序章
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「ん〜、いい天気!」
ダアト滞在2日目。雲一つない晴天だ。
今日はまず、昨日のうちにできなかった仕入れを済ませなければならない。
昨日は結局夕方近くまでリグレットさんに付き合ってもらってしまった。そのことを謝りお礼を言うと、「いいえ、私こそ楽しい休日をありがとう」と言ってくれた。本当に素敵な女性だ。
一方リグレットさんと別れてからのわたしは、ダアトに着いて早々ひったくり騒ぎに巻き込まれ、その後リグレットさんとの時間を楽しむのに意識をすべて持っていかれていて、スパイスの仕入れも泊まる宿の確保もしていないことに気づいて慌てに慌てた。
仕入れは次の日以降に回せるが、宿はもう部屋が埋まっているかもしれない。実際街の宿屋を二軒回ったが満室で、三軒目に訪れた宿屋でなんとか最後の一部屋を借りられたころには外はすっかり真っ暗になっていた。泊めてくれたのはゲームでもお馴染みだったあの宿屋である。安宿で部屋も狭くあまり人気がないらしいが、以前はお金がなくてぼろのアパートで極貧暮らしをしていたわたしにとっては十分すぎるところだった。
日課の日記とノートをまとめて、朝の身支度を整える。この世界に来てからは目覚まし時計なしでも早起きができる習慣がついたので、目当てのスパイスを扱うお店が開く時間まではたっぷり余裕がある。ゆっくり朝の散歩を兼ねてどこか朝ごはんを食べられるお店を探して、その後仕入れを済ませたら、街をいろいろ散策してみよう。ざっくり一日の予定を決めたら、リグレットさんに買ってもらったぴかぴかのかばんを背負って宿を出た。
✱✱✱
少し余裕を持ちすぎて出てきてしまったけど、スパイス屋さんは宿から反対方向の街の外れにあったため、何度か迷子になりながら辿り着いたころにはすっかりと陽が上りきっていた。
「ああ、ハナさんだね。仕入れに来るってロシーから手紙で聞いてた。来る頃だと思ってもう裏から出しといたからすぐ包むね」
「わ、ありがとうございます。ロシーさん、連絡しておいてくれたんですね」
「原料が希少なぶん在庫も多くはないからね。ロシーみたいに業務用レベルで買っていく客には事前連絡をお願いしてるよ」
「そうなんだ…」
対応をしてくれた店主のリシさんに代金を渡すと、彼は金額の確認をしながら言う。
「ロシーみたいに個人営業でうちの商品使ってる客はそういないけどね。うちが扱うのはパダミヤの良質な植物から採取したのを全部手作業で加工したもので、味と質はその辺のよりずっといいけどそのぶん高級品になってしまうから」
普段は王宮とかに出してるものだからあいつのこだわりは相当だよ、とリシさんは笑った。ひええ、そんなすごいものなんだ…。想像以上に責任重大、うっかり落としたりしたら大変だ。ロシーさんのごはんはすごく美味しいけどそんなにこだわりがあったのか。にしてはお店のメニューは随分リーズナブルだと思うんだけどな。赤字とかにならないんだろうか。
リシさんは結構おしゃべりな人で、わたしが棚の商品に目を向けると目敏く気づいてその種類は香りが強くて、とかそっちのはこういう料理に、とかと色々教えてくれる。料理は嫌いではないのでふんふんと頷きながら聞いていると、これなんか値段も手頃で家庭料理にも使いやすくておすすめ、初回だから安くしとくよ〜とわたしが返事をする前にささっと包まれてしまった。ご、強引…!本当にお手頃価格だったし料理のレシピも教えてもらえたからまあいいかと思うことにしたけれど。ジャジャーン、花はムニエルのレシピを手に入れた!頭の中にお馴染みの音楽とテロップが流れる。グランコクマに帰ったらキッチンを借りて作ってみようとしっかりメモして、リシさんにお礼を告げてからお店を出た。
一箱分のスパイスを抱えて歩くのは両手が塞がって不便で、台車か何か借りればよかったなと後悔しつつ、宿までの道をふらふらと戻る。歩きながら街を眺めれば、建物の壁に小さく落書きがあったり、ローレライ饅頭とかザレッホ黒たまごとかのご当地品が売られていたり、『礼拝印提示で1割引!』という張り紙を出すお店があったりと、画面越しではわからなかったリアルな街の景色がとても楽しい。礼拝印って何だろう、御朱印みたいなものかな。ダアトは観光客も多いとあってお土産の種類も豊富で、モリーさんたちには日持ちがしそうという理由でローレライ教団マークが描かれたバタークッキーを買った。あ、また荷物増やしちゃったな。
その後もきょろきょろと視線を動かしながら歩いていれば、ふと目に入った深紅に目を奪われる。
「あれは………」
燃えるような赤い長髪、全身真っ黒な信託の盾騎士団の服。"物語"の重要な鍵を握る彼。遠くから見える後ろ姿だけど見間違えるはずもない、あれはきっとアッシュだ。どうしてこんなところにいるのかわからないけど、彼は信託の盾に所属しているのだし、ダアトのどこにいてもおかしくはないのかもしれない。
彼はとても重い運命をその背に負っている。"物語"の知識を持っていなければ、とても想像すらできないくらいに。彼の過去や未来をわたしが覗き見るようにして知ってしまっていることに、どうしようもない罪悪感が湧いてしまう。知っていても、それをどうすることもできないことにも。
ジェイドさんやフリングスさん、昨日のリグレットさん、そしてアッシュ。物語の登場人物に出会う度、わたしは同じ罪悪感と無力感を覚える。きっと皆が誰にも知られたくない過去も、これから降りかかる苦しみも、失われる命もわたしは知っていて何もできない。わたしは主人公じゃない、ただの一般人だから。
なんの力も持たないわたしがどうしてこの世界に来てしまったのか、いつになったら帰ることができるのか。そのどちらもがわからないのも、やっぱり、苦しい。
「…やめやめ!暗いこと考えるのはやめ!せっかくダアトに来れたんだから、ちゃんと楽しまないと」
むくむく膨らむ暗い気持ちに慌てて頭を振る。今考えたってわからないことは悩みすぎてもしょうがない。今はできることをしよう。おつかいを完了させてまたグランコクマでお店のお手伝いをする。"物語"の知識で崩落や戦争の危険がわかっているのだから、わたしのできる最大限でモリーさんとロシーさんを守ろう。そのために、毎日ちゃんと生きる。
もう一度アッシュがいた方向を見る。彼はもうそこにはいない。ごめんね、と小さく呟いて、わたしは止めていた足を再び動かした。