短編
ぽかぽか暖かい春。
子ども達みんながまた一つ、おにいちゃん、おねえちゃんになった頃に、その子を見かけるようになった。
河原や公園とかに咲く桜は綺麗だけどそれ以外は特にこれといったものはなく、必要最低限の商業施設しかない田舎町。
そこの住宅地の片隅にある小さな駄菓子屋で私こと大月きぬ81歳は、いつものように朝登校する子ども達を見送っていた。
「きぬばあちゃん、いってきまーす!」
「いってきまぁす!」
「はーい、気をつけていってらっしゃい」
赤と黒、たまに紫に水色といったピカピカのランドセルを背負って、元気よく学校へ向かう小学生の子達に手を振り返す。
中学生の子達もたまに挨拶してくる。
高校生になると挨拶してくる子は稀で、多感な年頃だからこんな大して関わりのない老婆に挨拶するなんて気恥ずかしいだろうし面倒とも思うだろう。
その気持ちは私もそういう時期があったからよくわかった。
だから、特に寂しいとか残念とか思わなかった。
とりあえず元気にしてるならよしって気持ちでみんなを見送ってた。
年々成長していく子ども達をこの駄菓子屋で見届けて、もう何十年になるのだろうか。
お友達と他愛もない話をしながら学校へ向かう子も、一人でのんびり歩いていく子も、慌てて走っていく子も、みんなみんな可愛いくて温かい気持ちになる。
見慣れた景色に見慣れた制服。
それを何度も見てきた。
何度も見送った。
ただ、今年はちょっとだけ違った。
見慣れない制服、見慣れない顔。
馴染みある景色の中で、その子は異色を放っていた。
長いさらりとした亜麻色の髪に、目鼻立ちがくっきりはっきりとした女優顔負けの綺麗な顔立ち。
すらりとした体型に長い手足。
お人形さん、という言葉が正にぴったりの子だった。
幼い頃、父がプレゼントしてくれたバービーちゃん人形がぽっと浮かんだ。
それに加えて、他の子達と違う制服。
他の子と同じ制服を着ていても目立っていただろうに、それが余計にその子を目立たせていた。
ここはセーラー服だけど、その子はブレザー。
しかも、なんだか色合いがしっくりきてお洒落な感じ。
(もしかして、都会から来た子かしら)
そう思って、なんだかワクワクしている自分がいた。
都会なんてもうずっと行っていないから、そういう気配を感じるものを見ると何と言うか、興味と好奇心がむくむくとする。
都会での生活やお店、名物、その他諸々と話を聞きたくなる。
多分、こうなってしまうのは、都会に住むのが憧れだった時期があったせいかもしれない。
遠い昔の話だけどね。
とにかく私はその子と話がしてみたくなった。
他の子達のように、行きと帰りの挨拶をして、そこからちょっとした世間話をするって流れで話しかけようと思った………が。
「おはよ〜」
「……」
「気をつけていってらっしゃい」
「……」
「今日も学校お疲れさま」
「………」
「気をつけて帰ってね〜」
「………」
無視の無視。
聞こえているはずなんだけど、その子から反応が返ってくることは全くなかった。
もしかして人見知りなのかなぁと思いながらも、とりあえず挨拶だけはする日々が続いたある日。
「きぬ婆ちゃん。もうあいつに挨拶しなくてもいいよ」
部活帰りに駄菓子を買いに来てくれた健人くんが、突然そう言ってきた。
あいつとは誰のことなのかと首を傾げていると、「俺らと制服が違う女子だよ」と答えてきて、あーあの子かと理解した。
「あいつ、相川亮子っていうんだけどマジで性格悪いから」
「そうそう、先月東京から転校してきて最初は俺らも女子もそいつと仲良くしようと思って話しかけてたんだけど、ま〜綺麗なのは見た目だけって思い知らされたね」
「無視は当たり前だし、やっと口を開いたと思えばこっちを見下すような発言してくるし、とにかくすっげー感じ悪いんだよ」
「しかもうちんとこの制服を着ない理由が“ダサいから”だぜ?マジでケンカ売ってるよなー」
「あーあ、中学最後の一年があいつのせいで台無しになりそう。東京に帰ってくんねーかな」
