序章
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その日の午前中には旅支度を終えて、昼過ぎにグランコクマの港から出ている定期船に乗り込む。一部屋与えられた船室はいちばん格安のものだけど、船なんて上野公園のスワンボートくらいしか乗ったことのないわたしには値段なんて関係ないくらいわくわくするもので、足元がゆらゆらする感覚を楽しみながら船室にあったダアトの観光案内を眺めてみたり、船の中を探検してみたりして過ごした。
船に揺られて数日間。ダアトの港に到着すると、観光客向けの辻馬車が出ていたので乗せてもらうことにする。ダアト港からダアトの街まではそれなりの距離があり、街の外には魔物が出るのがこの世界の当たり前。ここでお金をけちって護衛や辻馬車を雇わずに外を出歩いたら、この世界に来た日と同じ目に遭うことは間違いない。そんなの本末転倒だ。
港から数時間、石碑の丘を越えて、ようやくダアトの街の入り口に到着した。
「でっか……おっきいなー……」
ダアトはそれは大きな街だった。小さいとはいえ大陸ひとつ所有して作り上げた、世界中に信者がいるローレライ教団の街。街並みか白と青で統一されていて貴族や華やかな人が多いグランコクマとはだいぶ印象が異なり、グレーを基調とした建物が建ち並び、街ゆく人の多くは落ち着いた雰囲気を感じさせた。
街を歩く人は教団員であろう制服のような長い服を着た人やダアト独自の軍隊である信託の盾騎士団(オラクルきしだん)の人が多かったが、ちょくちょく貴族のような派手な格好の人や案内人に連れられてぞろぞろと歩く人も目にするのできっと世界中から預言を詠んでもらったり巡礼をしたりのために人が集まっているんだろう。
「さて、まずは宿を取ってスパイスの仕入れを済ませないと!」
確かモリーさんが描いてくれたお店の地図が〜、とポケットをごそごそ探るのに気を取られていると、いきなり後ろからどんっと押されたような衝撃。思わずよろけてしまい、大勢を立て直す前にぶちりと嫌な音がして体にかかる荷物の重みがなくなった。
「は!?あ、ちょっと、かばん…!!!」
ひ、ひったくり!?
大変だ、あれにはモリーさんたちから預かったお金も日記も"物語"のノートも入っている。何としても盗られるわけにはいかない!
一拍遅れて慌てて走って犯人を追いかけるものの、相手は速く、というよりわたしが鈍足すぎて距離は離れていくばかりだ。おまけに体力がなさすぎてすぐに息が切れてくる。
「はあ、は、え゙ほ……そのひと、ひったくりですー!!、はあっ、つかまえてください、だれかー!!」
息を切らしながら必死に周りに助けを求めてみるものの、既に犯人はだいぶ離れていってしまっている。もうだめかも、と泣きそうな気持ちになってきたとき、遠くを走っていた犯人が派手に地面を転がった。
「!?」
「ってえ!ぐえ、クソ、何なんだてめえ!放しやがれクソアマ!」
「それは無理な相談だ。貴様は現行犯で連行する。神聖なるダアトの治安を乱した罪を償う心の準備をすることだ」
「ちっ、信託の盾かよ!折角どんくさそうないいカモだったのに、っ痛ってえ!」
わたしがようやく追いつけたときには、金髪のきれいなお姉さんが犯人を押さえつけていた。ど、どんくさい………!?ひどい。否定はできない。
周りの人が呼んでくれたのかすぐに憲兵がやってきて犯人を連行していった。あっという間に収められた騒ぎに呆気にとられていると、さっきのお姉さんが近づいてきてはっとする。手にはわたしのかばんを持っている。
「貴女のでしょう。盗られたときに紐を切られてしまったみたいだけど、中身は全て無事なはずよ」
「あ、ありがとうございます…!!すっごく大切なものが入ってたんです、本当に助かりました!」
「いいのよ、仕事だもの。今日は非番だけれどね。情けないことだけれど、ここには観光客狙いのああいう輩もいるから気をつけなさい」
「はい、もう気を抜かないようにします。あの、お姉さん、今日お休みなんですか?」
「?ええ」
「あの、お礼にお茶でもいかがですか!わたし、ご馳走させていただきますので!」
どーん!と効果音がつきそうなくらいの勢いで言い切ったわたしにお姉さんはきょとんとしている。お礼もしたいし、なんだかすごく友達になりたい。すごくかっこよかった。ひとめぼれかもしれない。
お姉さんは困ったような顔をしていたが、ふんすふんすと鼻息荒いわたしを見てなのか、わかったわと了承してくれた。押しが強くてごめんなさい。
✱✱✱
「リグレットさんって26歳なんですか!?」
「あなた19歳だったの……」
街の中央にあるおしゃれな喫茶店。ダアトに来る女の子たちに人気らしい。と、先ほど半ば強引にお茶に誘ったお姉さん、リグレットさんが教えてくれた。
