2012〜
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『分かち合えぬ薄紅色』
「『願わくば 花の下にて 春死なん かの如月の 望月の頃』、か……」
一言様が死んだのは春ではなく秋の月が美しい日の事だったけど。
あの人が瞑目する間際の、風信子石の色したひとみの優しさを忘れることなぞ出来ようか。
薄紅色の花弁の混ざる風が短くなった依子の髪を撫ぜる。
誰も彼もが死のうとも、春は今年も等しく訪れる。
今を生きているいのちにだけ、春は。
(あなたの下にもう春は訪れない)
…………
『永訣』
久方ぶりに一言様の夢を見た。
私は幼い姿で、あの人は昔のまま、何も変わらないままでいて。
「Ora Orade Shitori egumo」
聖句のように紡がれたそれは、郷里の詩人の詩の一節だとあの人は言っていた。
私が大人になっていくのを、あの人はいつもと同じ優しい目で眺めている。
分からなくてもいい永遠になんて願わない。
それでも、それでもどうか叶うならば共に、最期まで。
ようやっと同じ歩幅でまっすぐ共に歩けるようになった私を一言様は優しく突き放す。
君も私も一人で|《生》行くのだと。そう言い残し、彼は雪降る此岸に私をおいていった。
(あの人はとおくへいってしまった)
…………
『来ぬ人を』
あそこに植えてあるのは紅葉その奥は楓。
ご覧、灯台躑躅の葉もあんなに綺麗に赤く染まっているよ。
葉ではないけれどもうすぐ南天も紅い実を結ぶよ、南天は災いを転じる力があるんだ。
庭を眺める一言の優しげな声を依子は今でも思い出せる。
幼い頃に交わした会話だ。
君に良い事を齎す赤色もあるのだと、穏やかに微笑むあの人には私が誰と出会うのか見えていたのだろうか。
三輪一言のいない庭は去年と同じ様に秋の色に染まった。
…………
『最初から最期まで』
「あの人は何処まで見えていたのかしら」
四人で映る写真を愛おしむように触れながら、依子は独りごちる。
二人の兄弟弟子が争う事も、自分と彼自身の結末も、彼は見えていたのだろうか。
彼が全て知りながら自分達に笑いかけていたのだとしたら。
「なんて、ひどい人」
ポタリと写真の上に一粒の雫が落ちた。
…………
『楔』
姉弟子の耳を彩っているのは今も昔も変わらず小さな無色の輝石だった。
「指輪の代わり、だったのでしょうね」
剣を握る手に指輪は不相応だもの、そう言って少し寂しげに懐かしむように微笑む。彼女はそれを誰から何故送られたのかを語らなかった。
二人が指輪という形に出来なかった想いの証は、彼女の楔になり続けている。
…………
『sister』
「狗朗、大好きよ」
穏やかに、時に朗らかに姉弟子は狗朗の名を呼び抱きしめる。
最初は気恥ずかしかったけれど、いつしか慣れて胸の奥が擽ったくなるような心地よさを感じていた。
亡き実母や姉とはまた違う声と温もりは、狗朗の中で彼女達と同様の温かな愛で満たしてくれた。
「狗朗」
昔のように名を呼び、抱きしめる姉弟子の頭は自分よりもずっと低い位置にあって、その腕は鍛えられてはいるけれど己に比べて随分と華奢なものだったなんて、狗朗は知らなかった。
「私はあなたが大好きよ」
けれど変わらぬ温かさをくれるその笑みは昔と変わらなかった。
(変わっていく弟と、変われなかった姉と)
………
『さみしいひと』
善条の記憶に残る百井依子という幼子は、どういうわけか性別を感じる事がなかった。
愛らしい少年とも、凛々しい少女とも見分けのつかぬやたらと目の大きなこどもだったのだ。
十数年の歳月を経て目の前に立つ彼女は、「おんな」のじめじめとした薄暗い部分を身に纏って寂しげに笑う。
「貴方が羨ましい」
何を以って己のような男を羨ましいなどと言えるのか。
若さも美しさも、幸せを一身に受けていた彼女が得ているべきものを、何一つ持たない少女だった女はじっと色の違う両目で善条の失われた左腕を、そこに善条のもう一つの腕があるように眺める。
「貴方は腕だけでも一緒にいくことが出来たのですもの」
………
『堕落論』
腕も足も首も腰も相変わらずこの娘は何処もかしこも細いままで、それでいて柔らかさだけは紫が知らぬ内に増していた。
遠い日に三輪一言の元で綻んでいた蕾は、今緩やかに熟れ静かに腐っていく。
「貴女のしていることは、まるで時間差の心中ね」
「本当はねしたかったけど出来なかったんだ」
あの人に、見抜かれていたの。
貴女の考えなんてあの人にはお見通しだったでしょうね、貴女は分かりやすいから。
酷いわ紫ちゃん。
女は自分の体に触れる紫を見て、目を細めて愉しげに笑う。
薄暗闇の中二つの影が揺らいだ。
………
『幸福論』
「あの子はいつか実を結ぶ美しい花になるのだろうね」
それは紫がただ一つ知る最愛の師が彼女へと向けた託宣だった。
「貴方は私にとっての『過』だったのかしら」
かつて紫が投げかけた言葉に、記憶の中の師はただ笑うだけで黙して語らない。
己があの王であり師であった、あの柔らかな美しさと強さを持つ男の『過』であったのか否かを知る由はない。
知ったところであの人が、紫の世界の中で大事な領域に座している事実は決して変わらないのだから。
全てを知るのは死者だけだ。
だが王でもなく師でもなく「ただの男」としての三輪一言が、一つだけ過ちと呼べる後悔を抱えていたのだとしたら、
「あの子が貴方にとっての『過』だったのですか、一言様」
『幸せになる未来を見た』ただそれだけで打ち捨てられた少女の手を取った男は、ただ平穏な幸せを与えたかった。
きっとそれだけだったのだ。
……
御芍神紫とxxへのお題は『手間のかかる子ほど可愛い』です。
shindanmaker.com/392860
紫ちゃんって大切な子に対して、すごく世話焼きになるよね。
そう言って隣の妹弟子が肩を震わせて笑うので、紫は不本意であると言うように美しく整えられた片眉を上げる。
「変なこと言わないで頂戴」
「そうかしら。あの緑の子、スクナ君を見ている貴方の目は、狗朗を見守っている時のあの人によく似ていると思ったのに」
そのひと言によって生まれた動揺を、紫は周到に隠してみせた。彼女の評価は心外だが、その表現がけして嫌ではなかったから。だから尚更、紫は彼女に己の反応を見せるわけにはいかなかった。
何よりも愉しげに目を細める彼女が、三輪一言がよく知っていたであろう表情で自分を通して惚れた男の面影に微笑んでいるということが、心底気に食わない。
紫は返事の代わりに、昔のように妹弟子の額を細い指で軽く弾いた。昔よりも少しだけ、強めに。
「痛い!」
色の違う両目を丸くしてわざとらしく額を手で押さえる妹弟子に、紫は淡く艶やかな色をした唇の端を吊り上げた。