CHANGE







どこまでも続く青い空。
雲一つなく、太陽が眩しく光り、地上を照らす。
暖かな風が吹き、それと共に数羽の白い鳥が空に向かって羽ばたいていく。
その下には、町や村、野原や大きな道を挟んで鮮やかな緑の山々が広がる。
優雅に飛んでいた鳥達が、一つの山の上を通り過ぎていく。
死が纏わりつくという忌まわしい言い伝えがある山……“ならず山”だ。
そこの山腹辺りにある質素な家の傍に、一つの影があった。
唯一、木々の陰りがなく太陽の光が差すその場所で、地面に突き刺さった木刀の前で佇む青年の容姿をした者。
ステイトだ。
カヤからもらった長剣を背負い、腰には必要な物を詰めた布袋が巻かれている。
静まり返ったような感情だけが浮かぶ琥珀色の瞳は、木刀の下を見つめる。
そこで眠っている存在を。



あれから。
カヤを背負って、ここまで帰ってきて、彼女を埋葬した。
人間は死んだら土に埋めて還す習慣があるらしい。
それを埋葬と言って、今もそうしてるのか知らないが、いつしか読んだ本でそう書いてあったのだ。
野ざらしにするよりはいい。
そう思って、そのとおりにした。
掘って、穴を掘って。
掘った穴にカヤを入れて、カヤが好きだった物や大切にしていた物を入れて。
それで、土をかぶせた。
ただ無心に。
人間が書いた本に倣って。
カヤを土に還した。


土に還った人間はどうなるのだろうか。
木や花になるのだろうか。
だとしたら、素敵な話だ。
余計な感情のない、純粋無垢なものに生まれ変わるなんて。
羨ましい……。


土まみれの手で、土まみれの膝を抱えて、この五年近く見てきた木々の景色を見つめながら、カヤの側でぼんやりとそんなことを考えていた。
冷たい空気に包まれながら、無意味なことを考えて。
寂しい姿の木々を見つめながら、不毛なことを考えて。
考えて。
考えて、考えて。
朝日が昇って、太陽が真上にきて、空がだんだんと茜色になって、日が沈んで夜の色になって、暗闇に染まった空に月と星が現れて。
何度、それが繰り返されたのか……わからない。
いつの間にか考えるのをやめて、何度目の朝日を浴びた頃には、静かに、ゆっくりと、現実を呑み込んでいった。


ようやく重い腰を上げて、片付けをすることにした。
改めて見て気づいたが、家の前には食料や日用品が転がっていて、家の中は棚やクローゼット等扉という扉が開けっぱなしで、隠し戸もほぼ壊れていて、ストーン達が壊したところを除いてもそれなりに荒れていた。
泥棒が入った……ということはないだろう。
カヤだ。
カヤがきっと、いなくなった自分を必死に探したのだろう。
買ってきたものを投げ出し、部屋を荒らすほどに。
その痕跡からカヤの自分に対する想いをまた突きつけられて、目の奥がじんわりと熱くなったのを感じた。
ストーンに連れ戻された時は、消えて欲しいくらい嫌悪していたのに……今は恋しくて仕方ない。


今の感情を、どうしてカヤに再会した時に抱かなかったのか。

弱虫。

臆病者。

裏切り者。

だから、いつまでも最底辺なんだ。


一つ、また一つと家の前に転がっている物を拾って、心の中で自分を罵倒した。
芋とバターと、カヤが買ってきたものを手に取る度、胸が苦しくなった。
転がっている物の中に色んな色の不思議な棒もあって、これは何なのかと思ったが、答えてくれる人はいないのですぐに興味を失って、布袋に戻した。


家の中も片付けて、掃除をした。
カヤが生活していた時と同じ状態にした。
カヤは大雑把な性格のわりには、掃除は小まめにしていた。
皿も調味料が入った瓶も、棚も、床も、ベットも……全部いつも綺麗だった。
だから尚のこと、居心地がよかったのかもしれない。
食卓、炊事場、本棚、寝室……そして、隠し部屋。
一つ一つ掃除をする度に、カヤとの記憶が脳裏を掠った。
どれも暖かな記憶で、眩しくて。
そうであればあるほど、胸の中は暗く沈んだ。



