1999.07.11〜2004.05
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
天ぷらを家で作るというのは、一見手間がかかりそうだがコツを掴めばそう難しいことではない。
衣をよく冷やしておき、油の温度を下げないように注意しつつ少しずつ具材を揚げていく。
大切なことは存外単純なことばかりだがそれらを全て維持し続けることは難しく、紫や依子にはまだ任せ切れるものではなかった。
幼い依子はともかく、紫ならばそろそろ出来ると思うのだが本人がもう少し腕を上げてからにしたいと言うので、一言は彼の意見を受け入れている。
結果的に夕食に天ぷらが並ぶ日は、天ぷらを揚げる役目を担う一言が台所に陣取ることになるのであった。
(おや)
獅子唐の天ぷらを揚げ終えた後、一言がふと気配を感じて顔を動かさずに視線を動かせば、ひょこりとよく知る頭が二つ台所の戸からのぞく。
一通り当番を割り振られていた家事を終えた弟子達が、一言の様子を見に来たのだろう。
だがどうにも、二人の様子が普段とは違う。何かがおかしい。
(いいこと依子ちゃん、ぬかりはないわね)
(勿論よ紫ちゃん、さっき立てた作戦通りにするんだね。でも本当にいいの?)
(ふふ、今日はその為に少し材料を多めに用意したのよ)
(買い出しに行ったのはそのためだったの!?)
(それ以外の何があると言うの)
(紫ちゃん策士……)
(囮を買って出たあなたも人のことは言えないでしょう?)
(そりゃ揚げたての美味しいのを少しは食べたいもの。だけど紫ちゃんのその熱意は一体……)
こそこそと小声で話し合う弟子達の声に耳をそばだてて一言は内心苦笑する。
性格の異なる二人の弟子は、こういう時にはやたらと気が合うらしい。
大切な弟子二人の仲が良いのは良い事だが、して良い事と悪い事というのは往々にある訳で。
二つの頭が一度引っ込んだその後に、依子がそわそわとしながら台所に入ってきた。
「一言様、食卓の準備終わりました」
「うん、ありがとう依子」
素知らぬふりをして一言は茄子の天ぷらを揚げる手を止める事なく、依子に微笑む。
先に揚がったものは、後ろのテーブルに置いたクッキングシートを敷いたざるの上に盛っている。
これを皿に盛りつければ今日の主菜は完成だ。
今揚げている茄子に獅子唐と舞茸、それから紅生姜といった変わり種。
鳥天と少しながら海老や烏賊など海鮮の天ぷらもある。
山菜と桜海老のかき揚げはなかなか上手くいった。
色の違う目をきょろきょろと動かしながら、依子は口を開く。
「あの、他に何かする事ってありますか」
「うん?特に今はないよ、さっき紫が煮浸しを作ってくれたし、お味噌汁も味噌を入れれば出来上がる」
「それならご飯盛りつけます!」
「じゃあお願いしようかな」
普段より大袈裟な動きをして、依子は食器棚から必要な食器を取り出し始めた。
その動きに一言がおかしみを覚えて気が緩んだ瞬間、するりと一言の死角を影が一つ通り過ぎる。
一言は傍に置いていた使っていない菜箸を手に取り、その影目掛けてわずかな予備動作で菜箸を棒手裏剣のように投げつけた。
依子の鼻先を凄まじい速度で菜箸が通り過ぎーーその瞬間「ひっ」と小さく悲鳴が上がるーー、人影のーー天ぷらの乗ったざるに手を伸ばす紫の指先をかすめて、菜箸はテーブルにカッと音を立て深々と突き刺さる。
しんと静まり返る台所の中で、油の跳ねる音だけが虚しく響いた。
悪事がバレた二人は師の神速の妙技に見惚れながら、目を丸くしてぎこちない動きで一言の様子を伺う、
さて、して良い事と悪い事があるが、つまみ食いは明らかに後者だろう。
一言は鍋の火を止めて二人を見やり一笑した。
その笑みが普段の穏やかなそれとは違うと肌で理解した二人は、素早く姿勢を正した。依子は半泣きで、紫は「やはりこうなってしまった」と言いたげなバツの悪い顔で。
「二人とも」
一言の少し怖い笑みと普段よりワントーン低い声、そしてこれからされるであろう説教と仕置きを想像して、二人の頰には冷汗が浮かんだ。