崩落編
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ぷしゅう。
バスが停まり、扉が開く。わたしが降りるバス停だ。かばんを持って、よいしょ、と立ち上がる。おや、今回は普通に動くことができる。
―――今回?前回は、なんだったっけ。
普段は家から学校まで徒歩だから、定期券なんてものは持っていない。お財布から小銭を取り出すのにもたつく。
「降りていいのかい?」
「え?」
突然、運転手さんに話しかけられる。降りていいのか?当たり前だ。わたしの学校はもうすぐ近くなのだから。
「……はい。まあ。ありがとうございました」
「そうかい」
よくわからないな。そう思いながら投入口に小銭を入れて、とん、とん、とステップを降りた。
瞬間。目の前が、真っ白に染まる。
◇◇◇
「―――、ハナ……、ハナ!」
「……ジェイド…さん?」
「目が覚めましたか。どこか痛むところは?体に違和感はありますか」
「……手が、痺れてますけど、大丈夫…ここは……」
わたしの名前を呼ぶ声がした。ふっと意識が浮上する。なんだか篭ったような空気、息がしづらくて気分が悪い。
ゆっくりと目を開けると、目の前には青い軍服。ジェイドさんが、わたしの肩に手を添えてこちらの顔を覗き込んでいた。
「私たちはアクゼリュスの崩壊に巻き込まれたようです。ティアがあの譜歌を詠ってくれなければ、私たちも死んでいました」
「崩壊……」
崩壊。そうだ、アクゼリュスは崩落してしまった。わたしが止められなかったから。
身を起こして、辺りを見回す。痺れた掌と頭がずきずきと痛んだ。アクゼリュスの街は見る影もなく、周囲には毒々しい紫色の泥の海が広がっていた。空気が濁っている。ティアの譜歌のおかげで崩れなかったのか、わたしたちは全員比較的大きな大地の上にいたため、あの泥の海に沈むことは免れたようだ。
崩れた大地は周りのあちこちに浮かんでいる。その上に折り重なる人々の……死体に、思わず目を覆いたくなった。
「あ、あ、ぁ…………アクゼリュスの、人たちは……」
「……生存を確認したのは、20名ほどです。第14坑道の周辺にいた人々は、軽症で済んでいました」
「20……」
20人。たったの?
"物語"では、アクゼリュスの人々に生き残りはいなかったと思う。崩落直前、無我夢中で張った音素の障壁。あんなものでは、一万人のうちのたったの20人しか救えなかったというのか。
わたしが、迷ったせいで。遅かったせいで。弱かったせいで。
「……あそこ!誰かいるわ!」
ティアが叫ぶ。ティアの視線の先を見ると、泥の海に浮かぶ木片の上に、幼い女の子がしがみついていた。怪我を負っているらしく、その顔は痛みと恐怖で歪んでいる。
「……!!!」
「ハナ!駄目よ!」
それを見て、咄嗟に立ち上がって女の子の方へ駆け出した。泥の海まであと一歩というところで、ティアに力いっぱい止められる。
「この泥の海は障気を含んだ底なしの海。迂闊に入れば助からないわ」
「でも…でも!!助けないと!!」
「ここから治癒術をかけましょう。届くかもしれない」
ティアと、同じく治癒術を使えるナタリアがわたしの両脇につき、術を使うために構える。しかし、その間にも女の子を乗せた木片はずぶずぶと沈んでいく。
「おい!まずいぞ!」
「いかん!」
「助け……て……ママ…パパ………たす……け……」
「ああ…あ、ぁ……!」
治癒術では間に合わない。ガイが駆け出そうとするも、わたしたちのいる大地が急に大きく揺れて、よろめいてしまった。その揺れで無慈悲にも、泥の海はどぷんと女の子を呑み込んだ。
その場の全員が息を呑む。「……くそ!」、伸ばした手のやりどころを失くしたガイが、悔しげに地面を殴りつけた。あの子はジョンくんではない。でもジョンくんくらい小さな子だった。同じ命。これは、こんなのは。
全部わたしのせい。わたしのせいだ。悪いのは―――
「…………は、っはぁ、……ひ、…はぁ、っ」
「…ハナ!?落ち着いて!」
「しっかり!」
「過呼吸です。落ち着いて。ハナ、大きく吸って、ゆっくり吐きなさい。……そう、そのまま」