次から次へと出てくるあの子……もとい相川亮子ちゃんへの不満。
人の陰口を叩かない健人くん達がここまで言うのは余程だな、と思った。
ないとは思うけど、念のために、亮子ちゃんが他の子達にいじめられてないか聞いた。
そしたら、それはないとはっきり否定していたのでホッとした。
いつも元気よく挨拶を返してくれる子達に、意地悪をする子がいるとは思いたくなかったから。
でも……。
「いじめはないけど、極力関わらないようにしてるよ。みんな」
「話しかけたら話しかけた分、嫌な思いするし」
「そもそも向こうから突き放してきてるようなもんだから、関わりようがないし」
なるほど、なるほど。
と、表向き納得しつつも、つまりは亮子ちゃんはただいま絶賛孤立中というわけで。
それを知った私は、何とも言えない気持ちになった。
「だからきぬ婆ちゃんももうやめていいよ。挨拶。あいつ、まだ婆ちゃんには嫌なこと言ってないみたいだし」
「きぬ婆ちゃんにも牙向き始めたら、俺らいよいよ我慢出来ねーよ」
健人くん達が亮子ちゃんを孤立させようとしているわけではなく、私のことを思ってのことだともわかった。
亮子ちゃんに嫌なことを言われて落ち込んでいる私を見たくないのだろう。
もし見たら、それこそそのことを皮切りに、今度は自分達が亮子ちゃんに牙を向いてしまう。
そう考えての上だろう。
本当に優しい子達だなと思ったと同時に、そんな優しい子達に思われて私は幸せ者だと嬉しさのあまり涙が出そうになった。
とりあえず健人くん達には、私は大丈夫と伝えた上で、亮子ちゃんはものすごく人見知りで緊張してそんな態度をとっているのかもしれない、と一つの可能性をあげた。
まだ新学期が始まって一ヶ月。
たった一ヶ月で何の情報もない東京から来たばかりの子の全てがわかるわけない。
初めはそうかもしれないけど、後々いいところも見えてくるかもしれない。
何事も前向きに考えようといった私の信念の下に、健人くん達にはそう伝えたが、健人くん達の反応はいまいちだった。
「きぬ婆ちゃんは相川と実際に話したことないから呑気なこと言えるんだよ……」
なんて、健人くんの幼馴染の剛くんがそう言っちゃって。
隣にいた健人くんがそれを咎めるように、剛くんの腕に肘鉄をしていた。
剛くんは「いてー!」と言って、腕を擦っていた。
なんだか可哀想だったし仲違いしてもいけないから、みんなにキャラメルをおまけであげた。
とはいえ、剛くんの言うこともご尤もだ。
私は亮子ちゃんと話したことがない。
というより、一方通行の挨拶しかしたことない。
亮子ちゃんのことを知るためには、やっぱり会話は必須だ。
せっかく名前も聞けたわけだし、私は亮子ちゃんが一人で下校しているのを見計らって思いきって声をかけることにした。
「亮子ちゃん、学校お疲れさまっ」
その時の亮子ちゃんの顔ときたら。
いつもお人形さんのようなおすまし顔なのに、ぎょっとしたように目をかっぴらいて私を見てきた。
あ、ちゃんと人間だった。と失礼なことを思ったのはここだけの話。
だって亮子ちゃん、本当にお人形さんと思えるくらい綺麗で、表情も全く変わらないからやっぱりお人形さんなんじゃないかなーってわりと本気で思いかけていたもんだから。
亮子ちゃんはちゃんと血の通った女の子だったとわかったところで、亮子ちゃんの目つきが変わった。
「……なんで私の名前知ってんの?」
明らかに警戒していた。
まぁ確かにそうだ。
登下校でしか見かけない、接点らしい接点のない老婆が、急にピンポイントで名前を呼んできたのだから。
「亮子ちゃんと同じ中学生で仲良くしてくれている子がいてねー。私、亮子ちゃんのことちょっと気になってたから、その子から聞いたのー」
健人くん達にしわ寄せがいかないようにと適当な理由をあげて、私は亮子ちゃんの名前を知った経緯を伝えた。
亮子ちゃんは今度は怪訝そうに私を見た。
「は……?それってプライバシーの侵害じゃん」
おっと、プライバシーの侵害と。
