その世界の私は鬼ちーと呼ばない





いつものように仕事を終えて。

いつものようになけなしの時間で好きなゲームをして。

いつものように推しに萌え散らかし、推しで妄想しながら、眠っただけだった。

そう、いつもと変わらなかったんだ。

何も特別なことはしていない。



なのに。



「さやか!もたもたしないで早く着替えなさい!バスに間に合わないわよ!」


ただいま私こと川口さやかは、母親という人物にものすごく急かされながら、動きやすい服に着替えている。
というのも、今日から関東で活躍しているプロレスラーが集って一ヶ月間強化合宿をするらしい。
で、私は彼らのサポートをするべくサブマネージャーとして、その合宿先にこれから行くらしい。



……………は?



いやもう説明がすごい他人事みたいになってるけど、実際そうなのよ。
私もなんでこうなっているのか、さっっっぱりわからない。
だって、私普通にモールで働いている社会人(24)だし。
ゲームならともかく、リアルのプロレスラーとか知らんし。
というか母さんこんな若くて美人だったか?
てか、私もこんなに若くてさわやかに可愛い感じだったか?
もう疑問が疑問を呼んで疑問のミルフィーユ状態なんだけど。
まぁ普通の人だったら、この時点で発狂していたであろう。
頼れそうな人いないし。
けど、悲しいことに社会に出て環境の順応性が身につきすぎた私は、ごく自然に対応してその場の流れに流されるまま合宿先へ行くことになった。




***




合宿先は山の中にある少し古びた施設だった。
隣にある小さな旅館っぽい家が、レスラー達が寝食を共にするところらしい。
私達サブマネージャー三人は、施設内にある綺麗な部屋で生活することになっている。
まぁさすがに男集団の中に女の子を放り込むわけないわな。
てか、そんなことよりあれだわ。
自分達の寝床気にしてる場合じゃねぇんだわ。
もう完全に夢だと思って、流されるままにバスでマネージャーの女の子二人とくっちゃべって、会長らしき人からの説明をヘイヘイヘーイとやる気のない態度で聞いていたんだけど……。
廊下や練習場とかで見かけたレスラー達が、全員見覚えのある顔ぶればかりで……。
いや、もう見覚えあるっつーより知ってんのよ。
こいつら………、



どう見ても『ゲキアツ!ファイター(炎マーク)』のレスラー達じゃん。


ーーー説明しよう!
『ゲキアツ!ファイター(炎マーク)』とは全国のレスリング界が舞台の育成・格闘ゲームであり、さやかがゲキアツにハマっているゲームである!



(コスプレ……と思いたかったけど、それにしたってクオリティー高いどころかまんま過ぎるし……)


これはあれか?
私がゲキファイ(ゲキアツファイターの略)をあまりにも愛し過ぎて、こんな妙にリアリティのある夢を見てしまっている。
そういうことか?


(お、あれはゲキファイでひなたくん(主人公)に並んでめちゃ人気のある男・氷山涼(ライバル)くんだ。うーん、ここに氷山クラスタいたら狂喜乱舞してただろうなぁ)


まぁ……やっぱ夢以外の何ものでもないな。
私は改めて確信する。
だって、マジでキャラの造形がまんまだし。
ん?待てよ?
確かにこの合宿、関東で活躍しているレスラーが集まってるんだよね?
ってことは………!


「うぅ〜ん、涼さまカッコい〜!睨まれた〜い!」

「ひなたくんも火狩くんもいいよね!………あっ」


隣でわちゃわちゃレスラー達について話していたマネージャー達の声がぴたりと止まる。
その水を打ったかのような静けさに、私はまさかと思い、練習場の出入口を勢いよく振り返った。


すると、いた。

私の最々々々々推しがっっ。



鬼塚庄司(おにづか しょうじ)。



身長199センチ、体重101キロの超大柄マッチョ。
強面で右目に大きな傷があって、しかも前科持ち。
口数少なく物静かに見えるが、実際は好戦的でかなり凶悪。
ファイトスタイルは実に苛烈で、過去に数人再起不能にしたほど。
幼い頃に親に捨てられ、施設で育ち、その後半グレとなって喧嘩と悪事に明け暮れていたところを今のコーチに拾われ、レスラーの道を歩むことになる。


とまぁ彼のプロフィールを軽く紹介したが、もう正直やばい。
何がやばいって情緒がやばい。
もう私の中の何かが弾けそう。
推しがいる。
推しがっ、十数メートル先にいるっっっ。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいばいばいばいばいばいばばいばいばいばいばいばいばいッッ。
いかん。
推しの存在の圧に潰される。
わいが全ステータスをカンストまで育て上げた最愛の推しがあそこにおる。
無理ッッッ。

てな感じに私が情緒の荒波に呑まれそうになっている一方で、周りの空気はピリついていた。
マネージャー達は怯え、レスラーの大半は鬼ちー(さやかがつけたあだ名)を睨み、警戒している。
そういえば鬼ちーはゲキファイの世界では、悪役の部類に入るんだっけ。
一応、ストーリーモードでは主人公の朝原ひなたくんに負けて、ちょっと改心したようだったけど。
今この瞬間は改心前なのか改心後なのか、よくわからない。
まぁ改心していようがしてまいが、敵を作りやすいファイトスタイルは健在だから、どっちにしろこんな空気になるか。
てか、みんなの反応といいマジで生々しいな。
この夢。
これも私のゲキファイ愛が深過ぎる故か……。


「鬼塚ぁ……。あれだけのことをしておいて、よくここに顔出せたなぁ?」


ゲキファイのキャラ人気中堅どころの百地雄太が、不穏な空気むき出しで鬼ちーに絡み出す。
喧嘩っ早いと言えば、この人だ。
大抵百地くんが鬼ちーに真っ先に絡むんだよな。
で、そのせいか、この二人の組み合わせの二次創作がわりとあるっていうね。


「あ?」


えっ。


「何かしたか?」


う、うわあああああああああああああああああ!!!!!!?
鬼ちーのボイス!
生!!ボイス!!!
あ、夢だから生じゃないか。
でも!耳が!耳がどうにかなっちゃううぅぅぅ!!!
耳がああアァァーーーーーーッッ!!!!


