2008〜2012.09.25
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
都会と山間の田舎の寒さは随分と質が違うと知ったのは、三輪家を出て東京の高校に通うようになってからのことだ。
滅多に雪の降らない都会は冷たい風が肌から身体中を突き刺すような刺々しい寒さだが、三輪家のある山奥の寒さは降り積もる雪のように静かに体の芯に染み渡るようなじんわりとした寒さだ。
はあと一つ息を吐けば、白みがかった吐息が真夜中の庭に溶けて消えた。
夜に入って降り始めた雪は夜が深まるほどに強さを増していく、闇夜にぼんやりと積もり始めた雪が白く浮かび上がった。
夜に降る雪が好きだ。
音もなく静かに積もる雪は、暗闇を少しずつ白に染めていく。色のない雪が少しずつ塗りつぶされた黒を白く染めていく様に無性に心惹かれるのだ。
寒さと風邪をひくリスクがなければ、一晩中でも眺めていたくなる。まだここに来たばかりの頃に実際にやってみて風邪をひき、兄弟子や一言に移すという手酷い失敗をしてからは寝る前のひと時だけで我慢しているのだ。
じきにこの山里は雪に閉ざされる、降り始める雪が世界を染める光景を眺められるのはほんの僅かな時期だけだ。
寒さに指先の感覚が少しだけ麻痺する。薄暗い中見下ろせば僅かに赤くなっている指先がぼんやりと浮かんだ。しもやけにならなければいいけど。依子は冷え切った手を合わせて少し擦る。瞬間、背中に気配を感じふわりと暖かいものに肩を包まれた。
「一言様」
「また、風邪をひいてしまうよ」
寝間着姿に半纏を羽織った一言が依子の肩にストールをかけたのだ。無彩色の流水紋で彩られた黒いストールは、依子が去年の一言の誕生日に贈ったものだ。手渡した時より少し柔らかくなった生地を、依子は感触と温もりを確かめるように指でなぞる。
「もうひきませんよ、子供じゃないんですから」
少し拗ねた依子の言葉に一言は苦笑する。
「そうだね。でも雪を眺めている君の目は、昔と何も変わっていないよ」
「変わったものがあるとしたら、それは見た目くらいですか」
「それは確かに随分と変わった、いや、成長したね」
「ふふ」
「それ以外も、君は変わったよ」
一言は目を細め依子の髪を一筋すくい、雪を払う。変わってしまったのは、私だけだろうか。
「変わってしまった私は、嫌いですか」
「まさか」
今も昔も、私は君のことが大好きだよ。
そう告げる一言の眼差しは昔と変わらず真摯で、だからこそ一言の言葉に依子の頬は熱くなる。一言の依子に対する想いは変わってしまったのではなく、持ち続けてきた弟子に対する細やかな愛情に加えて女に対する情愛も新たに加わっただけなのだ。
雪の降る夜の凍えるような冷たさとは裏腹に、依子の体は上気する。
「不意打ちはずるいと思いませんか? 」
「君の方が奇襲が得意でしょう? 」
「確かに私の能力は奇襲に向いていますけど……」
そう依子が言うと、一言は可笑しそうにくすくすと笑う。見えているものは一言の方が圧倒的に多いはずなのに、彼は恋人になった依子の一つ一つの所作に驚いては見たことのない顔や今まで聞いたことのない言葉ばかりを告げてくる。これを不意打ちと言わずなんと言うのだろう。
悠然と微笑む一言の表情が少し憎らしくて、依子は自分の髪に触れる一言の手を取りその手の甲に頰に寄せた。
「依子」
目を見張る一言を尻目に、冷たくなった自分の両の手の指で一言の筋張った、けれど形の整った指と絡める。触れる指の暖かさが心地よくて依子は恍惚として目を細める。雪の日の逢瀬のように静かに熱を奪う。もっとも、普段の逢瀬で熱を求めるのは一言のほうなのだが。
「あなたの言う通り、少しは不意打ちが上手くなったみたいです」
「でしょう?」
空いたもう片方の腕が依子の腰に回されて、今度は依子の方が目を見開いた。手を取ったまま依子が見上げると、一言がしてやったりと言わんばかりに笑っていた。
「でも、私も負けていないよ」
「何を競っているんですか」
「君に驚かされてばかりいるから、たまには私もね」
「それはこちらのセリフです」
一言と男女の関係になって、初めて見るものに依子はいつも驚かされていると言うのに。この距離でないと、見えないものがあったのはきっと二人とも同じなのだ。
「なら、お互い様なのかな」
「かもしれませんね」
依子は捕らえていた一言の手を離すと、その手も依子の腰に回された。
