CHANGE
イグノデゥスは、人間を前にすると駆られる本能がある。
暴力的本能、欲望的(食欲或いは性欲)本能、そして嫌悪的本能。
その三つのどれかが強く出るのも、イグノデゥスの数ある特徴の一つだ。
ステイトはそのうちの嫌悪的本能が強かった。
人間を前にするとぞわぞわして、おぞましく思った。
人間目線でわかりやすく例えると、ゴキブリがあまり平気ではない人がゴキブリを目撃したような感覚だ。
そんなステイトからして見れば、『リバースホープ』の連中なんて、飛んで襲いかかってくるゴキブリのようなものだった(あくまで人間的感覚で例えたらの話)。
大した異能力もなく、戦う力も度胸もないステイトは、イグノデゥスとしてこの世界に生を受けてからとにかく逃げるしかなかった。
逃げて、隠れて、やり過ごして、また逃げて……。
そう繰り返しているうちに、ステイトはストーンに出会った。
ステイトがストーン達から奴隷のような扱いを受け、リーダーのストーンの気分次第で色々と酷いことをされてきたというのは、カヤとストーンの会話で十分わかるだろう。
それでもステイトが長い間ストーン達から離れなかったのは、他に居場所がなかったからだ。
ここを離れたら、今度こそ確実に死ぬ。
『リバースホープ』に殺される。
だから、痛くても嫌でも、ステイトはストーンの元に身を置くしかなかった。
誰の庇護も受けられない他の下級のイグノデゥス達よりはマシだと、自分に言い聞かせて……。
そうやって60年近く生きているうちに、ステイトは諦めていた。
周りにも異能力にも恵まれなかった自分には、この生き方しかないと。
諦めてからは、痛いことをされても泣かなくなった。
苦しいことをされても抵抗しなくなった。
他に色々と酷い仕打ちを受けても、仕方ないと受け入れた。
すると、前よりずっと気持ちが楽になった気がした。
そんなステイトだったが、やはりどうしても人間への嫌悪的本能は消えるわけなく、人間に対しては相変わらず“気持ち悪い”の一言だった。
だから、ストーン達が一般人や『リバースホープ』の下階級を嬲り殺している光景を見ては、胸がスッとしていた。
同時に、優越感も得ていた。
自分はあいつらよりマシだと。
弱くて頭悪くて、異能力すらもないあいつらよりは上だと。
そういうのもあって、ステイトは心の均衡をなんとか保っていたのかもしれない。
表向き、酷く冷めておきながら……。
だけど、さすがに。
さすがに今回の件ばかりは、耐え難かった。
いくら苛烈な仕打ちに慣れたステイトでも。
人間と……数年間、一緒に暮らしていただなんて。
記憶が戻って、それを理解した瞬間、ステイトはどうしようもない嫌悪感に駆られた。
身体中の全てを取り換えたいと思ったら、
全身を掻きむしりたくなった。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
あんなのと一緒にいたなんて。
ぞっとする。
吐きそうになる。
初めはとにかく嫌悪感でいっぱいだった。
だけど、それなりに時間が経って、ある程度冷静さを取り戻したステイトは、カヤとの生活を思い返して、考えて、疑問を抱いた。
何故、あの人間は自分を殺さなかったのか。
イグノデゥスと人間が敵対しているのは、当たり前のことだ。
イグノデゥスは人間を殺し、人間はイグノデゥスを殺す。
当然の流れ。
この世界の常識だ。
なのに……、
何故、あの人間は自分を殺さず、生かしたのか。
それどころか、一緒に生活までするなんて……。
考えれば考えるほど、疑問は膨らむばかりだった。
あの人間の行動・発言全てが意味不明で、何一つ理解出来なくて。
そして……。
それと同時に、ぐつぐつと煮えたぎるような感情がわき上がってきた。
あの時。
不幸にも『リバースホープ』の“ランク・EX(イーエックス)”と出会してしまって、命からがら森まで逃げてきた時。
あれが、やっと全てを手放せれるチャンスだったのに。
本来なら、何もかもから解放されていたのに。
あの人間が、あの女が余計なことをしたせいで。
