その世界の私は鬼ちーと呼ばない





「お前、今日髪に何かつけてんのか?」



よく晴れた休日。
河原の土手道にて。
関東を代表とするヒールレスラー・鬼塚庄司は、友人の川口さやかとショッピングモールで買い物をした帰り、ふと思い出したかのように彼女に問いかけた。
紙袋を片手に下げて隣を歩いていた川口は、「おん?」と不思議そうに反応する。


「何?もしかして芋けんぴついてる?」

「は?ちげぇよ、なんだよ芋けんぴって。そう物理的なもんじゃなくて、匂いだ。匂い」

「匂い?」

「そう。なんつーか、たまにお前から蜂蜜っぽい甘い匂いがするから……」


蜂蜜、と聞いて川口はにまぁと笑う。


「あらあらあら、まぁまぁまぁ……」

「んだよ……」

「実はね〜、先週シャンプーを新しく変えたんだよ。知ってる?ハニーアンドメープルってヤツ」

「知らね」

「知らないの!!!?!?」

「うるさ。そんな大声出すほどのことじゃねぇだろ」

「ま〜、鬼塚くんシャンプーとかトリートメントとかあんま拘りなさそうだもんねぇ」


若干鬱陶しそうな顔をしている鬼塚を見て、川口は悪戯っぽく笑うと「うりゃっ」と頭を鬼塚の肩に押しつけた。
突然の密着に鬼塚は目を大きくして驚く。
思わず川口から距離をとって立ち止まった。


「な、何すんだよ……!?」

「いやぁ鬼塚くんにもこのハニィ〜な香りをなすりつけてやろうと思ってね」

「意味わかんね……」


相変わらず突拍子もないことをしてくる川口にドギマギしながらも、鬼塚は呆れ口調でそう言うと再び歩き出す。


「だって鬼塚くんにハニィ〜な香りついたらお揃いじゃん。お揃っちじゃん。うちらがどれほど仲良しなんか世間に知らしめること出来まっせ」


買い物袋を大きく振って歩きながら、川口はにゃははと笑いながら先ほどの行動の意図を鬼塚に伝える。
川口としては下心なんて一切なく言葉そのまんまの意味で言ったのだろう。
だけど、“お揃い”という単語を耳にした鬼塚は、仄かに頬を赤くした後気難しい表情をした。


「……お前なぁ」

「おん?」

「いくらダチ同士とはいえ、俺は男でお前は女だぞ」

「せやな」

「で、俺もお前も同じ匂いがしたら……疑われるだろ。色々と」

「疑う?えぇと、あのヒールレスラー・鬼塚庄司がななななんと!!匂いもデザインも激甘かわと有名なハニーアンドメープルを使っているという事実が発覚!強面の凶悪ファイター、実は可愛いもの大好きサ●リオ系男子だったか!!?、みたいな?」

「なんだその新聞の見出しみたいなセリフ。ちげぇよ。てかサン●オ系男子って何だよ?」


的外れな返答をしてきた川口に、鬼塚は心底呆れた顔をする。
同じ匂いがする男女といえば、答えは決まっているはずなのだが……。


「うーん、何を疑われるかわかんないけど私は気にしないよ?」

「お前が気にしなくても俺は気にするっつーの……」

「でも蜂蜜の香りいいでしょー?私好きなんだよねぇ」

「ふーん」

「鬼塚くんも嫌いじゃないでしょ?ほら」

「あ?」


買い物袋からガサゴソと何かを取り出し、鬼塚の手首を掴むなり取り出したそれを手のひらに押しつける川口。
鬼塚は怪訝な表情をしながらも、手のひらにあるものを見る。
それはハンドオイルの試供品だった。
真ん中にはハニーアンドメイプルと可愛らしい文字で書かれている。


