崩落編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
先程までジェイドの胸で子供のように泣いていた少女は、いつの間にかすうすうと静かな寝息をたてていた。幼く見られる外見を気にしているようだが、こういったところからも幼さを醸してしまっているのを本人は気づいていないのだろう。
「異世界、地球、物語…ねぇ」
随分と追い詰められた様子の彼女が涙ながらに明かした真実は、ジェイドの予想を遥かに超えていた。キムラスカからの間者にしてはあまりに隙だらけであるし、どう見ても一般人でありながらも謎の多い彼女に最初から違和感はあった。それがまさか、蓋を開けてみれば突如こちらの世界にやって来た異世界人でしたとは思いもするまい。
泣き腫らした顔の少女を寝台に横たえる。余分な筋肉なんてこれっぽっちもついていない、握ったら折れてしまいそうな細い腕。こんな頼りない体たったひとつであれほどの重い真実を背負っていたというのだから、彼女を責められるわけもない。死霊使いだの冷血だのと恐れられるジェイドも、そう思える程の人としての感覚は持っていた。
「(本人は責めて欲しかったようですが)」
ジェイドは、花の言葉をまだ完全に信用しきったわけではない。だが、否定もしていない。ジェイドがこれまで特に感じてきた彼女の不審な点―――見たことのない文字、医者にまで記憶喪失と思われるほどの世間知らず、フーブラス川やカイツールでの行動、六神将との接触、特異な体質―――も、"異世界から来て" "未来を知っていた"なら一応の説明がつくし、バチカル城やケセドニアでの彼女との会話とも繋がる。信じられないような話でも否定材料がなければ否定せず検証する、それが科学者でもあるジェイドの考え方だった。
未来の記憶。それがもし本当だとすれば、それは預言に匹敵するものになり得る。そのとき自分はどうするだろうか、とジェイドは思惟する。利用するために国で飼い殺しにするか、はたまた敵の手に渡る前にさっさと殺してしまうか。軍人として当然思い至る選択肢であるのに、ジェイドは無意識にそれを想像するのを躊躇った。
不思議と付き合いの続くこの少女に抱く感情が以前とは変わりつつあることに、ジェイドは未だ気づいていなかった。
✱✱✱
「ハナ、起きて!」
「………んぅ………ん〜……」
「も〜、寝ぼけてないでよ」
ゆっさゆっさとまるで遠慮のない勢いで体を揺すられて目が覚めた。顔の上からぺちゃりと何かが落ちる。頭がぼーっとして、というか痛い。あれ、わたしいつの間に寝てた?
「もうユリアシティに着くって」
「…………ああ、そっか…起こしてくれてありがとう、アニス」
「…ハナ、泣いたの?」
寝起きの頭をなんとか覚醒させて、起こしに来てくれたアニスにお礼を言いながら、寝落ちる前のことを思い出そうとする。ジェイドさんと話していて…それで泣いちゃって…まさか、そのまま寝た?うわあ、それはなんとも…迷惑な…。アニスに指摘されるということは、泣いた痕でも残ってしまっているのだろうか。そういえば先程顔から落ちたものは何だったのだろうと視線を落とすと、あったのは温くなりかけの濡れタオルで。
「……ちょっとだけね。全然大丈夫だよ」
「…いきなりこんなことになっちゃったんだもん、しょうがないよ。はいこれ、お水」
「わあ、ありがとう。からからだったの。さすがアニス、細かいところまで気が利くなあ」
「私じゃないよ。大佐が持ってけって」
ジェイドさんが?ぽかんと両手に持ったコップを見つめる。…気にかけてくれたのかな。このタオルだってきっとジェイドさんだ。どこまで優しい人なんだろうか。この世界で会って話すようになってから、彼の印象はどんどん変わっていく。
コップに口をつけてごくりと飲み干せば、心なしか頭痛が少し治まったような気がした。
「大佐と何かあったの?」と尋ねてくるアニスには少し迷って首を振る。さっきのことは、まだわたしの胸の内に留めておきたい。
たくさん泣いて感情を吐き出したからか、なんだか少し気持ちがすっきりした。立ち上がって、いつの間にかベッドの脇に置いてあったかばんとワンドを持つ。壊れたバレッタはポケットの中に。…前に、進まなきゃ。
✱✱✱
ユリアシティという街は、なんとも不思議なところだった。障気と泥に覆われた魔界で唯一、街としての形を保って浮かんでいる二千年前からの場所。遥か上空に薄っすら見える外殻大地には、ユリアシティがあるはずの場所にぽっかりと穴が空いていて、そこから落ちる海水が大瀑布となっている。まるで街が滝に守られているみたいだ。ティア以外のみんなも、外殻の街とはまるで違うユリアシティの景観に驚いた様子を見せる。