掃除を終えて、風呂場でやっと自分の汚れを落として。
その時に、ふと違和感に気づいた。
……気づいたけど、どうでもよかったから、気にしなかった。



服は下に着ていたのだけ洗って、後は隠し部屋の奥に捨てた。
代わりに……カヤがいつしか見せてくれた服を着ることにした。
“着流し”と言って、まっさらと言っていいほどの白地に裾と左側の袖には手の平のような形をした葉が数枚描かれている。
黄色い根元から鮮やかな赤へと変わっていってるような様で描かれているその葉の名は……『楓』。
楓、かえで、カエデ。
そう、これが俺の名前の元だとカヤが教えてくれたんだ。
カヤは過去に本物を何度か見たことあるらしい。
青かった楓が美しい赤色に変わり、山を染め、それはそれは大層綺麗だった……と。
確か、そう言っていた。
自分も見に行きたいと言ったら、すこし困った顔をして「またいつかね」と言ってきた。
………多分、この楓という植物はもうこの世界にないのだろう。
なんとなく、わかる。
だって、記憶がなくなる前も見たことなかったから。
かと言って……、別に残念とは思わない。
見れないものは見れないのだから。
それよりも、カヤがなんで自分にこの名前をつけたのか、気になった。
どういう理由で、“カエデ”という名をつけてきたのか。
………あの時聞けばよかった、と少し後悔した。


片付けも着替えも一通り終えて、後は何かするわけでもなく、食卓の椅子に座って、またぼんやりと宙を見つめた。

これからどうするか。

どう生きていこうか。

カヤは自分に生きて欲しいと言った。
どんな手を使ってもいいから自分の道を切り開いて欲しいと言った。
確かに今は自由だ。
こんな最下級のイグノデゥスがどう生きようが、『統治者』はもちろん『眷属』も特に気にしないだろうし、剣の扱いもそれなりに心得てるから、以前よりはやれることの範囲が広くなっている。
どこに行ってもいいんだ。
どう生きてもいいんだ。
自分の現状を理解する。

……けど。

どこに行ったって、カヤはいない。
どう生きたって、どれだけ生きたって、ここで過ごした日々は戻らない。
その事実が、自由になった足に巻きついたら、
新しい道に踏み出すのを咎めた。
……このまま、ずっと。
命が尽きるまで、ここにいるか。
それも一つの選択だ。
一つの生き方だ。
ここにいれば、カヤはいなくても、カヤの思い出と共に過ごせる。
カヤを感じれる。
そうだ。
それがいい。
どこに行っても無駄なだけなら、ここにいよう。
カヤと一緒にいよう。
これからの生き方をそう決めた俺は、深いため息をついて、目を閉じた。


それから、しばらく細々と生活をして。
いつも屋根にとまっていた小鳥達が来なくなったことに気づいて。
少し寂しくなって。
けど、仕方ないと割りきって。
一日の大半をカヤの墓の側で過ごして。
無意味で、何の実りもないけど、それでも……空っぽの心の慰めにはなる日々を過ごした。


だんだんと寒さがなくなってきて、日が沈むのが遅くなってきて、気づけば寂しい姿だった気が新しく生えた葉で青々としていた。
今日も外では『リバースホープ』とイグノデゥスが戦って、誰かが傷ついて、誰かが死んでいるんだろうな。
まるで余所事のようにそんなことを思いながら、いつもよりは幾分か気分がよかったので、本を読むことにした。
一冊、また一冊と。
一度読んだ本をまた読んだ。
そうして三冊目に入ろうとしたところで、ふとあることを思い出した。

ベットの下。

そう言えば、カヤに「ここは貴重なものをしまってるからいじらないでね」と言われたことがある。
あんまりにも真剣に言ってきたもんだから、そのとおりにしていたが……。
………。


好奇心からか。
はたまたカヤのことを知りたいからか。
いや……、どちらもだ。
俺は本を選んでいた指を下ろして、寝室に向かった。
そして、ベットの下を探った。
すると、固いものが手に当たって、それを掴んだ。
取り出してみると、それは木で作られた箱だった。
これが、カヤの言っていた“貴重なもの”……。
胸の鼓動が少し速くなるのを感じながら、それの蓋を開けた。
中にあったのは……飛び道具に使いそうな刃物数本と、二冊の古びた書物だった。
カヤが昔使っていたものだろうか。
そう思いながら、刃物を一本手に取ってまじまじと見た後、書物に手を伸ばした。
余程古いのか、中の紙は薄い茶色に変色していた。
手触りもカサカサで、少しでも掴む手に力を入れたら崩れそうな気がした。
カヤのものだろうから、壊さないように持ちながら、慎重に、ゆっくりとページを捲った。
捲って、読んだ。
中に羅列されている文字達を読んで、読み進めるにつれて、内容を理解するにつれて、読むのがやめられなくなって。
目が離せられなくて。
二冊目も急ぐように取って、内容を見て。
少し崩れる紙に構わず、読んで。
読み終えて。
辺りが暗くなっているのも気にならず、ただ呆然と前を見て。
書物を手離して。
そして……