なるほどなるほど。
まさかそうくるとは。
「名前を聞いただけよぉ。他はなぁんにも聞いてないわ」
「私の許可なく勝手に名前聞かないでよ。てか教えたヤツ誰?」
「う〜ん、誰だったかしらぁ。中学生なのはわかるけどぉ」
「しらばっくれないでよ!私の名前を聞けるくらいなんだから、絶対顔見知りだしそいつの名前も知ってるでしょ」
「うぅ〜ん、最近物覚えが悪くてねぇ」
「私の名前は覚えてるくせに?」
「そりゃあ初めて見た時から気になってた子だからねぇ。印象に残りやすいというか……」
「……気持ちわる」
そう吐き捨てると、亮子ちゃんは地面を強く踏むような足取りで去っていった。
これが亮子ちゃんとの初めての会話で、確かにこの態度はいくら優しい健人くん達でも不満をもらすはずだと納得いった。
けど、それはそれとして。
「きぬばあちゃん、いってきまぁす!」
「きまーす!」
「はーい、気をつけていってらっしゃい〜。あ、亮子ちゃんっ。おはよ〜」
「………」
「亮子ちゃんも気をつけていってらっしゃい」
「………」
「きぬばあちゃん、ばいば〜い!」
「また明日ね〜!」
「はーい、みんな学校お疲れさま。気をつけて帰ってねぇ」
「……」
「亮子ちゃん、学校お疲れさま。どう?新しい学校は慣れた?」
「……うざっ」
「?、うざっ?流行りの言葉かしら?」
「は?」
「よくわからないけど、亮子ちゃんが反応してくれて嬉しいわぁ」
「……鬱陶しい」
「え?」
「うざってのは鬱陶しいって意味。鬱陶しいから声かけるなって言ってんの」
「あぁなるほどぉ。そういう意味なのね。ごめんなさいねぇ、私流行語や若者用語に疎くて。教えてくれてありがとうね、亮子ちゃん」
「だからそういうのが鬱陶しいの!田舎くさいのが移るから気安く話しかけんなババア!」
「あらあら……」
「あ、亮子ちゃん。おはよ〜」
「……名指しで挨拶もするなってこの前からずっっと言ってるよね」
「そうねぇ。でも私がしたいから……」
「私は嫌だからやめろって言ってんのに?」
「うん」
「……自己中ババア」
「自己中でごめんねぇ。でもこうやって亮子ちゃんと話せて嬉しいわぁ」
「頭おかしいんじゃないの?」
「そうかもねぇ」
「……ふん!」
「あら、亮子ちゃん。ちょうどいいところに。今ねぇ、新作のお菓子が入ったのよ。亮子ちゃんも味見してみない?」
「そんな安っぽい菓子なんて食べるわけないでしょ」
「まぁ試しに一つ。口に合わなかったら捨てていいから」
「ちょっと!勝手に鞄に入れないでよ!」
「亮子ちゃんは何が好きなの?」
「え?」
「お菓子」
「……パンケーキとマフィン」
「あら、お洒落な洋菓子」
「大福も好き。みたらし団子も」
「あ〜和菓子もいいわよねぇ。あ、毎月の第三水曜日、スーパー『マルヤマ』に和菓子屋さんが来るの。そこの豆大福すごく美味しいわよ〜」
「えっ」
「最近は色んな果物の入った大福も売ってるみたいよ。亮子ちゃんも行ってみたら?」
「ふ、ふーん。まぁ気が向いたらね」
てな感じに。
私はしつこく亮子ちゃんに話しかけた。
やっぱり一度、二度の会話でダメだって決めるのは早すぎる気がするし……。
それに私は嫌になるどころか、むしろ更に亮子ちゃんに興味を持った。
全てを手に入れたかのような見た目に反して、中身はウニのように棘々している亮子ちゃん。
この子は今まで何を見て、何を感じてきたのだろうか。
亮子ちゃんのことをもっと知ってみたい。
だから話しかけ続けた。
その甲斐あってか、夏が過ぎる頃には、亮子ちゃんは自分のことも話してくれるようになった。
「東京にある『ポルコ』ってパンケーキが超美味しいの。これなんだけど」
「あらぁ、ふわふわしてそうだし飾られてるベリーがまたお洒落ね〜」
「でしょ?でも隣町にある『ふわり』ってカフェのパンケーキもめちゃ美味しかった」
「あら、そこのパンケーキ私も食べたことあるわぁ。大分前だけど。美味しいわよねぇ。パンケーキにしっかりとシロップが馴染んでて」
