序章
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この世界に来てからわたしが日課にしていること。
ひとつめは、勉強。この世界の共通言語であるフォニック語の読み書きを習得するため、休憩時間や店じまいのあと、お店の主人のロシーさんが手作りしてくれた文字表を元に本を読んだり、書き取りをしたりする。
フォニック文字はわたしの世界で言うところのアルファベットとアラビア数字に対応していて、文法も英語とあまり大差がない。文字さえ覚えてしまえば、中学高校の延長のような気分で勉強できた。ただ、誰かに見られる危険があるから、訳やメモを日本語で書き込めないのが難しいところ。
ふたつめは、日記。これも勉強の延長で、文字や文法を練習するためと、新しく覚えたことを忘れないようにするのが目的。特に街に溢れている譜術や譜業を利用した道具なんかは、わたしにとっては馴染みがないのに一般の人は当たり前に使いこなしているものだから、使えなくて狼狽える、なんて事態は避けたい。
他にも、買い物の仕方とか街の地理とか物価とか、出会った人の名前、美味しかった料理、図書館で借りた本の返却日なんかもメモしたり。書くことは毎日たくさんだ。いつか元の世界に帰ると決めているけど、知識をつけないと今日を生きてはゆけないから。
そしてみっつめ。"物語"を書き記すこと。
この世界は、わたしにとってゲームの中の世界だった。もちろん今は全てがゲームで作り物なんて思っていない。思えない。この世界の人たちはみんな"生きて"いる。この世界は現実だ。
でも、昨日出会ったフリングスさん。彼はゲームの中に登場していた人物の一人だ。彼がいたのなら、他の登場人物たちもこの世界に存在していると考えていいだろう。ルークも、ヴァンもみんな。
わたしがモリーさんたちに拾ってもらった日は「ND2017・ルナリデーカン・ルナ・23の日」らしい。この世界の暦ももうマスターした。
それから一ヶ月近く経った今日はND2017・ローレライデーカン・シルフ・31の日。この世界がゲームの中と同じ歴史を辿っていて、わたしの記憶が正しいのなら、あと50日ちょっともしたらゲームのストーリーが始まる、はず。
わたしがルークたちの戦いの旅に参加できるとは思えないし、できたとしてもそんな勇気はないけれど、いずれ世界中を巻き込む事態になるのだ。世界中でわたしだけ無関係でいられるなんてあるはずがない。"物語"の知識は、あれば絶対に役に立つと思う。
自分が見てきた"物語"の知識をできるだけ沢山、細かく、ノートに記す。ページを入れ替えられる鍵付きの小さなリングノートに、"物語"の主軸に関わらないものも思い出せるものはすべて書き起こして、順序を整えて見やすいように整理する。わたし以外の誰にもわからないよう、全て日本語で。
この一ヶ月間書き溜めてきて、だいぶ大筋は埋まってきた。この調子なら思っていたより正確なものにできるかもしれない。案外覚えててよかった、この世界に来る前日まで、ちょうどゲームを遊んでいてクリアしたところだったのが幸いした。あの日は最後の休日で、どうしてもクリアまでいきたくて夜遅くまでなんとか粘って―――
「…わたし、どうしてここに来ちゃったんだろう……」
それはずっと思っていたことだった。馴染むために、生きるために、考えないよう一先ず頭の隅に追いやろうとしたけど、考えずにいられるわけがなかった。
あの日わたしは何をしていたのか。あの日、世界を飛び越えた瞬間の前後の記憶が、わたしの頭からはぽっかりと抜けていた。
あの日、あの時、わたしは―――
「ハナちゃーん?起きてる?起きてたらちょっと降りてきて〜」
下の階から響いた溌剌とした声にハッとして思考を中断する。モリーさんだ。まだいつもの時間より早いけど何かあったのかな。
はーいと返事を一つ返して、仕事に向かうべく机に広げていた筆記具を手早く片付けて、肌身離さず持ち歩くと決めているリングノートは服のポケットに突っ込んだ。
✱✱✱
「フリングスさんのですか?」
「たぶんね。昨日座ってた席に忘れてあったから。今日は予約が多いからあたしもロシーも仕込みのうちから抜けられないし、悪いんだけど届けてきてあげてくれないかい?大切なものだったら向こうも困るだろうしね」
昨日あのあとお店でご飯を食べて行ってくれたフリングスさんが忘れ物をしていったらしい。ちなみに昨日のフリングスさんはロシーさん特性の大鍋シチューを2回もおかわりしたあと少しだけお酒も飲んで、ちょっぴり赤くなった顔で帰っていった。賑やかで楽しかったな。お店が賑やかなのはいつものことだけど。
モリーさんに差し出されたそれはペンだった。新品同様にぴかぴかで、普段使いするにはちょっと高価な感じだ。執務とかに使うのかな。
わかりましたと受け取ったそれを洗いたてのハンカチに包んで、ポシェットに大事に仕舞った。