「とぼけんな!よくも俺の後輩を……!」

「ああ、あのチビか……」


おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!


「弱すぎて忘れてたぜ」


ひいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!


「あっそ。じゃあ可愛い可愛い後輩ちゃんに伝えといてくれよ」


おごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごご!!!!!!!


「勝負を挑む相手はちゃあぁんと身の丈に合った相手を選べってな」


びゃあ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙ぁ゙あ゙あ゙ウマイッ!!!!!!!!!!!!


(はぁっ、はぁっ、はぁっ………!)


もはや百地くんの声なんぞ耳に入っていなかった。


鬼ちーが喋れば喋るほど、私の脳細胞が破壊されていく……。
なんか周りが騒いでるけど、よくわからん。
鬼ちーの声以外、音としてしか聞こえん。
むしろうるせぇ。
騒音だわ、もはや。


「ケッ、雑魚同士仲良しこよししとけよ」


あーこれは。
なるほど、この様子はあれですね。
ひなたくんが間に入って仲裁した感じですね。
実際ひなたくんが百地くんをなだめてるし。
となれば、鬼ちーの反応的にひなたくんと一戦交えた後かな?


「よし、皆集まったな!それでは一ヶ月に渡る強化合宿の説明を始める!!」


いいタイミングで会長らしきハゲのおっさんが、仕切り始めた。
みんながおっさんに注目する。
私は鬼ちーに注目した。
うだうだぐだぐだ小難しいことを言ってるおっさんの声をBGMに、私はレスラー達から少し離れたところにいる鬼ちーをひたすらに凝視する。


尊い。


その一言しか思い浮かばない。
え、私これから鬼ちーのお世話をするの?
何それボーナスタイムにも程があるじゃん。
もはや乙女ゲーじゃん。
夢とはいえ、これほどに僥倖なことがあっていいのだろうか。
否、いいのだ。
何故なら私は日々社畜として身を粉にして社会に貢献しているのだから。
これはきっと、私の頑張りを見ていてくれた神様がくれたプレゼントなんだ。
ならば、私は甘んじて受け取ろう。



こうして一ヶ月、私は全身全霊で鬼ちーのお世話をすることになったーーーーー。













わけなく。
あれから一週間経った今、私は施設の裏にある小汚いプレハブで生活をしていた。

何故かというと、一週間前……。
そう、あれはおっさんの説明が終わって解散した後のこと。
鬼ちーの忠実なる下僕ライフを堪能する前にと、私はとあることを思いついた。


(そういえば、氷山推し女でクソ性格悪くて嫌いなヤツいたな。せっかくの機会だし、そいつが血涙流して失禁するほど悔しがることしてやるか)


嫌いなヤツには好き好んで嫌がらせをする。
それをモットーに生きている私は、つい行動に出てしまった。


そう、私はみんなの目を盗んで氷山涼の部屋に忍び込み、下着姿になって彼のベッドを転げ回ったり、シャツを引っ張り出して彼シャツしたり、挙げ句には彼のボクサーパンツをかぶったのだ。

すっかり時間のことも忘れて。


そしたら、あらびっくり。
帰ってきた氷山くんと同室の志賀くん(氷山の幼馴染)に見られてしまったのだ。
あの時の二人の表情は今でも忘れられない。




その後のことは、もう想像にお任せする。
てか、こんな小汚いプレハブに追いやられてる時点で察してくれ。
私がどんな目に遭ったのか。
ちなみにプレハブに出るのは基本的に禁止。
用事があったらコールを鳴らすこと。
トイレはマネージャーや会長、或いはコーチの付き添いで行くこと。
食事は一日二食支給する。
風呂はマネージャーが持ってくるお湯で済ませ、と。
え、刑務所?
私、刑務所にいるの?
下手したら刑務所の方がまだマシまであるぞ。
とてもか弱い女の子一人にやる仕打ちじゃねぇ……。


「うおー!出せぇーーっ!!出さないとレスラー達のパンツと私のパンツをすり替えるぞーーーっっ!!?」


そう叫んで私はプレハブの窓を叩く。
返事なんてあるわけない。
今日は合同試合でみんな忙しいし、そもそもここらへんを通る人なんて滅多にいないのだから。
つまり、ただ言ってみただけである。


「ふー、しゃあねぇ。掃除でもすっか……」


この一週間、ほとんどの時間を一人で過ごしているから独り言も増えるもんだ。
「ちっ、やってられっかよ」「あーだりー」と文句を口にしながら、私は唯一の仕事であるプレハブの掃除を始める。
と、その時だった。


ガラッ!


