崩落編
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タルタロスが故障してしまったらしい。どこがどう駄目になったのか、音機関に関してからっきしの俺には説明されたとしてもよくわからないけれど、ずっとタルタロスで指揮を執っていたジェイドや音機関オタクのガイが渋い顔をしているのだから深刻な状況なのだろう。
修理のために立ち寄ったのは、ケテルブルクというマルクト領内の街だった。どこもかしこも大量の雪、寒くて歩きにくくて住みにくそうな場所だと思ったが、ここは観光地として栄えているらしい。これまで俺が生きた七年間、バチカルに雪が降ったことなんて片手で数えられるほどしかなくて、こんなにも積もった雪を実際に見るのは初めてだった。バチカルは暖かな土地だったんだなあとか、なるほど銀世界という表現に納得してしまうほどには真白い雪は眩しいものなのだなあとか、そうしてまた新たな知見を得る。旅に出てから、もうどれだけ新しいことを知っただろうか。
それから、この街はジェイドの故郷でもあるらしい。あいつにも故郷があるんだな、と当たり前のことで少し驚いてしまったのは、きっと俺があいつのことを人間らしくない奴だと感じていたせいかもしれない。あいつは俺が今まで出会ったどの人間とも違っていて、俺の"普通"はあいつにはあまり通用しない。俺にとってジェイドという奴は、俺の理解の及ばない、得体の知れない男だった。少なくとも今この瞬間までは。
「ネフリーから話を聞きましたね」
ここがジェイドの故郷だということよりもさらに意外だったのは、ジェイドに妹がいたことだ。"あの"ジェイドの妹だというから彼女からもどんな嫌味が飛び出してくるのかと身構えていればそれはとんだ杞憂で、物腰柔らかで落ち着いた、絵に描いた大人の女性のようなひとだった。
そんな彼女、ネフリーさんは、話があるからと俺ひとりだけを呼び出した。実際その時その場に来てみれば、何故かハナもついてきてはいたのだけど。
「…き、聞いてない」
「悪い子ですね。嘘をつくなんて」
ネフリーさんの話を聞いてみれば俺だけが呼び出された訳も納得で、むしろ俺でさえ聞いていい話ではなかったのではないかと尻込みすらしてしまった。だから今日聞いた話は俺と、今もまだネフリーさんのところにいるはずのハナとの間だけに留めておこうと後であいつにも言っておくつもりだったのに。一人でホテルに戻ってきてみればロビーにはジェイド本人が待ち構えていて、さも俺の行動を監視していたかのようにこう言ってくるのだから本当にこいつには敵わない。もちろん本気で監視していただろうなんて思ってはいない、たぶん俺がどこかで知らず知らずのうちにボロを出してしまったのを目敏く気づいてそこから推測したのだろう。だからってこんなにドンピシャで言い当てられるものなのかとは思うが、まあ、こいつはそういう奴だ。
「なんでバレたんだ…」
「まあいいでしょう。言っておきますが、私はもう先生の復活は望んでいません」
ほら。こいつ、ネフリーさんが懸念していたことまで理解している。本当に人の心が読めるんじゃないだろうか。こんなんだから悪魔だとか死霊使いだとかの呼び名に変に真実味が増してしまうのだ。
「ホントか?ホントにか?」
「…理由はあなたが一番よく知っているでしょう。
私は、ネビリム先生に許しを請いたいんです。自分が楽になるために。でもレプリカに過去の記憶はない。許してくれようがない」
「ジェイド…」
「私は一生過去の罪に苛まれて生きるんです」
「罪って…ネビリムさんを殺しちまったことか?」
「そうですね。…人が死ぬなんて、大したことではないと思っていた自分、かもしれません」
そう言って、ジェイドは軽く眼鏡のブリッジに指を添える。初めて、ジェイドの胸の内というものに触れたような気がした。いいや、きっと今までジェイドの心が垣間見える機会は何度もあったのだと思う。けれど馬鹿な俺は自分以外の仲間のことなんて少しもちゃんと見ようとしていなかったんだ。
何が人間らしくないだ。過去の罪を、自分の過ちを長い間悔い続けて、重い責任を背負って藻掻いているジェイドは俺と同じ…いや、レプリカの俺なんかよりずっと、人間じゃないか。
「俺…俺だって、レプリカを作れる力があったら、同じことしたと思う…」
