崩落編
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タルタロスの上からシルバーナ大陸が見え始めたのと同じくらいの頃にはらはらと降りだした雪は、ケテルブルク港に着く頃にはもうはらはらどころではない勢いに変わっていた。船窓から見えるケテルブルク港の景色は地面も建物も雪で白く塗りつぶされていて、忙しなく働くどこかの船の乗組員も観光で訪れたらしき貴族も、皆一様にもこもこの暖かそうなコートを身に纏っている。雪国だ。積雪なんてほとんどないような地域で生まれ育ったわたしはこんなにたくさんの雪を見るのなんて中学校三年生のときのスキー合宿以来で、じわじわとテンションが上がりつつあった。そわそわする。足跡、つけたい。
「失礼。旅券と船籍を確認したい」
「私はマルクト軍第三師団所属ジェイド・カーティス大佐だ」
「し……失礼いたしました。しかし大佐はアクゼリュスで……」
港の駐屯兵、ここはマルクト領だから当然マルクト軍の鎧を着た兵士がわたしたちを呼び止める。あんなに大きな軍艦から降りてきたのが性別も年齢も所属も一切統一性がない数人であれば怪しむのも当然だろう、まして今は両国間が一触即発の雰囲気だし。
「それについては極秘事項だ。任務遂行中、船の機関部が故障したので立ち寄った。事情説明は知事のオズボーン子爵へ行う。艦内の臨検は自由にして構わない」
「了解しました。街までご案内しましょうか?」
「いや、結構だ。私はここ出身なのでな。地理はわかっている」
敬語じゃないジェイドさんってレアだ。かっこいい。これがギャップ萌えというやつなんだろうか。普通、というかわたしの基準だったら、仕事で関わる相手には敬語、仲間や友達にはため口で話すと思うけど、ジェイドさんは敬語のほうが素なのかな。幼馴染のディストさんにも敬語だった。…あ、でもデオ峠でリグレットさんに怒ったときは敬語が外れてたような。じゃあやっぱり慌てたときとか、ぽろっと常語になっちゃうことがあったりして……そんなジェイドさん、なんだか少しまぬけでかわいいかもしれない。
「ハナ、聞いていましたか?」
「…ほっ!?」
「話。聞いていましたか?」
「…き、きいてました」
「そうですか。では今から我々がすることは?」
「…………………」
「街まで行って、知事に会いに行くんですよ」
「はい……」
「聞くべきときはきちんと聞く姿勢をとるように」
「すみません……」
関係ないことに現を抜かしていたのをばっちり見透かしたジェイドさんに叱られてしまった。すぐ考えが逸れたりひとつのことで頭がいっぱいになってしまうのはわたしのよくないところの一つで、だけどなかなか直らない。反省しつつ項垂れてしまうと、頭におおきな手のひらが乗った。「一応あなたもこの中では年長に入るのだから、しっかりしてもらわないと。お子様が増えるとガイが過労死してしまいますよ」、やれやれと言いたげに手のひらが跳ねる。
「しゃきっと頼みますよ〜。しゃきっと」
「…はあい。ごめんなさい。シャキ」
「口で言ってもしょうがねえだろ」
「過労死するのは俺なんだな…」
もともと体温が低いのか丈夫な手袋越しに熱は少しも伝わってこないのに、ジェイドさんの手は不思議と落ち着くのはどうしてだろう。ちょっと沈みかけた気持ちがまたふわふわ浮き上がる。真面目にお叱りを受けた先程と一転して今のやり取りは完全にいつものおふざけみたいな雰囲気に変わっていて、茶化すような言い方に乗っかってわたしも大げさに背筋を伸ばしてみるとすかさずルークのつっこみが入った。このメンバーで旅が始まってから、ルークのつっこみスキルはどんどん上がっている。その傍らでガイが納得いかない様子の苦笑を漏らしたけど、確かにお子様(たぶんわたしとルークとアニス、場合によってはナタリア)のお守りをして疲れ果てるのは間違いなくガイだろうからそこは諦めるべきだと思う。頑張ってほしい。
