2004〜2009
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『眠れぬ夜につく嘘』
おおよそ夢というものはろくでもないものである、というのが依子の二十数年足らずの人生のうちで自ら気付いた教訓であった。
汗ばむ肌が急激に冷めていく不快感で依子は目を覚ます。こういう事になるのは夢見が悪いのが原因だ。肌の表面だけで済んでいた寒気が、体の芯まで刺してくるような嫌な感じ。こんな時は汗を拭っても意味がない、芯から冷えてしまったら表面だけをどうにかしても内側の不快感は消えはしない。
悪い夢は忘れてしまうに限る。依子は湿った布団から抜け出して自分の部屋を出る。
明かり一つない廊下と階段も、慣れてしまったらいつもと同じだ。スイッチを入れることなく依子は階下へと降りる。
特に何をしようとは決めていない、冷たい水を飲むのもいいが昨夜水出しの緑茶を仕込んでいたからそれを飲むのも悪くない。いっそシャワーでも浴びてしまおうか。肌に残る汗の匂いと胸の内にこびりつく悪夢への不快感をまとめて洗い流せば、ぐっすりと眠れそうな気がする。
ふと顔を見上げたら、台所の明かりが付いていた。寝る前に消えてたはずなのに。
(狗朗でも起きているのかしら)
訝しみながら依子は引き戸を開ける。
「依子」
かけられた声に、依子は一瞬言葉を失った。
寝巻き姿の一言が、依子に向けて柔らかく微笑みかける。ただそれだけなのに、不思議と体の芯にこびりつく寒気が氷解したような気がした。
「入っておいで」
入り口で動けない依子に、一言は首を傾げながら手招きする。一言の言葉に操られているかのようにーー実際彼の言葉には何か妙な力でもある気もするがーー戸を閉めのろのろと一言のそばに近付く。
今の自分はきっと、迷子になって途方に暮れる子供の顔をしているのだろう。依子は一言と出会った頃の同じような顔をしながらようやく口を開いた。
「夢の続きを、見ているような気がして」
つかえそうになりながらどうにか吐き出した言葉に、一言は僅かに目を見開きそれから困ったような笑みを浮かべる。
おもむろに掴んだ手の温もりが、不思議と心地良い。
「私が起きてて、びっくりしたのかい? 驚かせたのなら済まなかったね」
(違う、違うの)
いてほしい人が自分の前にいたから、それが本当か確かめたくて触れたくなってしまった。 それだけ、たったそれだけなのに、今の依子は言葉に出来なくて子供みたいに頭を振る事しか出来ない。
「私はちゃんとここにいるよ」
一番欲しい言葉をなんの衒いもなく投げかけてくれる人に、どうして「あなたが居なくなったときの夢を見た」などと言えるだろうか。
夢なんてろくなものではない。昔の悪夢を見なくなった代わりにこれからの悪夢を見せてくるなんて、本当にろくなものではない。
小さく頷きながら、かつてのことでもこれからのことでもなく、今ここにある一言の手の温もりだけを依子は感じていた。
『花のありかを知った夜』
こんな夢を見た。
焼け落ちた廃墟の中に三輪一言は佇んでいた。
己と黄金の王をもってしても、ずらせなかった悲劇の歯車。その顛末がこれだ。
かつて幾度も予見し、防ごうとして出来なかった光景。見慣れても慚愧の念は薄れる事はない。
ふと一言は足下に転がる小さな種を拾いあげた。親指の爪の先程の大きさをした、薄青色のつるりとした手触りの種はところどころが焼け焦げていたがまだ生命力を感じる。
瑠璃の珠がうんと色褪せたように不透明で、けれども色褪せても白くはならず確かにそこに色がある、そんな褪色した珠玉を思わせる丸い種。
帰宅した一言はそれを庭先の開けたところに埋めることにした。生憎と真珠貝は無いので、己の手で種が入るほどの小さな穴を掘り、種を入れ、柔らかな土を被せる。
何の種なのかもどんな花が咲くのかも知らないが、きっと美しい花が咲くのだろう。未来を予見せずとも、そんな確信があった。花が咲く瞬間を見れずとも構わない。だがあのまま種が焼けてしまう事は何故か見過ごす事が出来なかった。
「君はその花のことだけは、祈るのでも誰かに託すのでもなく、手元で芽吹く事を望んだ」
幼く無機質な何者かの声が聞こえた瞬間、夢の世界は陽炎のように揺らめいた。
種を埋めた場所から小さな芽が生えた瞬間を最後に、一言は夢から放り出される。
芽吹いた葉には、色がなかった。
(妙な夢だ)
一言は部屋の窓から空を見上げ独りごちる。もう少し起きたのが遅ければ、軽く朝の修練ついでに夜明けを題に句を練ったものの窓の外はまだ暗い。仕方が無いので布団を抜け台所へ向かった。
(ゆうべ彼女が入れていた水出しのお茶でも飲もうか)
冷蔵庫に手をかけたその時、後ろから戸を開ける音が聞こえ、おもむろに振り返る。
「依子」
(私の夢に意味はないけれど、夢から覚めたのは君のせいだったんだね)