また、同じ日々が始まる。
楽しくも面白くもない、“生”にしがみつくだけの日々が。
自分が生きていたのは、ただ死ぬのが怖かったからだけであって、好きで生きていたわけではない。
せっかくのチャンスだったのに。
もう死ぬのが怖くなくなっていたのに。
それを逃してしまった。
あの女のせいで。
………更には、だ。
イグノデゥスなのに、五年近くも人間と共に生活していただなんて、最悪な汚名までついてきた。
その事実に、自分は周りから蔑まれ、嘲笑われ、前よりもっと惨めな日々を送ることになるだろう。
あいつのせいだ。
あの女のせいだ。
ああ、憎い。
許せない。
大嫌いだ。
俺がどんな思いで生きてきたのか、知らないくせに。
勝手なことしやがって。
カヤのこと、そしてこれからのことを考えれば考えるほど、ステイトの中で消えていたはずの感情が、噴火寸前な勢いで沸き上がってきた。
もはやステイトのカヤに対する感情は、憎悪しかなかった。
だから、谷でカヤを見つけた時、ストーン達の玩具にしてやろうと思った。
自分のために利用しようと、カヤを山の中に誘導した。
それで少しでも汚名を晴らそうとした。
ストーンのご機嫌をとろうとした。
……けど、失敗した。
カヤはステイトが思っていた以上に、手強かった。
おかげでストーンのご機嫌取りどころか、余計に機嫌を損なわせてしまった。
こうなれば、自分はどうなるか。
想像するのも嫌だった。
でも、どう考えたって、これからあるであろう自分への仕打ちがなくなることはない。
それならば、せめてあの女で気を晴らそう。
思っていたこと全部ぶつけよう。
みっともなく嘆くか、醜い本性をむき出しにするかして、不様な最期を迎えるといい。
絶望を感じながら、死んでしまえばいい。
………そう思っていた。
カヤが何を思っていようと、どんなことを言ってこようと、関係ないはずだった。
煩わしいだけなはずだった。
死ぬ直前に、罵声という罵声を浴びせて、最後にざまあみろと笑ってやるつもりだった。
そうして、また楽しくも面白くもない日々を迎えるはずだった。
そのはずだったんだ。
***
ズルッ……ベチャッ
重々しい水の音が、虚しく聞こえてくる。
体中から感じていた重みも生暖かさもなくなり、ステイトはただただ呆然とその場に佇む。
灰色の空から降り注いでいた雨は既にやんでおり、辺りは静まり返っていた。
ステイトの癖ある赤茶色の髪の先から、雨の露がぽたり、ぽたり、と滴り落ちていく。
空を覆っていた雨雲が、ゆっくりと散り散りになっていき、その向こう側が見えてくる。
青色から赤色に変わりかけている茜空が。
辺りも空と同じ色に染まっていく中、ステイトは無心で佇む。
空気の冷たさも、まとわりつく水のじっとりした感覚も、雨上がりの独特な匂いも、全て虚無となって消える。
自分が今何を感じているのか、ステイト自身もわからないまま、時間だけが過ぎ去っていく。
もう息もしていない、体中傷だらけの女の死体を足元にして。
遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。
辺りを染める茜色が、より一層濃くなる。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
ずっと、何もない宙を見ていたステイトだったが、視線が少しずつ……下に向いていく。
ゆっくりと、ぎこちなく。
琥珀色の瞳が地面を映し、そして、足元にいる存在を映そうとする。
だが。
「ステイト!」
突然聞こえた声によって、ステイトの動きが止まる。
忙しない足音が近づいてくる。
ステイトは足元の存在を瞳に映すことなく、再び視線を上げて、足音がする方に顔を向ける。
すると、同じ近未来風の和装に身を包んだ、縦に細長い瞳孔と鋭い牙以外はほぼ人間の男と変わりない容姿のイグノデゥス二体が、こちらに向かってきているのが見えた。
ステイトの近くで足を止めた二体は、忌々しそうに彼を睨む。
「ステイト……!てめぇが余計なことしたせいで、仲間が殺されたじゃねぇか……!!」
