2004〜2009
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
一言はその日依頼された未確認のベータ・クラスストレインの捜索を依子に任せ、御前との会談の為御柱タワーを訪問した。
会談は滞りなく終わり、予約していたビジネスホテルへと向かう。
あの迦具都事件より七年が過ぎ、表の世界では復興が進展している。けれども裏の――石盤と王権者が存在する異能の世界では、表の世界ほどその崩壊からの復興を果たせてはいない。
異能犯罪を取り締まる秩序の担い手たるセプター4は、青の王羽張迅の死によって王権者を失い残された組織は非時院の傘下に降りた。
またその常軌を逸した暴虐によってかえって凶悪な異能者達をまとめあげ、その頂点に君臨しえた煉獄舎は赤の王迦具都玄示と共に消滅。
何より黄金の繁栄と青の秩序よりこぼれ落ちた弱者の最後の受け皿であった絶対守護を謳う灰色のクラン、カテドラルの全滅が〈黄金の王〉國常路大覚の支配体制に大きな痛手を与えた。
現在は能力の系統も危険度も各種様々なストレインの管理を非時院が行い、頭を失ったセプター4が実働部隊として動く。それらの管理からこぼれ落ちた能力や立場の厄介なストレインの対処を一言やそのクランズマンである依子が行っている。
近頃は修行と共に石盤にまつわる知識を学んでいる狗朗も一言の手伝いをしたいと言ってくるが、一言にせよ依子にせよ、危険を伴う可能性のある依頼に狗朗を参加させるのは憚られた。
何より狗朗はまだ子供だ、異能に目覚めて日も浅い。一言としてはもう少ししてから、せめて中学を出てからとは言い聞かせているものの、
(いずれそうも言っていられなくなってしまうのだろう)
予言ではなく師匠として弟子を見守ってきた経験に基づいて。一言は狗朗が自分の命によって異能の飛び交う世界に入り込んでしまう未来を確信し、ほんの僅かに憂いを覚える。しかし一言も、狗朗が剣士としてどこまで伸びるのか師として出来ることを全てしてやりたいと思ってしまう。
これは一言の、剣士としての業だ。
(けれども、狗朗が自分の代わりに私の命を受けるとなったら、彼女はあまりいい顔をしないのだろうな)
依子が向ける狗朗への憂いはそのまま、一言が依子に向ける憂いにも繋がる。
世の理(ことわり)を逸脱した異能とそれを従える精神を併せ持つ臣下に対する心強さと、年若い娘である彼女を自分から危険に飛び込ませている事実に一言は常に揺らがされている。
(私は彼女に何を返せるのだろう)
一言は先にホテルに戻っているであろう依子の顔を思い浮かべながら、彼女がいるであろう客室のブザーを鳴らした。
しかし、反応はなかった。
どうしたものかと首を傾げ、もう一度ブザーを鳴らす。先に戻ると端末にメールが来ていたのだが、外に出ているかまだ戻ってきていないのだろうか。
一度部屋に戻ろうと踵を返した瞬間、ドアの鍵が開く音と続けて乾いた火花が弾けるような音が聞こえた。
「依子、戻っていたのかい?」
名を呼びながらドアを開けると、そこに見慣れた彼女の姿はなかった。
恐らく、異能を使いドアを開けてすぐに“跳んで”室内に戻ったのだろう。
それにしてもどうしてそんなに面倒なことを。
「依子、入るよ」
一言はとりあえず部屋の中に入る。一言の部屋と同じシンプルな内装の部屋の中、彼女の鞄の脇に彼女の愛刀──現(ウツツ)と一言が銘を名付けた──が壁に立てかけられている。
しかしその中で一つだけ、異様なものがあった。
布団に包まれた饅頭のようにこんもりとした膨らみが、ベッドの上に鎮座している。
これには流石に一言も少しばかり困惑した。彼女の未来は何故かいつも見えにくいが、少しくらいこの珍妙な物体が予言で見えていたらどうにかなっていただろうか。いや、こんなものを見たってどうしろと。
「先に戻っていたんだね」
