CHANGE
ストーン・アームにとって、群れは都合のいい居場所で、自分が上に立つための踏み台でもあった。
誰も自分に刃向かわないし、誰も自分に敵わない。
みんな、自分の言いなり。
それもそうだ。
群れの中で一番強いのは、自分なのだから。
貶そうが、暴力振るおうが、『粛清』の名義で殺そうが、お構い無し。
どんなことをしたって、許される。
自分が一番偉くて正しいのだから。
そんな自己中心的な考えと傍若無人な振る舞いが定着したのは、いつからだろうか。
ストーンも元々は非力な方だった。
イグノデゥスの強さを表明する“シルシ”は、石が並んでいるような模様で腰に刻まれている。
“シルシ”は体の上部にあればあるほど、そのイグノデゥスの強さ……位の高さを示す。
つまり、ストーンの位は下級と中級の間だった。
己の両腕を硬化する力しかないのだから、妥当といえば妥当だろう。
それでも人間よりは身体能力のあるイグノデゥスだから、一般人や『リバースホープ』で最下位の隊員に当たる“ランク・ゼロ”を殺すくらいの力はあった。
個人行動している時のストーンは、今よりは大人しかった。
いや、正確には臆病だったと言えばいいだろうか。
いつだって、『リバースホープ』の上位に遭遇しないか怯えていた。
“ランク・サード”までなら、なんとか逃げきれる見込みはあるものの、“ランク・セカンド”“ランク・ファースト”となると逃げる間もなく殺される可能性は大いにある。
“ランク・EX”なんて論外だ。
きっと、遭遇した次の瞬間には殺されているだろう。
だから、人間を殺すと言っても、あくまで自己防衛といった必要最低限くらいだった。
あまり過剰に人を殺すと、上位の『リバースホープ』が嗅ぎつけてくるかもしれないから……。
そんな感じに約五十年余りひっそりと生きてきたストーンが、何故今のようになってしまったのか。
それは、自分を必要とする弱者が現れたからだ。
きっかけは、偶然だった。
ランク・ゼロの『リバースホープ』にすら敵わない“シルシ無し”のイグノデゥスが、たまたまその場にいた自分に助けを求めてきたのだ。
ストーンは、そのイグノデゥスを追いかけてきた『リバースホープ』を返り討ちにした。
ランク・ゼロだったら、ストーンでも余裕だった。
だが、“シルシ無し”からして見れば、すごいことだったのだろう。
ストーンに助けられたイグノデゥスは、彼に感謝して褒め称えた。
そして、あなたの側にいさせて下さいと懇願した。
その時。
そのイグノデゥスの言葉と態度に、ストーンはかつてない感覚を覚えた。
ゾクゾクとした、何かが満たされるような感覚。
決して悪い感覚ではなかった。
むしろ、何度も感じたい。
そう思わせるような感覚だった。
ストーンはそのイグノデゥスを側に置いて、何度も助けた。
助けては、褒められた。
崇められた。
その称賛の言葉が嬉しくて、もっと欲しくて、ストーンはそのイグノデゥスだけではなく、他の“シルシ無し”或いは異能力が自分以下のイグノデゥスを助けるようになった。
……それだけならよかった。
それまでに留まっていれば、ストーンは善良なイグノデゥスでいられただろう。
だけど、喜びの裏には常に欲があるもので、その欲を抑えられるほどストーンは我慢強くなかった。
弱者からの称賛と自分への依存は、ストーンを性悪化させるには十分過ぎるほどの毒だった。
力の差を見せつければ見せつけるほど、周りが自分に縋れば縋るほど、毒は蔓延っていく。
隅から隅まで広がり、蝕み、根づいていき、麻痺していく。
現実が見えなくなり、本当の自分と向き合えなくなる。
張りぼての自信だけがついていく。
無駄なプライドが蓄積していく。