「チッ……さっさとストーンさんのとこ行くぞ。お前が出来ることは、あの方の鬱憤晴らしになるくらい………」
剛毛で長髪の目つきが鋭いイグノデゥスに続いて、うねり髪の細目のイグノデゥスも嫌みを言おうとしたが、途中でステイトの足元の存在に気がつく。
そして、それがカヤであり、しかも死んでいるとわかった瞬間、そのイグノデゥスは至極面倒そうな表情をした。
「おい……、お前……」
「あ?どうし……はっ!?」
長髪のイグノデゥスもカヤの死体に気づき、思わず大きな声を出して近寄る。
「おいおいおいマジかよ……!」
長髪のイグノデゥスは、カヤの首根っこを掴み上げて、荒々しい動きで上下に振る。
カヤの首がぐらんぐらんと力無く揺れる。
が、もちろん反応なんてするわけなく、カヤが本当に死んでいると確信した長髪のイグノデゥスは、顔を強張らせてぱっとカヤの首根っこを手離す。
カヤの体が壊れた人形のように、無機質な音をたてて地面に倒れる。
その様子を見ることなく、ステイトはゆっくりと顔をうつ向かせていく。
ステイトの顔の半分以上が、影に覆われていく。
「あーあ……更に余計なことしてくれたな」
うねり髪のイグノデゥスが、呆れ声で言い放つ。
「どうすんだよ……!?ストーンさんの獲物死なせちまって……!!」
長髪のイグノデゥスも焦った声で言う。
楽しみを奪われたストーンがどんな反応をするか。
ストーンに殺された緑肌のイグノデゥスのことを思い出した長髪のイグノデゥスは、次八つ当たりで殺されるのは自分かもしれないと恐怖する。
そんな長髪のイグノデゥスとは逆に、落ち着き払った様子のうねり髪のイグノデゥスは、面倒くさそうなため息を吐いて再びステイトを見た。
「ステイト」
「……」
「ストーンさんは、その女で楽しいことしようとしていたみたいだぞ」
「………」
落ち着いた口調でありながらも、遠回しに責めるような発言をするうねり髪のイグノデゥス。
それに対してステイトは何も言わず、うつ向き続ける。
顔がほとんど影で覆われているため、どんな表情をしているのか、わからない。
だけど、ステイトが今どんな気持ちでいるのか。
大体予想がついているうねり髪のイグノデゥスは、見下した目つきをして、微かな嘲笑を浮かべる。
「ま、発散人形くんはストーンさんの折檻に慣れてるだろ?」
こういうやり取りも何十回したことか。
この流れを何十と見たか。
うねり髪のイグノデゥスは余裕だった。
自分がとばっちりを受けることは、まずないとわかっているから。
長年、ストーン率いる群れにいて、彼と適度な距離感を保てれているからこその特権。
うねり髪のイグノデゥスは、ストーンから一度も八つ当たりをされたことがなかった。
とても要領が良かったから。
そして、影でこっそりとストーンを囃し立てて、自分にとって都合の悪いことは、ステイトや群れで立場の弱いイグノデゥスに上手く押しつけることが出来ていたから。
だから、今回も同じこと。
自分は確実に安全なところから、“面白いもの”を見ることが出来る。
優越感に浸れる。
言葉選びやら立ち回りやらいちいち考えないといけないことは面倒くさいが、その後にあるそれを思うと、胸が躍った。
未だに顔をうつ向かせているステイトに、うねり髪のイグノデゥスはふっと鼻で小さく笑う。
「自分で蒔いた種だ。自分で責任をとれ」
それらしいことを言って、うねり髪のイグノデゥスはステイトから目を離して、踵を返す。
「行くぞ。あんまり遅くなると、ストーンさんのオシオキが更に酷くなるからな」
つまりは、早くついて来いということで。
うねり髪のイグノデゥスは、毎度お馴染みのセリフを吐いて、歩き出した。
カヤの死体の前で不安げな顔をしていた長髪のイグノデゥスは、彼が離れていっていることに気がつき、ハッとする。
そして、戸惑いながらステイトとうねり髪のイグノデゥスを交互に見た後、ステイトを睨みつけると
「くそっ……!ストーンさんに殺されたら、てめぇのせいだからな!出来損ないが!」