なるべく平静を装って声をかければ布団でできた饅頭が揺れた。先程扉を開けてくれたからわかっていたが眠ってはいないらしい。
一言は向かい側のベッドの端に腰掛ける。何がどうして彼女がこうもお饅頭みたいに丸まっているのか一言には見当がつかないので、彼女から話してくれることを待つしか方法はなかった。待つ姿勢をとることにした一言の様子に気がついたのか真っ白い布団でできた饅頭が、もぞりと動く。
「お帰りなさい……」と呟くぼそぼそとした小さな声は、何かを恥じらっているようだった。
「捜索していたストレインが、認識操作能力を持っていたんです」
「うん、そうだったね」
「ちょっと、色々ありましたが、穏便にウサギに身柄を引き渡せたんです」
「それはよかった」
「でも私が少し追い回してしまって、驚いたその人が咄嗟に私に異能を使ってきて……」
その人の話を聞かなかった私も悪かったんです、でも。白い饅頭がきゅっと縮こまってひと回り小さくなったように見えた。
「でも君も怪我をさせたりはしなかったんだろう?」
ウサギや依子自身からストレインや自分が負傷したという知らせは、一言には届いていない。
「怪我はないけど、ないんですけど、でも私が無事じゃないんです……!」
布団で出来た真白い饅頭は、がばっと勢いよくその中身をあらわにした。
布団で出来た饅頭の中身は案の定依子だった。先程まで布団にくるまっていたからか、三つ編みが少々ほつれている。そして半泣きの依子の頭の上には……。
「耳?」
依子の頭の上には猫の耳らしき物体が生えていた。髪と同じ色をしたふわふわとした毛で覆われたその猫耳らしきものは、依子の動きに合わせて揺れている。
「ああやっぱり一言様にも見えているんですね……」
力なく項垂れた依子は、ぽつぽつと事の次第を話し始めた。
捜索対象であったストレインはその能力の特異性を危険視されていたこと、また制御も完全ではなかったためそのストレインの周囲で奇妙な出来事が多発し、ウサギだけではなく自分たちも呼ばれた事。ここまでは一言も知っている。
最初は一般人に偽装したウサギが穏便に保護しようと接触をしたが、警戒され逃げ出したので依子がそれを追った。依子は視界に収めた空間を自在に転移する異能を持っている。だからその時も異能で“跳んで”そのストレインの眼前に現れ拘束しようとした矢先に、認識操作の異能を受けて。
「こうなりました」
「それは実際に生えているのではなくて、君や私が『耳が生えている』と脳に認識させている、ということかい?」
「はい、触ると自分の体の一部みたいに感じます」
頷く依子に合わせてふわふわとした耳が揺れる。
聞けばそのストレインの認識操作能力は、自分や他者の肉体の一部を変質したように錯覚させるものであったらしい。
「異能が解除されるまであと半日はかかるみたいです」
落ち込む依子の頭の上で、亜麻色の猫耳が力なく垂れる。
どうやら一言のみならず、異能者ではない一般人にも見えてしまうらしい。
「今日いっぱいここを出ない方がいいだろうね」
「はい……折角一言様とご飯食べに行けたりできるはずだったのに……」
依頼や用事で一言が東京に出向く際、その後のほんの数時間、依子は一言をあちこち連れて行くようになった。同じ年頃の友人とでなくていいのかと問えば、「今日は一言様と一緒がいいんです」といつも彼女ははにかみながら答える。いつものようにささやかな外出を楽しみにしていたのだが、自分の失態でその機会が失われた事が悲しくて仕方がないらしい。
「後で何か買ってくるか、出前でも頼もうか」
一緒に食べよう。そう一言が笑いかけると、依子はパッと顔を上げ目を瞬かせる。
「いいんですか!?」
「クロには内緒だよ?」
片目を閉じて笑うと、力なく垂れていた依子の頭上の耳は彼女の喜色と連動しピンと立ち上がり、一言は思わず吹き出して笑った。