「奥に市長がいるわ。行きましょう」というティアの言葉で、みんなは街の奥へと進んで行った。その輪から外れて歩き出そうとしないルークとミュウにティアが近づくのを見て、わたしも立ち止まる。
「…いつまでそうしているの?みんな市長の家に行ったわよ」
「…どうせみんな俺を責めるばっかなんだ。行きたくねぇ」
「とことん屑だな!出来損ない!」
居竦まるルークに怒りの声が飛ぶ。振り返ると、そこにはアッシュの姿があった。
ヴァンさんに裏切られても未だ彼を師匠と呼び、自分の責任から逃げようとしてしまうルークをアッシュは強く責め立てる。「お、おまえまで俺が悪いって言うのか!」「悪いに決まってるだろうが!ふざけたことを言うな!」アッシュはわたしたちの誰よりも鋭くはっきりとした言葉をルークにぶつけた。それでも自分のしたことを認められないルークに、ついにアッシュは核心を口にする。
「冗談じゃねぇっ!レプリカってのは脳みそまで劣化してるのか!?」
「レプリカ?そういえば師匠もレプリカって…」
「……おまえ、まだ気づいてなかったのか!はっ、こいつはお笑い種だな!」
「な、なんだ…!何なんだよ!」
「教えてやるよ。『ルーク』」
「アッシュ!やめて!」
真実を明かそうと口を開くアッシュをティアが制止する。わたしもそうしたかった、けど、しない。ここまで来てしまったのならもう、ルークは事実を知って受け入れて、それでも立ち上がるしかない。何も言えないわたしはせめて目を逸らさないようにと、二人を真っ直ぐ見据えた。
「俺とおまえ、どうして同じ顔してると思う?」
「……し、知るかよ」
「俺はバチカル生まれの貴族なんだ。七年前にヴァンて悪党に誘拐されたんだよ」
「……ま……さか………」
「そうだよ!おまえは俺の劣化複写人間だ。ただのレプリカなんだよ!」
「う……嘘だ……!嘘だ嘘だ嘘だっ!」
残酷な真実を突きつけられたルークが頭を抱え、混乱のあまり剣を抜く。アッシュはそれを迎え撃ち、剣を交えた。
同じ技を放っては吹き飛び、体勢を立て直し、また同時に技を撃ち合う。嘘をつくな。俺はおまえなんかじゃない。認めたくないのはこっちも同じだ。二人の『ルーク』の戦いをはらはらと見つめるティアの右手をそっと握った。
「ハナ……」
「…大丈夫…。ルークはきっと、大丈夫」
無責任だと思う。わたしが上手くやれていればルークは苦しまなかったかもしれないのだから。それでもわたしは苦難を乗り越えて立ち上がったルークのことを知っているから、彼に希望を抱いてしまう。
間もなく決着はついた。大きく吹き飛ばされて倒れたルークにアッシュは剣先を向ける。
「…う、嘘だ……俺は……」
「俺だって認めたくねぇよ!こんな屑が俺のレプリカなんてな!こんな屑に、俺の家族も居場所も…全部奪われたなんて……。情けなくて反吐が出る!死ね!」
明確な殺意がこもった声。とうとう精神が限界に達したルークは意識を失い、そこにアッシュは剣を振りかぶろうとした。
「アッシュ!もうそれ以上はだめ!」
そこでようやく踏み出したわたしはアッシュに駆け寄る。ティアはルークに駆け寄った。「…チッ、馬鹿女か」と、制止されて苛ついた様子のアッシュにまず言わなければならないこと。
「アッシュ、ごめんなさい。アッシュに任されたのに、ルークとヴァンさんを止められなかった。こうなったのはルークだけのせいじゃない」
「元々おまえには期待していなかった。あの状況でおまえなんかが止められる程度なら、ヴァンはとっくに止まってる。そもそもこいつがこんなに馬鹿でなければ…」
「…そっ、か…。それでも、ごめん。わたしは止められなかった自分を情けなく思うし、それはこれからのルークもきっとそう。ルークを見捨てないであげて」
「なんで俺が屑を気にかけなきゃならない。……俺は行く」
「あ、まって!」
踵を返そうとするアッシュの上着のぴらぴらを慌てて掴んで引き止める。アッシュは目に見えて苛ついた。眉間の皺がすごい。
「……何だ」
「ルークを運ばなきゃ」
「何で俺が…!」
「だってアッシュがルークに怒鳴るから。アッシュも、ユリアシティに用があるんじゃない?ついでだと思って。寝てる男の子を運ぶのにわたしとティアじゃ大変だから…ね、お願い」
「…チッ。……さっさと行くぞ」
「ありがとう!お手伝い要る?」
「要らねぇ!」
