短編






俺はとあるマンションの606号室に住んでいる。
どこにでもいるフリーターだ。
今日も今日とてバイトから帰ってきて、夕食もそこそこにゲームをしている。
この自由で心を解放しきっている時間が一番大好きだ。
………だけど。



ドンドンドンドン!



「うわ、まただ……」



壁側から響くけたたましい音。
その音に俺はげんなりとする。
せっかくの大好きな自由時間が台無しだ。
ちなみに、このもはや騒音とも言える音が発生したのは三ヶ月前からだ。
俺はこのマンションに約六年住んでいるが、トラブルらしいトラブルはなく、俺が隣人とかに苦情を入れることも誰かが俺に苦情を入れてくることもなく、ずっと平和だった。
よくネットやテレビとかで出る隣人トラブルとは無縁も同然だったので、いいマンションを見つけたなぁと心底を思っていた。
けど、最近。
ようやくといえばようやくかもしれないが、俺のところにもついに“隣人トラブル”という災厄が訪れてきた。
まぁ正確には、隣人、ではないのだが……。


というのも、あんまりにも音が立て続けにあって酷いので管理会社に電話したところ、音がする方向の部屋は空室らしく、隣の部屋から音がすることはまずないとわかった。
そうとなれば一体どこから……というわけなのだが、ネットでマンションにおける騒音について調べたり、近くの住居人と話し合ったりして浮上したのが、俺の隣の隣の部屋か斜め下の部屋のどっちかではないのかという話にいきついた。
管理会社からはあまり詮索するなとは言われたのだが、報告してかれこれ三ヶ月経過しても一向に解決しないから、まぁみんな我慢の限界が来るよな。
そんでもって動き出したのが下の部屋に住んでる住人。
50代くらいのおじさんで、もう管理会社に任せられないと思い、近隣の部屋の住人に直接聞きに行くことにしたらしい。
俺もおじさんの住んでる部屋のちょうど上に住んでるから、夕方くらいにインターホンが鳴ったので出て、そこから音の元は自分ではないと冤罪方々おじさんと騒音について話すようになり、他の住人とも話すようになりとで今に至ると言うわけ。


で、おじさんや他の住居人が騒音について呼びかけた中で、インターホン鳴らしても出なかったのが俺の隣の隣の部屋の608号室とおじさんの隣の507号室の住居人。


608号室の人に関しては、おじさん曰く一回だけちょうど鉢合わせたことがあって騒音について聞いてみると、「プライバシーに関わることなので」みたいなことを言って突っぱねてきたらしい。
ただ騒音のこと聞いただけなのに、プライバシーとは一体……。
いやぁ、何にせよこの状況でその反応は悪手な気がするんだが……。
ちなみにその608号室の人は女性らしい。
女性があんな常にDIYやってるような音出すの可能なんかな……と思ったが、それらしい物さえ持ってれば喧しい音なんて誰でも出せれるかぁと結論付けた。
507号室の人はおじさんが引っ越してきた時に挨拶したことあるらしく、どうやら真面目で大人しそうな印象の女性だったらしい。
だからその人が音の元とは思えないのだが……とおじさんは言っていた。
でも第一印象だけがその人の全てじゃないからなぁ……。
蓋を開けたら案外やばい人だったって可能性もなきにしもあらず。
しかし騒音元候補二人とも女性とは……。
俺、てっきり男だと思ったわ。
偏見かもだけど。
だって日中だけじゃなく夜中でもあんな強く叩いてる音を出してるもんだから……。
一体何をしててあんな音をほぼ四六時中出しているのか。
その理由を知りたい、と呑気に思ってたこの時の自分は、まだ余裕があったんだろうなぁ……。


程なくして、音がする方の部屋・607号室に新しい人が入ってきた。
が、案の定というか当然というか、607号室の人から騒音について話しかけられた。
大分疲れている様子だった。
管理会社にも何度も苦情入れているらしい。
騒音問題解決してないのになんで人入れてんだよ、と管理会社や不動産に呆れながらも607号室の話を聞いた。
607号室曰く、音は隣から聞こえるとのこと。
つまり、608号室からだ。
実際、音がまた鳴った時、607号室にお邪魔させてもらった。
すると、音は明らかに608号室の方から聞こえた。
何か物を持って壁を叩いているような音だった。


(え、これもうクロカク(※黒確定)じゃね……?)