支配的な感情が芽生える。
そして、いつの間にか周りの弱者は両手で数えきれないほどに増え、その頃にはストーンは今のストーンとなっていた。
誰も彼もが言いなりで、思いどおりにならないことがあれば、弱者でその鬱憤を晴らすことが出来る。
誰も咎めない。
誰も逆らわない。
そんな環境で更なる長い年月を過ごしてきたストーンには、もはや怖いものなんてなかった。
一人では敵わないと思っていたサード、セカンドの『リバース・ホープ』でも、群れでかかれば殺すことが出来た。
あくまで相手が二、三人程度であればの話だが。
それでもストーンを錯覚させるには十分な材料で、いつしか自分はファーストにも勝てるようになれるのではないかと思い始めるようになった。
更には『統治者』から認められ、『眷属』に選ばれる可能性も………。
そうとなれば、もっと数を増やさねば。
個人の力が不足でも、数の力でどうにかなるのならば、いくらでも増やしてやる。
そうしてランク・ファーストどころか、EXをも殺せるようになれたら、自分は間違いなく『眷属』になれる。
群れどころか、東のイグノデゥス全体の規模で偉い存在になれるんだ。
ストーンの期待は、日に日に膨らむばかりだった。
それ故か、周りに対する当たりの強さも酷くなっていき、いつしか殺すようにもなってしまっていた。
人間だけでなく、同じイグノデゥスもいたぶるようになった。
群れのイグノデゥスは、ストーンを恐れた。
本心からストーンを慕う者は、誰一人としていなかった。
ただストーンの近くにいれば、一人でいるよりは幾分か生存率が上がる。
それだけの理由で、ストーンの群れに属するイグノデゥスが大半だった。
そんな薄っぺらい感情でしか成り立っていない群れのリーダー格ってだけで、イグノデゥスの始祖と呼ばれている『統治者』の『眷属』に選ばれるなんて、甚だ笑える話だろう。
だけど、ストーンは本気だった。
本気でなれると信じていた。
その頃の彼には、“特別なお気に入り”がいたから尚のこと。
己の名誉のために、自分の価値を絶対的なものにするために、絶対に『眷属』になってみせると胸の内で鼓舞していた。
愚かにも。
哀れにも。
誰も……彼に現実を突きつけなかったから。
誰も、彼の目を覚まさせるほどの力がなかったから。
そうやって、本来の自分と向き合わず
大きな錯覚を抱くほどに傲慢になり
身勝手な振る舞いを続けたストーンに待っている結末はーーーーーー。
***
辺りがやけに静かだと気づいたのは、雨上がりの匂いが濃くなった頃。
どこかへ逃げたカヤを探していたストーンは、枯れ葉がいくつか落ちている山中で足を止めた。
異様なほどの静寂が漂う。
じっとりした空気が、やけに纏わりついてくるように感じる。
虫の知らせ、というのか。
ストーンはこめかみから頬にかけて汗を一筋垂らした直後、勢いよく後ろを振り返る。
……だが、後ろには先ほど通った山の道があるだけで、何もいなかった。
(……)
くしゃっと枯れ葉を踏み、ストーンは気難しい表情をして体を後ろに向き直す。
睨むような目つきで、山の道を見つめる。
そして、しばらくすると、ふぅと息を吐いて体の力を抜いた。
「気のせいか……」
半ば自分に言い聞かせるように、ストーンは呟く。
山の中で一人でいることも、山の中が静かなのも、特別珍しいやけではないのに、どうして急に胸騒ぎがしたのか。
頭の片隅にあるその疑問を無視して、ストーンは再びカヤを探しに行こうと踵を返す。
……だが、その時だった。
(!?)
ぞわっと悪寒が背筋を走り、ストーンは咄嗟に足を止めて、目を見開く。
瞬時に異能力を発動し、両腕を硬化する。
そして、
ガキィンッ!!