苛々、渋々、アッシュはルークを背負う。横にいたティアがちょっとびっくりしている。「ハナっておかしなところで物怖じしないわよね…」と言われてしまい、あははと笑って誤魔化した。
✱✱✱
「ルークはどうしたんだ?」
「気を失ってるだけ。目が覚めるまでティアの家で休ませるって」
ユリアシティ中央の大きな建物前で、わたしたちは合流した。気を失ったルークを背負うアッシュにみんなは驚く。ティアがアッシュを家に案内する間わたしは先程の出来事を説明し、ルークがレプリカだということを知ってみんなが絶句する中でイオンとジェイドさんだけが冷静な面持ちでいた。
「…何てこった。じゃあ、今のルークはアッシュを元に作られた存在ってことか?」
「…そういうことみたい」
「そんな…では、今までのルークはルークではなく、アッシュが本当のルークだということですの…?」
「そうだけどナタリア、そんな言い方は、」
「お待たせ、みんな」
みんなの中でもいっとう戸惑っている様子のナタリアの発言に苦言を呈そうとしたけど、それは戻ってきたティアの声によって遮られた。アッシュも隣にいるが、ルークとミュウの姿はない。ルークよりも深い緋色の彼を目にして、ナタリアの瞳が揺らいだ。
「ティアも戻ってきたことですから、そろそろ市長のところに行きましょう。我々の現状を説明して、タルタロスに残しているアクゼリュスの人々のことも話し合わなければいけません」
「市長は会議室にいるはずです。案内します」
ティアの言うとおり、ユリアシティの市長でありティアのお祖父さんでもあるテオドーロさんは会議室でわたしたちを待ち構えていた。テオドーロさんは、わたしたちが現れたことにもアクゼリュスが落ちたことにも驚く様子はなかった。初めてその表情を崩したのは、アッシュが「タルタロスごと外殻大地に戻りたい」と言ったとき。あれだけ大きな陸艦を持ち上げることは流石に無理だと考えたのかもしれない。でも、「考えがあります」と言うジェイドさんの案を聞くと、ユリアシティの上層部の方々と話し合ってみようと約束してくれた。
「あの、それから…崩落したアクゼリュスの生き残りの方々が、タルタロスに残っているんです」
「! ほう、生き残りが…?」
「20名ほど。外殻大地も今はアクゼリュスの崩落で混乱しているでしょうし、すぐに受け入れ体制を整えるのは難しいかと思われます。ですので、」
「ユリアシティで預かるということですな。わかりました。しばらくの間、こちらで保護しましょう」
「…! ありがとうございます!」
受け入れを快諾してくれたテオドーロさんに全員で頭を下げる。アッシュもちょっとだけ頭を下げてくれていた。
それから、テオドーロさんたちの話し合いが終わるまではしばしの自由行動となる。みんなは思い思いの場所へ散って行き、わたしはジェイドさんと、ユリアシティの案内人を買って出てくれた人と一緒にアクゼリュスの人々をタルタロスまで迎えに行った。
『アクゼリュス崩落の原因は現在調査中、外殻大地での皆さんの生活保護や亡くなられた方々の弔いの準備が整うまでは、このユリアシティで保護してもらうことになった』と、ジェイドさんはこう説明した。真実を伝えたところでヴァンさんの行方はわからないしルークも眠ったままで、余計な混乱を招いてしまうだろうから今はこれで良いのだと思う。
皆一様に不安げな面持ちで、呆然とする人も、泣き出す人も、怒り出す人もいた。「家族も仲間も親友も死んだ」、「お前らは救援隊じゃなかったのか」。言葉でぶつけられるアクゼリュスの人たちの痛みを、ジェイドさんとわたしは受け止めるしかできない。そんな中で、「姉ちゃん!」と男の子の高い声が響いた。
「……ジョン、くん…?」
「そうだよ、父ちゃんもいる!」
人の輪をかき分けてわたしたちの前に出てきたのは、アクゼリュスで言葉を交わしたジョンくんとパイロープさんだった。ずっとばたばたしていて生き残りの人たち一人一人の顔を見ている余裕もなかったから、今まで気が付かなかった。
「生きていたの…!」
「あのあと、父ちゃんが坑道の様子を見にいくって言うからおいらも途中までついてったんだ。そしたら急に地面がゆれて、起きたら船の中にいたんだ」
「艦に乗っている時、自分らが助かったのはあなたのおかげだと大佐さんから聞きました。…みんな今は混乱しちまってますが、自分らはあなたに感謝しなければいけません」
「……ジェイドさんが?」
そんなことを?とジェイドさんの方を見ても涼しい顔をしているだけ。