「うぇ!!?」


突然、プレハブのドアが開いたのだ。
私は驚きのあまり変な声を出してしまう。
ついでに吐きそうになる。
驚きと困惑で汗がだらだらと流れる。
ここにはコールを鳴らさない限り誰も来ないはず。
一体誰が……。
ま、まさか……くま!?山だし!
てか、人間だったらさっきの後先考えてない発言を聞かれたんじゃ……!
そう思って焦りという焦りを全面に出して振り返ると、そこには……。


「おー、まだ息してたか」


鬼ちーがいた。


今、私が何言ってるのかわからねぇって思ってる人がいるかもしれない。
当然だ。
私もわからない。
今、視線の先にいる鬼ちーが本当に鬼ちーなのかも疑問だ。
もしかしたら、キツネかタヌキが化けて出てきたのかもしれない。
いや、そうだ。
絶対そうだ。
じゃないと、鬼ちーがこんな汚いプレハブに来るわけ


「おい、どうした?」

「ほッ……、っ、……!!?」


それは全身に電撃が走りきるような衝撃だった。
鬼ちーがいつの間にかプレハブの中にいて、私の顔を覗き込んできたのだ。
あまりの衝撃に私はほッとしか声が出せなかった。
鬼ちーが……鬼ちーが今……!目の前にいる……!
これは夢か、幻か。
………あ、そういえば夢だったわ。
そのことを思い出した私は、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「ぁ……あ……、なんでもなぃ……っす……」


でも多少冷静になったはずなのに、私の反応はコミュ障そのものだった。
鬼ちーが怪訝な顔をして私を見てる。
もう何も考えられない。


「……まぁいいや。ちょっとここ借りるぜ」

「ぇ……」


借りると言うなり、鬼ちーはずんずんと奥に進んで、私の寝床であるマットの上に転がった。
なんと、転がったのだ。
鬼ちーが、私のマットに。
あまりの衝撃に私は我を失いそうだった。
これは夢なのだろうか。
…………あ……夢だった……。


「お、鬼ち、じゃない!鬼塚くん!?な、え、んぉ、おぉお!!?」


もはや言語が形を成していない。
鬼ちーがまた怪訝な顔をしてこっちを見ていた。
もう何も考えられない(二回目)。


「……お前、大丈夫か?」


それは頭のことを聞いているのか、精神状態のことを聞いているのか。
その真実を知るのは鬼ちーだけ。
だが、確かなのは鬼ちーが私のことを心配してくれたってことだ。


「大丈夫だよ」


鬼ちーに余計な心配をかけさせたくない。
その一心で私は言葉を返した。
笑顔かつ爽やかなイイ声で。
だけど、鬼ちーはさっきよりも更に怪訝な顔をしていた。
一体どうしたのだろうか……。


「なんか……お前やっぱおかしいよな……」


おかしい?
私が?
何を言ってるんだ、この人は……。


「そんなことないと思うよ」

「そんなことあるだろ。今までの自分の言動振り返ってみろ」

「…………私って結構行動力あるなぁって思う」

「嘘だろ……?」


鬼ちー、それはどういう感情の声なの?
んーまぁでも確かにやり過ぎた感はあるかも。
夢だからって、いつの間にか無敵の人になってたのかもしれない。
鬼ちーの表情からして、なんだかドン引きしている様子だし……反省しないと。


「確かにちょっと浮かれ過ぎてたかもしれない」

「は……?お前浮かれたら、氷山の部屋ぶっしょくして下着かぶってここでわけわからん奇声発するのかよ?怖すぎだろ……」



怖い?
孤高のラフファイターである鬼ちーが、何弱気なことを……。


「鬼塚くんがこんな女子一人に恐怖するなんてちょっと失望したね」

「あ?俺どころか誰だって恐怖するわ」


え?
どういうこと?


「つまり……氷山くんやひ、あ、朝原くんですら恐れをなすの?私に?」

「なしてただろ、実際に」

「嘘でしょ……?こんなどこにでもいる普通の女の子に!?」

「お前みたいなんがどこにでもいたら、世界の秩序が崩壊するだろ」

「キミらレスラーでしょ!?」

「レスラーでもさすがに異常者は怖い」


………なるほど。
確かに冷静に考えてみれば、リアルの世界とゲキファイの世界では価値観や感性は違うのかもしれない。
それならば仕方ないと理解した私は、鬼ちーの発言を受け入れることにした。


「そっか、まぁそれなら仕方ないよね」

「仕方ないで済ますのか……」

「でもそれなら鬼ち……ごほんっ!お、鬼塚くんはなんでここに来たの?私が怖いんでしょ?」

「あー……まぁサボる場所には最適と思ってな」

「え、サボる?」

「雑魚共と乳繰り合ってられねぇんだよ」


……あ〜〜。
なるほど。
これはあれだな。
鬼ちーまた誰かとトラブったな?
で、居心地悪くて離脱したけど、ひなたくんや水町さん(ゲキファイ界のお兄さん的存在)や前田コーチ(鬼塚の恩師)が構ってくるから鬱陶しくてここまで逃げてきた、と。
鬼ちーを一途に愛してきた私にとって、鬼ちーの行動心理なんて手に取るようにわかった。


「そっか。まぁ存分にゆっくりしてくれたまえ」

「え……いや、咎めねぇのかよ?」

「だってサボりたいんでしょ?ここならコール鳴らさない限り人来ないし、心置きなく休めるよ」

「………やっぱお前、変だよな」


まぁ別にいいけど、とだけ言って鬼ちーはそのままマットの上で寝た。
しばらくして鬼ちーの寝息が聞こえてきた。
マジで寝るとは。
鬼ちー無防備過ぎぃ!!


(い、今のうちに撮っておくんだな……!)


