1999.07.11〜2004.05
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気紛れでちゃっかりしてて、だのに警戒心が強くて、それに良く寝る。
縁側で二人揃って仲良くくうくうと寝息を立てて眠る依子と狗朗を見て、紫はため息をついた。
冬うらら、とでも言うに相応しい一月の晴れやかな気候が余程気持ちよかったのだろう。
狗朗は依子の膝枕で丸まって寝ている。狗朗の上には薄桃色の生地に梅の模様が染められた半纏が掛けられている、一言の手作りで依子が気に入っているものだ。
依子も依子で狗朗の頭を撫でるように手をそっと乗せたまま、こっくりこっくりと船を漕いでいる。
今日はいつもより確かに暖かいが、それでも冬の寒さがないわけではない。
「二人とも体を冷やして、風邪でも引いたらあの人が困るじゃない」
紫が少し屈んで依子の色素の淡い髪をわしゃわしゃと撫でれば、案の定髪の毛は冷たかった。
「んぁ、紫ちゃん?おかえりなさーい」
目を瞬かせながら微睡みから覚めた依子は、頭上の紫に視線を合わせるように頭を上げ、色の違う目を見開いてへにゃりと笑った。
「またこんなところで寝ていたの?」
「稽古もひと段落ついたし、ちょっと休憩しようかーって言ったらおやすみ三秒」
ちびっ子ってすごいねぇ。電池が切れたみたいにすぐ寝ちゃうの。
けらけらと笑う妹弟子の鼻先は赤くなっていた。
この妹弟子も、本人はそのつもりはなくともなんだかんだで稽古に関してはストイックだ。弟弟子は紫の時ほどではなくとも相当にしごかれたのだろう。
なぜかと言えば。
(私の影響、でしょうね)
依子が師である一言に次いで、研鑽の見本としているのは他ならぬ紫自身なのだから、そうもなるだろう。
「稽古に夢中になって風邪をひく、なんてオチは美しくないわよ」
「その辺は用心してるよ、狗朗が風邪引いたら一言様も心配しちゃうし」
「馬鹿ね、あなたもよ」
紫は巻いていたストールを解いて依子の肩にかける。依子は一度瞑目して、それから「ありがとう、紫ちゃん」とはにかんだ。
会話に反応してむにゃむにゃと寝言を言いながら狗朗が少し身動いで、二人は思わず動きを止める。
だが狗朗は起きる気配を見せず、そのまますうすうと穏やかな寝息を立てて再び眠りについた。
存外眠りが浅いのは、よく寝る妹弟子の方らしい。
紫は依子の隣に長い足を組んで腰掛ける。庭先の梅の木がまだ硬そうな蕾をちらほらとつけていた。
「あのね、紫ちゃん」
へらりとした様子から一転して、依子は真摯な声音で兄弟子の名を呼んだ。
紫は赤々とした琥珀色の目を妹弟子に向ける。
依子は、自分の膝枕で安心して眠る狗朗を見て、それから視線を前に戻す。
その向こう側には、独特の光沢感を持つ花びらの蝋梅が咲き綻んでいた。
樹上の雪が溶け、黄色の小さな花が冬の淡い色の空に映える。
その更に向こうの景色を、ここではない光景を依子は見ていた。
御芍神紫は、その眼差しとよく似た目をする人を知っている。
「夢を、見たの」
「あら、どんな夢?」
妹弟子は憂うように目を伏せる。
「悲しいけど、ほっとする夢」
「随分ふわふわした内容の夢ね」
少しからかい混じりに言うと、依子は少しむくれたが、先程までの憂いは目から薄れていた。
「だって、未来のことをあんまり話すのって良くないんでしょ?」
それに紫ちゃんの言う通りふわふわとしか覚えてないんだし。
拗ねる依子に紫は笑った。
「悪夢ならば話してしまいなさいな、すっきりするでしょうし。それにね、依子ちゃん。未来は見るものではなくて切り開くものよ」
あの人と同じものを見ることなどないけど、見る必要もないのだ。