苦しい。うまく息ができない。ひゅ、ひゅ、と浅い呼吸を繰り返す肺を胸の上から押さえつけて蹲ると、大きな掌がわたしの背中を撫でた。落ち着く声に、少しずつ余裕を取り戻していく。すう、はああ、と深い息を繰り返して、しばらくすると再び普通の呼吸ができるようになった。
「落ち着きましたか。…ここにいてはまずい。タルタロスに行きましょう。緊急用の浮標が作動して、この泥の上でも持ちこたえています」
「…歩けますか?」とこちらを伺うジェイドさんにこくんと頷いて返す。もう呼吸は収まった。…大丈夫。
タルタロスはわたしたちが落ちた大地からさほど離れていない場所に浮かんでいた。拿捕した神託の盾がティアを攫うためアクゼリュス近くに乗ってきていたから、一緒に落ちてしまったのだろう。
わたしたちと、それから生き残ったアクゼリュスの人々はタルタロスへと移動した。艦内をざっと確認したジェイドさんたちが、アクゼリュスの人々を船室で休むように促す。ジェイドさんたちも状況がわかっていないため、人々に説明はできない。突然地獄に落とされたかのような状況に人々も混乱、あるいは憔悴していて、怒りだしたり暴れだしたりする余裕もないようだった。
「何とか動きそうですね」
船橋の確認に行っていたジェイドさんが、わたしたちが集まっているデッキに戻ってくる。……少しだけど、血がついている。…タルタロスは無人だったわけではないのだ、船橋にはきっと、神託の盾の人たちが。
「魔界(クリフォト)にはユリアシティという街があるんです。多分ここから西になります」
「詳しいようですね。この場を離れたら、ご説明をお願いしますよ」
ジェイドさんの言葉に、ティアが頷く。ゆっくりと動き出したタルタロスは、沈みゆくアクゼリュスだった大地を後にした。
✱✱✱
「行けども行けども、何もない。…なあ、ここは地下か?」
一面が紫色の泥の海、そこへぽつんと浮かぶタルタロスのデッキでガイがそう零す。
「…ある意味ではね。あなたたちの住む場所は、ここでは外殻大地と呼ばれているの。この魔界から伸びるセフィロトツリーという柱に支えられている空中大地なのよ」
「意味が……わかりませんわ」
「昔、外殻大地はこの魔界にあったの」
魔界の事情を知るティアとイオンが語り出す。二千年前に発生した原因不明の障気、それによる大地の汚染。世界の滅亡から逃れるために、ユリアは七つの預言を詠んで、世界を繁栄に導く道筋を発見した。それが、地殻をセフィロトで浮上させる外殻大地計画だったと。
「それが外殻大地の始まり、か。途方もない話だな…」
「ええ。この話を知っているのは、ローレライ教団の詠師職以上と魔界出身の者だけです」
「じゃあティアは魔界の…?」
「…とにかく僕たちは崩落した。助かったのはティアの譜歌のおかげですね」
「何故こんなことになったんです?話を聞く限り、アクゼリュスは柱に支えられていたのでしょう?」
ジェイドさんの質問に、わたしは思わず俯きそうになる。イオンも言いづらそうに表情を歪めた。
「それは……柱が消滅したからです」
「どうしてですか?」
みんなの視線が一斉にルークへと集まる。今までずっと黙っていたルークが、さっと顔色を青くした。
「……お、俺は知らないぞ!俺はただ障気を中和しようとしただけだ!あの場所で超振動を起こせば、障気が消えるって言われて……!」
「あなたは兄に騙されたのよ。そしてアクゼリュスを支える柱を消してしまった」
「そんな!そんな筈は…」
「…ヴァンはあなたに、パッセージリングの傍へ行くよう命じましたよね。柱はパッセージリングが作り出している。だからティアの言うとおりでしょう。僕が迂闊でした。ヴァンがルークに、そんなことをさせようとしていたなんて…」
「……せめてルークには、事前に相談して欲しかったですね。仮に障気を中和することが可能だったとしても、住民を避難させてからでよかった筈ですし。…今となっては言っても仕方のないことかもしれませんが」
「そうですわね。アクゼリュスは…消滅しましたわ。何千という人間が、一瞬で……」
「……お、俺が悪いってのか…?」
みんなが痛ましげな面持ちで言う。それがルークを追い詰める。ああ、その先を言っては駄目。
「ルーク、まって」
「…俺は……俺は悪くねぇぞ。だって、師匠が言ったんだ……。そうだ、師匠がやれって!こんなことになるなんて知らなかった!誰も教えてくんなかっただろっ!