鉄と鉄が勢いよくぶつかり合ったけたたましい音が、山中に響き渡った。
何が起きたのか。
右腕を顔横に上げた体勢のストーンは、表情に疑問と困惑の色を滲ませる。
濃い灰色の瞳が、微かに揺れる。
視線の先にいる存在が映る。
硬化した右腕にギチギチと強く押し当ててきている鋭い剣。
腕と剣越しに見える癖のある赤茶の髪に、琥珀色の瞳。
人間でいうと二十前後といった若い男の容姿をしたイグノデゥス。
ステイト。
そこにいたのは、ステイトだった。
木の影から飛び出たステイトが、ストーンに向けて剣を振り下ろしたのだ。
信じられない光景に、ストーンはただただ戸惑う。
目の前にある光景は、錯覚か何かか。
だけど、ステイトが腕に押しつけていた剣を更に強く押して、弾けるように飛び退いたのを見て、それが現実だとストーンはようやく理解した。
その場が沈黙に包まれる。
木々の間から見える空が、血のように赤く見える。
冷たい風が吹き、葉と葉の擦れ合う音が聞こえる。
ストーンは未だ戸惑いを露にしたまま、ステイトは至って冷静な様子で、お互いを見る。
(……どういうことだ……)
一体何が。
どうして、ステイトが。
ストーンはぎこちなくも視線を落として、ステイトの体を見る。
近未来風の白い和服が、血塗れだった。
怪我をしたのか。
また、誰かにいびられたのか。
いや。
違う。
ストーンの視線が横にずれていく。
ステイトの手にある長剣が、視界に入る。
先ほどは動揺のあまり気づけなかったが、その長い刃は……赤く染まっていた。
刃先から、ぽたり、ぽたり、と赤い液体が滴り落ちる。
それが血であることは、考えなくともわかった。
となれば、ステイトの服についている血は………。
瞳を微かに揺らしながら、ストーンは再び視線を上げて、ステイトの顔を見る。
ステイトは依然とした様子で、こちらを見ている。
その姿が、その表情が、いつもの……ストーンが知っているステイトではないように感じて、ストーンの表情がほんの少しだけ強張る。
額から汗がじんわりと滲み出る。
生唾を飲み込み、なんとか息を吸い込む。
「……ステイト」
いつになく張りのない声が、ストーンの口から出る。
山の中がやけに静かに感じたのも、妙な胸騒ぎがしたのも。
ステイトが自分に攻撃してきたのも。
まさか。
そんな、まさか。
ストーンの勘の良さが働く。
ステイトの名を呼んだまま止まっていた口が、微かに震えを帯びながらも、再び動き出す。
「……殺した、のか……?」
ぞわぞわとした感覚が、一気に込み上げてくる。
そして、
「俺以外のヤツら全員…………殺してきたのか?」
ストーンは絞り出すような声で、ステイトに問いかけた。
本来なら絶対にあり得ないこと。
異能力も大したものではなく度胸もないステイトが、自分達に刃向かうどころか殺しにかかるなんて。
そうとわかりつつも、ストーンは直感的に感じたことを口に出した。
再び沈黙が流れる。
若干顔を強張らせながら、自分を見ているストーンに対し、無表情で彼を見据えるステイト。
だが、程なくして目を微かに細めると、下に向けていた長剣をゆっくりと上げていく。
動き出したステイトを見たストーンは、思わず片足を後ろに下げて、警戒を露にする。
そんなストーンをただ見つめながら、ステイトは長剣の柄を両手で掴み、その刃先をストーンに向けると
「一人になりたくなった」
と、抑揚のない声で答えた。
ステイトの返答を聞いたストーンは、怪訝な表情をする。
それはつまり、殺したって意味なのか。
微妙にずれているステイトの答えに、疑問を抱いていたストーンだったが………。
「一人になりたいから……」
ストーンの思考を遮るように、ステイトが再び言い出す。
それに反応して、ストーンは少しだけ顔を上げる。
「今までの全部、なかったことにしたいから……」
ストーンに向けている刃の血がほとんど流れ落ち、鋭い銀の姿を見せる。
ステイトの目が、酷く冷たいものになっていく。
そして、
「全員殺すことにした」
今度ははっきりと、ストーンの問いを肯定する言葉を返した。
その発言を聞いたストーンは、目を大きくする。