反省からまた思考があさってのほうに行ったのが伝わったのか、頭上に置かれたままの手につむじを思いきり押し込まれた。ぐええ。
「終わりの安らぎを与えよー!!!」
フレイムバースト!フレイムバースト!めらめら。
どこもかしこも雪だらけな大陸のせいか第五音素が薄いような気がしないでもない中で、自分の体内から無理やりそれをひねり出して炎の譜術を連発する。アクゼリュスの時は出力など無理をしすぎたのか頭痛やら何やら起きてしまったけど、普通に使うぶんには問題なく、いつでも安定した威力の術が出せるのは便利だと思えるほどにはこの体質と付き合うことにも慣れた。襲ってきた魔物の尻尾の先に脅かすように火をつけてやれば文字通り尻尾を巻いて逃げていくので、よしよし、しばらく街道に現れないでくれよ…と思いながらついでにちゃっかり自分も暖を取る。コートがあっても薄っぺらなタイツ一枚の脚は寒い。
港から街までの街道はそこそこに長く、雪を捌けたりだとか、あまり整備らしい整備はされていなかった。最初はふかふかさらさらの雪にはしゃいでルークやアニスに雪玉をぶつけたりしたものの(しこたま怒られた)手が悴んでしまってすぐにやめ、それからは視界を地味に遮る降雪にまみれながら、ぼんやりと見えるケテルブルクの明かりを目指してひたすら歩く。雪に足を埋め、時折遅い来る魔物を退けながら。こんなことってあるだろうか。ケテルブルク、観光地なんだよね?観光客にこんな苦行を強いるマルクト恐るべし…と思いかけるも、港にはちゃんと雪道に適したような乗り物があったのを思い出した。ああ、観光客はあれを使うんだな。なんでわたしたちは使わないんだろう。こっちにも導師と姫と貴族と大佐がいるのに…。
「風も冷たいね〜、イオンは大丈夫?」
「はい、僕は平気です。ハナは寒いのは苦手ですか?」
「うーん、どっちかといえば得意じゃないのかも。雪はきれいだけどね…うわ、ぺ、髪の毛口の中入った」
「あるある」
「結べばいいのに。前まで留めてたよな?なんかあの、髪留めで」
「バレッタね。…あれ壊れちゃったの。新しいのを買うにもそんな暇もなかったし、思い入れのあるものだから…。もういっそ短くしちゃおうかなあ。旅に出てからは前髪揃えるくらいしかしてないし、随分伸びちゃった」
「あら、そしたら私とおそろいになりますわね」
ふむ、ナタリアとおそろいか…そう考えると、切るのもなかなかどうして魅力的かもしれない。この世界に来たばかりのときはまだ肩口あたりにあった毛先は、鎖骨を越えて胸のあたりまで伸びてきていて、もともと量が多めなそれは髪留めを失って鬱陶しく広がっていた。指で毛先をくるくる弄ってみる。あ、枝毛。
ポケットの中に手を突っ込んで、入れっぱなしの壊れたバレッタにそっと触れた。何度確かめても歪んでるし、欠けてる。寂しいけどもうつけられないんだし、いっそ留めなくてもいい長さまで切るのもありだなあ。
「ハナさえよければ、私が揃えてあげましょうか?」
「ティア、髪の毛切れるの?」
「ええ。本業にしている人ほど上手くはないけれど…」
するとルークの背負う道具袋がもぞもぞ動いて、「ご主人様の髪もティアさんが整えてたですの!」と聞こえてきた。えっそうなんだ!?ティアすごい。そしてこの二人で髪を切ってあげるシチュエーションってなんかいいな、距離が近そうで。思わず頬を緩めてしまうと、同じことを思ったのかガイとジェイドさんとアニスもにやにや顔を一斉にルークに向けた。弟の成長を喜ばしく思う兄の顔といじり倒す気まんまんの野次馬の顔だ。いつもの。
それに顔を真っ赤にしたルークが「おまえは何余計なこと言ってんだよ!」と道具袋を強めに揺すり、ごめんなさいですの〜と道具袋が泣いて、そういう話にちょっと鈍いティアが「…そう、余計なことなのね」とへそを曲げかける。そうしているうちにケテルブルクの街並みがはっきりと見えてくるようになった。街の入り口はすぐそこだ。個人的にはオールドラントの街の中でもお気に入りで訪れるのが楽しみだった、けれどジェイドさんにとってはいい思い出ばかりではない街。いろんな気持ちが混ざって、どきどき、鼓動が早まった気がした。