すかさずスマホを取り出した私は、音なしフラッシュなしで鬼ちーの寝顔を激写した。
ああ、これが夢でなければ永久保存出来ていたのに……。
まぁ夢の中にいる間は、しっかり舐めるように見ておこう。


刻め、私の海馬に。



こうしてこの日をきっかけに、鬼ちーは度々私のところへ来るようになった。




「鬼塚くん、どうせだからトランプやろうよ」

「は?やらねーよ」

「そんなこと言わずにやろーや。兄さん付き合い悪いでホンマにぃ。頼むで〜?」

「お前誰だよ」


時にはプレハブにあるトランプやオセロで遊んだり。


「鬼塚くんってハンバーガーが好きだよね?マ●クとロッテ●アとモ●の中でどれが好き?」

「え……なんで俺の好物知ってんだよ……」

「えっ?まぁ………直感かなっ」

「こわ……、ないわ……」


時にはゲキファイFANBOOKで得た知識をうっかり披露して、鬼ちーにドン引きされたり。


「の、ののの乗っていいんすか……!?ほんっっとに乗っていいんすか!?」

「俺が乗れっつってんだからはよ乗れよ。あとその息遣いやめろ。キモい」

「ありがとうございます!ありがとうございます!!!(二重の意味で)」

「………言っとくが、妙なことしたらぶっ殺すからな」

「あぁいっ!!(返事)」


時には鬼ちーの筋トレのお手伝いをしたり。


「鬼塚くん、嫌いなヤツは一秒たりとも息して欲しくないって思わない?私は思う。嫌いなヤツには家を失い職を失い金を失い友を失い愛を失い、スラム街の路頭を彷徨ってうっかりヤクに手ぇ出して内蔵も脳みそもボロボロになって現実と妄想の狭間を死ぬまで彷徨って欲しい。ゴミロードの片隅で朽ち果てろ」

「こっちに話す余地を与えない勢いで喋んな」


時には何気ない会話をしたり。


「鬼塚くんって他の人には辛辣だけど前田コーチには当たりがちょっと柔らかいよね?やっぱり恩師兼お父さんみたいな存在だから?」

「あ゙?急に何言ってんだてめぇ、殺すぞ」

「好きか嫌いかと言われたら?」

「は?」

「前田コーチのこと好きですか?嫌いですか?」

「チッ……!嫌いに決まってんだろ、あんな中年クソオヤジ……!会う度会う度小言ばっか言いやがって……!!」

「鬼塚くん知ってる?好きの反対は無関心なんだって。つまり鬼塚くんは嫌いという感情を抱くほど前田コーチのことを意識しているわけでかつ好きと嫌いは表裏一体なわけで、つまり私が推測するに鬼塚くんの前田コーチへの感情は限りなく好き寄りの嫌い……」

「マジでわけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!!!」


時には言い争ったり……と。
私は鬼ちーとの時間を余すことなくで堪能した。






それから十何日か経って。



「お前メシそれだけかよ……!?」



ある日、珍しくお昼頃に私のお城(プレハブ)に来た鬼ちーが私の食卓を見て愕然としていた。
そういえば、ご飯時に顔合わせるのはこれが初めてだっけ。


「あ、うん。ここ(プレハブ)に来た時からそうだよ」

「いや、パン一個とみそ汁とたくあんだけって!ちょっとくだけた精進料理かよ!!」


思ったけど、鬼ちーってわりとツッコミのセンスがあるよね。
ボギャが豊富というか、ユニークというか。
なんか正直、鬼ちーというフィルターなしでも純粋に会話を楽しめてるわ。


「刑務所でもまだいいもん出してくれんぞ……!」

「まぁ……氷山財閥の坊ちゃんにあんな悪戯やらかしたわけだから、この仕打ちは妥当かと……」

「だからってこれはやり過ぎだろ……」


あれ?
もしかして鬼ちー、気にかけてくれてる?
んー……まぁ驚いただけかもしれないけど。
とりあえず……。


「悪いけど、いくら鬼塚くんでも分けてあげることは出来ないの。ごめんね……」

「は……?いらねーよ」


一日二食の貴重なごはん。
いくら最推しの鬼ちーでも半分こ(ハート)なんて出来なかった。
この食事は私の命綱でもあるから……。
鬼ちーにしてやれることが何もない。
その事実に私が嘆きを禁じ得なかった時だった。


「ん」

「え……?」


鬼ちーが持参してきたであろう弁当箱を開くなり、その中にある唐揚げや玉子焼きとかを私の貧相な食膳に移してくれた。
パン皿の上にある豪華なおかずに、私は呆然としてしまう。
一体これは……。


「食えよ」


私が聞く前に、鬼ちーがそう言ってきた。
え……、これ……。
食べて、いいの……?


「そ、そんないいよ。鬼塚くん、キミはレスラーなんだからしっかり食べないと……」

「あ?別に食う量が少し減ったぐらいどうってことねぇわ」

「そっかありがとう!鬼塚くんがそんなにそこまで言うなら遠慮なくもらうね!ありがとう!!」

「いや一言しか言ってないが」

「いただきまーす!!」


もはや豪華なおかずを前に建前も謙虚もなかった。
とにかく久しぶりのまともなおかずにありつきたくて、私は本能のままに貪った。
鬼ちーがちょっと引いた顔でこっちを見ている気がするが、まぁいい。
どうせ夢なのだから。


「うめ、うめ……っ」

「泣くほどのことかよ……」

「うぅ……鬼塚くん」

「なんだよ」

「本当にすっげーマジでありがとねぇ……。鬼塚くんが分けてくれた唐揚げに玉子焼き、ブロッコリーと人参の炒め物とか、めちゃめちゃ美味しいよぉ……。うめっ、うめっ」

「……そうかよ」

「今なら毒ガス訓練受けても悔いないっすわ」

「なんで急に毒ガス訓練?」


おっと、ゲキファイの世界には狂●郎2030ないのか?
元ネタがないのなら、私急にぶっ飛んだこと言ってるやべぇヤツになるやん。
まずい。
これだといよいよ鬼ちーにガチ引きされるのでは、と思っていたが。