「うん。ぺったんこのパンケーキでもあんなに美味しくなれるんだね。また行こ」
「私コーヒー苦手。そっちはコーヒー飲める?」
「飲めるわよぉ。しかもブラックで」
「うげー、ブラックって。あんなのただひたすら苦いお湯じゃん」
「そうだけど、その苦さが癖になるというかぁ……何よりも香りがいいじゃない」
「大人の味覚はわかんないなぁ。絶対紅茶の方がいいじゃん」
「確かに紅茶もいいわねぇ。あ、そうそう。そうだ。この前、親戚から紅茶セットをもらったのよ。亮子ちゃん、せっかくだし飲んでいかない?いい紅茶なのよ〜」
「え?……あーそっちがいいんなら飲むけど」
「ここの引っ越してきたのはね。パパとママが離婚して、パパの実家がここにあるからなの」
「あら、そうだったの……」
「私はママと一緒にいたいって言ったのにダメだって。ママが他の男の人を好きになったからパパと別れることになったんだって」
「……」
「パパは今でも怒ってるみたい。ママの話をすると怖い顔になるの」
「そう……」
「でも私は今でもママが好き。ママが悪いことをしたんだろうけど、それでも私にとって優しいママに変わりないんだもん。パパやお爺ちゃんお婆ちゃんがどんなにママのことを悪く言ってても……」
「うん……。亮子ちゃんがそう思っているのなら、それが亮子ちゃんにとっての正解よ。決して間違いではないわ」
「……」
「そこまで娘に想われる人だもの。優しいママなのね、亮子ちゃんのお母さんは」
「……うん……、っ……うん」
たくさんお話をして、亮子ちゃんのことを知っていって。
「私、高校はやっぱり東京に行く。東京の高校を受験して、受かって、引っ越して、一人暮らしするつもり。友達いるし、ママにこっそり会いに行けるし」
「あら……そうなのぉ。寂しくなるわねぇ」
「そう?クラスのヤツらは喜ぶと思うよ」
「だとしても、私は寂しいわぁ。亮子ちゃんと話すの、とっても楽しいんだもの」
「……」
「でも応援してるわ。亮子ちゃんの受験と目標達成。頑張ってね」
「うん。………東京に行っても」
「?」
「夏休みや冬休みになったら、たまに来るよ。ここに」
「!、あらあら嬉しいわぁ。それなら寂しいって言ったらだめねぇ。亮子ちゃんに会うのを楽しみに待ってるわ」
「そのセリフは早すぎるよ。まだ受験に合格もしてないのに」
「出来るわよ、亮子ちゃんなら。大丈夫大丈夫っ」
「……ふぅ」
そうこうしているうちに、冬が来て。
私は………。
買い物の帰りに自転車にぶつかって、打撲と右足を骨折してしまった。
***
全治二ヶ月。
県外の大きな病院で、私は入院していた。
荷物や手続きは京都に住む娘がわざわざ来てくれて、全部やってくれた。
「母さんももう年なんだから」
「いい加減、うちにおいでよ。年寄りの一人暮らしはやっぱり心配よぉ」
とかなんとか娘は言ってきたけど、娘の家に住み込むつもりは毛頭ない。
娘家族と仲が悪いとかそういうのは決してなくて、むしろ仲が良いくらいなのだが、私はあの町と家が好きで。
色褪せない思い出がたくさん詰まってて。
まだ元気でいられるうちはあそこにいたいと思っているから。
だから、もちろんの如く娘の誘いは断った。
娘は呆れたようにため息をついたけど、私が断るのをわかりきっていたみたいで「言ってみただけよ」とだけ言って、剥いた林檎を差し出してきた。
そういえば、急なことだったから亮子ちゃんに何の連絡も出来なかった。
多分、人づたいで私が入院したことは耳に入っているだろうけど……。
あの町に戻るのは四月頃になるだろうし、その頃には亮子ちゃん、念願の東京の高校に行ってるわけだからあの町にはいないだろうなと思った。
まさかこんな形でお別れするなんて。
せめて、携帯の電話番号だけでも聞いておけばよかった。
そしたら、電話で伝えたいこと伝えれたのに。
………まぁ、夏休みになったら顔出してくれるみたいだし。
そんなに悲観的になることではないか。
