崩落編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
タルタロスの修理点検を快く引き受けてくれたネフリーさんは、なんとわたしたちの泊まる宿まで手配してくれるらしい。至れり尽くせりだ。仕事ができて美人でスタイルがよくておまけにやさしい、憧れてしまう。こういう女の人になりたい、なんてわたしが口に出して言ったら何人かには鼻で笑われてしまいそうだ。
「あの、すみませんが」
報告等々を終えてみんなでぞろぞろと執務室から退出していくなかで、一番うしろにいたルークだけがネフリーさんに小声で呼び止められていた。わたしはたまたまルークの近くにいたからそれに気づいたけれど、たぶん他に気づいていたのはジェイドさんだけだろう、たぶん。ちらっとこっちを振り向いていたから。ジェイドさんはだいたいこういうのは全部気づいちゃうのだ。
そういえばこんな場面もあったなあ、と曖昧な記憶を呼び起こす。確かここで後から呼び出されるかなにかして、ルークはネフリーさんからジェイドさんの過去の話を聞かされるんだったか。わたしがゲームをプレイしていた頃、初めてこの街に訪れたときにジェイドさんの過去を知った記憶があるからきっとそうだ。
ただのエゴだからと先程仕舞い込んだばかりの感情がまた首を擡げる。わたしもついて行って話を聞きたい、なんて言ったら、怒られるだろうか。
ぶあつい雪雲に覆われた空ではわかりにくいが、今はまだ正午くらいだろう。宿に行くには少し早い。けれど、イオンがしきりに手のひらを擦り合わせているのに気づいたアニスの「早くイオン様を暖かいところに連れていきたい」という言葉に反対する人はおらず、街を見て回るのは後にしてわたしたちは一旦宿へと向かうことになった。
街に入ってすぐのところにあった一軒家のようなかわいらしい宿、てっきりそこに泊まるものだと思ってそちらに足を向けかけたわたしの体はジェイドさんによってくるりと反転させられる。「多分向こうです」と言われるままに目を向けた先には、そりゃあもうでっかいホテルが。えっ、そっち?あれに泊まるんですか。いや、ホテルもあるのは知っていたけど、実際見てみるとゲームで見る以上に大きくて、見るからに高級で…お金持ちの人が泊まるようなホテル。人に奢ってもらうようなランクのところじゃないのでは?
「知事から承っています。ごゆっくりどうぞ」
ほんとにここだった。ネフリーさん、気前が良すぎる…。経費で落ちるんだろうか。もしポケットマネーから出してくれたのだとしたら本気で頭が上がらないし知事邸に足を向けて眠れない。こんなに綺麗なホテル、元の世界でだって泊まったことがないのに。
「あ、俺ネフリーさんトコに忘れ物した。行ってくる」
ホテルに着いたばかりだというのに、ルークはそう言って踵を返そうとした。うそだ、と直感的にわかる。勿論さっきのネフリーさんとの会話が聞こえていたとか、展開を知っていたとかもあるけれど、それがなくたって今のルークの言い方はすごくわざとらしい。感情の入ってない朗読みたいだった。
俺もついて行こうか?と気遣うガイやお供したがるミュウに首を振って、ルークはロビーから出ていってしまう。どうしよう、正直、行きたいけど。
「えっと…わたしも…ええと…」
「どうしたの?」
「………、〜っ、わたしちょっとトイレ!」
やっぱり聞きたい。元の世界にいたときの知識で盗み聞きみたいに知ってるんじゃなくて…いや今しようとしているのも盗み聞きには違いないのだけど。それでもこの世界の人、ネフリーさんの口から、ジェイドさんの口から直接聞くことで、自分も輪に入れてもらえるんじゃないかなんて間違ったことを思って。
どうしてもそんな欲が勝ってしまって、ルークのあとを追いかけるようにわたしもロビーを飛び出した。「ちょっと、お手洗いならホテルの中にも…」と呼び止めるティアの声が背中から聞こえる。ああもうわたしのばか、咄嗟だったとはいえトイレってどんな言い訳だ。わたしも忘れ物したとか散歩するとか、いくらでも言いようはあったのにトイレって。小学生探偵がよく使うやつだ。ボクちょっとトイレ〜って、よりによって一番嘘っぽいやつ。
「ルーク」
「うわ、!?なんだよおまえ、ついてきたのか」
「ごめんね。わたしもちょっと、ネフリーさんに用事があって」
「そうなのか?うーん…一人でって言われてたけど…仕方ねえ、まあいいか」
すぐに話しかけると追い返されてしまうかと思って、知事邸の前までこっそりついて行ってからルークに声をかけた。案の定、ここまで来てしまえば突き返されることはない。下手くそな尾行だったけれど、気づかれていなかったことは先程びくりと跳ねたルークの肩を見れば明らかだった。
「ネフリーさん。ルークです」
「どうぞ、お入りください。…あら?あなたは」
「失礼します…」
こんこんこん、ドアノブの上をきっちり3回ノックしたルークのあとに続いて入室する。呼び出していないはずのわたしまで現れたことにネフリーさんは目をまるくした。
「確か…ハナさん、だったかしら?」
