序章
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「モリーさん!そろそろお野菜いくつかなくなりそうなのであとでお買い物行きますけど、何か要るものあります?」
「あらありがとう、じゃあチキンをちょっと多めに買ってきてくれるかい?在庫はあるけど、明日多めに予約入ってるから」
「わかりました!お客さん落ち着いたら行ってきますね」
「ありがとね。ハナちゃんこまめに在庫確認してくれるから、最近買い忘れがなくて助かってるよ」
モリーさんに拾ってもらってからだいたい1ヶ月くらいが過ぎて、ここでの生活にもだいぶ慣れてきたように思う。
1ヶ月というのは、この世界の1ヶ月のこと。
この世界、惑星オールドラントの自転周期は地球と同じ約24時間。でも、公転周期は地球の倍くらい長い。1年は765日、1ヶ月は60日くらい。1年間は13ヶ月。地球の暦とはだいぶ勝手が違う。
つまり、わたしはこの世界でおよそ60日間を過ごしている。酒場を経営しているモリーさんと旦那さんのロシーさんは、一文無しのわたしの生活の面倒を見ながらこの世界の常識を教えてくれた。
わたしの言い方が悪かったせいだけれど、「何もわからない」と言ったわたしを、モリーさんは魔物に襲われたショックで記憶喪失になったのだと解釈してしまった。弁解しようにも「異世界から来ました」なんて言えば頭がおかしい女だと思われかねないと思うと何も言えなかったし、実際お医者さんに連れて行かれたとき、身元や一般常識についての質問に答えられないことが多くて結局記憶喪失と診断された。
嘘をつくのは良心が痛むけど、記憶喪失という設定はわたしにとって存外都合のいいもので、文字が読めないとか暦やお金の使い方がわからないとか突飛なことを言っても「記憶喪失だから」で済んだ。
暮らしの基礎は元の世界とあまり変わらないことも多いし、ゲームの知識があることで比較的すんなりと異文化を受け入れることができたおかげで、2週間も経てばお店や家事の手伝いができるまでになった。
前の世界でも居酒屋のアルバイトをしていたから、お店の勝手を覚えれば即戦力として使ってもらえてほっとした。お客さんや街の人たちとも上手くやれている、と思う。
「おじさん!今日は何かお野菜お安くなってますか?」
「おっ、ハナちゃん!今日はニンジンとポテトがいいのたくさん入ってるよ」
「じゃあそれ、300ガルドずつと…大根も。あと、今日はいつもの、ありますか?」
「おう、あるある。トマトなんだが、仕入れのときに傷がついて売りもんになんなくてな。廃棄もんだがハナちゃんに特別だからな〜。内緒にしてくれよ」
「やった!ありがとうございます!」
この世界に来てからのわたしは、元々の貧乏性に輪をかけて節約をするようになった。お世話になるぶん削れるところはなるべく削って、モリーさんたちの負担を減らしたい。
お店で出す食材はもちろんいいものを使うけど、モリーさんたちとお家で食べる食事を美味しいままどうにか節約できないかと考えていたとき、行きつけの食材屋のおじさんが傷んだ野菜を廃棄しているところを見かけて、安い値段で譲ってもらえないか交渉したのだ。
傷がついたところを削れば何ら問題ない、食材の村エンゲーブ産の良質な野菜。客に出すわけにはと最初は渋られたけど、事情を話したら特別に譲ってもらえることになった。
余談だけれど、わたしがここで普段着ている服もほとんどお金をかけず繕ったものだ。余分に物を持たない主義のモリーさんは貸せる服が少ないから新しいのを買いなさいとお金をくれたけど、ここに来てから自分のために買ったものは最低限の下着と靴、勉強用のノートと筆記具くらい。
大柄なロシーさんのお古のシャツのほつれを縫って、だぼだぼなのは微調整して、ベルトを使ってシャツワンピースのように着る。この世界に来たとき着ていた服は魔物に襲われたときところどころぼろぼろになってしまったのでリメイクを。ミディ丈のスカートはミニ丈に、長袖のハイネックはノースリーブのインナーに。これでも現役の服飾の専門学校生なので、自分用として着るぶんにはこのくらい作るのは軽いものだ。もともと履いていたお気に入りのヒールの靴は酒場の仕事には不向きなので、わたしが寝泊まりしている部屋のクローゼットの奥に大切に仕舞い込んだ。
