崩落編
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さくりさくり、雪を踏みしめて歩く。おしゃれよりも実用性に長けた丈夫なブーツだけど、布製だから少し雪が滲みてつめたい。
あの後すぐにネフリーさんのお家からおいとまして、ホテルまでの道のりをのんびりと戻っている。長々居座ったことをお詫びして紅茶のお礼を言ったら、ネフリーさんは最初よりもいくらか晴れた表情をしているように見えて、「よかったらまたいつか一緒にお茶をしましょうね」と言ってくれた。それがたとえ社交辞令だとしても嬉しい。いつかそんなときが本当に来ればいいなと思う。けれど、もしかしたらその時が訪れる前に、わたしは元の世界に帰ってしまっているのかもしれない。
「でも、どうしたら帰れるのかなあ」
そう、帰ってしまうかもとは思ったものの、帰れる見込みはまだ全く、ない。何故来てしまったのかもわからないのにどうやって帰り方を探せばいいというのだろう。
最初はすぐにでも元の世界に帰りたかった。でも今は、わたしのできる限りの力を持ってして、みんなが少しでも苦しまないようにしたい。傷つく人々を、失われる命を減らしたい。そう願って決意した。だから"物語"の結末まではこの世界にいたいし、やれることをしたいと思う。でも"物語"が終わったあとは?帰る術が見つからなければ、その先も一生、わたしはこの世界で過ごすのだろうか。いったいどこで?誰と?どうやって?
そうして歩きながら、屋根のある場所に置かれたベンチを見つけた。屋根の形が尖っていて可愛い。そこは街の賑やかな通りからは外れた場所で、人通りはほとんどない。子供が作ってそのままにしたのか、小さな雪だるまだけがベンチの傍らにちょこんと座っているだけで、考え事にはちょうど良さそうな場所だった。軽く手で払ってから、「よいしょ」と腰掛けてみる。
手慰みに、ポケットから壊れたバレッタを取り出して手のひらの中でくるくると転がした。元の世界からわたしと一緒にこの世界へとやってきたのは、破けてもともとの形からは変わり果てた服、今の生活スタイルに適さなくなって履かなくなった靴。唯一そのままの形を保っていて、肌身離さず持ち歩くことのできていたのはこのバレッタだけだった。1500円くらいのあんまり高くないやつで、確か友達と一緒にいたときに買ったんだっけ。どこにでも売っているようなそれだけど、大事なお守りだった。
だって、我が身以外に元の世界の物を何か持っていないと、それに縋っていないと、だんだんとわからなくなるのだ。本当にわたしは地球で生まれて、この世界にとっての異世界人なのか?本当はオールドラントの生まれなのに、頭がおかしくなっちゃった人なだけなんじゃないかって。そうやって異世界人である自分の定義が曖昧になってしまうと、オールドラントでも存在が曖昧なわたしは宙ぶらりんになってしまう。
帰れるものなら帰りたい。この世界でどれだけ周りの人に恵まれていても、元の世界の記憶がある限り、ここでのわたしは本当の意味ではひとりなのだという思いを拭い去ることは難しい。ここで生きているとふとした時にとても孤独感を覚えるし、楽しいこと以上に怖いこともつらいこともたくさんある。
みんなと一緒にいられるこの旅はいつまでも続かない。必ず終わりが来る。モリーさんたちのところにだっていつまでもお世話になっていていいのかわからないし、でも情けないけれど異世界で独り立ちして生きていく勇気と自信はわたしにはない。それになにより、お父さんとお母さん、弟たちや友達がいて、わたしの夢がある、わたしの生まれた世界が恋しい。やりたいことのために苦労して進学したのだから夢を叶えたいし、ちゃんと働いて奨学金も返して、家族に恩返しだってしたい。また家族でご飯を食べたい。友達に会いたい。
