2008〜2012.09.25
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美味しいものは最後に取っておくと楽しみが増える。
そう言っていたのは、誰だったか。
些細でありふれた会話の中のひと言で、それによく言われる事でもあるから、いつ誰がどこで言っていたとは急には思い出せない。熱に浮かされて咄嗟の判断が出来ないこんな時なら尚更だ。
何より一言からすれば最後に取っておきたい人の意見にも一理あるし、好きなものを先に食べる者の気持ちもわからなくはない。だがとうの一言自身には好きなものをいつ食べるかにさしてこだわりがなかった。
集落の人々の誰かだろうか。
もしくは弟子の内の誰かか、同じ王の誰かーーと言っても現在在位する赤の王と青の王については、そもそも会話をした回数が少ないので一言は二人がどちらなのかを知る由がないーーだろうか。
或いは、今己が膝の上で愛でている存在か。
「ああ、いや、これは君ではないね」
「いちげんさま……?」
一言は己が思考を即座に訂正する。
意識が半分恍惚の淵へと落ちていたのに一言の言葉に健気に反応した依子に、「気にしなくていいよ」と笑いながら形のいい頭を撫でてやる。依子はくすぐったげにしながら、一言の骨張った首に誘うように白い腕を回し、楽な体勢を探りながら時々小さく体を震わせて、漸く一言の肩の上に頭を載せた。
彼女は好きなものを最初に食べないと気が済まない性分だ。先程の夕食でも、彼女は真っ先に好きな白身魚の刺身に箸をつけていた。一言は御前からの依頼で時折依子を連れて地方に出向くが、海の近い都市だといつも魚料理を選んで食事の一番最初に食べる。
「最初に目一杯幸せを感じたいんです」
身のしまった刺身を箸に取りながら笑っていた依子は、こんな時にも最初に好きなものが欲しくて一言を急かす。
「そんなに急かさなくても私は逃げたりないよ」
「一言さまが、のんびりしすぎなんです」
「私もそこまでがっつけないから」
「でもっ……ゆっくり、されすぎたら持ちませんっ」
鼻先が触れ合うほどの近さで見る彼女の拗ねた顔が可愛らしくて、自然と頬が緩む。
こんなにも可愛い人がどうして私の隣にいてくれるのか。一言は時折心底不思議になる。年も何もかも、それこそ食事のスピードも違うのに、彼女は背伸びをして食べる速さを自分と合わせる。
違っていても、隣にいることはできる。
かつて一言に宣言した言葉を、彼女は全身で体現する。
そんな彼女の行いが一言はどうしようもなく嬉しくて、愛しくて、一言は彼女だけは最後まで大事にとっておきたくなってしまう。今なら先の言を言った誰かにだって深く同意できる。
彼女を乱雑に食べたくないのだ。自らを焦らして、丁寧に触れて、一番美味しくなった時にぱくりと食べてしまいたい。
それに、最期に食べるものはいっとう美味しいものが良い。
好きなものであれば尚更だ。
けれども、
「いちげんさまぁっ……!!」
一言に腰を強く抱き寄せられて身動きの取れない依子が、耐えきれないように半分泣きそうな声で一言の名を呼ぶ。一言の腰に絡んでいた足が、寄る方なく中をぶらつかせて自分達が座る布団のシーツに皺を作る。
(いつも合わせてもらってばかりで悪いから、今度は私も彼女に合わせることを覚えないといけないね)
啼いて縋る依子に一言は苦笑した。
一言自身も頃合いなので、腰を固定していた腕とは反対側の手で、涙が滲み赤く染まった依子の目尻を拭い、彼女の顔を見つめる。
熱に酔った淡い色の虹彩の中で、ゆらゆらと乱反射する橄欖石色が涙に濡れて揺蕩う。
「依子」
「んんぅっ……」
呼びかけにすら譫言で返してしまうほど、彼女は限界が近い。ただただ男が一方的に貪らずとも、そこにあるだけで女は満たされてしまうから。依子がそうなるようにしたのは他でもない一言だ。相当に辛いのだろう、拭った涙が次から次へと流れて頬を流れる。
今度は彼女に自分が合わせてやらないと。
「ねえ依子」
「っあ、ん、どうしたんですか?一言様……」
「美味しいものを最後に取っておきたい人の気持ちがわかったよ」
それってどういう、依子が言い切る前に一言は依子の唇に喰らい付いた。首に回された手の爪が一言の背を掠る痛みすら、一言には心地よく思えた。
その夜一言は、いっとう大事に最後まで取っておきたいものを、満足するまで頭から爪先までぺろりと平らげた。
そうして一言は心身共に満たされた心地で、先に音を上げすっかり眠っていた依子を抱き寄せて、腕の中にすっぽり閉じ込めてから深く安らかな眠りについた。