不穏な空気を煽るように、強い風が吹き、山の中がざわつく。
ストーンは前方にいるステイトを食い入るように見る。
今まで見てきたステイトを思えば、そんな発言をしたところで嘘だろと嘲笑いながら、顔の一発や二発殴っていたところだが……。
どういうわけか、そうはなれない。
いつものような流れに持っていけない。
むしろ………。
少しでも気を抜いたら、まずい気がしてならない。
ステイトを見ながら、ストーンはそう感じていた。
一方で、警戒を全く解く気配のないストーンを見ていたステイトは、刃先をほんの少しだけ下げて小さなため息を吐く。
「そう上手くいかないか……」
「……?」
ステイトの発言に、ストーンは怪訝な表情をする。
「他のヤツらはどいつもこいつも油断してくれたから、簡単に殺せたんだけどな……」
だが、次の発言を聞いた瞬間、ストーンは目を見開く。
「やっぱり……お前は“一方的に”とはいかないよな……」
そう言ったステイトの目つきが、より一層鋭くなっていく。
ステイトから感じる気配が、重く差し迫ってくるものに変貌し、ストーンは冷や汗を垂らす。
本気だ。
ストーンは思う。
ステイトは本気で、自分を殺しに来ようとしている。
どうして、一体何故。
その事実がすぐにすぐ受け入れられなくて、ストーンは困惑する。
ステイトから一旦目を離し、自分に向いている長い刃を見る。
長さといい、形状といい、やはり……あの女が持っていたものに似ている。
となれば、まさか……あの女が関係しているのか。
俺達から逃げた後、女はステイトと接触して……。
それでステイトに何か妙なことを吹き込んで……。
と、現状に至るまでの過程を推測していたストーンだったが。
「!」
瞬きをした直後、数メートル先にいたはずのステイトが、音もなく目の前まで詰め寄ってきた。
濃い灰色の瞳と琥珀色の瞳が、間近で交わる。
ストーンの喉から、ヒュッと息の詰まる音がする。
獲物として自分を捕えているステイトの目に、ゾッとする。
殺される。
直感的にそう感じたストーンは、既に硬化している両腕を素早く前に出して交差させた。
ガキィンッ!
鋼鉄同士がぶつかり合った音が、響く。
振り下ろした刃をまたもや腕で防がれたのを見て、ステイトは間髪入れずに腰を屈め、同時に長剣も少し引く。
そして、刃先をストーンの眉間に向けると、そのまま一気に突き出した。
ストーンは反射的に頭を仰け反らせて、勢いよく突き出された刃を回避する。
刃が鼻先を掠り、全身から冷や汗がぶあっと滲み出る。
次の一手も回避され、ステイトは若干気難しい表情をしたものの、素早く片足を上げてストーンの腹部に蹴りを入れる。
「ぐっ!」
ストーンは喉の奥から濁った声を出し、バランスを崩して後ろに倒れる。
雨で土が柔らかいため、背中からの衝撃は軽かったが、腹部からの思わぬ痛みにストーンは顔を歪める。
そして、未だ現状を受け止めきれず、混乱する。
あのステイトが自分に襲いかかってくるなんて。
惨めで、哀れで、弱くて……一人では何も出来ないステイトが。
しかも、自分を蹴り飛ばすほどの力をいつの間に……。
戸惑いと疑念に満ち満ちた目で、木と木の間から覗く赤い空を仰ぐストーン。
だが、
「!」
悠長に考えている暇なんてあるわけなく、次の瞬間には、自分の上に跨がってきたステイトの姿がストーンの目に入る。
ストーンの顔が強張る。
静かな殺意に満ちた……琥珀色の瞳。
辺りが赤く、暗いせいか、やけに目立って見えるそれに……ストーンは粟立つ。
ステイトでも、同種でもない何かに見えて、息が詰まる。
長くて、短い刹那。
ストーンを見下ろしていたステイトは、素早く長剣の刃先を下に向け、彼の顔目掛けて一気に下ろす。
迫り来る刃を眼前にして、ハッとなったストーンは咄嗟に顔を横に傾ける。
が、
ぐじゅっ
一秒。
反応するのが一秒遅れたせいか、刃はストーンの顔の真ん中からずれて左目を貫いた。
ストーンは呆然とする。
視界の左側が赤い。
赤くて、熱い。
焼けるようだ。
そこから何かが流れ出て、頬や耳を濡らしている。
これは。
この感覚は。
「っーーぎあ゛ぁあ゛あぁあ゛あ゛あぁああ゛ああっっ!!!!!」
