パロディ時空色々
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選んだ道に後悔はない。
けれどもステージの上で輝く彼らを見ると思い出す。
自分にもあんな時があったのだと。
アイドルという小さな星として輝いていた日々の事を。
『The selfish way of life』
百井依子は元アイドルである。
依子は青のアイドルキング宗像礼司が鮮烈なる芸能界デビューを果たしたその少し前に、どこの政府公認事務所にも属さないはぐれアイドルとして数年間活動をしていた。
公認でなくともどこかの事務所に入ることも出来たし実際に誘いも幾つかあったが、恩師である三輪一言と同じやり方で自分がどこまで出来るのかを試してみたかったのだ。
自らで作詞作曲をし、時には自分で売り込んで、大規模な事務所の庇護を受けることなく十把一絡げに扱われることもあるはぐれアイドルの中では異例とも言える大ヒットアルバムを数枚世に出し、単独ライブでは数万人の観客動員を果たした。
「彗星の如くアイドル界を席巻した孤高の歌姫」
「十数年に一人の才能」
そう人は呼ぶが、なんてことはない。
大手事務所に所属していないハンディを自覚しそれを「事務所の確執に縛られないアイドル」という長所に転じ、人よりも少しだけ努力をしたに過ぎない。
そして何より依子は時代に恵まれた。
様々な色を冠するアイドルキングが切磋琢磨し、アイドル大和合時代に最も一番近いとされる昨今の芸能界とは事情が違った。
依子がアイドル活動を行っていた当時、アイドルキングとして活動をしていたのは全てのアイドルの始まりにして頂点、今もなお芸能界のみならずこの国家そのものに静かに君臨する黄金のアイドルキング國常路大覚。そして吠舞羅芸能事務所元社長、炎の如き荒ぶるギターを奏でる赤のアイドルキング周防尊の二名のみであった。
白銀、緑の両アイドルキングも本格的に活動することはなく、一方は空より傍観し、また一方は地下に雌伏していた。
あの悪名高い迦具都事件から、赤のアイドルキング周防尊が衝撃的なアイドルデビューを果たすまでの数年間。それは黄金の王國常路大覚只一人が君臨し、数多くのはぐれアイドル達が咲いては儚く散る徒花を咲かせていた時代でもあった。
今の世が國常路大覚自身が提唱するアイドル大和合時代に限りなく近い時代であるとするのならば、迦具都事件によって四人のアイドルキングが芸能界を去り、國常路大覚只一人が君臨し続け周防尊がデビューを果たすまでの数年間を「アイドル大空位時代」と呼んでも良いのではないか?
そう持論を主張するアイドル評論家の記事を見かけたこともあるが、あくまで一説に過ぎない。
時代とは後世の人間によって語られるのだから。今このときが以下ある時代であったのか評価するのは、今を生きる人間ではないのだろう。
依子は謂わば「アイドル大空位時代」とも呼べる一つの時代の落とし子であった、と言えるのかもしれない。
百井依子は青のアイドルキング宗像礼司のデビューに前後して、マイクを置いた。
歌や作曲のスキルが向上し、アイドルとしても磨かれ年齢と共に円熟するまさにこの時、依子はアイドルとしての自分を少しだけ捨てることにした。
その引退は迦具都事件ほどではないが少なからず芸能界に衝撃を与えた。
同業の友人やかつて共に技を磨いた兄弟弟子にも惜しまれ、引き留められもしたが依子の意志は固かった。
一番何かを言ってくれそうな師は――その時既にそれだけの関係ではなかったのだが――何も言わず、自分を見守っていた。
依子が引退したその後、アイドルキングが次々と台頭し、激動の時代を迎えた芸能界を思えば、あのまま政府公認事務所に所属しないはぐれアイドルとして同じように活動するのは至難の業であっただろう。
自分の選択は間違いではなかった。
そう思いたいが、時折あの恍惚の中で聴いた歓声を忘れられない自分がいる。
けれど今自分がいるのは照明に照らされたステージではなく、
「こっちだよ、依子」
都会のカフェで元アイドルキングの三輪一言と、待ち合わせをしていた。
†