前よりも一歩近寄れたような気がして、何か言葉をかけたくて。でも言葉を選んで口にしてから、あ、違うかも、と思った。初めて目にしたジェイドの弱みに動揺したのか、あのジェイドを慰めようだなんて思った自分自身に動揺したのか。人にうまい言葉をかけてやったことなんて今までなくて、いざやろうとしてみると全然うまくいかないのがもどかしくて情けない。
「やれやれ。慰めようとしていますか?いささか的はずれですが、まあ…気持ちだけいただいておきます。それより、このことは誰にも言ってはいけませんよ」
「……わかった」
「約束しましたよ」
そう言うと、ジェイドは俺に背を向けて去っていった。部屋に戻るんだろう。あーあ、やっぱり的はずれだったみたいだ。
俺が落ち込んだときに立ち直らせてくれたティアやガイみたいに、どうやったらあんなにも誰かの心に響くような言葉を伝えられるのだろう。ハナだってそうだ。ユリアシティで眠っていた間、俺はアッシュを通して世界を見ながら、最後まで俺に語りかけてくれていたハナの言葉を思い返していた。それこそジェイドみたいに語彙は豊富じゃないのに、何故か気持ちを動かされるような言葉。あいつもティアと同じように、いつだって俺を俺として見ていてくれたんだってようやく気づいて、嬉しかった。
ハナなら、ジェイドのこともちゃんと見ることができていたんだろうか。俺よりもっとジェイドを励ませるような言葉をかけられるんだろうか。
ぼすん、実家ほどではないにしろ厚みがあってふかふかのホテルのソファーに腰かける。張り詰めていた緊張の糸が緩んでいった。外の空気に冷えた指先に熱が戻ってくる。
あいつはまだネフリーさんの家だろうか。そういえば、どうしてあいつはさっき俺についてきたんだろうなあ。
✱✱✱
ついルークを先に帰してしまったけれど、ネフリーさんと二人で何を話したいか具体的に決めていたわけじゃない。ただなんとなく喉にひっかかっているような、言いたいことがある気がして、本当に「つい」としか言いようがなくこの場に留まってしまっただけで。よく考える前に体が先に動く、これもわたしの良くない癖のひとつだった。ケテルブルクに来てから、自分の欠点ばっかり見つかるなあ。
「その…ええと、お話聞かせていただいてありがとうございました。勝手に押しかけて、すみません」
「いいえ、むしろ勝手に昔のことを話してしまったから、私が兄に謝るべきなのでしょうね。それでも話しておくべきだと…話しておきたいと、思ったんです。
…ねえ、ハナさんは、兄とはどういう関係なのかしら」
「え、か、関係?」
どう話を切り出したものか、そもそも何を話すものかと考えていると、ネフリーさんのほうから質問が飛んできた。関係とな。
「私の知る兄は、他者と関わりを深く持とうとする人ではありませんでしたから。兄の考えを理解しようしたり寄り添おうとしたりするような人は、きっと今ではピオニー様くらいだと思っていたんです。だからあなたがどうしてわざわざ兄の過去を聞きにここへ来たのか、少し気になってしまって」
「ああ、なるほど。うーん、そうですね…わたしとジェイドさんの関係かあ…」
吃驚した、何かを疑われたのかと思った。「あんた、彼の何なのよ!」みたいな。月9とか昼ドラの見すぎかもしれない。ちょっと赤くなりかけた頬をぱたぱたと煽ぎながら質問の答えを考える。わたしとジェイドさんの関係かあ。そういえばいつもそれについては曖昧だった気がする。わたしがジェイドさんのことを、どう思っているか。
「最初はただ、街でたまに会う軍人さんみたいな感じだったんですけど。なんだか…いろいろあって。ええと、わたし話すの下手なんですけど、いいですか」
「ええ。勿論」
「…わたし、自分以外の誰にも話せない、話しちゃいけない秘密があるんです。だから自分で抱えているしかなくて、でもそれがとっても辛くて、本当はずっと誰かに話したくて仕方なかったんだと思います。
ジェイドさんはわたしが隠し事してることに気がついてたんですけど、まだ話せないって言ったらずっと触れずにいてくれていて。でもわたしが限界になったとき、話しなさいって言ってくれて…吐き出させてくれました。それでわたしの秘密を受け止めてくれて、泣いてもいいって言ってくれました」
「兄が…?」
「はい。ジェイドさんにしてみたらただ隠し事をしてるわたしが怪しかっただけかもしれないし、あれが全部本心だったかどうかもわたしにはわかりません。それでもわたしは、ジェイドさんがくれた言葉に救われたんです。今もわたしが挫けないで立っていられるのは、きっとジェイドさんのおかげなんです。