とにかく亮子ちゃんがあっちで楽しく過ごしていますように。
それだけを願った。
打撲も骨折も治って、リハビリを経て、桜の花が満開に咲く頃、私はようやく見慣れた町、お馴染みの駄菓子屋に戻ってきた。
暖かな陽気が心地良い。
春の匂いがふんわりと鼻に触れる。
荷物は娘が既に届けていてくれて、私は送ってくれたタクシーの運転手さんにお礼を言うと、駄菓子屋……もとい私の家に向かった。
古びた戸を開けると何十年も見てきた風景が目に入る。
(うんうん、これこれ)
何も変わってない。
ホッとするわぁ。
そんなことを思いながら、中に入っていく。
今は子ども達は学校にいる頃かな、帰りに私を見たら驚くだろうなぁ、なんて色々と考えながら、奥の出入口に向かっている時だった。
「ねぇ」
後ろから声が聞こえた。
知ってる声だった。
でも私が思っているその声の主はここにいるわけないから、誰なんだろと思って振り返った。
すると、そこにいたのは、
亮子ちゃんだった。
東京に行っているはずの亮子ちゃんが、そこにいた。
さすがの呑気な私も驚いた。
だって、いないと思ってた子がいたのだから。
「亮子ちゃん?」
我ながら間抜けな声だったと思う。
だって本当に驚いたから。
何よりも一番驚いたのは、亮子ちゃんの制服。
一際目立つ亮子ちゃんを更に目立たせていたブレザーのお洒落な感じの制服が、見慣れた制服になっていた。
ここの前を通る高校生の子達が着ているシンプルな制服。
それを亮子ちゃんは着ていた。
亮子ちゃんは睨んでいた。
怒ってるような顔をして。
「何……事故ってんのよ……」
けど、その目には涙がたまっていた。
「自転車にぶつかって骨折るとか、本当あり得ないんだけど……。まぬけだし、体弱すぎ……」
文句を言っているわりには、その声は震えていて。
「あんたのせいで……、第一志望落ちたじゃん……」
目にたまっていた涙が、今にもこぼれ落ちそうで。
「あんたが事故るから……、こんなダッサい制服着るはめになったじゃん……。これからまた三年も……ここにいなきゃいけなくなったじゃん……」
もう学校は始まってるはずなのに。
なんで亮子ちゃんがここにいるのか。
なんで泣きそうになっているのか。
そんなの、口に出して聞くよりも先に、体が動いて。
ポケットに入れていたハンカチを出して、亮子ちゃんに近寄って、「ごめんね、ごめんなさいね」ととにかく謝って彼女の涙を拭った。
それをきっかけに、何かがぷっつりと切れたように亮子ちゃんは涙をぼろぼろと流した。
しゃくりをあげながら泣き出した。
「っ〜〜、ふざけんなよぉ……っ。急にいなくなってさぁ、何日もずっといなくてさぁ……っ」
「うん……」
「まだまだ話したいことたくさんあったのに、ずっとずっといないからさぁ……、色々考えちゃうじゃん……っ。何かあったかもって思うじゃん……っ」
「うん、うん」
「そしたらあんたが事故で入院してるって……クラスのヤツが話してるの聞いて……、もしかしたら戻ってこないんじゃないかって……もうあんたと話が出来ないんじゃないかって……」
「うん、うん……」
「嫌なこと……っいっぱい想像して……!大変だったんだから……!そっちは呑気に入院生活送ってたんだろうけど、こっちは大変だったんだからね!」
「うん、ごめんね……。心配かけさせちゃったわね……」
「そうだよ!私をこんなに悩ませて!高校受験失敗させて!責任とってよ!」
「うん、もちろんよ。亮子ちゃんの大事な受験をだめにしちゃったもの。当然のことだわ」
気がつけば、泣いている亮子ちゃんを抱きしめていた。
亮子ちゃんは震えていた。
そして私の胸の中で、涙声で、私に要求してきた。
「っ……じゃあ、じゃあさ。前くれたクッキーの作り方教えて……」
「わかった」
「来月『ふわり』に新作がでるから、一緒に行ってよ……」
「わかった」
「勉強、わからないとこあったら教えて……」
「わかる範囲なら……」
「あとダサくて頭の悪い男子達をあんまここに長居させないで……話しかけづらいから……っ」