二人が待ち合わせに選んだのは鎮目駅にほど近いホテルのカフェラウンジだった。
雑然とした喧噪から遮られたガラス張りの店内は、開放感に溢れていて居心地が良い。昼食後の時間であったからか、宿泊客らしき外国人や早めのティータイムを楽しむ男女がちらほらといる程度で依子は少しだけ胸を撫で下ろした。
「おまたせしました、いち」
席に着いた依子が名前を言おうとするその瞬間、男は自身の唇に人差し指を添え「それ以上は言っちゃいけないよ」と言外に述べた。 つられて手を口に当てて二人して目を合わせて笑い合う。
それから、
「えっと……遅れてごめんなさい、『あなた』」
「いや、私も先程着いたばかりでね」
「ならよかった」
今日は「年の差夫婦」に見えるような扮装をすると前から二人で示し合わせていたものの、実際に「夫」として一言を呼ぶのはなんというか、まだ気恥ずかしい。
躊躇いがちに告げた呼び名に、一言は満足そうな笑みで頷いた。
薄く色の入ったサングラスをかけているから本当に目まで笑っているのかは定かではないが、こういう時の一言の笑みが本物であると依子は知っている。
これ以上立ったままでは目立ってしまうので、依子は何気ない風を装って椅子に座った。
つばの大きな帽子を脱いで、低い位置でまとめた黒髪をさりげなく乱れを整える振りをして、ウイッグのずれがないかを確認する。
今日の依子は黒髪のウイッグに、アンダーリムの目立つ伊達眼鏡をかけ、普段あまり着ないエスニック調のワンピースを身に纏っている。
服に合わせたメイクに大ぶりのピアスも相まって、リゾート系のコーディネートをした元アイドルのそっくりさんと言えばどうにか納得できるだろう。
変声機でも使えたら良かったのだが、あいにく手持ちがないので仕方が無い。
兄弟弟子や友人にはばれてしまうだろうが、写真や映像しか見たことのない人々ならだませるだろう自負が依子にはあった。
だが、それに対して一言は色の薄いサングラスをかけているものの、シンプルな白シャツにスラックス。そして肩からカーディガンを巻いている――所謂プロデューサー巻きというやつだ――というシンプルな服装だが、普段和装の一言を見慣れているせいで依子から見たら非常に違和感のある組み合わせだった。
似合わない訳ではない。
着物のゆったりとしたシルエットで気付かれないが一言の肉体は、今もなお鍛えられていて往年の体型と何ら変わりがない。
中背で細身だが手首や首筋からも分かるように存外がっしりとした骨格の上に、引き締まった薄い筋肉が肉体を覆っている。
本人の温和な気質に、若い頃の病とアイドルとしての重責、そして悲劇が三輪一言の肉体を儚いものに見せていた。
だが、依子は三輪一言という男がただそれだけの男ではないと知っている。
存外、この人は食えない人だ。
すらりと長い足は洋装を纏ってこそ真価を発揮する。
何気なく足を組む動作でさえ慣れない人が見たら溜息をついてしまうのだろう。
あまりにも似合ってしまうのだ。何を着ても様になってしまう男が、ありふれた格好をしたところで目立たない訳がない。
(だってかっこいいんだもの)
注文を聞きに来た店員がぽうっと頬を赤く染めていたが、一言はそれもさして気にすることもない。
一言が声を出してしまえば高確率で正体がばれてしまうので、依子が代わって注文をする。
「カフェオレを一つと」
(そういえば先に来店していたのだが大丈夫だったのかしら)
そんな依子の懸念もつゆ知らず、一言はとんとんとメニューの一点を指さし、それを視線で追って依子は一瞬固まり。
「……それからこのケーキセットを一つ、飲み物は日本茶、いえ、グリーンティーで……」
一言が指さした品を少し間を開けて注文した。店員は少し自分たちを見ながら惚けていたがすぐに「かしこまりました!」と答えてそそくさと去って行くのを眺めながら、依子は首を傾げた。
依子は失念していた。
一言は勿論、自分もまた腐っても元アイドルであるが故に他者の目を惹く存在であることを。
そして二人が端から見たらただならぬ雰囲気を醸し出す美男美女夫婦に見えてしまうことも、依子は一言の変装がばれないかばかりを気にしていたため、自分が与える影響をすっかり忘れていたのある。