「ほんと、おかしなヤツ」


およ?
思った以上にドン引きされなかった。
むしろ、なんか……ちょっと笑ってる?
こういう関連性皆無のぶっ飛びネタがツボなのかな。


「鬼塚くん」

「あ?」

「電車で立ってる老人に席譲ろうとしてすごい感じ悪く断られたらマ●ケンサンバだよね」

「何言ってんだマジで」


あ、真顔のガチトーンだ。
どうやらウケなかったみたいだ。


「いいから大人しく食えよ」

「あーいっ」


これ以上スベるのは精神的苦痛がエグいと判断した私は、素直に鬼ちーの言うことを聞いた。
いやぁしかし本当にうめぇ。
レスラーのみんなはいつもこんなうめぇメシ食ってんのか。
羨ましいねぇ。
てか、鬼ちーまた誰かとバチバチにやり合ってきたのかな。
なんかしれっと一緒に昼飯食べてるけど。
それか食堂で食べる気分じゃなかったのかな。
まぁいっか。
理由はなんであれ、メシは美味いし鬼ちーがいて美味しさ倍増だし、最高に幸せな気分だぜっ。


それからだ。
鬼ちーがよくここに食べ物を持ってくるようになったのは。
さすがの鬼ちーも私の貧困食生活を見て、哀れに思ったのだろう。
たまに持ってくる弁当のおかずを分けてくれるのはもちろん、余っていたからとおにぎりやサンドイッチ、時々果物やお菓子を持ってきてくれた。
あのレスリング界の鬼と呼ばれた鬼ちーに情けの心があったなんて……。
うれしいのぅ、うれしいのぅ(菓子を貪りながら)。
私はもちろんの如く鬼ちーの厚意を受け入れ、全力でお礼を言った。


「ありがとう!!!鬼塚くん!!ありがとうサンキュー!!!!キミの存在に圧倒的感謝ッッ!!!!!!」

「うるさっ!黙れよてめぇ!!」


怒られたから全力でお礼を言うのはやめた。



合宿が終わるまであと一週間となった。


「なぁ」

「ん?」

「お前、なんで帰らなかったんだよ?」

「え?」


毎度のように私のお城(プレハブ)に来た鬼ちーが、突然そんなことを聞いてきた。


「いや……例の一件の後、お前会長や他の連中から帰れ帰れ言われてたじゃねーか」

「あー、そういえばそうだったね」

「でも帰らなかったし、そのせいでこんな小汚ぇとこに押し込まれて受刑者以下の扱い受けてるってのに、なんで今の今まで帰らなかったんだよ?ここより家の方が断然いいだろ」

「ま〜〜、そうだけど……」

「………そんなに氷山から離れたくなかったのか?」

「………」


????


私は鬼ちーの言ってることがすぐに理解出来なかった。
一体そこで何故氷山涼が出てくるのか。
なんか鬼ちーの表情、心なしか暗い感じするし。
今度は氷山くんとバチバチになってんのか?
鬼ちーの質問の意図がいまいちわからないけど、とりあえず誤解は解いておくか。


「それはない」

「え」

「氷山くんがいるからここに残ってるとかまずないから。あり得ないから」

「は……?でも、お前……初日から氷山の部屋ぶっしょくして更には下着かぶってたじゃねぇか。それって氷山に余程興味ねぇと出来ねぇことだし、つまり、その……」

「あー、あれはね!氷山クラ……じゃなくて、氷山くんのファンにムカつく女がいてね!そいつの当てつけにやっただけ!」

「……………は?」


今度は鬼ちーが疑問の渦に呑まれている様子だった。
無理もない。
女同士の諍いを男が理解出来るわけないのだから。


「どういうことだ?」

「えーと、つまりはね。そのムカつく女が氷山くんの大ファンだから、そいつが悔しくて血涙を流してストレスの余り胃に穴が空くほどのことをしてやろーって思ってやったことなの。わかった?」

「………。……行動原理がマジでわかんねぇけど、とりあえずただひたすら氷山が被害者じゃねぇか」

「ご名答」

「ご名答じゃねーよ。お前氷山が訴えたら一秒も待たずして勝訴する勢いの動機をほざいてんだからな?」


うん……正直、氷山くんにはわりと真面目にすまんかったって思っている。
けど、キャラ達ほぼ全員に嫌われたし、こんな仕打ちを受けてるからどっちもどっちってことで私の中では完結している。


「まぁそういうことだから、私は別に氷山くん目当てでここにいるわけではないんで」

「?、じゃあますます帰らなかった理由がわからねぇんだが。氷山目当てじゃなかったら、なんでお前はこんな目に遭ってまでもここに居座ってんだよ?」

「んー」


この時、私はもはや鬼ちーに慣れていた。
慣れ過ぎていたのだ。
だから。



「キミがいるから、かな?」



こんな小っ恥ずかしいセリフを平然と吐いてしまったのだ。
その場が静かになる。
鬼ちーはぽかんとした顔で私を見ている。
我ながら恥もクソもないセリフを吐いてしまったが、まぁ所詮夢だ。
この際、言いたいことを言いまくろう。


「実はというと私、キミのこと大分前から(ゲームで)知っててね。まぁ初めはデケ〜、こえ〜としか思ってなかったけどキミのファイトを見た瞬間、胸にずきゅんと貫かれたような衝撃を感じてね。あの潔いほどの容赦なさがイイというか、決して誰にも手加減しないファイトぶりがイイというか」