「うーん、出来るだけ善処するわ……」
「あと、あと、これだけは絶対に約束して」
「なぁに?」
亮子ちゃんは大きく息を吐くと、顔を上げて私を見てきた。
人形のように整っていた亮子ちゃんの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
亮子ちゃんは真正面から私を睨みつけるように見て、言ってきた。
「死ぬまで絶っ対元気でいて」
この約束を破ったら許さない。
「病気や事故で死んだら恨んでやるんだから……死ぬまで恨むんだから……。ずっと元気でいなさいよ……絶対に……っ」
そんな気持ちがこもりにこもった声で、そう言ってきた。
ここにいなかった二ヶ月とちょっとの期間。
亮子ちゃんがどんな気持ちで日々を過ごしてきたのか、痛いほどに伝わってきた。
そして、亮子ちゃんがどれほど私のことを想ってくれているのか、それもよくわかった。
わかり過ぎるくらいに。
私は亮子ちゃんの背中を撫でた。
「わかった。死ぬまで元気でいるわ、絶対に」
はっきりと、しっかりと。
私は亮子ちゃんに返事をした。
亮子ちゃんは何も言わず、顔をくしゃりと歪ませると、また私の胸に顔を埋めて泣いた。
肩を震わせ、感情の詰まった声をもらして、泣き続けた。
私もそれ以上は何も言わずに、ただ亮子ちゃんの背中を撫でた。
亮子ちゃんの気持ちを受け止めるように。
後々に、健人くんから話を聞いた。
亮子ちゃんはここの高校を第一志望にしていたと。
なんともいざ受験間近ってなったところで、急に進路を変えたと。
担任の先生も戸惑っていたらしい。
だって、転校してきた当時から東京の高校を受験すると言っていたらしいから。
健人くんは「ここだと確実に誰よりも目立てるから残ったのかもなぁ」と言ってたけど、私は本当の理由を知っている。
いつか健人くんや他の子達も、亮子ちゃんに良いところや可愛い一面に気づく時がくるだろう。
だって、三年も時間があるのだから。
「は〜、今日も学校疲れた〜」
今日も駄菓子屋に入るなり、亮子ちゃんはお会計場近くに置いてる椅子にどかりと座った。
「いつもお疲れさま。今日こそは友達出来たかしら?」
「ないない。私とあんなダサダサ連中が友達になる日なんて一生来ないから。もう会話の内容からして田舎臭がぷんぷんするもん」
「またそんなこと言って〜、少しは素直になったらどう?」
「素直だし。これがありのままの私だし」
「そうなのかしらね〜?」
「そうよ。は〜、これでせめて制服が可愛かったらなぁ。ちょっと気分上がるのになぁ」
「ふふ、でも私としては前の制服より今の制服の方が亮子ちゃんにぴったりだと思うよ」
「はぁ?何それ。私がダサいって言うの?」
「そうじゃなくて。亮子ちゃんには、それくらいシンプルな方がバランスいいってことよ。亮子ちゃん、ただでさえ美人で目立つんだから、服ぐらいはちょっと大人しめにしとかないと目立つ越えて派手派手しくなっちゃうわよ」
「ふむ……」
「それにむしろシンプルな服装の方が、亮子ちゃんの美貌をより引き立たせるわよ?」
「なるほどねぇ。さすがきぬさんは言うことが違うね。他のダサ連中も見習えってーの」
「こらこら」
とまぁ、こんな感じに亮子ちゃんとの関係は続いている。
健人くん達と打ち解ける日はまだまだ遠いけど、いつかはきっとその日が来るだろう。
健人くん達もこうやって、亮子ちゃんの笑顔をよく見る日が来るだろう。
私は気長に待つことにする。
亮子ちゃんとの時間を楽しみながら。
「あ、そろそろ買い物に行こうかしら」
「買い物?付き合うよ」
「いいわよぉ。毎回荷物持ってもらって申し訳ないわぁ」
「別に荷物持ちくらいなんてことないし。それよりもまた自転車にぶつかる方が問題だっての」
「そんなしょっちゅうぶつからないって……」
「とかいって、そう言った日に限ってぶつかったりするのよ!いいからさっさと行こっ」
「はいはい。ありがとね」
おわり