「しかし、意外と気付かれないものだね」
私の変装も堂に入ってきたかな。
店員が去った後、そう少し嬉しそうに呟く一言に依子は何も言わなかった。
確かに変装は上手くなっている。
だがどうあがいても元アイドルキングとしての独特のオーラは隠せるわけもなく、依子と一言は店内でもの凄く目立っていた。
確かに往年の一言の姿を知る若者は少ない。
だがその顔を知らぬ日本国民はもぐりであると言われるほどに、ザ・クレーターズというアイドルグループは伝説であった。
この場にいて騒がれないのは、一言の姿を見たものが「まさかあの伝説の存在がこんなところにいるはずがない」と多くの人々が自己完結しているに過ぎないのだ。
以前変装して二人で歩いていたとき、一言の姿を見た女性が二度見どころか四度見ほどして声もなく顔を手で覆っていたし、一言と同じくらいの年齢の男性が三度見したあと自分の頬を殴っていたのを依子は目撃したことがある。
当の本人は慣れているのか、或いは気付かないのか特に反応をしなかった。
彼らは多分自分が幻覚を見ていると思っていたのだろう。
残念ながら現実である。
「良い景色ですね」
「ここからなら、よく見えるでしょう?」
「ええ」
話題を変えようと依子は窓の向こうに視線を移す。
ガラス張りの大きな窓の向こうには、鎮目駅前広場が広がっていた。
普段とは異なり、広場の中央に特設ステージが設置されている。今日はこれから白銀レコードによる新曲発表を記念したミニライブが行われるのだ。
周辺の店舗にも音声や映像を同時中継することになっており、このカフェで広場を一望しつつ会場の音声も楽しめる。という仕組みになっている。
驚くべきはこの中継はネットやテレビでも配信されることになっており、その技術提供元はjungleプロであることだろうか。
しかしそれだけではなく、このライブ会場となっている鎮目町自体吠舞羅芸能事務所のお膝元であり、またライブ中の交通整備、周辺警備等のするための地域自治体や鉄道会社などの折衝はプロモーションセプター4が仕切っている。
それらは全て表立った行動ではないが、調べれば簡単に分かることだった。
先日行われた四つの事務所による合同チャリティーコンサート以来となる白銀レコードの主力アイドルが一同に介するイベントに、各事務所が協力をしたと言うわけである。
勿論他の事務所に借りを作るのではなく、何らかの形でリターンを提供するつもりだと、以前弟弟子が言っていた。
そして、
「曲は君が手がけたのだってね」
「ええ」
そして依子もその取り組みに作曲家として参加していた。
依子はアイドルを辞めた現在、作曲家として活動をしている。
映画やドラマ、アニメは勿論、アイドルへの楽曲提供も行っている。
今回の白銀レコードの新曲にも、少なからず依子は関わっていた。
アイドルを辞めるのだとしても、その作曲の才能まで死なせてしまうのは勿体ない。
アイドルを突然引退し、誰にも言わず一言からも逃げるように海を渡ったその先で父の上司で、師の友人でもあった男にそう助言された。
『出来てしまった自分だけで守らなければならないものと、自分の才能。どちらかを選ぶのではなくどちらも選び取る。そんな道もあるだろう?』
太陽のような色をした眼差しで見つめられたあの時、何かが吹っ切れたのだろう。
『わがままな道を、選んでも良いじゃないか』
俺は選んだぞ、そう続けて男はにかっと笑って青いコーヒーカップを傾けていた。
そのおかげで自分の大切な人は大変なことになったのだが、多くは語るまい。
どれかを切り捨てることが出来なかった自分が選んだのはわがままな道であると、自分が一番理解している。
それでも、今を進んでいる。
止まることも戻ることも出来ないのならば進むしかないだろう。
「お待たせしました」
やや上擦った店員の声に依子ははっと記憶の海から抜け出した。
「ケーキセットとカフェオレになります」
「ありがとうございま……」
ウェイターが依子の前にケーキセットを、一言の前に多少震えながらカフェオレを置いた。ある意味予想通りではあるが、一応訂正しようとして依子が手を挙げようとする、が。