鬼ちーが何も言ってこないのをいいことに、私はべらべらと喋る。


「しかもセンスもテクニックもあるから技とか芸術的なんだよね〜。やってることは結構凄惨なのに、不思議と感動しちゃうのよ。鬼塚くんの戦いぶりは。外見や素行からしてどう見てもゴリ押しパワータイプなのに、頭脳・技巧派ってのもまたギャップを感じてたまらなくなったし、技の難しさと頭の回転具合からその裏でとてつもなく努力してるんだろうなーって思ったらもう推すしかないってなってね。うん。やっぱ、つえー男は魅力的よ。つえーと言っても鬼塚くんの場合は、レスリングの実力とかだけでなくて中身もつえーんだよね。己の信念を曲げないよね、絶対に。大抵の人はひな……じゃない朝原くんとファイトして負けたら牙が抜けたように丸くなるけど、鬼塚くんはあんま変わってないよね。ちょこっと丸くなったかもしれないけど、未だに牙は健在というか尖っているというか。そういうところも自分を貫いててカッチョいい〜!って思うんだよね。そこに痺れる憧れるみたいな。それで」

「もういい」


鬼ちーの制止に私は素直に応じて黙った。
ちょっと長くなり過ぎたかな?
そう思って申し訳なさそうに鬼チーを見た。
すると、鬼ちーは怒ってるのか引いてるのかよくわからない表情をしてうつ向いていた。
しかも顔を真っ赤にして。
あれ?
もしかして鬼ちーキレてる?
私がそう思った頃には既に遅かった。


「帰る」

「え」


鬼ちーはそれだけ言って立ち上がった。
いつもの鬼ちーなら、怒ったらまぁまぁ罵詈雑言ぶちかましてくるのに。
これはガチで起こらせてしまったのか。
と、考えている間に、鬼ちーはドアへ向かっていた。
私は焦って、慌てて鬼ちーを呼び止めた。


「ちょ、ちょちょちょ!待って鬼塚くん!帰るってまだ来たばかり……!」

「うるせーー!!来んじゃねぇよ!!!」


鬼ちーはそう怒鳴るなり勢いよくドアを開けて、走り去って行った。
どうして。
私は何も考えれず、小さくなっていく鬼ちーの背中を見送ることしか出来なかった……。






あれから鬼ちーがプレハブに来ることはなかった。


今でも私は自問する。
何がいけなかったのか。
鬼ちーへの気持ちを躊躇いなく言ったのがいけなかったのか。
それともオタク特有の早口がキモすぎて無理となったのか……。
どちらにせよ、今日で合宿は終わりだ。
結局、最後まで鬼ちーと話すことなかったな……。
まぁ……いいけどね。
元々、鬼ちーは遠い存在だったし。
立場的にも、物理的にも、次元的にも。
むしろ、ああやってお話出来ただけでも奇跡ではないか。
だから、いいんだ。これで。
鬼ちーはいつものように圧倒的強さで弱者を蹂躙して、私はそんな鬼ちーを応援する。
遠くから見る。
離れたところで見守る。

画面越しで、鬼ちーの動き一つ一つに、言葉一つ一つに、喜び、悶える。

そう、前に戻るだけなんだ。
所詮、これは夢。
どこにも残ることのない夢なんだ。
だから、別に……。
………。
……………。
…………でも。



(楽しかったなぁ……鬼塚くんと話すの)



自然と、意識することもなく、心の中でその言葉がぽろっと出てきた。
そして、その言葉を皮切りに、次々と私の本音があふれ出た。


(なんかなぁ……もう推しだからとかそういうの関係なく、純粋に楽しかったんだよな……)


私は荷物をまとめながら、ここで過ごした鬼塚くんとの時間を思い出す。


(鬼塚くんの返しが上手いのもあるけど、何よりもすごく気が楽だったというか、自分を出せていたというか……)


なんて言えばいいのかな。
なんか……すごく、


「居心地よかったな……」


無意識に声が出ていた。
そして、気づかされた。
自分が鬼塚くんのことを推しとかそういうのではなく、一人の人間として、鬼塚庄司という個の存在として好きになっていたことを。
いつの間にか。
ああ、もう。
このタイミングで気づくなんて。
もうどうしようもないじゃん。
終わりじゃん。
私だけ送迎バスに乗るの禁止で、家族が(謝罪を兼ねて)迎えに来るから、みんなより早く帰るし……。
………まぁでも。

夢だからね。

夢に必死になるなんてバカらしいよ。
うん、バカらしい。
すぐ跡形もなく消えることなのに。
……あ〜〜でもでも。
やっぱさぁ。


「楽しい時間をありがとう、って……言いたかったな……」


せめて、それくらいは。

夢であっても。


目頭が熱い。
あれ、もしかして私泣いてる?
嘘でしょ?
夢なのに。
いや。
夢だからこそ、いっか。
思いっきり泣こうか。
と、止めどなく流れる涙と鼻水を拭うことなく、ひぃひぃ泣きながら荷物をまとめていた……その時だった。