「これからどうしていったらいいのかなんてまだわかりませんが…救ってもらった命、無駄にはしません。本当に、ありがとうございます」
「ありがとう、姉ちゃん」
パイロープさんが深く頭を下げ、ジョンくんがわたしを見上げる。二人に笑顔はまだないけれど、二人の気持ちはひしひしと伝わってきた。
「……はい。…大勢の人が亡くなって、こんなことを言っていいのかはわからないですけど…それでも、
皆さんが生きていてくれて、本当に良かった…!!」
感極まって堪えきれなくなった涙が溢れる。アクゼリュスは消えてしまったけど、救いたかったもの全ては救えなかったけど、でもこうして守れた命もあった。感謝の言葉を贈ってもらえて、そう自覚できたことが、嬉しい。
「感動のシーンはそこまでにしていただいて、そろそろ移動を始めたいのですが。よろしいですか?」
「あ、はい…」
「では。後の案内はそちらにお願いしても?我々は他にもやることがございまして」
「おまかせ下さい」
ぼろぼろ流れる涙を止められないでいると、いつもの調子のジェイドさんがさくさく場を進めてあっという間に収めてしまった。アクゼリュスの人たちはユリアシティの案内人さんに連れられてぞろぞろと去っていく。「いやぁ、あなたが急に泣き出すものですからいきり立っていた彼らも唖然としていましたよ。おかげで宥める手間は省けました」平然とそう言ってのけるジェイドさんに、この人はこんな時でも通常運転ですごいな…と涙も引っ込んでしまう。
「急に泣き虫になってしまいましたねぇ」
「ジェイドさんが泣いていいって言ったからですよ。…今だけです。明日からはまた、涙は仕舞いますから…ジェイドさん、ありがとうございます」
「おやおや。何のことでしょう」
「全部です。ジェイドさんに言いたいありがとうが沢山あるんですよ、わたし。ジェイドさんがいてくれてよかった」
「…そうやって素直に感謝されるような柄ではないんですけれどね」
さっきまでは通常運転だったのに、お礼を言われてほんの少しばかりたじたじになるジェイドさんの様子はだいぶ珍しい。そうかな、わたしは何度も、前に進む勇気をジェイドさんに貰っているのに。
「…わたしね、決めたんです。わたしはわたしの知ってる未来を変えたい。でもそのために、誰かに未来を明かしたりはしません。ジェイドさんにも」
「また、一人で抱えていくんですか?」
「わたしの知る"物語"はこの世界の預言みたいなもので…中にはとても恐ろしい未来も知っています。でもそれって、わたしがここにいる時点でもう不確定なものなんです。そんなものを明かして、みんなを振り回しちゃいけないと思う。未来を変えたいのはわたし一人の目的だから、この記憶もわたしの中だけに留めます」
これは今までと一緒。でも、今までとは決定的に違うことがある。
「今は、わたしが未来を知ってて頑張ろうとしてることを知ってくれてるジェイドさんがいるから、一人じゃないんです」
わたしを知っても受け入れてくれたあなたがいるから、もう孤独じゃない。そう思ってジェイドさんの顔を見れば、自然と笑みがこぼれた。崩落後、ちゃんと笑えたのはこれが初めてかもしれない。
「…あなたのそういうところにはいつも驚かされますよ。その強さは、私にはない資質です。…外殻大地に戻ってからも、あなたはグランコクマには帰らないのですね?」
「はい。今までみたいに『ついて行かせて』ってお願いするんじゃなくて、これからは自分の力でついて行きます。わたしが本当に帰らなきゃいけない場所へ帰る方法も自分で探す。そのために、わたしも戦います」
「戦うということは、誰かを傷つけるということです。当然、命を奪わなければならないこともある。その覚悟があなたにはありますか?」
「正直、怖いです。でも、きれい事ばかりじゃここから先には進めない。奪うためじゃなくて、守るためにわたしは戦います。そのための力を持ってる。どうしても相手を傷つけることが必要であるなら…そのときは躊躇わない。これがわたしなりの覚悟です」
「…ただの子供だったと思ったら、そこまで言えるようになるほど…あなたにはどれだけのものが見えているのでしょうね」
それだけ言うなら自分から言うことは何もない、とジェイドさんは両手を上げる。…きっと、わたしひとりだったら立ち直れなかった。全部知っても否定しないでいてくれたから、また立ち上がって前に進む勇気を持てた。
『たったの20人しか救えなかった』ではなく『20人も救えた』と思えるようになったのも、覚悟を持てたのも、ジェイドさんのおかげなんですよ。