「ケーキは、こちらに」
一言が依子よりも先にのほほんと訂正した。
「…………し、失礼致しましたっ!!」
「ありがとう」
数秒固まったウェイターは一言の礼を聴くや否やに足早に去っていった。
SNSで拡散されなければ良いんだけど。依子は憂いを置き直されたカフェオレと共に飲み込んだ。一言はどこ吹く風と言った体で紫芋のタルトを一口食べて満足そうに一息ついた。
「話は戻るけど、どんな感じの曲か、聴いてもいいかい?」
「駄目ですよ、今日が初披露なんですから」
「それは、残念だな」
本当に残念そうに一言が視線をグリーンティーに落とす。
そんなかつての師であり現在それだけではない関係にある二回りも年上の男の素振りが微笑ましくて、依子はカフェオレを一口飲んでソーサーに戻し、くすりと微笑む。
「聴いてからのお楽しみ、と言うことにしておいてください」
「そういうことにしておこうか」
一言は肩をすくめ、イチゴがちょこんと乗った丸いショートケーキに手を伸ばした。
そうして、一言がケーキを食べる姿を眺めながらゆっくりとカフェオレを飲んでいる内に、開演の時間が迫ってきた。
ガラス張りの窓の向こうでは広場に人だかりが出来、音は聞こえなくても彼らの熱気が室内のこちら側に伝わってくる様に少しだけ室内の温度が上昇していると錯覚するほどであった。
「依子」
一言はグリーンティーを飲み干し、細長い指で取っ手を掴み窓の向こうをその透き通った漆黒の目で見つめたまま、依子に問いかけた。
「君もまた、あそこに立ちたいかい?」
一言の質問に、メニューを眺めていた依子の手は不意に止まる。
「その質問、そのまま一……あなたに返します」
そう答えれば、一言は苦笑して両手の指先を合わせた。
「私の場合は、私一人の問題ではないからね」
「……わかっております」
決まり切っていた答えだった。
三輪一言は、彼だけでアイドルキングに復帰するという選択が取れた。
けれども、それを選ばないのは彼にも思うところがあるのだろう。
奇跡とも伝説とも呼ばれたあのグループに。
けれどもそれが叶わず、そして許されない事であるのを一番知っているのも、他ならぬ一言であった。
一言の愛弟子の成長を見つめるその眼差しに、在りし日の憧憬に似た感情が混ざっていることを知ったのは、皮肉にも依子がアイドルを辞めてからのことだった。
それは、依子が兄弟弟子や友人に向ける眼差しにどこか似ていた。
一言のその影のある眼差しを変えたくて、依子は平然とした素振りで話を変えた。
「たしか、この後は紫ちゃんのところにも行くのでしたっけ」
「ああ、彼がチケットを送ってくれてね」
一言は破顔して達筆な宛名が記されている封筒を依子に見せる。
裏を見ずとも、兄弟子の自筆であることが容易に理解できた。
「兄さんったら、チケットはこっちで買うって言ってるのに」
「彼は私だけではなく、多くの人に自らの美学を見せるということ意識しているアイドルだからね。あえてそうするのだろう」
「紫ちゃんらしいですね」
「おや、さっきみたいに兄さんとは呼ばないのかい?」
「狗朗じゃないんですからたまにで良いんです、からかわれますし」
「彼も彼で君にそう言われるのは意外と嫌いじゃないと思うけれど」
「だから言わないんです」
「今日の君は随分と意地悪だ」
「お嫌ですか?」
「新鮮ではあるかな」
一言はそう言ってくつくつと笑いながら封筒を仕舞った。
百井依子は元アイドルである。
しかし現在は新たな道を歩み始めた作曲家でもある。
いつの日か一言が再びアイドルとして復活したその時は、
(私が、彼の曲を作れたら)
そう、願うこともある。
胸に抱いたささやかな夢を叶えるために、自分は誰かのために曲を作り続けるのだろう。
けれども、今この時アイドルではないただの三輪一言と、大切な人と共に在ることの出来る幸せを、噛みしめていたい。
「始まったよ」
一言の声に窓の向こうを望む。
かつての自分の輝きを懐かしむように、そして自分とは異なる道に進む弟弟子の行く末を思うように。
彼らが放つ輝きを見つめながら、依子は向かいに座る一言の手の上にそっと自分の手を重ねた。