俺は悪くねぇっ!俺は悪くねぇっ!!」
「…ルーク……!」
ルークの悲痛な叫びがデッキに木霊する。いきなりこんなことになって、そう言いたくなるルークの気持ちはもっともだ、でもそれは、絶対に言ってはならないことだった。
「……大佐?」
「船橋に戻ります。……ここにいると馬鹿な発言に苛々させられる」
「なんだよ!俺はアクゼリュスを助けようとしたんだぞ!」
「変わってしまいましたのね…。記憶を失ってからのあなたはまるで別人ですわ……」
「お、おまえらだって何もできなかったじゃないか!俺ばっか責めるな!」
「あなたの言う通りです。僕は無力だ。だけど…」
「イオン様!こんなサイテーな奴、ほっといた方がいいです」
「わ、悪いのは師匠だ!俺は悪くないぞ!なあ、ガイ、そうだろ!?」
「ルーク…。あんまり幻滅させないでくれ」
「少しはいいところもあるって思ってたのに……。私が馬鹿だった……」
ジェイドさん、ナタリア、イオン、アニス、ガイ、そしてティア。みんながデッキから去っていく。残ったのはルークとミュウと、何も言うことのできなかったわたし。
「……ど、どうしてだよ!どうしてみんな俺を責めるんだ!」
「ご主人様…。元気出してですの」
「だ、黙れ!おまえに何がわかる!」
「ボクも……ボクのせいで、仲間、たくさん死んでしまったから……。だからご主人様の気持ち……わかるですの」
「おまえなんかと一緒にするな!おまえなんかと……うぅ……」
「ルーク…。あのね。みんなはきっとルークが柱を消しちゃったことを責めてるんじゃないんだよ…」
「じゃあ何だって言うんだっ!全部師匠が言ったからなのに、俺は、俺は悪くない…!」
「ルークだけが悪いんじゃない。みんなわかってる。ルークもわたしたちもみんな……責任がある。みんなそれをルークにわかってほしくて、」
「訳わかんねぇよっ!みんな俺から離れていったじゃないか!おまえだって…おまえだってそうなんだろ!」
「違うよ!ルークの気持ちはわかるの、わたしは……違う、本当はわたしが、」
「おまえなんかにわかられてたまるか!おまえもどっか消えろよ!……あ……、………うぅ……」
ばちん。伸ばした手を払い除けられる。デオ峠のときと同じ、二度目。ルークが苦しんでいる。みんなが悲しんでいる。わたしはこんな未来を見たくなかったのに、こんな未来をみんなに見せてはいけなかったのに。
「(……ああ、駄目だ、泣きそう)」
―――こわいのも逃げたいのも当たり前。でも、みんなその当たり前に一生懸命抗って生きてる。わたしもみんなと行動する間、当たり前を少しだけ我慢してみようって決めたんだ。
タルタロスから逃げ出した夜、ルークに言ったこと。あの時から、わたしはつらくても泣かないと決めたのだ。泣いて、くじけて、立ち直れなくなるのが怖いから。歩みを止めたら、わたしはこの世界では生きていけないから。
ごめんね、ルーク。本当はわたしが悪いの。知ってたのに、あなたを止めてあげられなかった。罪を背負わせてしまってごめんなさい。
「………っ」
涙が零れる前に、デッキを後にする。ルークに罪を背負わせた一端であるわたしが、ルークの前で泣いちゃいけない。
閉じた扉を背に、とうとう堪えきれなくなった涙が一滴零れる。泣きたくない。泣いては駄目。今、心を強く保たないと、わたしは本当に死んでしまいたくなる。ぐしゃ、と自分の髪を握りしめる。すると、纏めていた髪がぱさりと広がった。かしゃん、と軽いものが落ちる音がする。見ると、床に落ちたのはわたしのバレッタで。
「…………うそ……?」
落ちたバレッタは、金具の部分が拉げていた。崩落のときの衝撃で?震える手でそれを拾い上げる。塗装が禿げてぐにゃんと歪んだそれは、もうしっかりと嵌まることはない。
「………そんな……」
これは、このバレッタは、身一つで世界を飛び越えてしまったわたしが持っていた数少ない元の世界のもの。着ていた服はぼろぼろになって、ここで生きるのに適さない靴は履き替えて、残ったこれだけがきれいな元の形を保って持ち歩いていられるものだった。
心の拠り所がなくなってしまった気がして、引っ込めたいのにまた涙が滲む。
「う……うぅ………」
「……ハナ」
ずるずるとその場にへたり込むと、静かにわたしを呼ぶ声がした。今は、返事も顔を上げることもできない。話しかけてきたその人はしばらく沈黙したあと、座り込んだわたしをゆっくりと抱き上げた。子供にするみたいに抱えて、空いた船室に入るとベッドの上にわたしを下ろす。