だから、ヴァンさんの計画を阻止してルークたちの結末を見届けて、その後元の世界に帰ることが、今のわたしの一番の望みだ。
けれどわたしの意志で帰るためには、「何故この世界に来てしまったのか」という原因がわからなければにっちもさっちもいかない。こんなぶっとんだ話、調べるにもどこから手を付けたらいいのかわからないからスタート地点からいくらも進まない。突然来たときと同じように突然帰れるかもしれないけど、そればかりに縋っていてはいつになるかもわからないし。
「う〜〜〜ん」
結局いつも同じところで躓いては、こうして唸るしかなくなってしまうのだ。もっと頭が良ければなあ。
「風邪をひきますよ」
「ヒッ!!」
完全に油断していたところに、背後から声をかけられて大げさに肩が跳ねた。わたしは人の気配なんて全然わからないのだから突然後ろからくるのはやめてほしい。でもこのパターンはなんとなく慣れてきたぞと思いながら振り向いた。
「ジェイドさん、いつもぬっと出てくるのやめてくださいよ。びっくりします」
「おや、ぬっと出てきている自覚はないんですが。普通にしているだけですよ、私は」
"私は"をやけに強調して、暗にわたしが鈍いだけだと言っているようにも取れる発言をするのはさっきも話題に上がりまくったジェイドさんで、黒い傘片手にいつもの笑みを浮かべて立っていた。どこから持ってきた傘なんだろうとわたしが思ったのと同時に「ホテルから借りてきたんですよ」と先読みして返してくるのにももう慣れっこだ。
「こんなところで何を?」と尋ねられて、手に持ったままだったバレッタをさっと仕舞い込んだ。ホームシックになってましただなんて言われてもきっと困る。誰かに相談しなきゃならないほど、まだそんなに溜め込んでいるわけじゃないと思うし。たぶん。
「あはは、ちょっと考え事です。ジェイドさんこそどうしたんです?あっ、もしかして迎えにきてくれたんですか?」
「今見つけたのはたまたまですよ。ただまあ、丁度良かったです。あなたもネフリーから話を聞いたんでしょうから」
「……あー……」
やっぱりトイレじゃ誤魔化せなかったか。そりゃそうだ、相手はジェイドさんだし。というかもう1時間以上は経っているから、トイレにしたって長すぎるもの。幸いなことにそれを揶揄うような人はみんなの中にはいないと思うけど、変な心配をされているかもしれない。ナタリアとか、額面通りトイレが長いと受け取っていそうでいやだな。
「ナタリアにはあとで弁解しないと…」
「はい?」
「あっ!違うそうじゃなくて!えーと…はい、ネフリーさんから聞きました。ごめんなさい、勝手に詮索するようなことして」
「悪い子ばかりで困ったものですね。聞いてしまったものは仕方ありませんから、このことは誰にも言わないよう頼みますよ。余計な混乱を生むだけです。…まあ、話を聞く前からあなたはずっと黙っていてくれたんでしょうが」
「えっ」
「知っていたんでしょう、元から」
わたしの隣に腰掛けながら、ジェイドさんはなんてことないように言う。気づかれていたのか。どこかでボロだしたっけなあ、と考えようとして、心当たりがありすぎたのでやめた。
「……ほんとになんでもお見通しなんだなあ、ジェイドさんは」
「いいえ?そんな大したものじゃありませんよ。今のも半分当てずっぽうですから」
「ええっ!?」
当てずっぽうなの!?そうだ、この人は誘導尋問とかそういう意地悪なものに関しては大概プロ級なんだった。まんまと引っかかってしまった。
「確証はないものの大凡考えられる可能性に鎌を掛けただけです。掛かりやすいのは治りませんねぇ。
…ネフリーからも聞いたでしょうし、知っていたなら理解できるでしょう。私はあなたが思っているほどできた人間じゃない。どうしようもなく愚かで、人から感謝されるような人間じゃない」
ジェイドさんはわたしの単純さを茶化したそのままの調子で、まるで笑い話をするみたいに自嘲を吐いた。一緒に漏れた白い息が雪に混じる。