だからわたしも同じように支えになりたいって、頼ってもらえたらなんて思って…でもたぶんそれは無理なので、こうしてズルしてネフリーさんにお話を聞きにきてしまいました」
口に出してみると改めて罪悪感が湧くというか、我ながら重い。ジェイドさんにとっては、本当はルークにでさえ触れてほしくない話だろうに。
「そうでしたか。…まるで、私の知る兄とは別の誰かの話を聞いているように感じます。あの人も丸くなったのかもしれないけれど、きっとそれだけではないのでしょうね。ハナさんは、兄のことを慕ってくれているんですね」
「慕っ…!?いや、ま、まあ慕って…?は、いますけど…うん、はい」
「あら、ふふ、ごめんなさい。変な意味ではないんですよ」
慕っている、確かにそうではあるのだけど、一瞬別の意味に聞こえて顔が赤くなる。もちろんネフリーさんが言っているのはそういう意味ではなくて、狼狽えたわたしを見るとくすくす笑った。笑顔もきれいだ。ただ、おかしそうに細めた目はすぐに物憂げに変わって、ネフリーさんは続ける。
「…兄は、普通に接しているだけではわかりにくい人でしょう。そのせいできっと誤解もされやすくて…実際、私は実妹ではありますが兄のことがよく、わかりません。正直なところ私は昔から…あの日から、兄に対して妹として慕う気持ちよりも、理解できないものへの恐怖が勝ってしまっているんです」
ひどい妹でしょうとネフリーさんは自嘲した。そんなことない、とわたしは首を振って返す。わたしは色々お世話になったりしているからジェイドさんのことを優しい人だと思っているけれど、当然そういう人ばかりではないことも、わかる。まして私が見ているのはピオニー陛下の説得によって考えを改めたあとのジェイドさんで、それ以前の彼の姿をずっと近くで見てきたネフリーさんとでは見方や感じ方が違うのも当たり前だ。
それに、本当にひどい人ならば、そう感じていることでこんなに申し訳なさそうな表情はしない。
「けれど、ピオニー様のように兄と真っ直ぐ向き合って、知ろうとする人ならば、きっと私とは違った見え方がするんでしょう。
お話していると、なんとなくあなたもそういう人なんだろうと伝わってきます。きっと、そうあるからこそ見ることのできる兄の内面があるんですね。…お兄さんに、ピオニー様以外にもそんな人がいてくれてよかった」
「…そう、なんでしょうか。自分じゃよくわからないですけど…そうだったら嬉しいです」
ああでも、このひとは。恐れる気持ちが大きいとは言っていても、それでも間違いなく、ジェイドさんのことを想っている。たったひとりの血の繋がった妹として。
「ネフリーさん」
「はい?」
「きっと、そういう…ピオニー陛下みたいな人は、わたし以外にもたくさんいます。ルークたちも、グランコクマの人たちも、他にもたくさん。で、これはわたしの勘なんですけど、そんなルークたちと一緒に旅をしていくうちに、ジェイドさんも変わります。ルークを通して、自分を見つめ直して…きっとこの旅が最後まで終わったとき、ネフリーさんとジェイドさんの関係も変わるって、わたしは思います」
「…不思議ね。あなたが言うと、本当にそうなるような気がしてきます」
「ふふ。わたしの勘、結構当たるんですよ」
最初は喉につっかえていたのが嘘みたいに、思ったことがするりとそのまま言葉になった。それを聞いたネフリーさんの目が今日一番にやわらかく細められたとき、ああ、届けられたな、と感じる。ルークを先に行かせてまでわたしが伝えたかったのはたぶんこれだったのだと思う。だって、ルークと一緒に話を聞いたときからあった心のもやもやがやっと晴れたような気がするから。
ジェイドさんはこの旅を通して変わる。長い間蓋をしてきた過去を乗り越えて、新しい一歩を踏み出して。ルークを友と呼んで手を差し伸べたあの人の声が、わたしにはとても印象的だったのだ。今でもずっと覚えているくらい。
どこか憂いを帯びた表情で過去を語るネフリーさんを見て、何故かわたしまで苦しくなるような気がした。とんだお節介かもしれないけれど、ネフリーさんがジェイドさんのことを思い出すとき、少しでもその心に楽しい気持ちや嬉しい気持ち、優しい気持ちが増えたら嬉しい。そういう思いが、ようやくわたしなりの言葉にできたのかもしれない。
どうしてそんなふうに思うんだろうなあ。彼のことになると、どうしてこんなに心が、体が動かされるんだろう。