次の瞬間。
脳髄から電流が落ちてきたかのような激しい痛みがストーンを遅い、凄まじい悲鳴が山中に響き渡った。
痛みに悶える声をあげながら、手足をばたつかせて踠くストーン。
そんなストーンを見下ろしていたステイトは、眉間に皺を寄せながらも、長剣を抜こうとする。
だが、
「っがあぁ!!」
「!?」
長剣を抜きかけたところで、ストーンが刃を掴み、ステイトの腹を思いきり蹴り飛ばす。
避ける間もなく、ストーンの蹴りをくらったステイトは、長剣の柄から手を離してしまい、後ろに飛ばされてしまう。
ステイトの体が、濡れた土の上を転がっていく。
腹部の痛みに顔を歪めながらも、ステイトは途中で体を翻して、なんとか立ち上がるら、
それと同時に仰向けで倒れていたストーンも立ち上がりら左目から後頭部まで貫通している長剣を抜く。
ずるりと長剣が抜かれた傷口から血があふれ出て、ストーンの肌や服、足元を赤く汚していく。
自身の血に塗れた長剣を乱暴に投げ捨てたストーンは、フーフーと荒い呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと顔を上げていく。
怒りと殺意に満ちた右目が、ステイトを捕える。
その目を見たステイトは、少しだけ目を大きくし、表情に怯えの色を覗かせる。
今まで、ストーンに嘲りや苛立ちの視線を向けられることはよくあったが、ここまで激情が込められたものは初めてだった。
いくらふっ切れたステイトでも、さすがに長年自分を虐げてきた者に殺意を向けられて平気でいられるほど、まだ根性は据わっていなかった。
むしろ、体も心もストーンにやられた数々のことをしっかり覚えていて、強気でいられた心が一気に恐怖という感情に蝕まれていく。
ここでストーンを殺すことが出来なかったら、自分はどうなるのか。
想像すらもしたくないことを、つい考えてしまう。
怖い。
怖い。
でも。
やらないと。
いつもストーンに睨まれては、なすがままに屈服していた自分を振り払い、ステイトはストーンを睨み返す。
空気が張り詰める。
風が吹き、木々がざわつく。
荒い呼吸を繰り返しながら、ステイトを睨んでいたストーンは、握った拳を震わせるとその口を開く。
「何があったか知らねぇが……、本気で俺を殺すつもりみてぇだな……」
どろり……と、ストーンの左目から血の塊がこぼれ落ちる。
地を這うような低い声とその姿に、ステイトは思わず固唾を飲み込む。
「なら……、こっちもやることは一つだけだなァア……」
ストーンの両腕から、ピシッ……ビキッ……と不穏な音が聞こえてくる。
差し迫る重々しい気配に、ステイトは冷や汗を垂らす。
今、自分が何をするべきか。
どう動くべきか。
思考が巡る。
その中で、あの人間……カヤとの記憶が途切れ途切れに過っていく。
彼女が自分に何を言ってきたのか。
“けいこ”で何を教えてくれたのかーーー……。
「ステイト如きが俺にたてつきやがって……!滅茶苦茶に壊してやんよォオ゛ーーーっ!!!」
雄叫びと共に、ストーンがステイトに向かって突進していく。
それを見たステイトはハッとした後、咄嗟に横に転がり込むようにして避ける。
直後、ストーンの振り下ろした拳が、ステイトの後ろにあった木に直撃した。
バゴオォッ!
ドシャアァッ……!!
空高く伸びていた太い木があっさりとへし折れ、大きな音をたてて倒れる。
その様を横目で見ていたステイトは、顔を強張らせる。
ステイトの体は他のイグノデゥスに比べて、あまり頑丈ではない。
むしろ、人間と差ほど変わらないくらいだ。
そんな脆弱な体であの拳をくらったら、一溜りもないだろう。
とにかく、早く長剣を取らなければ。
そう思ったステイトは、遠くに転がっている長剣を見つけ、それに向かって駆け出す。
が、
「!?」
長剣に手を伸ばしかけた瞬間、後襟を掴まれる。
そして、そのまま思いきり引っ張られ、近くの大木に叩きつけられた。
「ぐっ!」
背中に衝撃を受け、ステイトの口から呻き声が漏れる。
反動で地面に落ち、背中の痛みに堪えながらもすぐに立ち上がろうとしたステイトだったが。
ガッ!