俺はそう思った。
なので、俺も管理会社に607号室で聞いた音のことを話した。
けど、管理会社は対処しますというだけで進展らしい進展は全く目に見えてこない。
音はまだ続いている。


そんなもんだからついに、607号室の人と608号室の人がぶつかり合った。
我慢の限界が来て、608号室の人が出てくるのを待ち伏せていたらしい。
まぁそうなるよなと思った。
だって607号室の人、寝不足やストレスで体調不良起こして仕事辞めることになったし。
そりゃあ腹立つわ。俺だったら刺しに行ってるよ。
で、俺はその時間バイト行ってたから帰ってきて607号室の人から話を聞いたわけ。
結論的に、話が通じない人らしい。
607号室の人、気が強そうな感じだしそもそもキレていたから喧嘩腰で話しかけたんだろうけど、相手も相手で話しかけた瞬間目をぐわっと開いて言い返してきたらしい。
支離滅裂なことを。
例えば、アンタんとこの音がうるさくて仕事辞めたんだけど、という発言に対し、私も仕事してないですけど、と返す。
数々の苦情を言ったら、キモいです、の一言。
音のせいで引っ越すことを言ったら、ありがとうございます。どうぞ行ってください。と。


想像以上にやべぇな、と思った。


607号室の人曰く、もしかしたら精神患ってる人なのかもしれないとのこと。
にしても、音で散々困らされた上にそんな反応されてよく我慢出来たなと、俺は607号室の人の忍耐力に感心した。
俺だったら絶対その場で手ぇ出してるわ……。
とにかく会話が成り立たない相手な以上どうにもならないとのことで、607号室の人は引っ越すことにしたらしい。
もちろん、管理会社負担で。



ドンドン!

ガンガンガンガン!



音はまだ続いてる。
前より頻度は減ったが、それでもうるさいことに変わりはない。
音発生からもう半年経ったんじゃないか。
下に住んでたおじさんも、耐えきれなくなって引っ越してしまった。
引っ越す際におじさんは言ってきた。
「自分だけ逃げるようでごめん。力になれなくてごめん」って。
何言ってんの。
一番頑張ってたじゃん。
おじさんが声をかけなかったら、俺も他の人達も誰だ誰だと疑い合っていただろうし、会ったら軽く雑談するくらい仲良くなれてなかっただろうし、一番貢献してんじゃん。
だから謝らないでよ。
新しい生活楽しんで。
おじさんの引っ越した先が平和だといいな。
そんなことを思いながら、おじさんに騒音の件のお礼とマフィンの詰め合わせを渡して見送った。



ドン!ドン!ドン!



音はまだまだ続いてる。
おじさんが引っ越してしばらくして、おじさんがいた部屋に新しい人が入ったらしい。
嘘だろ、騒音問題全然解決してないのに管理会社と不動産バカかよ。
いやバカなのか……。
つーか、新しい人が下に入ったってことは……。



ピーンポーン♪

「あのー、下のもんなんですが、音の件で話したいことがあるんですけどぉ……」



ほらー!

ほらほら、やっぱり疑われてるぅ!

疑いの念をかけられてるぅー!!


嫌な予感は的中した。
夜に鳴ったインターホンに俺は即行で出た。
これは弁解しないと。
そう思ってドアを開けた先にいたのは……腕や首に刺青入れている強面のにーちゃんだった。
マジかよ、と思った。
けど、それよりも先に俺は無罪を主張するべく、例の騒音の歴史について刺青のにーちゃんに話した。
刺青のにーちゃんは苛立ってそうな雰囲気はあるものの、黙って話を聞いてくれた。


「なるほどなぁ……。まぁ出てきた時点で兄ちゃんじゃないなとは思ったけど……」


どうやら俺がインターホンに出た瞬間から騒音の元ではないと、刺青のにーちゃんは思ったらしい。
自分の行動GJ!
……とはいえ、普通の人は警戒して出ないんだろうけどね。
おじさんも、「インターホン押して出てきたのお兄ちゃんとカップル(おじさんの隣の隣に住んでる人)くらいだよ」って言ってたし……。
警戒心なさ過ぎなのかなぁ。
でも今回はその警戒心のなさで冤罪かけられなかったからよしとしよう。
刺青のにーちゃんは俺の話に納得した様子で、「明日もう一回608訪ねてみるわ」と言って帰っていった。
やはり出なかったか、608……。
つーか、管理会社マジでどうにかしろよ。
問題解決出来てないくせに、新しい人入れるとかどんな神経してんだ。