食材屋のおじさんのように、わたしの記憶喪失事情を知っているお店のお客さんがお古のものを譲ってくれたりもする。最初は不安でたまらなかったけど、わたしの周りの人たちはみんないい人たちだ。本当に、わたしは運が良かったのだと思う。
「チキン買った、大根買った、お塩買ったし…要るもの全部買った!にしても安いからって300ガルドずつはちょっと欲張りすぎたかな…お店まで帰るの骨が折れそう」
買い物が粗方終わった頃には、両手に提げた大きな買い物袋はだいぶぱんぱんに膨れ上がっていた。今いる場所からお店までは歩いて20分くらいかかるから、着く頃には手の感覚が無くなっていそうだ。当たり前だけれど、この街も街の外も、ゲームで見ていたものよりもずっとずっと広い。
うんうん唸っていてもしょうがないので荷物を持ち直して歩き出そうとすると、右手にかかる重みが急になくなった。
「あれ?」
「随分重そうにしていたので。よければ目的地までお手伝いしますよ」
「わ、大丈夫ですよ!えと、貴方…」
わたしの手から荷物を攫っていったのは、白髪に青い瞳の男性だった。二十代半ばくらいに見えるけど、低く落ち着いたテノールボイスや服の上からでもわかるしっかりした体つきを見るともう少し上なのかもしれない。
というかこの人、この声、なんか覚えが。
「ああ、突然失礼致しました。私はフリングスと申します。普段は欧に仕えている身ですので、けして怪しい者では」
「え!フリングスさん!?」
「おや、私をご存知でしたか?」
「あ、あああの…えと、はい!ほら、マルクト軍のフリングス少将といえば有名ですし!ね!」
やばい、いきなりボロを出しかけた。世界広しと言えどいつ(一方的に)知ってる人や出来事に出くわすかわからないから、余計なことを喋って怪しまれたりしないように気をつけなきゃと思ってたのに。非番なんだろうか、軍服じゃない姿なんて初めて見たからすぐに気づけなかった。
今回は相手がマルクト国民によく知られてるフリングスさんだったからなんとか誤魔化せたけど、これがマルクト以外の著名人だったりしたら面倒だったかも。わたしは今、記憶喪失になったばかりの一般人なのだから。
「すみません、じゃあありがたく、お言葉に甘えてもいいですか?ついつい買いすぎちゃって。向こうの大きな通りの先の酒場まで、半分お願いできますか」
「ああ、あそこの。もちろんですよ」
「助かります!ありがとうございます」
フリングスさんはモリーさんたちのお店に何度か行ったことがあるらしく、歩きながらいろんな話をしてくれた。忙しくてなかなか行けないけどロシーさんの作る大鍋のシチューが好きなこと、今日は非番で本屋さんに行った帰りにわたしを見かけたこと。わたしもつい最近グランコクマに来て酒場で働きながらお世話になっていることや、話の流れのままに記憶喪失(本当は違うけれど)のことも話した。
わたしの事情を聞いたフリングスさんは少し驚いたような顔をしたあと、私でできることなら力になります、と微笑んでくれた。
ゲームをプレイしていたときから知っていたけど、本当に優しい人だ。でも、ぽかぽかと暖かくなった胸の内にちらりと影が落ちる。
こんなに優しい人なのに、物語が動き出したら、彼は―――
「ハナさん?どうかしましたか?着きましたよ」
「っあ、いやなんでも!ぼーっとしてました、あはは」
考え事をしていたらいつの間にか酒場に帰ってきていたみたいだった。フリングスさんの声でようやくそのことに気づいたわたしは本人の前でなんてこと考えてるんだ、とぶんぶん頭を振ってから、わたしに荷物を返して別れを告げようとしたフリングスさんの言葉を遮って言った。
「あの、せっかくですからお店でご飯、食べていきませんか?」