2004〜2009
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『私の良い人連れてきて』
帰宅する日と雨の日が重なる事程、憂鬱なものはないと依子は常々思う。
整備が行き届かない田舎道に出来た水溜りを避けても革靴が汚れることは免れないし、雨の所為で数少ない電車が運休にでもなればそれはもう悲劇だ。
それでも一つくらい、憂鬱でしかない日の慰めがあるとしたら、
「お帰り、依子」
時折雨の中、或いは軒先で自分を待つ赤色の和傘とその持ち主を見つけた瞬間くらいのものだった。
………
『ビターカラメル』
家への土産に学校で話題になったお菓子を買おうと駅前のコンビニに立ち寄る。
店員が袋に詰めるのを眺めながら依子は一つ余分に買ったことに気づいた。
三人分でよかったのに、無意識に四人分手に取ってしまった。店員の声を背に受けつつ無駄遣いをしたことだけが原因ではない後悔がじわりと胸の内に広がった。
………
『彼の手の話』
私の手よりも一回り大きなそれをそっと両手で掴み眺める。
すらりと細いけど節くれだったところがある長い指は、白く所々の皮膚が剣だこで硬くなっている。
私の手も同じ場所に剣だこがある。お揃いのそれを指でなぞると「くすぐったいよ」と眉を下げる一言様の声が頭上から聞こえてくる。
「好きなのは手だけかい?」
「一言様の手だから好きなんです」
応えるようにもう片方の手が優しく私の頭を撫でた。
………
『深夜のコンビニにて』
「「あっ」」
意外な状況で意外な人物と出会った。
「あのね周防くん、これはその…」
頰を赤らめ恥じらい目を逸らす百井に可憐さを感じる同性もいるのだろうなとぼんやり思うが、手に下げる籠に大量のカップ麺やジャンクフードが積み込まれてる姿はあまりにも意外過ぎて、
「そんな食ったら太るぞ」
「普段は食べれないからつい…」
周防はひどく陳腐な台詞を口にした。
………
『四十五秒以内の逢瀬』
寄り合いに向かう道中、駅から来たバスとすれ違う。
その車上から一言様、と自分の名を呼びかけている制服姿の依子と視線が交差する。
目が合ったのは一瞬だけなのに長い間見つめ合っていると錯覚してしまう。彼女もそうなのだろう。
呼びかけにお帰りと答えれば、頬を染めながら笑顔で手を振り返した。
………
『人恋しい冬に、ひとりぼっちだ』
そういえば今は世間ではクリスマスシーズンなのだと、赤と緑に彩られた街並みを見て思い出す。
兄弟子が浮ついた空気を好まないのでクリスマスを祝わなくなったからか、依子の中からクリスマスの存在がすっかり薄れてしまったのだ。
今年はケーキを作ってみようか、あの人が待つ家に帰れるまであと数日。
………
『誰も欲しくない』
依子は同級生や日頃世話になっている先輩後輩、それにバイト先の店主からホワイトデーのお返しを貰った。
クッキーやキャンディが入った袋を抱え三輪家に帰って来れば、出迎えた狗朗はその量に目を丸くした。
「全部食べるのですか?」
「少しずつね、それに」
一番欲しいお返しをまだ貰えていないのだから。
………
『手だけつないで』
街中で意を決して彼と手を繋いでみる。
見た目は裏腹に大きく無骨な手にドギマギしながら一言様に何気なく問いかけてみる。
「私たちどういう関係に見えるのでしょうね」
「きっと仲の良い親子に見えるんじゃないかな?ああ、でも」
続く言葉に息をひそめる。
「援助交際中の二人に見えたら、困ってしまうね」
「ソウデスネーソレハコマッテシマイマスモノネー」
「依子、目が泳いでるよ」
(違う、そうじゃない。何故恋人という言葉が出てこないのですか!一言様!)