と……悪態を吐くと、慌てて走るようにうねり髪のイグノデゥスの後を追いかけた。
二体の足音が、少しずつ遠退いていく。
それを耳にしながら、ステイトはうつ向き続ける。
吹いてきた冷たい風が、赤茶色の髪を揺らし、ステイトの肌を撫でる。
風が通り過ぎたところで、ステイトはゆっくりとした動きで、顔を前に向き直していく。
ステイトの視界に……カヤの姿が入る。
足元で、うつ伏せで倒れている……カヤの姿が。
ぴくりとも動かない、死んだそれをじっと見つめていると
『………私にとってはね』
『ステイト……、あんたとの生活は……かけがえのないものだったよ』
不意に、カヤに言われた言葉が……脳裏を過ぎった。
『あんたと暮らしてから……、私は幸せだった……』
理解出来ない言葉。
『……本当はね』
『私は……あんたに殺されるつもりだった』
この人間が何を考えて。
何を思って。
そうしようとしてきたのか。
そんなことを言ってきたのか。
『……私は、ずっと間違えてた……』
『間違え続けていた……』
『……やっぱり……ずっと……苦しくてね……』
『……この先……、生きて……私は……あそこから出られないから……。出ても……、絶対幸せにはなれないから……だから、最後は……あんたに殺されて……惨めに死のうと思った……』
『でも……』
ステイトはわからない。
どれだけ考えようとしても、全てが曖昧で、はっきりとした答えが見出だせなくて。
結局はわからないまま、終わる。
………なのに。
『あんたが……、あんまりにも……可愛かったから……』
どうして。
『本当に……可愛かったから……、一緒に……生きたくなってねぇ……。あんたの……都合も考えず……勝手にごめんねぇ……』
どうして、こんなにも。
『あんたの喜ぶ顔が……もっと……見たくて……』
『あんたと……もっと……話したくて……』
鮮明に。
『一緒に……ごはんを食べることも……、一緒に……掃除することも……、寝る時の布団が……誰かと一緒だと……暖かくて……心地好いのも……』
『何気ない話で……笑うことも……、ケンカすることも……、仲直りした後の……おやつが……格別に……美味しいことも……』
生々しく。
『誰かのことで……必死になるのも……、誰かのことで……思い悩むのも……』
『誰かと……、……大切に思ってる人と……手を繋いで……歩くことが……、どれだけ……尊くて……嬉しいことなのかも……』
『全部……あんたが教えてくれたんだよ……』
今でも耳を通して、聞こえてくるかのように。
『あんたがいてくれて……毎日が楽しかった……』
『あんたのおかげで……、幸せな時間を……過ごせた……』
どうして、どうして。
こんなにも、はっきりと。
『ありがとう……』
大嫌いな人間の言葉が、自分の中に残っているのだろうか。
すぐ忘れてもいいことなのに。
いや、むしろ忘れたいくらいなのに。
『………カエデ』
声が響く。
『お願いが……あるの……』
自分の中を、何かで支配していくかのように。
『どんな手を使ってもいいから……自分の道を……切り開いて欲しい……』
空が真っ赤になっていく。
『この世界の……ルールや……使命に縛られず……、あんたが……あんたとして……自由に……生きて欲しい……』
辺りも赤くに染まっていく。
『しなければ……いけない……ことじゃなくて……、あんたがしたいことを……して……心のままに……生きて欲しい……』
カヤの言葉が、頭の中で響けば響くほど。
『……あんたは……私と……違うから……』
『ちゃんと……素直に……、笑うことも……怒ることも……泣くことも出来るから……』
ステイトの中で、得体の知れない何かが芽吹き出す。
イグノデゥスとして、生きてきた今までの記憶。
カエデとして、カヤと共に生きてきた今までの記憶。
それらがカヤの声と共に、ステイトの頭の中で代わる代わる映像として流れてきて、重なり合う。
そして、
『だから……大丈夫……。あんたは……私のように……ならない……。どうか……っ、自分を信じて……』
カヤが五年近く、自分に何を教えてきたのか。