「おい」


「!?」


後ろから声がした。
その声はよく知ってる声だった。
ここでよく聞いた声。
まさか、いや、絶対間違えるわけない。
この声はーーーーー。


「お前……何泣いてんだよ……?」


鬼塚くん。


鬼塚くんだった。
振り返るとそこには鬼塚くんがいた。
いつの間に入ってきたのかわからない。
けど、確かに彼はそこにいた。


「お゙に゙づがぐん゙……」

「声やば。マジでどうしたんだよ」


そう言って鬼塚くんは私の近くに来ると、しゃがみ込んできた。
そういえば、いつからか私と話す時はこうやって目線を合わせてくれるようになったんだっけ。


「ゔぇ゙っ……ゔえ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぇ゙ん゙!!」

「おいおい、大丈夫かよ……!?」


鬼塚くんがまたここに来てくれたことに、戸惑いや疑問やら嬉しさやらで感情がぐっちゃぐっちゃになってしまう。
しかも心配してくれてるから余計に。


「ほら、これで顔拭けよ」

「ゔぅ゙ゔ……だっで、だっでぇ……」

「なんだよ」

「鬼塚くんがっ、あれからずっとここに来てくれなかったからぁああ!!」

「!」


私はありのままの本音を言う。
隠す必要もないから。


「わ、私の鬼塚くんの語り具合に、ひっく、ドン引きしたのかもしれないけど……っ、でも、嫌なら嫌って一言言ってくれてもいいじゃん!直接嫌いって言われるより、わけわかんないままフェードアウトされる方がつらいよ!」

「………いや……」

「いつもみたいにドギツイことはっきり言ってくれたらずっぱり諦めていたのに!おかげで鬼塚くんが来なくなった理由ずっと考えてたよ!ずっとずっと!考えるたびに悲しかったよ!寂しかったよ!」

「……!」

「ぐすっ……私がやらかしたことだから仕方ないけど……、どうしようもないけど……。でも、せめて最後にこれだけ言わせて……」


一頻り本音をぶちまけた私は、深呼吸をする。
そして、鬼塚くんを真っ直ぐ見つめて、言った。



「鬼塚くん……。楽しい時間を……ありがとう」



鬼塚くんは驚いた顔をしていた。
私の言葉に鬼塚くんが何を感じたのかはわからないが、それを言った瞬間、私の胸は一気に軽くなった。
言った。
言えた。
鬼塚くんに。
これで、満足だ。
悔いはない。


「………へへっ。よかった、言えて。これだけは伝えたかったの」

「………」

「で、鬼塚くんは何しに来たのかな?もしかして忘れ物でもあった?それとも……」

「……勝手に最後にしてんじゃねぇよ……」

「え……?」


無意識に言ったのだろうか。
鬼塚くんはハッとしたような顔をすると、今度はばつが悪そうに私から顔を背けた。


「あー……その、悪かったな。急に来なくなって……」


そして、まさかの謝罪をしてきた。
なんで?
不快な思いをさせたのは私なのに。


「でもよぉ、あそこまで言われたらさすがに耐えれねぇっつーか……。もうどうすればいいのか、わかんなくてよぉ。お前の顔まともにみれるわけねぇし……」


それは……キモすぎて、ってことだよね……?
でもなんでキモいと思ってんのに、鬼塚くん照れてる感じなの……?
キモすぎの限界突破して情緒がおかしくなっちゃった……?


「ちょっと……時間が欲しかったんだよ。お前とちゃんと目ぇ合わせて話したかったから……」


それってつまり、私の目をしっかり見てキモいって伝えたかったってこと……?
そんな………。
そんな誠実な罵倒ってある……?


「………楽しかった」


楽しかった?
私を真っ直ぐ見つめて罵倒するのを想像するのが?
S過ぎる……。
S過ぎるよ、鬼塚くん……。
でもそこが………。


「俺も。お前との時間が」


………。


あぇ?


「最初はよ、いいサボり場が見つかったとしか思ってなかったんだ……。大半のヤツはお前を怖がってここに近寄ろうともしねぇから……」


呆然としている私をよそに、鬼塚くんは話し出す。


「もしお前が妙なことしてきたら、スピニング・ジャーマンやればいいと思ってたし」


こわ。
死ぬで、わい。


「けどよ。ここに通うにつれてお前との関わりが、その、生活の一部になったっつーか……。お前とのわけわかんねぇ会話がねぇと物足りねぇっつーか……」


鬼塚くんがもごもごと何か言っている。
聞き取りづらいが、とりあえず悪口でないことはわかる。


「と、とにかく、これ!!」

「えっ」


今度はやけくそ気味に言ってきたかと思えば、鬼塚くんは私に折りたたまれた小さな紙を突き出してきた。


「え、何……?」

「いいから受け取れよ……」


戸惑いながらも、私は鬼塚くんに言われるがまま紙を受け取る。
まさかこれに、本音という名の罵詈雑言がびっっしり書かれているのでは。
そう思って覚悟しながら開くと、そこに書かれていたのは………


鬼塚くんの連絡先だった。


「え……」


私はまたもや呆然とする。


「……ここで終わりにしたくねぇから」


しばらくして、鬼塚くんがぶっきらぼうに言い出す。


「これからも……たまに会えたらいいなって……、思って……」


またもやもごもごと小さな声。
でも、今度は。
確かに、しっかりと、私の耳に届いた。


私の目から涙があふれる。
さっきとは違う、温かい涙が。
私が鬼塚くんをどう思っているのか。
そして、鬼塚くんが私をどう思っているのか。
わかった今、返事は決まっている。
私は口を開く。
彼に私の気持ちを伝えるために。



……え。

あれ?

声が、出ない?

あれ?あれれ?