………
『隣の人』
家に帰って来た時依子が目にしたのは、玄関先で若い女性と歓談する一言の姿だった。
弟弟子の家庭訪問の日である事をふと思い出す。
彼女と和やかに話す彼を見ていると胸の奥が騒がしくなり、思わず両腕に抱えた荷物をぎゅっと抱きしめる。
彼女が一言に対して自分と同じ感情を抱いている事はとうに知っていた。
………
『ご機嫌取りも楽しみのひとつ』
隣に座り拗ねている少女が何に怒っているのか一言はわからなかった。
「……先日寄り合いで頂いたお菓子は美味しかったですか」
一言は頰をかく。
「あれは田中のお爺さんが食べちゃったんだ」
「…食べてないんですか」
「うん」
依子の表情が一瞬だけ明るいものに変わった。
「私もなんです、食べれなかったのが悔しくて、今度作ってみますね」
「洋風のお菓子は余り食べる機会がないからね、楽しみにしているよ」
「っ……はいっ!精進します!」
結局何故依子が何をそんなにむくれていたのかを一言は聞くことがなかった。
………
『お腹いっぱい君をください』
シュークリームは難易度の高い洋菓子だと、依子は目の前の失敗作の山を見て改めて思い出した。
山と積まれた凹んだシューに自分の思いを重ねてしまい依子の心は一層凹む。
ふと見れば失敗作の山に男性ながら嫋やかな手が伸びている。
止めようとするが束の間、一言は一口齧ると「美味しい」と言ってくれた
「一言様、それ失敗作で」
「確かにちょっと萎んでいるけど味は美味しいじゃないか」
「でも皮だけで」
「ああ、こっちにあるのがそれかい?」
「……はい」
一言は冷めたカスタードクリームをひと匙掬って萎んでしまったシューの上に乗せまた食べた。
「うん、美味しいよ依子。ここまでうまくできているのだから次はきっと成功するよ」
「あ…ありがとうございます」
………
『あなたと一緒にいたいんだもん』
依子は三輪家に帰宅した時は、なるべく料理を手伝う。
別に女だからという訳ではない、三輪家の家主である一言は男女の性差で仕事を分担するという旧弊的な考えを持たぬ人だ。
「偶の休日なのだから、やりたい事をしてもいいんだよ?」
「これが一番やりたい事なんです」
だって貴方の隣に立てるのだから。
………
『通り雨』
しとしとと降る雨はさして強くなく、けれど傘を差さずとも無事に帰れるわけでもない微妙な振り方をしていた。
タンマツの天気予報ではこれは通り雨でもうすぐ止むだろうと言っているが、走って帰るには多少距離がある。
依子はこんな雨の日に、赤い番傘をさした人影が現れることをどこかで期待している。
傘を持って来ればこんな期待感とも無縁でいられたのに。
待合所に篭るじっとりと湿気た空気が肌に心地悪い。ふと暗くなりつつある道の向こう側に、よく知る赤と紫のシルエットが見えて依子はたまらず雨の中へと飛び出した。
………………
『痛い』
「出血は多いけど、傷は浅いみたいだね」
一言様はホッとした様子で、手際よく大きめの絆創膏が私の指に貼った。
何があったのかと言えば、包丁を持ったまま余所見をして手元があらぬ方向にずれて今に至る、という訳だ。
丁寧に触れる一回り大きな手は少しだけ冷たい。
「一言様は私が傷付いたら悲しい?」
私の問いに一言様は深く澄んだ目を伏せる。
「そうだね、悲しいけれど」
そう言って少し言葉を考える様にして、指の絆創膏をもう片方の手で撫でる。
「私のどうにもならないところで傷付いてしまった方が、悲しくなるな」
優しく触れられた箇所が熱くて、何故か胸は指よりもっと痛かった。
帰宅する日と雨の日が重なる事程、憂鬱なものはないと依子は常々思う。
整備が行き届かない田舎道に出来た水溜りを避けても革靴が汚れることは免れないし、雨の所為で数少ない電車が運休にでもなればそれはもう悲劇だ。
それでも一つくらい、憂鬱でしかない日の慰めがあるとしたら、
「お帰り、依子」
時折雨の中、或いは軒先で自分を待つ赤色の和傘とその持ち主を見つけた瞬間くらいのものだった。
………
『ビターカラメル』
家への土産に学校で話題になったお菓子を買おうと駅前のコンビニに立ち寄る。
店員が袋に詰めるのを眺めながら依子は一つ余分に買ったことに気づいた。
三人分でよかったのに、無意識に四人分手に取ってしまった。店員の声を背に受けつつ無駄遣いをしたことだけが原因ではない後悔がじわりと胸の内に広がった。
………
『彼の手の話』
私の手よりも一回り大きなそれをそっと両手で掴み眺める。
すらりと細いけど節くれだったところがある長い指は、白く所々の皮膚が剣だこで硬くなっている。
私の手も同じ場所に剣だこがある。お揃いのそれを指でなぞると「くすぐったいよ」と眉を下げる一言様の声が頭上から聞こえてくる。
「好きなのは手だけかい?」
「一言様の手だから好きなんです」
応えるようにもう片方の手が優しく私の頭を撫でた。
………
『深夜のコンビニにて』
「「あっ」」
意外な状況で意外な人物と出会った。
「あのね周防くん、これはその…」
頰を赤らめ恥じらい目を逸らす百井に可憐さを感じる同性もいるのだろうなとぼんやり思うが、手に下げる籠に大量のカップ麺やジャンクフードが積み込まれてる姿はあまりにも意外過ぎて、
「そんな食ったら太るぞ」
「普段は食べれないからつい…」
周防はひどく陳腐な台詞を口にした。
………
『四十五秒以内の逢瀬』
寄り合いに向かう道中、駅から来たバスとすれ違う。
その車上から一言様、と自分の名を呼びかけている制服姿の依子と視線が交差する。
目が合ったのは一瞬だけなのに長い間見つめ合っていると錯覚してしまう。彼女もそうなのだろう。
呼びかけにお帰りと答えれば、頬を染めながら笑顔で手を振り返した。
………
『人恋しい冬に、ひとりぼっちだ』
そういえば今は世間ではクリスマスシーズンなのだと、赤と緑に彩られた街並みを見て思い出す。
兄弟子が浮ついた空気を好まないのでクリスマスを祝わなくなったからか、依子の中からクリスマスの存在がすっかり薄れてしまったのだ。
今年はケーキを作ってみようか、あの人が待つ家に帰れるまであと数日。
………
『誰も欲しくない』
依子は同級生や日頃世話になっている先輩後輩、それにバイト先の店主からホワイトデーのお返しを貰った。
クッキーやキャンディが入った袋を抱え三輪家に帰って来れば、出迎えた狗朗はその量に目を丸くした。
「全部食べるのですか?」
「少しずつね、それに」
一番欲しいお返しをまだ貰えていないのだから。
………
『手だけつないで』
街中で意を決して彼と手を繋いでみる。
見た目は裏腹に大きく無骨な手にドギマギしながら一言様に何気なく問いかけてみる。
「私たちどういう関係に見えるのでしょうね」
「きっと仲の良い親子に見えるんじゃないかな?ああ、でも」
続く言葉に息をひそめる。
「援助交際中の二人に見えたら、困ってしまうね」
「ソウデスネーソレハコマッテシマイマスモノネー」
「依子、目が泳いでるよ」
(違う、そうじゃない。何故恋人という言葉が出てこないのですか!一言様!)
