞬間。


「……ぅ……、ぅう……!」


「?」

「!」


後ろから聞こえた悲痛な声に、珠里はお茶を手に不思議そうに、太一郎は嫌な予感がしながら、振り返る。
すると、そこには冷めた朝食が乗ったキッチンワゴンを傍らに、涙を流して座り込んでいるアレックスの姿があった。


「わかりました……。オレの朝食は、庭の鳩にでもやっておきます……っ」


乱入してきた時とはうって変わり、しおらしい姿を見せるアレックス。
だが、そのしおらしい態度とは真逆に、きっちり留めていたはずの迷彩服の前がしっかり開いていたのだ。
まるで鍛え上げた胸筋の谷間を見せつけるかのように。


(こ、こいつ!!!)


朝食がダメとわかったら、色仕掛けをするなんて!
なんてヤツだ!これだから外国の者は!!(偏見)


あからさまなお色気攻撃を仕掛けてきたアレックスに、太一郎は目を血走らせながら憤慨した。


ごとんっ


「えっ……」


諦めの悪いアレックスにムカムカしていた太一郎だったが、近くから聞こえた鈍い音に反応して振り返る。
すると、テーブルの上に広がるお茶と倒れている湯のみ……そして、目を大きく見開いてアレックスの胸を凝視している珠里の姿が、太一郎の目に入った。


「おじょぉ……さま……?、ひっ!」


太一郎が声をかけるや否や、珠里はがたんっと大きな音をたてて立ち上がる。
開いた迷彩服とその下にある黒タンクトップから覗く……むっちりとした胸の谷間。
それを食い入るように見つめていた珠里は、次第に興奮しているような息遣いをし始める。
そして、鼻腔からたらりと鼻血が出てきたと同時に、珠里はアレックスに向かってふらふらと歩き始めた。


「くっ……!」


アレックスの色仕掛けにまんまと引っかかっている珠里を見て、太一郎は悔しそうに歯ぎしりをする。
いつだってそうだった。
アレックスは自分が負けるとわかった瞬間、その豊満な体を使って珠里に色仕掛けをする。
太一郎も体格はいい方だがアレックスほどではないし、何よりもああやってはだけた格好して谷間を見せるなんて性格上恥ずかしくて出来るわけなかった。
けど、アレックスはそれをわかった上でやっている。
太一郎には出来ないことで、数々の勝利をおさめてきたのだ。
そして、また今回も太一郎が泣きを見る展開になるはずだった……が。


「お嬢様!拙者にだって胸ぐらいあります!!」

「!?」

「え」


今回の太一郎は違った。
脱いではないものの、珠里の注意を自分の方に向けるなり胸を張り出したのだ。
こんなこと、普段の太一郎だったらしていなかっただろう。
だけど、もういい加減お色気の面でもアレックスに負けたくなかったのだ。
太一郎の胸がどんどん膨らんでいく。
本人の姿が見えづらくなるほどに。


「すごいでございましょう?」

「ウワアァアアアァァーーーーーッッ!!!?!?」


もはや豊満な胸筋ではおさまらない太一郎の膨張しまくった胸に、アレックスは思わず悲鳴をあげる。
この胸はどこまで膨らむのか。
もう天井につく勢いではないか。
あまりの化け物雄っぱいに、アレックスは顔を青くして愕然とする。
そして、大きければ何でもエロく思うのか、アレックスの方に行っていた珠里が方向を変えて、今度は太一郎の方にふらふらと歩み寄っていく。
言葉を失うアレックス、煩悩に負けまくる珠里、そして未だに膨らみ続ける太一郎の胸。
視界の隅に見えた珠里の姿に、太一郎は不敵な笑みを浮かべる。


(ふふん、アレックス殿め。これでもうお得意の色仕掛けは使えまい!)


これからはずっと拙者のターンでござる、と太一郎が勝利を確信した次の瞬間だった。


バァンッ!!!


「……」

「オォウッ!?」


太一郎の胸が凄まじい音と共に弾けた。
突如食堂内を襲った風圧に、珠里の長い黒髪とスカートが大きく揺れ、サンドイッチ等乗ったキッチンワゴンが壁に勢いよく叩きつけられアレックスは驚く。
一方で太一郎はというと、間近で凄まじい風圧を受けたため、頭が思いきり上に向いたまま固まっていた。
しん……とした空気が流れる。
一体何が起きたのか。
呆然としていたアレックスだったが、ふととあることに気がつく。
太一郎の後ろにある全自動式エアーポンプに。
そして、そのエアーポンプのチューブは太一郎の忍装束の脇辺りへと続いていた。
それを見たアレックスは全てを理解する。


「ぷっ……何かと思えば風船かよ」


そう、あの化け物雄っぱいの正体は風船だったのだ。
アレックスの色仕掛けに対抗すべく、太一郎はあらかじめ服の中に風船を仕込んでいたのだ。
だが、結果はご覧のとおりである。


「あら……、わたくしは一体……?」

「お嬢様ぁっ。大丈夫ですかー?」


風圧で気絶しているのであろう。
太一郎がぴくりとも動かないのをいいことに、アレックスはスキップで珠里に近寄ろうとする。
が、その時。


「!、誰だ!?」


後ろから何者かの気配を感じ、アレックスは反射的に足を止めて振り返る。
すると、


「………」

「!?、え、マジで誰……!?」


食堂のドア付近に、ベージュの短髪で綺麗な顔立ちをした少年(?)が壁に背中を預けて立っていた。
黒Tシャツにジーパン姿の少年(?)は、無表情でじっとこちらを見つめている。
まさかお嬢様の命を狙っている刺客かと思ったアレックスは、目つきを鋭くして隠し持っていたナイフを咄嗟に取り出す。
だが、


「あら、樹乃。帰っていたの?」

「えっ」


珠里の反応に、アレックスはきょとんとする。
まるで最初から知っているかのように、少年(?)の名前を呼んだ珠里。
果たして、突如現れた樹乃という人物正体は一体……。
そして、太一郎は本当に気絶しているのか。
実は恥ずかしくて気絶したフリしているだけではないのか。
真実は次回にて。




つづく
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