「随分と追い詰められた顔をしていますね」
「………」
「ルークと何を話していたかは知りませんが」
「………」
「今の彼に、何を言っても無駄です。彼が自分の罪を受け入れない限り、」
「………ちがう」
「…ハナ?」
「ちがうんです…!ルークは悪かったかもしれない、でもそれも全部っ、全部…!わたしが悪いんです…!!」
「…それは、」
「知ってたのに…!!何もできなかった、助けられなかった!ルークも……!アクゼリュスの人たちも……!」
視界を遮るように頭を抱えた。ぐしゃりと髪の毛を握りしめ、力いっぱい握っているバレッタの欠けた金具が掌に刺さる。
目の前の人……ジェイドさんの手が、わたしの両手に触れた。握った手をそっと開かれる。
「……話して下さい。あなたの『隠していること』を」
ジェイドさんの紅い瞳は真っ直ぐこちらを見つめている。
もう隠せない。もうたくさんだ。全部吐き出してしまいたい。たとえ信じてもらえなくて一人ぼっちになっても、責められても、それがわたしへの罰ならば。
「……わた、しは―――」
「……では、あなたはその"物語"の知識で、アクゼリュスの崩落を知っていたと?」
「……はい」
ジェイドさんに、話した。話してしまった。わたしが記憶喪失ではないこと、ここではない別の世界から来たこと。わたしの世界で、ルークの辿る運命が物語として存在すること。わたしはその記憶を有していることを。
「謝って許されることじゃない。でも本当に……ごめんなさい。…未来を変えることが怖かった。知らないことが起こるんじゃないか、誰かが余計に傷つくんじゃないかって思って……すぐに動けなかった。そのせいでルークに罪を着せてしまった……」
「……俄には信じ難い話ですが、それならあなたの今までの不可解な行動にも説明はつきますね。いくつか質問しても?」
「…はい」
「あなたはこれから先の未来も知っているのですか」
「…はい」
「この後、我々がどうなるかは?」
その質問に、わたしは自分のかばんを開いてノートを取り出す。首に下げた鍵を服の下から取り出して、開けた。
「…それは」
「わたしの記憶にある"物語"を覚え書いたものです。これは暗号なんかじゃなくて…わたしの世界の、わたしが生まれた国の文字」
ぱらり、ページをめくる。アクゼリュス崩落の次のページを。
「この後、ユリアシティに着きます。ティアが育った街です。別のルートで街に来たアッシュと合流して、セフィロトを利用してタルタロスごと外殻大地に戻ります。……ルークとティアとミュウは、ユリアシティに残ります」
「………わかりました。信じましょう」
「……信じちゃうんですか?こんなおとぎ話みたいな話。大嘘かもしれないのに」
「あなたの嘘は、嘘だと一発でわかりますから。それに先程も言った通り、あなたのそれが本当なら今までのことに辻褄が合うんです。これで嘘なら、大した役者だと手を上げて降参するしかありませんね」
「……責めないんですか、わたしを。こんなことになったのはわたしのせいなのに」
「確かにあなたにも重い責任はある。しかしそれは我々も同じことです。ルークのことも…。我々全員の行動が、今回のことに繋がってしまいました」
「………」
「それだけのものをたった一人で抱えて、悩んで、それでもあなたは抗うと決めて行動したのでしょう。だからこそここにいるのでしょう。…罪は罪。しかしそれを自覚して償おうとしているあなたを、私は責めません」
「…っう、うぅ………っ!」
「泣いてしまいなさい。私はあなたを受け入れましょう。もう一人で抱えなくていい」
「………っう、ぁぁぁん…!わぁぁぁ…っ!」
箍が外れたように、涙があふれた。怒って責めてくれればいくらだって謝ることができるのに、それをしない目の前の人はわたしを受け入れると言う。そんな優しさが苦しくて、嬉しくて、わたしはジェイドさんにしがみついて子供みたいに泣いた。
涙の染みがついてしまうのにそのままにさせてくれる彼が、いつもみたいに優しく頭を撫でるから、こんな時であるのにどうしようもなく安心してしまうのだ。
おまえのせいだって責めて欲しかった。たくさん謝って楽になれたらと思った。欲しい言葉は貰えなかったのに、どうしてこんなに救われた気持ちになるんだろうか。
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