わたしたちがネフリーさんから聞いた話のことを言っているんだと思う。話の流れとしてはそんなに間違ってないけれど、声の調子の軽さと内容の重さが吊り合わない。辛いことであるはずなのに、なんで笑い話みたいに話すんだろう。
前にも、似たようなことを言っていた気がする。あれは崩落直後のときだったか。『自分は感謝されるような柄じゃない』と、ユリアシティでのジェイドさんの言葉を思い出した。あのときは、謙遜みたいなものだと思っていた。けれどあの言葉は、自分がネビリムさんを殺してしまったからという意味だったんだろうか。普通の人の生死の概念に自分は寄り添えないからということだったんだろうか。
だとしたらそれは、間違っている。
「それとこれは、全然違いますよ」
体ごと、ジェイドさんの方へ向き直る。つられてこちらを向いたジェイドさんの赤い瞳と目が合った。
「過去は過去です。背負っていかなきゃいけないものだけど、今とイコールで繋がるものじゃないです。ジェイドさんは昔、間違えてしまったのかもしれないけど、でも今はそのときのことを悔いているんですよね?だったら昔と今のジェイドさんは違います。
わたしはジェイドさんに感謝してます。たとえ昔ひどいことをしてしまった人だとしても、わたしの嘘を許してくれて、譜術を教えてくれて、異端なわたしを受け入れてくれた今のジェイドさんはいなくならないんです。昔のことを理由に、それをなかったことにしないで」
ジェイドさんは背が高いから、座高もわたしよりうんと高い。もこもこのコートのフードが邪魔で動かしにくい顔をやや強引に上げて目を合わせたら、いつもはゆるく細められていることの多い切れ長の目がぱっちりと見開かれていた。珍しい顔。元の世界じゃお目にかかれないような紅茶みたいに赤くてきれいな瞳がいつもよりもよく見えて、周りの雪景色に映える。
これは慰めなんかじゃない。そんな相手を思いやる感情からきた言葉ではなくて、悲しいとか、怒りとかに似た、ただただわたし本位の気持ちから出ていた。わたしは、わたしたちは、過去や罪を通してジェイドさんを見ているわけじゃない。なのにジェイドさんはそれを理由に自分で一歩引いてしまっているのかと思うと、寂しくてたまらなかった。
「過去に囚われるだけじゃ、きっと誰も救われない。背負って、前に進まないと。わたしがもし、たとえどんな死に方をしても、生きてる大切な人の足枷になりたくないし、前に進んでほしいと思います。心の片隅に覚えておいてもらえたらそれでいい。ネビリムさんもそうじゃないかってわたしは思います。20年以上経っても生徒から慕われ続けているような人ですもん。
許す許さないどころか、きっとネビリムさんは最初から怒ってないんじゃないでしょうか。ジェイドさんは、ネビリムさんにとって最後まで守ろうとしてた大切な生徒ですから」
わたしは、ネビリムさんのことはほとんど知らない。ゲームの中でレプリカのネビリムさんとは戦ったけれど、被験者の彼女の人となりについて知る機会は全くと言っていいほどなかった。
それでも、ジェイドさんが今ここで無事に生きていることが何よりの答えなんじゃないかと思う。譜術の暴走でネビリムさんが重症を負ったのならば、術者本人であったジェイドさんも彼女と同等かそれ以上に死の危険性が高かったということなのだから。命が助からないほどの大怪我を負っても、ネビリムさんは最後まで教え子を守り抜いたのだ。その子こそが惨事を引き起こしてしまった本人なのだとしても。自らの命の瀬戸際にそんな行動ができる人が、ジェイドさんを恨むとは思えないのだ。
なんて、全部わたしの主観でしかないのだけど。
「…なるほど、ルークが主人公の"物語"なら、そのことも知っていましたか。私が許しを得たいと思っていることも。…本当に異世界から来たんですね、あなたは」