しっかしここで疑問に思ったのは、俺と608の人が全く遭遇しないことだ。
奇跡かってくらい会わない。
他の人は会ったことあるというのに。
一回、まだ607の人がいた頃に、外で騒音元の悪口言いまくったせいか?
それで俺に会わないように警戒してんのか?
あのあと管理会社から苦情があったとの連絡来たし……。
てか、そもそも騒音が早く解決していたらこんなことになってないっつーの。
なんか管理会社には管理会社の事情があるんだろうけど、実際に困ってる現場にとってはもはやただの役立たずにしか見えないわ。
ここまできたら。
どれだけの月日が経ってると思ってんだ。
今まで音がする度根気強く連絡してたけどもうやめた。
だって毎度テンプレみたいな返事ばっかで全然解決しねーし。
はぁ、やっぱ俺も引っ越そうかな。



ガチャッ、バタン



そんなこんなでいつものように遅くまでバイトをして部屋に向かっていたら、608のドアが開いた。
お、ついにご対面か!?
そう思ったが、ドアはそのまま閉まり、開くことはなかった。
なんなんだ。



ガタン、ガタン、ガタガタッ

バンッ!



最近ではベランダでの物音までもがすごい。
音はもう明らかに608のベランダから。
マジで何やってんだ。
窓閉める音もうるさいし、苛ついてんのか。
あーそういえば反対隣に、新しい人引っ越してきたんだよなぁ。
俺が音の元だと思われないといいんだけど。



引っ越しするか否か。
もう引っ越した方がいい気がするけど、まだ金を貯めたい気持ちもある。
そう悩んで何日も経ったある日、地震が起きた。
スマホから鳴り響いたけたたましいアラーム音にビビりつつも、避難経路確保のために俺は靴を履いて玄関のドアを開けてしゃがみ込む。
揺れた。
わりと揺れた。
揺れたけど、棚の物が落ちたくらいで他は特に大した被害はなかった。
とりあえず揺れがおさまったので、部屋に戻って一息ついた。
すると、



ドンドンドンドン!



あの音が聞こえた。
嘘だろ。
こんな非常時でも通常運転とかどんなメンタルしてんだよ。
………。
…………………。
……うん、やっぱり引っ越そう。
引っ越すが吉だ。



でも、その前に。




***




翌日の昼頃。


とあるマンションの608号室のドアが開いた。
誰も出ていないのを確認して、そこの住人は外に出る。
が、次の瞬間。


「っっっるっせえぇぇーーんだよぉおーーー!!毎日毎日このアタオカ無職騒音女ァアーーー!!!」


ドゴッ!!


「おごぉおっ!!!?」


ドアの裏側から現れた606号室の住人(以降606)が、今までの恨みつらみ苛立ち憤慨悔恨を込めた雄叫びをあげて、608号室の住人(以降608)の頭にバールを思いきり振り下ろした。
606渾身の一撃は、見事にヒット。
608は頭から血を垂れ流しながらのたうち回る。
その姿を憤怒で満ち満ちた目で見下ろしていた606は、608の髪を鷲掴みにして無理矢理持ち上げる。


「おめー半年以上前から毎日毎日毎日毎日毎毎日毎日毎日毎日毎日日毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度毎度いつもいつもいつもいつもいつもいつもウルッッっっッセエェェーーンだよ!!!何やってんだ!?お!?DIYか!?エブリディDIYか!?朝も昼も夜も24時間年中無休コンビニエンスストアか!!?頭おかしいんじゃねぇのか!!?いや頭おかしいからここまで飽きもせず凝りもせず毎日太鼓の●人(マンションが太鼓)出来んのか。失礼。とにかく不愉快音奏でる暇あるんなら働けぇえ゙ぇえぇ゙ぇえ゙え゙ええ゙!!!働け働け働けえぇぇーー!!!外に出ろぉーーーッッ!!!喧しいんじゃオ゙ラァア゙ア゙ーーーッ!!!!!!!!!精神患ってんのかどうか知らんが人間として生まれた以上皆平等であり対等な立場なんだからな!!!俺は!!同じ人間として対等に!!折檻させてもらうぜえぇーーー!!!教育教育死刑教育死刑死刑教育教育教育じゃあアァーーーーッッ!!!!!(某パワハラ爆笑クソLI●Eより引用)」