「はい。呼ばれてもいないのにお邪魔してしまってすみません。その、ネフリーさんが今からするお話を、わたしもお聞きしたくて。…わたしは、ジェイドさんにとてもお世話になったんです」
「…あなたは、兄のことも、私が話そうとしていることも、おわかりなんですね」
「………なんとなく、ですが」
やっぱり図々しかっただろうかと後悔しかけたが、ネフリーさんは一拍おいて了承してくれた。怒ったりしているような様子はない。
「わかりました」、そう頷いてくれたネフリーさんと、ありがとうございますと頭を下げるわたしを、状況をわかっていないルークが首を傾げて交互に見る。以前の彼なら苛立ったり怒りだしたりしたかもしれないけれど、今はネフリーさんが口を開くのをじっと待っていた。
「ルークさん、突然お呼び立てしてすみません。あなたがレプリカだと聞いて、どうしても兄のことを話しておかなければと思ったんです」
「……なんの話ですか」
ルークとわたしにソファーを勧め、温かい紅茶を淹れて出してくれたネフリーさんは、自らもわたしたちの向かいに腰掛けてゆっくりと話しだした。その口から出たレプリカという単語に、ルークの声が固くなる。
「兄が何故フォミクリーの技術を生み出したのか、です」
「今でも覚えています。あれは私が不注意で、大切にしていた人形を壊してしまった日のことです。その時兄は、フォミクリーの元になる術を編み出して、人形の複製―――レプリカを作ってくれたんです。兄が九歳の時でした」
「し…信じられねぇ…」
「そうですよね。でも本当です。普通なら同じ人形を買うのに、兄は複製を作った。その発想が普通じゃないと思いました」
普通じゃないなんて言い方、と、ルークは軽く咎めるように言った。しかしネフリーさんはゆるゆると首を振って、切れ長の目を伏せがちにして続きを語る。昔を思い出すように、けれどそれは思い出を懐かしむような表情ではなく。
「…今でこそ優しげにしていますが、子供の頃の兄は、悪魔でしたわ。大人でも難しい譜術を使いこなし、害のない魔物たちまでも残虐に殺して楽しんでいた。兄には生き物の死が理解できなかったんです」
「そんな風には見えないけど…」
「兄を変えたのはネビリム先生です。ネビリム先生は第七音素を使える治癒術師でした。兄は第七音素が使えないので、先生を尊敬していたんです。
そして悲劇が起こった。第七音素を使おうとして、兄は誤って制御不能の譜術を発動させたんです。兄の術はネビリム先生を害し、家を焼きました」
今度はわたしが目を伏せた。それはもう一方的に、とうに知っていたことで、なのに初めて聞かされた話かのようにどすんと重くおなかの中に落ちる。
「殺しちまったのか!?」
「その時は辛うじて生きていました。兄は今にも息絶えそうな先生を見て考えたのです。今ならレプリカが作れる。そうすればネビリム先生は助かる。
兄はネビリム先生の情報を抜き、レプリカを作成した。でも誕生したレプリカは、ただの化物でした」
子供だったジェイドさんが生物レプリカを作ろうとした、そう聞いた瞬間ルークが息を呑んだ。化物、と呟いたその声は音になるかならないかというほど小さくて、きっと隣にいるわたしにしか聞こえていなかっただろう。一度うつむいて、すぐに顔を上げて、「本物のネビリムさんは?」と尋ねる。その横でわたしはずっと黙ったまま、ネフリーさんの話を聞いていた。
「亡くなりました。その後、兄は才能を買われ、軍の名家であるカーティス家へ養子に迎えられました。多分兄はより整った環境で先生を生き返らせるための勉強がしたかったんだと思います」
「…でも今は生物レプリカをやめさせた。どうして?」
「ピオニー様のおかげです。恐れ多いことですが、ピオニー様は兄の親友ですから」
「そうか…」
「でも本当のところ、兄は今でもネビリム先生を復活させたいと思っているような気がするんです」
そうだろうか、と思った。たぶんゲームをやっていた頃のわたしなら、そうなんだなあ、と話をそのまま受け取っていたと思う。けれど今ここにいるわたしは、デオ峠でリグレットさんに怒鳴った彼が、泥に沈んだ人々を見て拳をかたく握りしめていた彼が、戻ってきたばかりのルークに冷たくするような態度を取りながらも時たまその背を見守るようにしている彼が、死者の復活を望んでいるようには思えない。というのも、わたしの勝手な見方なのかもしれないという不安は拭えないけれど。
だから、隣のルークの口からも「そんなことないと思うけどな」という言葉が出て、わたしは密かに少しほっとしていた。
「そうですね。杞憂かもしれない。それでも私は、あなたが兄の抑止力になってくれたらと思っているんです。
話が長くなってしまいましたね。聞いてくださってありがとうございました」
ネフリーさんの話はそこで終わった。相槌や質問を挟んでいたルークと違い、わたしはただひたすらじっと話を聞いていて、せっかく淹れてもらった紅茶も手付かずのままぬるくなってしまっていた。勿体なくて、お行儀悪いのかもしれないけれど一気に飲み干す。
「こちらこそ、話してくれてありがとうございました」、そう言ってルークが退出しようと腰を上げたとき、わたしはようやく口を開いた。
「ルーク、ちょっと先に行ってて」