口が、動かない。

てか、なんか……視界が暗くなっていってんだけど。

感覚も……なくなっているような……。

意識が………。

……………あ……、鬼ちー……。

笑ってる……。

嬉しそう……。

……よくわかんないけど……。

鬼ちーが笑ってるなら……、よかった………。






***




「ふぉう!?」


朝日の柔らかな光が差す部屋で、私は勢いよく起き上がった。
窓の外からは小鳥の囀りが聞こえる。
頭がボ〜ッとする。
なんか今まで違うところにいたような……。
いまいち思考が働かず、私はただひたすら前を見る。
特に意味もなく。


「………あー、朝か」


しばらくして、私は理解する。
否、正確には目が覚める。
ここは私の部屋でこれから仕事に行く準備をしないといけない、と。
私は大きな欠伸をしながら、ベッドから降りる。
なんだかものすごく濃い夢を見た気がする。
なんかゲキファイキャラが出ていたような……。
でもいまいち思い出せない。
ゲキファイの夢なんて最高にも程があるというのに。


(くそー、鬼ちーの夢なら絶ッッ対覚えていたいのにー!!)


私の記憶細胞のゴミカス!
と、己の記憶力を貶しながら、私はいつもの調子でいつもどおりの日常に足を踏み入れた。





その日の夜。

いつものように仕事から帰って。
いつものように風呂に入って飯を食って。
いつものように貴重な自由時間でゲームをする………はずだった。

私はゲームをする前にSNSを見て愕然とした。
トレンドは『鬼塚庄司』『ゲキファイ一枚絵』。
公式が公開した朝原ひなたくんと氷山涼くんがメインの一枚絵に、今ゲキファイの界隈は騒然としていた。
何故なら、外でお出かけ中であろうひなたくんと氷山くんの後ろに………。



見知らぬ女の子と歩いている鬼ちーがいたからだ。



わりと小さめだが、間違いない。
これは鬼ちーだ。
そして隣にいる女の子は誰!!?
そんなキャラいた!?

衝撃の一枚絵に戸惑いつつ、鬼塚クラスタの様子はどうなのかと見てみた。
案の定、阿鼻叫喚状態だった。


『なんか信じられないもんが映ってんだけど』

『鬼ちゃんの隣にいるヤツ、何?』

『鬼塚に女がいる設定あった?』

『スタッフの暴走やめて欲しいんだけど』

『鬼塚くんに彼女とかあり得ない』

『鬼塚には朝原と前田コーチがいるんで、この女が鬼塚ファミリーに入る余地はありませーん』

『ぽっと出にも程があるでしょ』

『え〜今後出るのかなぁ。出たらゲキファイから離れよっかなぁ』

『そもそもゲキファイは男同士の熱き格ゲーなんだから、女いらんでしょ』

『おにしょーが女にうつつ抜かすとか地雷過ぎる。お前は戦いに生きて戦いに死ぬ男だろ』


おーすげぇ……。
燃えとる燃えとる……。
見てるこっちが、引くくらいに……。
………。
…………。
なんだろうか。
私も“そっち”側のはずなのに。
ここまで過激ではなくても「鬼塚ぁーー!お前一匹狼じゃな゙がっだの゙がよ゙ぉ゙お゙お゙お゙お゙!!!?(藤原●也風)」「ぞの゙女誰だよ゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙!!?!?(略)」って文句の一つや二つ言っていたはず。
けど、なんでだろう。
妙にしっくりとくるというか……。
納得いくというか……。
………何よりも。


(幸せそう……)


女の子の隣にいる鬼ちーが本当にいい笑顔で。
女の子と一緒にいるのが本当に楽しいんだろうなってのが、表情から雰囲気からと伝わってきて。
だから。
なんつーか。


(よかったね)


その言葉が、自然と出てきた。
私は地獄と化しているSNSを閉じて、軽く伸びをする。
まぁ誰しも推しに対して理想はあるし、見たくない知りたくない部分もあるだろうけど。


まっ。推しが幸せそうに笑ってんなら、それでいいじゃん。


(むしろ鬼ちーのあの笑顔を見て不満に感じるヤツは、鬼ちーへの愛が足りないのでは?)


なーんてSNSに書いたら100パー噛みつかれるので、私の意見は私の胸に留めておく。


「さーて、ゲームゲームっと。今日こそは私の完全無欠鬼ちーで隠れ最強キャラの神宮寺青龍を倒してみせっぞ〜」


私はスマホをベッドに投げて、ゲーム機に飛びつく。
まぁ鬼ちーに女がいようが男がいようが、どうだっていいことなのだ。
私は純粋に戦ってる彼が好きなのだから。
戦ってる彼の姿に心を奪われたのだから。
だから……。


(もしまたゲキファイの夢を見ることありましたら、鬼ちーの敵になってますように。映画に出てくるような倒すべき強敵になってますように。思わぬ強敵に傷だらけになりながらも決して弱いところは見せずに暴言吐きながら気丈に立ち向かっていく鬼ちーを見てえぇぇ!神様お願いしますお願いします!今度はぜっってぇ忘れないので!どうかその最高ドリームをお願いしますお願いしますお願いします!!)


と、ガンギマリに願ったその日の夜に見た夢は、飼い犬のタロに小便かけられる夢だった。
クソが。
やっぱ神なんていねぇ。
信じられるのは己のみだ。

ちなみに例の一枚絵は翌日に削除されて、新しく描き直されたのが再アップされたらしい。
鬼ちーと女の子がいたところには、見知らぬモブカップルがいた。
そして今回の一枚絵を描いたイラストレーターさん曰く、その鬼ちーと女の子の部分は描いた記憶がない上に、アップロードした際も二人の姿はなかったらしい。
なんという怖いお話。
そりゃあ炎上しようがしまいが、気味悪くて描き直すわな。
でも鬼ちーのあの笑顔は本当に素敵だと思ったけど。
で、今や例の一枚絵はゲキファイファンに限らず、オカルト好きとか考察系とか色々と広い範囲で語られているらしい。
どうでもいいから詳細は知らんけど。
とにかく私は鬼ちーという推しを糧に、今日も元気に生きて社畜るぞー!
がはははーー!!





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