短編
暗い病院の廊下。
床は赤黒く汚れており、壁や天井のほとんどがひび割れている。
なけなしにある電灯が点滅を繰り返す。
明かりがついたり消えたりしているそこを、ボクは歩いていた。
怖い、怖い。
こんなところ、早く出ていきたい。
そう思って、走ろうとしたら廊下の先から影が出てきた。
人だ。
どんな人かよく見えなくてわからないけど、影の形からして人だってわかる。
よかった、ボク以外に誰かいた。
ボクは安心してその人に近寄ろうとした。
けど、その瞬間、けたたましい音が響いた。
音に驚いて、ボクは思わず立ち止まった。
何、何の音。
そう思っていたらお腹が熱く感じた。
お腹だけじゃなくて、肩も、足も。
それが痛みだとわかったのは間もなくのこと。
痛いところから温かい何かが滴り落ちている。
痛い、痛い痛い痛い。
なんで、どういうこと。
状況がわからず、顔を上げたら
「アキラ」
声がした。
聞き覚えのある声。
重い瞼をなんとか開ける。
すると、困り顔でこちらを見下ろしているお姉ちゃんが、目に入った。
「いつまで寝ているの?今日はみんなでピクニック行く日でしょ?」
ぼんやりとお姉ちゃんを見ていたら、呆れ気味の声でそう言われた。
ぴくにっく……ピクニック。
そう、そうだ。
今日は家族でピクニックに行く日なんだ。
起き上がるといつもの自分の部屋が見えて、窓に顔を向けると雲一つない青空が見える。
絶好のピクニック日和だ。
「早く着替えて。お父さんもお母さんも、外でアキラを待っているよ」
そう言ってボクの服を用意してくれるお姉ちゃんは、相変わらず優しくて、しっかりしてて。
いつもの大好きなお姉ちゃんで。
そんなお姉ちゃんを見て、さっきの怖い光景が夢だとようやくわかった。
怖い夢だった。
夢でよかった。
そう安心しきったら、無性にお姉ちゃんに甘えたくなった。
お姉ちゃん、と呼んだらお姉ちゃんはボクの服を持ってきながら「なぁに?」と返事してきた。
ボクはベッドから降りて、お姉ちゃんに抱きついた。
お姉ちゃんは驚いたのか、「あわわ」と声をあげた。
「どうしたの〜?あ、もしかして怖い夢でも見たの?」
ボクが頷くとお姉ちゃんはふぅと息を吐いて、ボクの目線に合わせるようにしゃがみ込んできた。
「まったく、アキラは本当に怖がりなんだから。大丈夫よ、大丈夫。怖いことなんて何もないわよ」
そう言って、お姉ちゃんはボクを抱きしめて、撫でてくれた。
お姉ちゃんは温かくて、ポカポカしてて、お姉ちゃんに抱きしめられると安心した。
さっきのは夢で、現実とは関係ない。
そう思えた。
だから、安心した。
強張っていた気持ちが緩んで、楽になった。
「ほら、大丈夫だからさっさと着替えなさい。今日は勿忘ノ公園に行って、みんなでお弁当食べて、池の鳥さん達見に行くんだから。アキラ、鳥さんに会うの楽しみにしてたでしょ?」
そうだ。
これから大好きなお姉ちゃんと、お父さんとお母さんとピクニックに行くんだ。
怖くて、痛くて、怖かった夢のことなんて気にしていられない。
ううん、気にするだけ無駄だ。
早く着替えよう。
お父さんもお母さんも待っている。
楽しみだな。
公園のお花、咲いてるかな。
お母さんとお姉ちゃんが作ってくれないお弁当、何が入ってるかな。
どれも美味しいけど玉子焼きが入ってたら嬉しいな。
トマト、入ってないといいなぁ。
あと、鳥さん。
白い鳥さん、頭がみどり色の鳥さん。
鳥さん達に会うの楽しみだなぁ。
お姉ちゃんと手を繋いで、一緒に見てさ。
楽しみ、楽しみ。
楽しみだなぁ。
どこかの部屋にいた。
薄暗い部屋。