「っ!」
ストーンに頭を踏まれ、地面に這いつくばる体勢になってしまう。
一時の沈黙が流れる。
頭からの痛みに顔を歪め、地についた拳を握りしめるステイト。
そんなステイトを見下ろしていたストーンは、フッと嘲笑を浮かべる。
「なんだ……、結局はただのはったりか……」
今の状況を見て、ストーンは確信する。
いつもと違う雰囲気に怯んでしまったが、実力の差は変わっていないと。
長剣さえ持たさなければ、ステイトは弱いステイトのままだ。
そうとわかっていればさっさと奪い取ったというのに、自分は一体何に怯えていたのやら。
足の下にいるステイトと目が合う。
苦痛と困惑が混じっている弱々しい目。
先ほどまでのような得体の知れなさは微塵にもない、弱者の目。
よく見てきたステイトの目。
それを見たストーンは、安堵を感じる。
と同時に、先ほどまでステイトに少しでも恐怖したことと左目をやられたことに激しい苛立ちが込み上げ、彼の頭を踏みつけてる足に力を入れる。
頭からミシミシと嫌な音が聞こえ、ステイトの顔が苦痛に歪む。
「ゴミクズが……。よくもやってくれたなァ……?」
ストーンの低い声が聞こえてくる。
その声に、ステイトは一気に焦りを感じる。
まずい。
早くどうにかしないと。
と、思ったのも束の間。
「この俺に不快な思いをさせやがって………覚悟は出来てんだろなァ!!?」
ストーンの怒声が響いた直後、ステイトは顔面を蹴り飛ばされた。
痛々しい音と共に、ステイトの鼻腔と口から血が地面に飛び散る。
「クソがっクソがっ!!手下の雑魚を殺ったくらいで調子に乗りやがって!!!」
「うっ、ぐっ!」
痛みに悶えているステイトに一切構うことなく、ストーンは感情のままに彼の胸や腹等を蹴る。
何度も、何度も。
ついにはバキッと胸から骨の折れる音が聞こえ、ステイトは目を見開く。
次の瞬間には激しく咳き込み、血を吐く。
苦しみ悶え、掠れた声を漏らして、痛みに耐えるステイト。
その様子を見下ろしていたストーンの口元が、だんだんと歪んだ弧を描き出す。
怒りで染まっていた目に、愉悦の色が混じる。
ああ、これだこれ。
この姿が堪らないんだ。
満たされるんだ。
安心するんだ。
これがお前の正しい姿なんだ。
強くならなくていい。
変わらなくていい。
お前はただひたすら俺に縋っていればいいんだ。
弱くて儚くて惨めなまま、俺にしがみついていればいいんだ。
お前はそのままのお前でいればいいんだよ、ステイト……!