そして





***





書物に記されていたのは、『リバースホープ』のことだった。
これがここにあるということは、やはり……カヤは『リバースホープ』の人間だったのだろう。
だけど、あの内容……。
本当のことなのだろうか。
だとしたら、これからこの世界はどうなるんだ?
人間も俺達も、どうなってしまうんだ?
『統治者』や『眷属』はこのことを知っているのか?
……。
…………。
……俺に出来ることは、何もない。
何をしたって、失ったものは戻らない。
無意味なんだ。
不毛なんだ。
けど……、知りたい。
カヤが関わったであろう『リバースホープ』のことを。
そこにいる人間達が何をしているのか。
本気であの書物に書かれていたことを、成そうとしているのか。
カヤのことも含めて……知りたくなった。





青い空の下。
カヤの墓の前で、暖かな日の光に当たりながら、ステイトはふぅとため息をつく。
そして、少し項垂れると


「長居して……ごめんな」


小さく開いた口から、囁くような声をこぼす。


「でも……やりたいことが出来た」


そう言いながら、ステイトは腰の布袋に手を回して、中からとあるものを取り出す。
それは、カヤがステイトのために買った………お面だった。
月と太陽の模様が左右に描かれ、目と口の部分と無表情な形に穴が空いてあるお面。
きっと、これをつければ人間のいるところに要っても誤魔化せると考えた上で、買ってくれたのだろう。
それを見つめながら、ステイトはまた口を開く。


「……カヤが望むような生き方は……出来ないと思う」


柔らかい風が吹き、ステイトの髪がふわりと浮く。


「出来れば、最期は無様に死にたい……。ううん、きっと……そう死ぬと思う」


俺みたいなヤツは。


と、その呑み込んだ言葉の代わりに、ステイトの口元が自嘲するように歪む。


「けど……、それまでは生きるよ……。その時が来るまで……足掻いて、もがいて……自分のやりたいように生きてみせるさ……。……底辺なりに」


土の下で眠っているカヤにそう告げると、ステイトは手にあるお面を顔に持っていって、ゴムを後頭部に回してつける。
そして、お面越しにカヤの墓をしばらく見つめた後


「……さよなら」


別れの言葉だけを告げて、静かに踵を返した。





カヤから離れていく。
ずっといようと思っていた心地好い場所から、縋り続けるつもりだった思い出から、離れていく。
もう二度とここには戻らないと誓って、ステイトは去っていく。
木と木の間を進み、草を掻き分け、道のないところに足を踏み入れる。


この先に、何があるのか。

自分はこれから何を知って、何を見て、何を思うのか。

どんな目に遭うのか。

知りたいことを知るまで、上手くこの世界を渡れるのだろうか。

いつ、どんな感じに……死ぬのだろうか。


色んな疑問が、ステイトの頭の中で渦巻く。
けど、それもほんの一時だけで、風が運んできた春の匂いによって消される。
山を下り、木漏れ日の下を歩き、日の光に照らされた麓がだんだんと見えてくる。
近づいてくる光に、ステイトは眩しそうな目をする。
ひらひらと飛んでいた揚羽蝶が、顔の横を通りすぎていく。
葉と葉の擦れ合う音が、耳を掠める。
眩しく照らされた場所が近づくにつれて、ステイトの足取りが躊躇うかのように鈍くなっていく。
だけど……止まらない。
止まるわけにはいかない。
苦しくても、怖くても、進まないと……知りたいことを知ることが出来ないから。
ステイトは小さなため息を吐く。
いつもの憂いを感じさせるため息を。
そして、山を抜けた先に広がる眩い世界を見つめて、ゆっくりと拳を握りしめた。





【CHANGE】おわり
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