「そんなに何でも知ってるわけじゃないし、今のはほとんどただのわたしの考えですよ。ていうかやっぱり信じてなかったんですか?」
「いいえ、一応納得はしていましたよ。ただ、辻褄が合うと理解しても、飲み込むにはなかなか突飛な話ですから。ようやく実感が湧きました。…はは、やっぱり変わった人です。あなたは」
「ええ?」
思わず声が上ずってしまった。わかったような態度で自分の勝手な意見を並べ立ててしまったから、てっきり溜息を吐かれるのか怒られるのかと内心とても緊張していたのに、いきなり変な人呼ばわりされて笑われるなんて予想外だ。
溜息の代わりにジェイドさんの口から漏れ出た笑い声はいつもの態とらしいのとは違った、素のそれに感じて、なんだかこっちが面映いような気持ちになってしまう。ひどいとか心外だとか言い返そうとした口は結局「なんですかいきなり…」と弱々しい返答しか吐き出せなかった。自然と赤くなってしまう頬はどうにもならない。だって思いの外、笑顔がかわいいのだ。顔が綺麗な人はずるい。
「いえ、こちらの話ですよ」
しかも教えてもらえないのか。
「えー……き、気を悪くしたとかじゃないですか?」
「ええ、そういう訳ではありません」
「うーん、ならまあ、いいかな…?………へぁ、へっくしゅ!っくしゅん」
「おや、そろそろ戻りましょうか。もうじき気温も下がってくる頃ですから」
そういえば、随分体が冷えている。コート以外に大した防寒もしていないから、雪の降るなか長時間外にいれば当たり前か。悴んできた指先を見るに、鼻や耳も赤くなっているかもしれない。
雪は変わらず降り続けているけど、傘はジェイドさんが持っている一本しかない。それに気づいたとき、あ、もしかして、と思ったけれど、実際「濡れるからあなたも入りなさい」と言われてしまうとどうしたって驚く。だってそれ、所謂相合傘ってやつだと思う。
「い、い、いいですわたしは!!平気なので!!」
「それだけ鼻先赤くしておいて説得力ありませんよ。風邪をひかれたらこちらも困りますから。それともこんなおじさんと一緒は嫌ですか?傷つきますねぇ…」
「…!!……お、おじゃまします……」
そういう言い方はずるい。どう見てもおじさんではないし全然嫌でもない。そしてやっぱり鼻は赤いのか。頬が赤くなるのを誤魔化せるからむしろちょうどいいかも、と思ったけれど、おずおずと隣にお邪魔したわたしを見てくつくつと笑い声が降ってきたから、結局誤魔化せてはいないのかもしれない。
あまりにも落ち着かなすぎてわたしが傘持ちますよと申し出ようとしたものの、わたしが持ったりなんかしたらジェイドさんの頭は確実に傘に刺さってしまうことに気づき、観念して全ておまかせすることにした。せめてジェイドさんの肩が濡れないように、極力離れて歩く。頭さえ傘に入っていればそれでいいや。
「今日泊まるところ、湯船ありますかね〜」
「ありますよ。大浴場と個室に両方」
「え、すごい!ほんとにホテルみたい」
「? ホテルですよ」
間の悪いくしゃみのせいでなあなあになってしまったけれど、本当にジェイドさんは気を悪くしていないだろうか。勝手に傷に触れて、さらにそれをかき回すようなことを言った自覚は大いにある。言ってしまったことは引っ込められないとはいえ、顔に出さないだけで内心思うところがあるんじゃないかという不安は拭いきれない。雪道をさくさくと難なく歩く隣の人の表情はいつも通りで、胸の内を伺うことはできそうになかった。
それでも、ジェイドさんが怒るでも呆れるでもなく笑顔を見せたことも、こうして歩きながらさり気なく歩幅を合わせてくれることも嬉しかった。あとは、傘からはみ出ていたはずのわたしの右肩が、いつの間にか濡れなくなっていたことも。
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