今を存分に楽しんだ結果が、未来についてくるのだから。
妹弟子はどう考えているかは知らないが、少なくとも紫はそう思う。
紫には、三輪一言という美しい人が振るう一振りの刀のような確固たる己さえあればいい。
だが、少なくともこの妹弟子はそうではない、決して紫のようにはなれない。
だから今ある一つ一つに憂いてしまうのだ。
一瞬寒風が吹き、依子は身を竦ませる。
それからようやく決心がついたのか、ゆっくりと言葉を続けた。
「誰かが……戦っている夢。一騎討ち、みたいだった」
ぽつりぽつりと一つずつ丁寧に妹弟子は言葉を掬い上げる。言葉は三輪一言を師とする三人にとって大切なものだ。
「私は二人が戦うことが悲しいとそう思っていたのに、どこかで安心していたの」
「安心、ね」
「私には、その二人が互いにとって大切なものの為に戦っているって知っていたから」
その二人が誰なのか分かるのか、紫は敢えて問わなかった。
問うたところでただの少女が見る夢だ、あの人が見る未来ではない。
けれど、三輪一言という存在と紫とも狗朗とも違う繋がりを依子が持っているのならば、彼女の見る夢には何か意味もあるのかもしれない。
それも憶測に過ぎないし、そうであったとして、紫はさして重要には思わない。
大事なのはその繋がりを通して如何に動くかということだ。
「面白いわね、風景や出てくる人ではなくて、見ている人間の心象が記憶に残る夢なんて」
「夢って意外とそんなものかもしれないね。見た人が自分も意識していないところで、その人の中にある記憶や想い、祈りみたいな色んなものがカケラを繋ぎ合わさって夢が作られるのかも」
「なら、あなたが見た夢もあなたの祈ったことなのかもしれないわね」
くすりと紫は艶やかな薄紫色の唇を弧を描いて笑い、話している間に依子の手が離れた狗朗の頭を撫でる。
「そうだと、いいね」
先のことがわかってしまうよりも、過去の悪夢を見るよりも、祈ったことが夢になるならその方がいい。ずっといい。
俯く妹弟子の表情を、紫が窺い知ることは出来なかった。
狗朗の頭を紫が占拠したので、依子は狗朗の肩のあたりをぽんぽんと規則正しく叩く。
かつて、無意識による能力の暴走を恐れた依子に一言が寝る前にしていたのと同じ動きで。
こうして人の間に少しずつ何かが受け継がれていくのだと、自分らしからぬ考えを抱いた紫ははたとあることに気付いた。
「ところで一言さまは、どこにいるのかしら」
「一月末の行事について村の人達に相談しに行ってたよ」
道理で気配がないわけだと紫は一人合点がいくと同時に、一言がここにいなくてよかったと安堵した。
兄らしい一面をあの人に見せるのは、なんとなく己の未熟さを見せているようで、気恥ずかしく感じてしまうから。
ふとガラガラと引き戸を開ける音がしてーー三輪家もそうだがこの集落の家々は、基本的に鍵をかけないーー家主が帰還したことを二人に伝えた。
その瞬間、依子の膝で寝ていた狗朗がパチリと目を開けて勢いよく起き上がった。
「一言さま、おかえりなさいませ!」
さながら飼い主の帰宅にちぎれんばかりに尻尾を振り大はしゃぎする犬のように、狗朗はパタパタと忙しなく玄関へと走っていく。
「兄上おかえりなさいませ!姉上お膝ありがとうございます!」と狗朗の声が賑やかな足音の合間に聞こえた。
「……早かったわね、狗朗ちゃん」
「おやすみ三秒ならおはようも三秒だったね……」
二人は顔を見合わせて呆れ混じりの笑みをこぼす。
「今帰ったよ、紫くんもお帰り」
聞き慣れた一言の声に二人は立ち上がって狗朗の後を追うように、一言を出迎えに行った。
寒空の下、蝋梅はまだ落ちる気配がなかった。