「作戦本部か宮殿にいると思うよ。もし入れなかったら名前と要件を言って、軍の誰かに預けておいで」
「わかりました!」
「…ハナ」
「はい?」
「兵士に何か言われたら、酒場のロシーに言われて来たと言いなさい。気をつけて、行っておいで」
「…はい!いってきます!」
寡黙なロシーさんが話しかけてくれるのは結構珍しいことなので何かと思ったけど、ロシーさんはわたしの頭に大きな手をぽんと乗せてから見送りの言葉をくれた。
大柄で言葉の少ないロシーさんに最初の頃はびくびくしてしまったけれど、接してみればちょっぴり口下手で不器用なだけで、たまにこうして触れ合うときに伝わる優しさはとてもあたたかい。森のくまさんみたいだ。
✱✱✱
軍の作戦本部に行くにはまずこの国の王様、ピオニー陛下がいる宮殿の前を横切る。王宮を間近で見たのは今日が初めてだった。水上の帝都、水の都と言われるだけあって、海の上に作られたここグランコクマには至る所に水路や滝があって、青と白で統一された街並みと調和してとても美しい。その中でもこの宮殿は格別にきれいだと思った。真っ白な宮殿を囲むように流れる巨大な滝は圧巻で、庭園に造られた噴水の飛沫は光をきらきらと反射して輝いている。よく晴れた日には虹が見えたりしないかなあと考えながら、しばらく立ち止まって見惚れてしまった。
作戦本部の前まで行くと、案の定というか警備の兵士さんたちに怪訝な顔をされた。そうだよね、明らかに一般人のわたしが作戦本部に用なんてあると思えないし、実際フリングスさんのペンがなければ近づくこともなかった場所だ。
「あのう、わたし花と申す者でして、フリングスさ…少将の忘れ物を届けに来たんですけど、取り次いでいただけないでしょうか」
「身内の方以外からの物資の受取は禁止されています。申し訳ありませんがお引き取りください」
「あのでも、大切なものかもしれなくて。取り次ぎが難しいのなら兵士さんの方から渡していただくことは」
「規則ですので」
かちん。この人食い気味に言ったぞ。確か今は敵国のキムラスカ王国と戦争が始まりそうなぴりぴりした関係の時期のはずだから、国の施設の警備も特に厳しいのかもしれないけど!ちっちゃいからって馬鹿にされている気がする。わたしの背は日本人女性の平均とそんなに変わらないのに、この世界には小柄な女の人が少なくて、背が小さいとやたらと子供扱い、下に見られることがある。閑話休題。
「わたし、酒場のロシーさんに頼まれて来たんですけれど」
「!!、ろ、ロシー!?」
「……….、わかった、通りなさい。ただし案内に一人つけるから、決して中をうろちょろしないように」
「あ、はい、わかりました…?」
出かける前に言われたことを思い出して、言いつけどおりロシーさんの名前を出したら兵士さんたちがあからさまにびくりと肩を跳ねさせて、さっきの態度が嘘のようにあっさりと中に入れてしまった。頼んだわたしが言うことじゃないけどこんな一般人があっさり入れちゃっていいの?ロシーさん、何者なんだろう。昔はグランコクマの最強の喧嘩番長か何かだったりしたんだろうか。
そしててっきり作戦会議室あたりにいるのかと思いきや、フリングスさんは今カーティス大佐の執務室にいるらしい。その名前を聞いて、わたしの背中からはどっと冷や汗が噴き出した。
カーティス大佐って、あの、つまり、ジェイドさん?しかいないよね?いやカーティス家ってなんだか忘れたけど名門のお家らしいし、同じカーティス性の大佐さんが別にいる可能性もあるけど。でもカーティス大佐がわたしの知ってるジェイド・カーティスのことだったら一大事だ。
ジェイド・カーティス。"物語"の主要人物の一人であり、わたしがゲームをしていた頃に一番のお気に入りだったキャラクター。そして今は、一番の要注意人物でも、ある。
だってジェイドさんといえば、マルクト軍の大佐で、でも実際は将軍職がふさわしいと言われるくらいの実力者で、いろんな技術を開発してる天才博士でもあって、"物語"の中でトップクラスに頭の切れる人物だ。しかも人の嘘にすぐ気づいて探りを入れてくるような人。もしもわたしが間違っても会話なんてしようものなら、絶対に何かボロを出してしまうに決まっている!
でも心の中では大好きなキャラクターだったしひと目見て話してみたい、というミーハーな心を持ったもう一人のわたしがちらちらと見え隠れする。頭の中は軽いパニックだ。冷や汗がすごい。ああどうか、カーティス大佐がジェイドさんのことじゃありませんように!
いつの間にかたどり着いていた部屋の前、案内をしてくれた兵士さんの背後でばっくばっくと騒ぐ心臓をどうにか押さえつける。大丈夫、わたしはただフリングスさんにペンを届けに来ただけ。ぱっと渡してさっさと帰ろう。
そうして兵士さんがノックをしようとした瞬間、ドアノブに触れてもいないのにドアがばんっと開いて、
「ふぎゃ」
勢いよく潰された。