一言の腕に包まれたまま、依子は後ろの庭を振り返って眺めれば、庭の土は音もなく降り積もった色のない雪が積み重なり、とうに白一色に染まりきっていた。
滅多に雪の降らない都会は冷たい風が肌から身体中を突き刺すような刺々しい寒さだが、三輪家のある山奥の寒さは降り積もる雪のように静かに体の芯に染み渡るようなじんわりとした寒さだ。
はあと一つ息を吐けば、白みがかった吐息が真夜中の庭に溶けて消えた。
夜に入って降り始めた雪は夜が深まるほどに強さを増していく、闇夜にぼんやりと積もり始めた雪が白く浮かび上がった。
夜に降る雪が好きだ。
音もなく静かに積もる雪は、暗闇を少しずつ白に染めていく。色のない雪が少しずつ塗りつぶされた黒を白く染めていく様に無性に心惹かれるのだ。
寒さと風邪をひくリスクがなければ、一晩中でも眺めていたくなる。まだここに来たばかりの頃に実際にやってみて風邪をひき、兄弟子や一言に移すという手酷い失敗をしてからは寝る前のひと時だけで我慢しているのだ。
じきにこの山里は雪に閉ざされる、降り始める雪が世界を染める光景を眺められるのはほんの僅かな時期だけだ。
寒さに指先の感覚が少しだけ麻痺する。薄暗い中見下ろせば僅かに赤くなっている指先がぼんやりと浮かんだ。しもやけにならなければいいけど。依子は冷え切った手を合わせて少し擦る。瞬間、背中に気配を感じふわりと暖かいものに肩を包まれた。
「一言様」
「また、風邪をひいてしまうよ」
寝間着姿に半纏を羽織った一言が依子の肩にストールをかけたのだ。無彩色の流水紋で彩られた黒いストールは、依子が去年の一言の誕生日に贈ったものだ。手渡した時より少し柔らかくなった生地を、依子は感触と温もりを確かめるように指でなぞる。
「もうひきませんよ、子供じゃないんですから」
少し拗ねた依子の言葉に一言は苦笑する。
「そうだね。でも雪を眺めている君の目は、昔と何も変わっていないよ」
「変わったものがあるとしたら、それは見た目くらいですか」
「それは確かに随分と変わった、いや、成長したね」
「ふふ」
「それ以外も、君は変わったよ」
一言は目を細め依子の髪を一筋すくい、雪を払う。変わってしまったのは、私だけだろうか。
「変わってしまった私は、嫌いですか」
「まさか」
今も昔も、私は君のことが大好きだよ。
そう告げる一言の眼差しは昔と変わらず真摯で、だからこそ一言の言葉に依子の頬は熱くなる。一言の依子に対する想いは変わってしまったのではなく、持ち続けてきた弟子に対する細やかな愛情に加えて女に対する情愛も新たに加わっただけなのだ。
雪の降る夜の凍えるような冷たさとは裏腹に、依子の体は上気する。
「不意打ちはずるいと思いませんか? 」
「君の方が奇襲が得意でしょう? 」
「確かに私の能力は奇襲に向いていますけど……」
そう依子が言うと、一言は可笑しそうにくすくすと笑う。見えているものは一言の方が圧倒的に多いはずなのに、彼は恋人になった依子の一つ一つの所作に驚いては見たことのない顔や今まで聞いたことのない言葉ばかりを告げてくる。これを不意打ちと言わずなんと言うのだろう。
悠然と微笑む一言の表情が少し憎らしくて、依子は自分の髪に触れる一言の手を取りその手の甲に頰に寄せた。
「依子」
目を見張る一言を尻目に、冷たくなった自分の両の手の指で一言の筋張った、けれど形の整った指と絡める。触れる指の暖かさが心地よくて依子は恍惚として目を細める。雪の日の逢瀬のように静かに熱を奪う。もっとも、普段の逢瀬で熱を求めるのは一言のほうなのだが。
「あなたの言う通り、少しは不意打ちが上手くなったみたいです」
「でしょう?」
空いたもう片方の腕が依子の腰に回されて、今度は依子の方が目を見開いた。手を取ったまま依子が見上げると、一言がしてやったりと言わんばかりに笑っていた。
「でも、私も負けていないよ」
「何を競っているんですか」
「君に驚かされてばかりいるから、たまには私もね」
「それはこちらのセリフです」
一言と男女の関係になって、初めて見るものに依子はいつも驚かされていると言うのに。この距離でないと、見えないものがあったのはきっと二人とも同じなのだ。
「なら、お互い様なのかな」
「かもしれませんね」
依子は捕らえていた一言の手を離すと、その手も依子の腰に回された。
一言の腕に包まれたまま、依子は後ろの庭を振り返って眺めれば、庭の土は音もなく降り積もった色のない雪が積み重なり、とうに白一色に染まりきっていた。