2004〜2009
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『高揚』
未来が見えるということは、今から自分がする行為も一言には見えている、というわけでもある。
「全部が見える訳ではないよ」
特に他ならぬ君のことなんかはね。ぽすんと頭に手を乗せて、一言はふんわりと笑う。
ああ、もう、ずるい人!
辛い事も幸せな事も何もかも微笑みと共に受け止めてしまう癖に、さて今から恋人にどんな事をされるのだろうか、なんて些細な事を無邪気に楽しみにされてはする側としてはたまったものではない。
こちらはいつも心臓が痛いほど脈を打っているというのに、このほんわかと微笑む小憎らしい男は女の鼓動の音色にさえ愛おしげに耳を澄ませるのだ。
胸を高鳴らせたまま、少し背伸びをして一言の唇に熱いままの唇をそっと重ねた。
…………
『いや、うん、うっかり』
最初の理由は出来心。
そうして次の理由は、「彼女からするのはまだ難しいのだろうな」という長年の経験に基づく予測。
最後に、ほんの少しの好奇心。
口付けを交わすのに一々理由なんていらないけれど、敢えて言葉にするのならば大体そんなところだろうか。
そして何より、
「いちげんさまっ!?」
不意を打って彼女にキスをした時、まず目を零れそうな程大きく開いて次に目を瞬かせつつ頰を赤く染め、そうして漸く自分の身に起きた事を認識して、ひっくり返った声で己の名を呼ぶ彼女の一連の動作が何とも愛しくてたまらない。
「私はあなたのように、未来なんて見れないのだから」
なんて彼女は泣きそうな顔で言うけれど、たとえその先に彼女がどんな顔をするのか分かっていたとしても、自分はこの行為に飽きる事がない。
それはきっと、これからも。
………………
『この世にあって欲しいもの』
桜の花弁が雪のように舞い散るその向こうでは、桜の若木に青々とした若葉が茂っている。
三輪一言が愛する穏やかな日々というものは、このような季節の移ろいとその儚さを噛みしめる行為の積み重ねのようだ。
そんな時間が永遠と呼べる程長く続くことが叶わないと知りながら、依子はこの日々がずっと続けば良いのにといつだって願ってしまう。
「一言様、良い句が浮かびましたか?」
依子の言葉に一言は肩をすくめる。
「ちょっと今日は難航しているから、もう少しかかりそうだね」
愛する人と共にある幸福が長く続くよう願ってやまないが、今だけは早く一言の句が完成できたら良いと思う自分の現金さに依子は苦笑する。
一枚の花弁が、二人の間にほとりと落ちた。
…………
『(あいしてる。言えないくらい、愛してる)』
「君も俳句をしてみるかい?」
何気ない一言の言葉に依子は首を振った。
「今は、貴方の句を聴くだけで精一杯ですから」
だから、読まない。というわけだ。
一言は少し眉を下げ残念そうにする。
「君ならきっと良い句が読めるよ」
「いつか読んでみますね」
依子はまだ自分の思いをまだ十七文字では語りきれない。
…………
『ふかふかのひつじにつつまれる』
日差しにたっぷり当たった布団はひだまりそのものとでも言うようにほかほかとしていて、柔らかい。
「仕舞うのが勿体なくなりますね」
ふっくらとした表面に目を細め頰を当てれば一言はくすくすと笑う。
「寒くなったらまた出番が来るから」
この暖かく柔らかな布団とは、暫くのお別れだ。
ふと思い立ち布団を両手で持ったまま背を向けた一言に腕を伸ばせば、布団ごと一言に抱き竦められた。
…………
『ときどきは弱くなる夜』
「一言様」
そう女が男の名を呼び何も言わず縋り付くだけの夜もこの二人にはある。
「どうしたの?」
問いかける男の声は子供へ向けるようにいつもより一層柔らかい。
「寂しかった?」
問いのどちらにも女は首を振り一言の体に縋る
手の力をきゅっと強める。
貴方が寂しげに見えた、小さな声が夜の闇に消えた。
…………
『たとえば、いつか』
「私が死んだら一言様は泣いてくれますか」
「依子」
依子の言葉に一言は怪訝そうに眉根を寄せて子供に対するように諌めるかの如く名前を呼ぶ。
「例えばの話、ですよ」
不安を払うように態とらしく笑う。
「泣くかもしれないし、泣くこともできないかもしれない」
けれどね、言葉を区切り体を寄せる。
「私の方が先だから」
「……分かっています」
………………
『あまくてにがい』
自分を見下ろしてくる一言の表情にどう反応すれば良いのかわからなくて、依子は胸の奥が締め付けられたまま一言の見た目よりもしっかりしている首に腕を回した。
寝巻き越しに自分よりも少し低い体温と脈動が伝わってきてふっと安堵する。
「どうしたんだい?」
一言は苦笑まじりにの後頭部をそっと撫でた。
この人は困っている振りをしている、私の理由など知らなくても私の気持ちがわかっているのだ。
一言の聡明さが憎らしくて、一言の鈍感さが愛おしい。
「いえません」
「うん」
頷く一言の髪が頰に触れてこそばゆい。
あなたが迷子のように見えた、なんて言えるはずもなかった。