もう散々言っているけれど、シルバーナ大陸は寒い。緯度は同じくらいなのにグランコクマとは気温も気候も全然違うのがオールドラントという星の不思議なところの一つだ。緯度以外に何が違うんだろう。シルフリデーカンからレムデーカンの間グランコクマで雪が降ることは一度もなかったのに、シャドウデーカンの半ばが近づいてもここは雪がうず高く積もって、まるで真冬の北海道みたいだ。真冬どころか北海道にすら行ったことないけど。ケテルブルクの街もそれは変わらず、雪は多いし息は白いし鼻水は出る、それでも町の住人や観光客が多く行き交う、まるで物語の中のような(あながち間違ってはいない)可愛らしい街並みは寒さを忘れそうなほど胸踊るものがあった。
ジェイドさんもディストさんもここで生まれ育ったんだなあ。ディストさんは今でも鼻たれなんて言われているけど、わたしよりもずっとずっと大人なジェイドさんにも子供時代があったのかと思うと不思議な感じがする。めちゃくちゃ顔かわいかったんだろうなあ、見てみたい。ネフリーさんやビオニー陛下あたり写真とか持ってないかな。
ちらとジェイドさんの表情を盗み見る。雪道でもさくさく歩を進めるジェイドさんは全くのいつもどおりだ。内心を表に出すほうが稀なひとだけど、ここに来ることになったときは微妙な反応をしていた。この街にいると、昔を思い出したりもするんだろうか。ネビリムさん…ジェイドさんの先生だった人、世界で最初の生物レプリカの被検体になって亡くなってしまった人、幼馴染のジェイドさんとディストさんが道を違えるきっかけになってしまった人。たぶん、ジェイドさんの心の、一番やわらかい部分に居続けているひと。とてもデリケートな話題であろうそれを自分に打ち明けてもらえないだろうかと、そんな勝手なことを思ってしまうのは、きっとジェイドさんがわたしの秘密を受け入れてくれたからだ。同じように頼ってほしいだなんて、とんだエゴだと思う。わたしにはルークじゃないから、ジェイドさんの力になれるかもわからないのに。
「……お兄さん!?」
「お兄さん!?え!?マジ!?」
「やあ、ネフリー。久しぶりですね。あなたの結婚式以来ですか?」
閑静な住宅街に立ち並ぶ家々の中でも一際大きな家のひとつ、オズボーン知事邸の執務室にいたケテルブルク知事のネフリーさんは、突然お邪魔したわたしたちを見るなり、正確にはジェイドさんの姿を見るなり目を丸くした。いつも自分たちを揶揄う嫌味な大佐がお兄さんと呼ばれ、本人も慣れたように気さくに話しだしたことにわたし以外のみんなも驚き、その気持ちをルークがまとめて代弁する。確かに二人とも外見はよく似ているけど、ジェイドさんに妹がいるのが意外なのはみんなの共通認識だったらしい。わたしも最初に知ったときは結構驚いたなあ。
ジェイドさんがアクゼリュス崩落に巻き込まれて亡くなったと聞かされていたのであろうネフリーさんは、これまでのわたしたちの経緯を聞き終わると「なんだか途方もない話だわ」と気を落ち着けるように溜息をひとつ溢した。
「とにかく、無事で何よりだわ。タルタロスはこちらで点検させるから、補給が済み次第、ピオニー様にお会いしてね。とても心配しておられたわ」
「おや、私は死んだと思われているのでは」
「お兄さんが生きてると信じていたのは、ピオニー様だけよ」
当事者以外の人たちからしたら、アクゼリュスにいた人々は皆死んでしまったのだと思うほうが普通なのだろう。わたしだってきっと傍から見ていたら生存者がいるなんて思わないと思う。それだけの災害だった。それでもピオニー陛下だけは諦めていなかったなんて、かれにとってジェイドさんは余程信頼しているか、失いたくない存在なんだろうな。
もし崩落のあのとき、あの場にティアがいなかったら。陛下の信頼どおりジェイドさんは生き延びたんだろうかと、今更意味のないたらればを思った。