呻いて何か言おうとしてる608をガン無視して、狂気的に叫びながら608を力任せに引きずって、階段に向かう606。


さあ、教育と死刑(笑)の始まりだ!!





ずりずりずり!

ガンガンガゴンッガガッ!グシャッゴギッ!



606は608の足を掴んで引きずったまま、六階から一階、一階から六階と階段を走って往復する。
何度も何度も。
マンションのみんなが使う階段がみるみるうちに、赤い絨毯に変貌していく。
それでも606は608を引きずり回した。


「オ゙ルァアアッ!!これが本場の『人間おろし』やぁああーーッッ!!たんと味わえぇぇーーッ!!!?選ばれたもんしか堪能出来ない代物だからよぉおーーーッッッ!!!!!」


痛々しい音がすればするほど、608の全身から顔までが痣まみれの傷まみれになっていく。
頭も顔も腕も足もどこもかしこも打って打って打ちまくって、赤くなって青くなって、本来向かない方向に曲がっていく。


「わははははははははっ!!!駆除駆除!!駆除ォオーーーッ!!公害駆除やぁーーーーッッ!!!!!だぁっはっはっはっはっはっはあぁぁぁーーっ!!!!!」


606の狂気的な笑い声がマンション中に響く。
普通ならその異常さにマンションの住人が飛び出てくるはずだが、みんな608による騒音で耳が慣れていたため、出てこなかった。
むしろ、608の騒音よりマシだからいっか、くらいにしか思っていなかった。
(606にとって)不幸中の幸いである。


こうして606による教育と死刑(笑)という名の公害駆除は無事に終わった。




***




窓から柔らかな光が差す朝。
久しぶりの快眠を経た俺は、軽やかにベッドから起き上がった。
なんて清々しい朝なのだろうか。
こんなに気持ちいい朝を迎えるのはいつぶりか。

窓の外から、登校する子ども達の声が聞こえる。
その声に、ああ、朝が来たんだなぁと改めて実感する。
これこれ、この感じよ。
かつてあった平和な日常が戻って来たって感じ。
と言っても、引っ越しはするけどね。
ここには長く居過ぎた気がするし、今回のことがある意味後押しになったかな。
約七年ほど過ごしたこの場所を去るのは名残惜しいけど、きっと新しい場所でも穏やかで楽しい日々が待ってるはず。
それに、このマンションに残される人のことや後から来る人のことを考える必要もなくなったしね。
しかし管理会社、最後の最後まで役に立たなかったな〜。
結局のところ、頼るべきは自分自身だってよく勉強させてもらったよ。
(嘲りを込めて)ありがとね。


あ〜でも、おじさんと元607さんには申し訳ないことをしたなぁ……。
俺がもっと早く行動に出ていれば、引っ越すこともなかったのに……。
二人とも大人だからって無意識に甘えてたのかも……。
せっかく仲良くなれたのになぁ……。
………。


パンッ


「終わったことをくよくよしても仕方ない!切り替え切り替え!これから引っ越しに向けて準備すんだから!心機一転!前向きに考えるぞ〜!」


自分の頬を叩いて気持ちを切り替えると、俺は朝日と朝の空気を全身で浴びるために、ベランダの窓を開けた。
うん、朝の爽やかな感じが心地好い。
空気も………ん?なんか鉄が混じってるような………、あ。
そうだそうだ、そうだった。


「まずはこれの片付けしないとな」


真っ先にやるべきことを思い出した俺は、ベランダの隅に転がっている大きめの黒いビニール袋を見て笑った。
階段で散々おろしまくったから、燃やしやすいはず。
まずはどこで燃やすか考えないとなぁ。
とりあえずバイトから帰ったら、即行で車に運んで処分するぞ〜っと。





〜完〜
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