自分を見た瞬間泣きそうな顔になった依子を前にして、一言は自分がここに来た意味を初めて悟った。
おおよそ夢というものはろくでもないものである、というのが依子の二十数年足らずの人生のうちで自ら気付いた教訓であった。
汗ばむ肌が急激に冷めていく不快感で依子は目を覚ます。こういう事になるのは夢見が悪いのが原因だ。肌の表面だけで済んでいた寒気が、体の芯まで刺してくるような嫌な感じ。こんな時は汗を拭っても意味がない、芯から冷えてしまったら表面だけをどうにかしても内側の不快感は消えはしない。
悪い夢は忘れてしまうに限る。依子は湿った布団から抜け出して自分の部屋を出る。
明かり一つない廊下と階段も、慣れてしまったらいつもと同じだ。スイッチを入れることなく依子は階下へと降りる。
特に何をしようとは決めていない、冷たい水を飲むのもいいが昨夜水出しの緑茶を仕込んでいたからそれを飲むのも悪くない。いっそシャワーでも浴びてしまおうか。肌に残る汗の匂いと胸の内にこびりつく悪夢への不快感をまとめて洗い流せば、ぐっすりと眠れそうな気がする。
ふと顔を見上げたら、台所の明かりが付いていた。寝る前に消えてたはずなのに。
(狗朗でも起きているのかしら)
訝しみながら依子は引き戸を開ける。
「依子」
かけられた声に、依子は一瞬言葉を失った。
寝巻き姿の一言が、依子に向けて柔らかく微笑みかける。ただそれだけなのに、不思議と体の芯にこびりつく寒気が氷解したような気がした。
「入っておいで」
入り口で動けない依子に、一言は首を傾げながら手招きする。一言の言葉に操られているかのようにーー実際彼の言葉には何か妙な力でもある気もするがーー戸を閉めのろのろと一言のそばに近付く。
今の自分はきっと、迷子になって途方に暮れる子供の顔をしているのだろう。依子は一言と出会った頃の同じような顔をしながらようやく口を開いた。
「夢の続きを、見ているような気がして」
つかえそうになりながらどうにか吐き出した言葉に、一言は僅かに目を見開きそれから困ったような笑みを浮かべる。
おもむろに掴んだ手の温もりが、不思議と心地良い。
「私が起きてて、びっくりしたのかい? 驚かせたのなら済まなかったね」
(違う、違うの)
いてほしい人が自分の前にいたから、それが本当か確かめたくて触れたくなってしまった。 それだけ、たったそれだけなのに、今の依子は言葉に出来なくて子供みたいに頭を振る事しか出来ない。
「私はちゃんとここにいるよ」
一番欲しい言葉をなんの衒いもなく投げかけてくれる人に、どうして「あなたが居なくなったときの夢を見た」などと言えるだろうか。
夢なんてろくなものではない。昔の悪夢を見なくなった代わりにこれからの悪夢を見せてくるなんて、本当にろくなものではない。
小さく頷きながら、かつてのことでもこれからのことでもなく、今ここにある一言の手の温もりだけを依子は感じていた。
『花のありかを知った夜』
こんな夢を見た。
焼け落ちた廃墟の中に三輪一言は佇んでいた。
己と黄金の王をもってしても、ずらせなかった悲劇の歯車。その顛末がこれだ。
かつて幾度も予見し、防ごうとして出来なかった光景。見慣れても慚愧の念は薄れる事はない。
ふと一言は足下に転がる小さな種を拾いあげた。親指の爪の先程の大きさをした、薄青色のつるりとした手触りの種はところどころが焼け焦げていたがまだ生命力を感じる。
瑠璃の珠がうんと色褪せたように不透明で、けれども色褪せても白くはならず確かにそこに色がある、そんな褪色した珠玉を思わせる丸い種。
帰宅した一言はそれを庭先の開けたところに埋めることにした。生憎と真珠貝は無いので、己の手で種が入るほどの小さな穴を掘り、種を入れ、柔らかな土を被せる。
何の種なのかもどんな花が咲くのかも知らないが、きっと美しい花が咲くのだろう。未来を予見せずとも、そんな確信があった。花が咲く瞬間を見れずとも構わない。だがあのまま種が焼けてしまう事は何故か見過ごす事が出来なかった。
「君はその花のことだけは、祈るのでも誰かに託すのでもなく、手元で芽吹く事を望んだ」
幼く無機質な何者かの声が聞こえた瞬間、夢の世界は陽炎のように揺らめいた。
種を埋めた場所から小さな芽が生えた瞬間を最後に、一言は夢から放り出される。
芽吹いた葉には、色がなかった。
(妙な夢だ)
一言は部屋の窓から空を見上げ独りごちる。もう少し起きたのが遅ければ、軽く朝の修練ついでに夜明けを題に句を練ったものの窓の外はまだ暗い。仕方が無いので布団を抜け台所へ向かった。
(ゆうべ彼女が入れていた水出しのお茶でも飲もうか)
冷蔵庫に手をかけたその時、後ろから戸を開ける音が聞こえ、おもむろに振り返る。
「依子」
(私の夢に意味はないけれど、夢から覚めたのは君のせいだったんだね)
自分を見た瞬間泣きそうな顔になった依子を前にして、一言は自分がここに来た意味を初めて悟った。