そのことを思い出したステイトは、ゆっくりと顔を上げて、イグノデゥス達がいる方とは逆の方向に顔を向ける。
地に転がっている“それ”が、ステイトの視界に入る。
何も思わず、感情のない目で、“それ”を見つめていたステイトだったが……
『……カエデ……』
カヤの声が、また聞こえる。
その瞬間、力無く下がっていたステイトの手が、ピクッと動いた。
『今まで……ありがとう……』
ぼんやりとしているような目つきだったステイトの目が、だんだんと大きく開いていく。
直後。
カヤとの思い出が、ステイトの脳裏を過ぎっていく。
それは、刹那の如く。
だけど、はっきりとわかるように。
今まで自分が感じたことのなかった“何か”があふれている……彼女との日々が、映像として次から次へと過ぎ去っていく。
一緒に料理をして。
一緒にごはんを食べて。
一緒に洗濯物を干して。
一緒に掃除をして。
一緒に寝て……。
勉強も稽古も教わって。
外を歩く時は、手を繋いで。
たくさん話した。
たくさん笑い合った。
ケンカもしたけど、すぐ仲直りをした。
これを、この関係を、何と言うのか。
カヤから感じた、暖かくて、胸に深く染みついてくるものは……何なのか。
ステイトは知らない。
知らない、けど。
『………元気でね……』
最後に聞いたその言葉が頭に響いた時には、ステイトは既に、地に転がっている“それ”の前に立っていた。
冷たい風が、また吹いてくる。
後ろに一つに結い上げている癖のある赤茶の髪を靡かせながら、“それ”を見下ろしていたステイトは、ゆっくりと屈んでいく。
ステイトの白い手が、“それ”に伸びていく。
雨上がりの夕暮れにしては、空も辺りも異様に赤く見える。
それは、先ほどまで薄暗かったせいだからなのか。
雨上がりの匂いが異様に生臭く感じるのも、人間の血が混じっているからなのか。
それとも………ステイトにだけ、そのように見えて、そのように感じているのか。
………いずれにしろ。
周りがいつもと違うように見えても、彼がこれからすることは変わらない。
ステイトは、“それ”を掴む。
そしてーーーーーー………。
「うぅう……」
「………さっきからうるさいな」
後ろで怯えた声を出す長髪のイグノデゥスに、不愉快そうな声で指摘するうねり髪のイグノデゥス。
それに対して、長髪のイグノデゥスはムカッときたのか、うねり髪のイグノデゥスを睨む。
「仕方ねぇだろ……!次殺されるのは俺かもしれねぇんだぞ……!!」
「殺されないように離れていればいいだろ」
「離れるだけでストーンさんの八つ当たりから逃れられるなら苦労しねーよ!!」
「……」
「お前はいいよな!ストーンさんに気に入られてんだからよ!俺らみたいにご機嫌とりに必死になることねーもんな!」
反発だけでなくやっかんでもきた長髪のイグノデゥスに、うねり髪のイグノデゥスは心底鬱陶しそうに小さく舌打ちをする。
(お前らがストーンに目をつけられやすいのは、顔色伺っているのがバレバレな上に適度な距離感を掴むのが下手くそだからだろうが)
これだから要領の悪いバカは……。
口には出さないものの、うねり髪のイグノデゥスは胸の内で長髪のイニミクスを蔑む。
(こいつも今夜で見納めかもしれないな……)
実際、ストーンもあんまりこいつのこと気に入ってないみたいだし。
自分が生き残るのは当然という前提でそう思いながら、うねり髪のイグノデゥスは長髪のイグノデゥスとの会話を一方的に切って、先へと歩いていく。
が、その途中で、ふとステイトのことを思い出す。
(ステイト……あいつ、ついて来ているのか?)
さっきから足音がもう一つ聞こえて来ないし……。
まさか、逃げたんじゃ……。
あり得るかもしれない可能性に、うねり髪のイグノデゥスは足を止める。
(逃げたところで、居場所も救いもないってのに……)
本当、どいつもこいつもバカだ。
少しは俺を見習って賢くなればいいのに。
ステイトを筆頭に群れにいるイグノデゥス全員を心の中で見下しながら、うねり髪のイグノデゥスは後ろを振り返る。
と、次の瞬間だった。
ザシュッ!