ステイトを一頻り痛めつけたところで、ストーンは彼の胸ぐらを乱暴に掴み上げて、木に叩きつける。
背中からの衝撃に、ステイトはうっと呻き声をあげる。
冷たい空気が漂う。
ステイトの途切れ途切れの呼吸音だけが、その場に聞こえる。
鼻腔や口から血を垂れ流しながら、ステイトはなんとか顔を上げて、ストーンを見る。
ストーンは笑っていた。
欲望でギラギラとした目で、こちらを見ていた。
その姿を見たステイトは、不快そうに顔をしかめる。
何度も見てきた姿なのに。
自分を虐げてくる時、よく見せてきた目で……もう慣れていたはずなのに。
何故だか、酷く不愉快に感じた。
人間に感じる、嫌悪感と同じくらいに。
「なぁ、ステイト……」
「……」
「このままだとお前……俺に殺されちまうなァ……?」
嗜虐的な笑みを浮かべて話しかけてくるストーンに対し、ステイトは泣くことも許しを乞うこともなく、ただ無言でじっと彼を見る。
自分の思うような反応を返してこないステイトが気に食わなかったのか、ストーンは一瞬だけ無表情になる。
そして、苛立ちを露にした目つきになり、空いてる方の手を静かに上げていくと
ズブッ
「!?」
嫌な音と共に胸の真ん中からきた激痛と異物感に、ステイトは目を見開いて息を詰まらせる。
足元にボタボタと血が流れ落ちる。
突然の激痛に苦しみながらも、ステイトはなんとか視線を落として胸元を見る。
すると、胸の真ん中にストーンの手が刺さっていた。
それを見たステイトは、更に目を見開く。
全身から、ぶわっと脂汗が滲み出る。
胸の内部に侵入している手を抜こうと、咄嗟にストーンの腕を掴む。
だが、ビクともしない。
ステイトは血を吐き、咳き込みながらも、ぎこちない動きで顔を上げる。
ストーンと目が合う。
彼の口の端がつり上がる。
「……俺らは」
ステイトの中にあるストーンの手が、ぐちりと動き出す。
「首を跳ねられようが、腹から臓物を引きずり出されようが死なない……」
水の含んだ音をたてて、更に奥へと侵入する。
「どれだけ体が滅茶苦茶になっても、寿命が来るまで必ず生き返る……」
「ぁ゛……が……っ」
胸の内部をじわじわいたぶるようにまさぐられ、ステイトは濁った声をあげる。
痛みに悶えるステイトの顔を眺めるように見ていたストーンは、程なくして体内の“あるもの”を掴む。
その瞬間、ステイトの体がビクッと大きく跳ねた。
琥珀色の瞳が揺れる。
全身の血が引いていくような感覚に襲われる。
血が止めどなく滴り落ち、足元の血溜まりが更に広がっていく。
胸の内部から感じる嫌な熱に、本能が危険信号を出す。
だけど、逃げることも抵抗することも出来ず、ステイトはただただ震える。
何故なら。
ステイトの体内で、ストーンが掴んでいるものは……
「これがぶっ壊れない限りなァ……?」
撫で上げるような声でそう言って、ストーンは手の内にある『核』を強く握った。
ステイトの喉の奥から、声にならぬ悲鳴が漏れる。
表情が一気に怯えたものへと変わる。
『核』。
それはイグノデゥスが活動する全ての源だ。
人間でいう心臓みたいなもので、赤い水晶のような見た目をしている。
それさえ壊されなければ、イグノデゥスは何をされようと死なない。
個体差はあるものの、必ず再生する。
だが、逆に言えば、イグノデゥスの絶対的な弱点とも言える。
それを今、ステイトは直に掴まれているのだ。
しかも、本来イグノデゥスの『核』には、それを守る『骨鎧』というイグノデゥス特有の成分から出来た硬い骨に覆われているのだが……。
これにも個体差があり、基本的に上級であればあるほど『骨鎧』の強度は高いのだが、それに当てはまらない上に例外的な異能力を持っているわけでもないステイトの『骨鎧』は脆かった。
ストーンでも容易く握り潰せるくらいに。
「ひっ……ぐ、ぅ……」
痛み、苦しみ、焦り、恐怖……。
それら全てが一気に押し寄せてきて、ステイトはどうすることも出来ず、ストーンの腕を掴んだまま呻く。
その姿を見て、ストーンは愉快そうに笑う。
「あ~~~ステイトォ……やっぱお前はその面が似合ってるぜぇ?」
「っ………」
「哀れで、惨めで、ただ蹂躙されるしか生きる術のない下等生物って感じで………なァ?」
そう言ってストーンは、核を握っている手にゆっくりと力を入れていく。
ステイトの核が軋む。
真ん中から全身にかけて遅い来る苦痛に、ステイトは顔を歪める。