そう、わたしがピンチを救ってもらったかっこいいお姉さん、しかしてその正体は"物語"で主人公たちの前に立ちはだかる敵、信託の盾騎士団六神将の一角、魔弾のリグレットだった。私服だし髪型も違くて全然わからなかった。わたしこのパターン多くないか。
お互い自己紹介をしたときにそれが判明してぴしっと固まってしまったが、そんなタイミングで席に運ばれてきたきらきらのかわいいケーキに釘付けになるわたしを見る目が優しくて、抱いた警戒心なんてものはあっという間に霧散してしまった。ち、ちょろくなんてないぞ。リグレットが本当は優しい人なのをわたしは知っているからだ。けして美人につられたわけではない。
わたしが仕入れ仕事のためにダアトに来たのだと話すとリグレットさんは「へえ、その年で立派に仕事をしてるのは偉いわ」と言うので、ん?と違和感を覚えたわたしは訊いたのだ。わたしのこといくつに見えます?と。そこでお互いに初めて年齢を明かし、先程の会話に至る。
「さっきが格好よすぎてもっと年上だと思ってた……いや外見はむしろ若く見えますけど……」
「…ごめんなさい、てっきり14歳くらいかと…」
「それ中学生じゃないですか!!」
「チュウガクセイ?」
「あっいえ何でも」
いけないいけない。だって19歳の女が14歳って流石にそれは。確かにこっちに来てからずっとすっぴんだし周りの同年代と比べたらちょっぴりチビかもしれないけど、義務教育過程に見られているとは思いもしなかった。じ、じゃあリグレットさん、お茶の誘いも子供のお願いだからって断れなかったのでは……??わたしそんなにガキっぽいのかなあと少しショックを受けていると、自分も年上に見られて不快だったかもしれないのにリグレットさんがおろおろし始めたので、やっぱりこの人は優しいんだと思う。もう一度謝ろうとしてきたリグレットさんに向かっておもいっきり自分の頬を両手で潰し、渾身の変顔で「うそです!」と言ってみたら、リグレットさんはびっくりしたあとくすくす笑って「そういうところが子供らしく見えるのよ」と可笑しそうに言った。ガーン。
✱✱✱
「リグレットさん、お姉さんみたい〜」
「そう?あなたはどちらかと言うと妹らしいわよ」
「こう見えてもお姉ちゃんですよ!弟ふたりいます、双子の」
「あら、そうなの。ハナなら下の子にも懐かれていそうね」
「へへ!リグレットさんもですよ、わたしが妹ならずっと慕ってついて回りたいです」
「ふふ、変わってるわ、貴女。でもそう思ってくれるのは…嬉しいわね」
「リグレットさんの髪型すてきですね、わたしも伸ばしたらできるかな」
「今のあなたも十分素敵よ。そのバレッタも似合ってる」
「ほんとですか、嬉しい!すごく大切にしてるものなので…」
「わたしも訓練すればリグレットさんみたいに強くかっこよくなれます?」
「資質で差がつく部分はどうしてもあるけれど、正しい鍛錬と努力を積めば必ず強くなるわ。なりたい姿になる努力を諦めなければきっとあなたに憧れる人も現れる。それが『かっこよくなること』じゃないかしら?」
「か、かっこいい…!!一生ついていきたい」
「大袈裟ね」
リグレットさんとの会話はたいへん盛り上がった。というよりリグレットさんが聞き上手すぎて何を話してもわたしのテンションが上がる返しをしてくれるためわたしが勝手にどんどん盛り上がった。
リグレットさんが二人分のお会計をとんでもなく自然にスマートに済ませようとしたのをすんでのところで食い止め、ここは意地でもとわたしが払わせて頂いた。せっかくのモリーさんたちの気持ちを宿代だけで全く手付かずにするのもどうかと思って使い道を考えていたので、こういうことに使えるのなら万々歳である。そうしたら今度はリグレットさんがお礼にわたしの切られたかばんの代わりを贈ると言い出して、堂々巡りになるからと遠慮するわたしの声も届かずとても丈夫で軽くてわたしが切れっ端で作ったポシェットなんかよりよっぽどおしゃれな、どう考えてもそれ高いですよねと言いたくなるかばんを頂いてしまった。お礼をするはずがわたしばっかり得をしてしまっている!
「ごめんなさいリグレットさん…わたしばかり楽しんで…もらってばかりで…」
「私も楽しかったからいいのよ。仕事以外で誰かとこんなに話すのも随分久しぶりだったもの。どうしても気になるのならそうね、謝罪じゃなくて他の言葉が欲しいわ」
「あ…!そうですよね、ありがとうございますリグレットさん!絶対大事にします!もう盗られないように気抜きません」
「ふふ。そうね、そうして頂戴」
そう言って微笑んだリグレットさんは優しくてきれいで、"物語"のことは一切関係なしにこの人のことがとても好きだと思った。この人が誰かを傷つけて、傷ついて、いなくなってしまう未来がすぐ近くにある。そんなのは嫌だなあと思った。