「え」
血飛沫が舞う。
目の前の光景に、うねり髪のイグノデゥスの口から間の抜けた声が漏れる。
長いようで、短い一瞬。
軽く宙を飛んだ後、スローモーションのように地に落ちていく………長髪のイグノデゥスの首。
そして、その傍らにある首から上がない体。
首の斬り口から、大量の血が吹き出る。
空のように、真っ赤な、真っ赤な血が。
愕然とした様子でその光景を見ていたうねり髪のイグノデゥスだったが、無意識か、それとも勘が働いたのか、視線を更に後ろの方に向ける。
そして、視界に入ったその姿を見て……目を大きく見開く。
首から上がないイグノデゥスの背後にいた一つの影。
それは………ステイトだった。
ステイトが、血のついた長剣を横に振り切った体勢で……立っていた。
重い静寂。
うねり髪のイグノデゥスは、何が起きたのかすぐに把握することが出来ず、ただただ呆然とする。
一方で、そんなうねり髪のイグノデゥスの存在なんて気にする素振りすら見せず、ステイトはすかさず目の前にいる長髪のイグノデゥスの服を掴む。
そして、
ドスッ
長髪のイグノデゥスの首が地面に落ちたと同時に、その体を貫いた。
鋭い刃が肉を裂き、骨ごと貫く音が、容赦なく聞こえてくる。
何度も、何度も。
二体のいる地面が、血で埋め尽くされるまで。
びくびくと痙攣していた体だったが、程なくしてかくりと動かなくなる。
それを見たステイトは、刺すのをやめて、長剣を引く。
ずるりと水を含んだ音と共に長い刃が抜け、長髪のイグノデゥスの体は、鈍い音をたてて血の海の中に倒れた。
その場が、再び静寂に包まれる。
もう動くことのないイグノデゥスの死骸を、ステイトは見下ろす。
感情のない、琥珀色の瞳で。
一方で、一部始終を見ていたうねり髪の異能種は、未だに現状を呑み込めれていなかった。
それも仕方がない。
こんなこと、想定していなかったのだから。
あのステイトが同じイグノデゥスを殺すなんて、頭の片隅にもなかったのだから。
何故、殺したのか。
何を思って、こんなことを。
いや、その前に……どうやって気配も音もなく背後に……。
額から滲み出る冷や汗と共にそんな疑問が駆け巡る中、ステイトの体が自分の方に向いてきたことに気づき、うねり髪のイグノデゥスはハッとする。
そして、こちらを見据えるステイトの目を見て、直ぐ様に察する。
次は自分の番だと。
「……ステイト……」
うねり髪のイグノデゥスの声が、震える。
それは怒りからか、それとも恐怖からか。
だけど、今のステイトにとって、うねり髪のイグノデゥスが何を感じていようがどうでもいいことだった。
相手が何を思おうと、やることは変わらないのだから。
ステイトはうねり髪のイグノデゥスをしばらく見据えた後、静かな動きで長剣を上げて……構える。
その姿を見て、うねり髪のイグノデゥスの顔が強張る。
だが、それもほんの一瞬だけで、うねり髪のイグノデゥスは一気に険しい目つきになってステイトを睨むと
「上等だ……!悪足掻きか何か知らないが、俺を殺せるものなら殺してみろ!クソザコ蛞蝓がぁあっ!!」
そう叫んだと同時に、うねり髪のイグノデゥスは戦闘態勢に入る。
前に構えた両手の爪が、数十センチと鋭く伸びる。
そして、その爪でステイトを切り裂こうと襲いかかる。
迫り来るイグノデゥスを前にして、ステイトは恐れも戸惑いもせず、ただ無表情で見据える。
虚無でありながら異様に透き通って見える琥珀色の瞳に、“獲物”の姿が映る。
ステイトの目が、ゆっくりと細くなっていく。
そして、うねり髪のイグノデゥスが間合いに入ってきたところで、ステイトは目を大きく見開き、長剣を斜め横下に向けて、足を前に大きく踏み出した。
真っ赤な夕日。
真っ赤な陽の光。
その下で、鮮血が飛び交う。
次から次へと、種が狩られていく。
濃い血の臭いが、雨上がりの匂いに混じって漂う。
赤い世界が、更に深い赤へと染まっていく。
血を滴らせる刃は、新たな主と共にその先へ向かう。
“今まで”を斬り捨てるために。
そして、まだ知らぬ道を斬り開くために。
つづく