………
『隣の人』
家に帰って来た時依子が目にしたのは、玄関先で若い女性と歓談する一言の姿だった。
弟弟子の家庭訪問の日である事をふと思い出す。
彼女と和やかに話す彼を見ていると胸の奥が騒がしくなり、思わず両腕に抱えた荷物をぎゅっと抱きしめる。
彼女が一言に対して自分と同じ感情を抱いている事はとうに知っていた。
………
『ご機嫌取りも楽しみのひとつ』
隣に座り拗ねている少女が何に怒っているのか一言はわからなかった。
「……先日寄り合いで頂いたお菓子は美味しかったですか」
一言は頰をかく。
「あれは田中のお爺さんが食べちゃったんだ」
「…食べてないんですか」
「うん」
依子の表情が一瞬だけ明るいものに変わった。
「私もなんです、食べれなかったのが悔しくて、今度作ってみますね」
「洋風のお菓子は余り食べる機会がないからね、楽しみにしているよ」
「っ……はいっ!精進します!」
結局何故依子が何をそんなにむくれていたのかを一言は聞くことがなかった。
………
『お腹いっぱい君をください』
シュークリームは難易度の高い洋菓子だと、依子は目の前の失敗作の山を見て改めて思い出した。
山と積まれた凹んだシューに自分の思いを重ねてしまい依子の心は一層凹む。
ふと見れば失敗作の山に男性ながら嫋やかな手が伸びている。
止めようとするが束の間、一言は一口齧ると「美味しい」と言ってくれた
「一言様、それ失敗作で」
「確かにちょっと萎んでいるけど味は美味しいじゃないか」
「でも皮だけで」
「ああ、こっちにあるのがそれかい?」
「……はい」
一言は冷めたカスタードクリームをひと匙掬って萎んでしまったシューの上に乗せまた食べた。
「うん、美味しいよ依子。ここまでうまくできているのだから次はきっと成功するよ」
「あ…ありがとうございます」
………
『あなたと一緒にいたいんだもん』
依子は三輪家に帰宅した時は、なるべく料理を手伝う。
別に女だからという訳ではない、三輪家の家主である一言は男女の性差で仕事を分担するという旧弊的な考えを持たぬ人だ。
「偶の休日なのだから、やりたい事をしてもいいんだよ?」
「これが一番やりたい事なんです」
だって貴方の隣に立てるのだから。
………
『通り雨』
しとしとと降る雨はさして強くなく、けれど傘を差さずとも無事に帰れるわけでもない微妙な振り方をしていた。
タンマツの天気予報ではこれは通り雨でもうすぐ止むだろうと言っているが、走って帰るには多少距離がある。
依子はこんな雨の日に、赤い番傘をさした人影が現れることをどこかで期待している。
傘を持って来ればこんな期待感とも無縁でいられたのに。
待合所に篭るじっとりと湿気た空気が肌に心地悪い。ふと暗くなりつつある道の向こう側に、よく知る赤と紫のシルエットが見えて依子はたまらず雨の中へと飛び出した。
………………
『痛い』
「出血は多いけど、傷は浅いみたいだね」
一言様はホッとした様子で、手際よく大きめの絆創膏が私の指に貼った。
何があったのかと言えば、包丁を持ったまま余所見をして手元があらぬ方向にずれて今に至る、という訳だ。
丁寧に触れる一回り大きな手は少しだけ冷たい。
「一言様は私が傷付いたら悲しい?」
私の問いに一言様は深く澄んだ目を伏せる。
「そうだね、悲しいけれど」
そう言って少し言葉を考える様にして、指の絆創膏をもう片方の手で撫でる。
「私のどうにもならないところで傷付いてしまった方が、悲しくなるな」
優しく触れられた箇所が熱くて、何故か胸は指よりもっと痛かった。