口に溜まっていた血と共に、震えを帯びた呼吸がこぼれる。
苦しくて。
痛くて。
つらくて。
どうしようもなくて。
ステイトの目が、暗く沈む。
そして、悟る。
やっぱり自分には無理だったんだと。
群れのヤツらも、ストーンも、全員殺して。
全部なかったことにして。
一人で生きてみようと思った。
よくわからないけど、あの人間の言葉が頭から離れなくて。
何故だか、一人になりたくなって。
それで。
それで……。
…………だけど。
結局、こうだ。
どう足掻いても、俺は俺で。
最下級は最下級であって。
少し噛みつけるようになっただけで、後は何も変わらない。
強がったところで、ストーンには敵わなかった。
ここまでだった。
(……あぁ……本当……)
なんでこんなこと、してしまったんだろな……。
ステイトは後悔する。
あのまま大人しくしていれば、いつもと変わらぬ日々が待っていて。
その中で、何か別にいい方法が見つかっていたかもしれない。
だというのに、衝動的に、後先考えずに動いてしまって……。
(………)
ふとあの人間の姿が、脳裏を過る。
五年ほど前に活動不能状態の自分を拾って。
五年ほど“ならず山”で一緒に生活して。
少し前に死んだ……彼女の姿が。
(………カヤ……)
胸の内で、ステイトは彼女の名前を呼ぶ。
(……ごめん……)
彼女と過ごした日々を思い出しながら、謝る。
“ならず山”から出ていったことも。
彼女をストーン達の元へ誘導したことも。
瀕死の彼女に酷い言葉をぶつけたことも。
正直……、今の自分が本能に従ってやったことだから、謝るべきことなのかはわからない。
自分達と人間が本来在るべき姿に倣っただけだから。
………だけど。
彼女から教わったこと。
彼女が死に際に望んだこと。
全部無駄にしてしまって……。
それだけは、なんだか……申し訳なく感じた。
………。
……いつしか。
『強くなる』って……言ったのにな。
ピシッ
核にヒビが入る音がする。
ステイトの視界が、だんだんと狭まっていく。
「安心しろよ……、すぐには殺さねぇから……」
ストーンの声が聞こえる
「俺が作り上げた群れを滅茶苦茶にしたんだ……。それ相応の罰は受けねぇとなァ……?」
ストーンのことだから、きっと拷問に近い暴行の限りを尽くしてくるに違いない。
身も心も削って、自我を失わせる。
そういうヤツだ。
「クククッ……身の程知らずなことはするもんじゃねぇなァ、ステイト……。恨むならバカな自分を恨みな……!」
この先待ち構えてるのは、前よりも酷い……地獄の日々だろう。
……結局、自分みたいなヤツは、逆らうとか変わるとか、そういうことをしてはいけないんだ。
諦めて、これ以上苦しくて痛い思いをしないことだけを考えて、生きて。
そして、死ぬ時は惨めに死ぬ。
それでよかったんだ。
そうあるべきだったんだ。
そうすれば、今まで以上に酷い目に遇わなくて済んでいたのだから。
………。
……………。
……けど。
やっぱり、少しでもあの人間の……。
カヤの気持ちに……応じたかったな。
記憶が戻った瞬間、あんなに嫌悪していたのに。
気持ち悪くて、大嫌いで、俺が記憶喪失なのをいいことに一緒に暮らすなんておぞましいことをさせて、……死んで欲しいって思っていたのに。
あいつに抱きしめられて、頭を撫でられて、言われたこともない言葉を言われて、あいつの腕から体からあいつの体温を感じて。
それでなんだか……ぼんやりしてきて……。
本当……わけがわからない。
自分のことだというのに、自分の気持ちが、感情が。
………まぁ、でも……もういいことだ。
どうでもいいことなんだ。
今更、何をどう考えたって、俺の現実は変わらないのだから。
ドクン
……身体中が痛い。
ドクン
胸が熱い。
ドクン
熱くて、苦しい。
ドクン
痛い。
気持ち悪い。
胸の中が何か、弾んでいる感じがする。
ドクン
これは何。
ドクン
何。
ドクン
何……。
ドクンッ
最後に聞こえたその音と同時に、ステイトの頭の中に見た覚えのない映像が、一瞬だけ流れ込んでくる。
赤い空の下。
大量の屍。
建物だったものはほとんど崩壊しており、人間もイグノデゥスも無惨な姿でそこら中に横たわっている。
そして、その上で血塗れの長い剣を片手に、目を爛々とさせて長い黒髪を靡かせている……軍服姿の人間。
それが何なのか。
考える余地なんてあるわけもなく、ステイトの意識はぷつりと途絶えた。
つづく