「特別にそれを使う許可を与えよう」


試供品をじっと見ている鬼塚の隣で、川口はえっへんと胸を張って偉そうな口ぶりで言う。


「色んなメーカーの蜂蜜の香り嗅いできたけど、それが断トツだった!で、鬼塚くんは私のマブダチっちゅーわけで特別に私の“大好き”をお福分けしてあげるってやつよ」


そう言って川口は鬼塚に向けてウインクする。
手にある試供品を見ながらその言葉を聞いた鬼塚は、どこかむず痒そうな表情をすると試供品を握ってポケットに突っ込んだ。


「あっそ。余計なご厚意どーも」

「へへ〜っ、サーティツーのアイス奢ってくれてもええんやで〜?」

「試供品と釣り合わねぇだろ」

「あーサーティツーって言ったら食べたくなってきた。次遊ぶ時食べに行こ!」

「はいはい」

「鬼塚くん、来月タイトルマッチだったよね?んじゃあ見事勝利をおさめたらサーティツー奢ったげる!」

「元ヘビー級チャンプ相手に勝ったご褒美がサーティツーか……」

「傾国のベリーキュートガールさやかちゃんの奢りって時点で十分釣り合ってるでしょうが」

「はぁ……傾国のベリーキュートガール……」

「何?何か文句でも?」

「いやお前の場合見た目で周りが狂って傾国っつーより物理的に傾国させてそうだなぁって」

「はあぁぁ!?そんなわけ…………ある!!!!」

「あるんかい」


互いに冗談や他愛もない話をして笑いながら帰路を辿っていく鬼塚と川口。
土手道を抜けて住宅街に入り、川口の自宅の前で川口と別れて、鬼塚は反対方向にある自宅のマンションへと向かう。
茜がかった空。
長めに伸びている自分の影を見ながら、鬼塚は小さくため息をつく。
川口と友達以上の関係になりたいのに、なかなか一歩踏み出せない自分にモヤつく。
今の関係が安定して居心地良いのもあるせいか……。
それに加えて川口から何度もマブダチと呼ばれているため、なかなか行動に移せないというのもある。
こっちがその気でも相手にその気がなければ、想いを伝えてもただただ気まずくなるだけだから……。
そんなこと言っていたらいつまで経っても進展しないのはわかっている。
けど、出来るなら、どうせ友達以上になれないのだったら、相応しいタイミングで……伝えたい。
果たしてそれがいつになるのか。
予測しようのない未来に、鬼塚はため息をつくしなかった。


そうこう考えている間にマンションに着き、鬼塚は玄関の鍵を開けて中に入った。
鞄や買い物袋をテーブルに置いて、ソファーにどかりと座り込む。
コーチや同期からのLIENの返事をしようとポケットからスマホを取り出す。
その時、スマホと一緒に引っ張られるかのように川口から貰ったハンドオイルの試供品がポケットからソファーの下へと落ちる。
それに気づいた鬼塚は、ソファー下にある試供品を拾う。


「ああ、そういえばもらってたな……」


手にある試供品を見ながら、鬼塚は思い出したかのように呟く。
そして、しばらくそれを見つめた後、持っていたスマホをソファーに置いて試供品の袋を少し破った。
破けた部分からとろりと琥珀色の液体が出てくる。
それを少しだけ手のひらに出して、袋をテーブルに置くと両手を擦り合わせる。
液体が両手に馴染んだところで、鬼塚は手のひらをそっと鼻に近づける。


(……甘)


蜂蜜の匂いが鼻腔に広がる。
舌にまで広がりそうな甘ったるい匂い。
あまり好きではなかった匂い。
……でも。
そうか。
最近あんまり嫌に思わなかったのは……。


川口の匂いだからだ。


少し前まで一緒にいた川口の姿が思い浮かぶ。
そして、それ以外にも大好きなホットケーキに蜂蜜をかけたり、蜂蜜の香りがするポップコーンやワッフルを選んだりしては嬉しそうに笑ってる川口の姿も。
鮮明に浮かんだその姿に、鬼塚の頬が赤く染まる。
鼻に持っていっていた手のひらを咄嗟に離す。
好きな人の匂いとわかると、なんだか緊張して、照れくさくて……。
鬼塚は蜂蜜の匂いがする両手を睨むように見る。
そして、悩ましげに眉間に皺を寄せると、ソファーから立ち上がり洗面所に向かった。
手を洗うために。



(……蜂蜜のアロマ的なもんは売ってねぇかな。部屋に飾れるような……。………あとで探そ)



と、思いながら……。




おわり
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