部屋の中にあるベッドや器具を見る限り、また病院。
きっと、病院だ。
壁や天井はひび割れており、床やベッドには赤黒い汚れがある。
ばりばり、むしゃむしゃ。
音がした。
何の音だろう、と思ったら自分が何か食べていることに気がついた。
ばりばり、歯ごたえがいい。
むしゃむしゃ、食べごたえがある。
美味しい、おいしい。
舌がとろけるヨウダ。
コレ、なんダロ。
スごク、オイしい。
モッと、もット、タベタい。
モっトモッとモット。
イッパいイッぱいいッパイ。
タまご。
タマゴヤキ。
タベタィ。
ィッパイ。
「アキラ。アキラ〜っ」
お姉ちゃんの声がした。
目が覚める。
また、怖い夢を見てしまっていた。
「どうしたの、ボ〜ッとしちゃって」
お姉ちゃんがボクの顔を覗き込む。
お姉ちゃんと目が合って、それで思い出した。
そういえば、家の庭でシャボン玉を飛ばしていたんだって。
お姉ちゃんの手には、ストローが差し込まれた液体入りの容器が2個あった。
横に目を向けたら、いつもの庭の景色が。
眩い太陽の下に照らされているその景色に、ボクはほっとする。
「ほら、アキラもやるよ。どっちが一番大きいシャボン玉を作るのが勝負だ〜っ」
容器の一つをボクに渡して、お姉ちゃんは次から次へとシャボン玉を作る。
小さいの、大きいの、中くらいの、小さいのがいっぱい。
お姉ちゃんは作っていく。
太陽の光に反射して、キラキラ、キラキラ、と光るシャボン玉。
その傍らにいるお姉ちゃん。
綺麗だなぁ。
ボクは思った。
ずっと見ていたいって。
お姉ちゃんと遊んでいたいって。
よし、ボクもシャボン玉を作ろう。
お姉ちゃんより大きいのを作って、お姉ちゃんをビックリさせよう。
そう思って、ボクは容器につけていたストローをくわえて、ゆっくり、優しく、息を吹いた。
ふわふわふわ。
ぱんぱんぱん。
ふいて、ふくらんで、はじけて、とびちる。
しゃぼんだましゃぼんだま。
きれいきれい。
ふわふわとんで、またはじける。
はじけてまっかっか。
どこもかしこもまっかっか。
きれいきれい、きれいだな。
でもナニかがたりない。
ナニが、ナにで、なニヲ?
ナにナニなニナニなニナナナニナニナニナナニニナニガガガガガガガガガガガガガガガ
ガゴガギガガギギギガギガガガギギゴゴギギギギギガギギギゲゲゲゲゲガガガギギガガゲガギギゴギギギ
………………
………………………
ソウダ
オネエチャン
「アキラ〜、おはよ〜」
「アキラ、好き嫌いしないのっ。トマトも食べなさい」
「アキラ、昨日撮ったアニメ見よー」
オネエチャン
オネエチャン
「あーまた負けた!アキラは強いなぁ。ゲームだけは」
「お母さんとお父さん、今日遅くなるみたいだから私が晩ごはん作るね。何食べたい?」
「宿題でわからないとこ教えて欲しいの?いいよ。持っておいで」
オネエチャンオネエチャン
ダイスキナオネエチャン
ドコニ
ドコニイルノ?
「アキラー!」
「アキラ!どこにいるのー!?」
オネエチャン
「アキラ!いるなら返事して!」
オネエチャン
「お願いだから……!!」
ボク
「アキラァ……!!」
ココニイルヨ
「!、ひっ……!や、いやっ!」
「来ないで!来ないで!」
「いや!」
オ ネ エ チ ャ ン
「やめてえぇぇぇ!!!」
ばりばり。
むしゃむしゃ。
おいしいおいしい。
あたたかい。
やわらかい。
たべてもたべても。
まだたりない。
ああ。
またこのゆめだ。
よくみるゆめ。
くらい、さむい、くさい、きたない。
いたい、つらい、くるしい、かなしい。
びょういんのゆめ。
「はァ゙ヤ゙グメ゙ェ゙ガザメ゙な゙イ゙がナ゙ァ゙ァ゙……」
おわり